28.天人、人間、あと幽霊の相談会
「という訳で、君たちにも知恵を貸してもらおうと思ってね。こちらがジャスミンだ」
『よろしくお願いしますね』
私とシオンお父様は、ジャスミンが宿っている小鳥の置物を持ち出して、ステファニーたちが待っている客間に持ち帰ったのだ。もちろん、オイジュス公爵夫妻の許可は取ってある。
この置物を見ているとなんだか懐かしい気持ちになるとか、そんな感じの適当な理由をつけて、あと公爵夫婦にちょっぴり甘えてみせたりもして、この屋敷の中でなら持ち歩いてもいいという言葉を引き出すことに成功したのだ
そうして固唾をのんで見守るステファニーたちの目の前で、ジャスミンがひょっこりと顔を出す。彼女は空中で、それは優雅にお辞儀をしてみせた。
「まあ、本当に幽霊なんですのね……ユリとそっくり……」
「初めて見た……絵に残したくなるくらいに、幻想的だな……一対の、この上なく美しい対の姫君……」
ステファニーとハーヴェイは、ちらちらと視線を見交わしながら呆然としている。
「私も初めて見ましたよ。思ったより怖くなくてよかったです。それにしても、天人の薬というのはすごいものなのですね、シオン」
感心するダミアンさんに、お父様は苦笑した。
「そう便利なものでもないよ。まず魂がこの世界に留まっていてくれないとどうしようもないしね。それに私が作れる薬では、大したこともできないし。せいぜい、こうやって魂に力を与えるのが関の山さ。里の達人なら、もっと色々なことができる」
そんなことを話しながら、みんなはジャスミンを見つめている。ジャスミンはおっとりと微笑みながら、ふわふわ空中に漂っていた。
「さて、そろそろ本題に入ってもいいかな」
お父様の言葉に、ジャスミンを含む全員がそちらを向く。
「私とユリはジャスミンの願いをかなえてやりたいと、そう思っている」
『私はお父様とお母様と話したいの。そうして、二人が元気になってくれればなって、そう思っているの。ユリたちのおかげで元気になれたから、今なら話もできる。でも、シオン様に止められてしまって』
「ああ、ですがそれは少々骨が折れそうですね。シオンが止めるはずです」
すかさず口を挟んだのは、ダミアンさんだった。彼はとても難しい顔をしている。
「おとうさま、どうしてそう思われるのですか?」
理解できないといった顔のステファニーにうなずきかけて、ダミアンさんはさらに続けた。
「彼女が両親と話すこと自体は簡単でしょう。でもそれで、公爵夫妻が立ち直るとも思いません。ジャスミンさんが生きて戻るのならともかく、幽霊ですからね」
そうしてダミアンさんは、お父様に向き直る。
「シオン。私はあなたたち天人とは違い、魂には詳しくありません。ですが……先ほどの話によれば、彼女がこうやって姿を現していられるのもそう長い間ではない、ということですよね?」
「ああ。ユリがここに来なければ、彼女は一度も目を覚ますことなく、おそらく一年以内には消えている」
「それを知れば、あの二人は狂乱するでしょうね。彼女をこの世につなぎとめる方法を、必死になって追い求めるでしょうね。二人の、ユリさんへの執着を見ているとそう思います」
昨夜のお父様と似たようなことを、ダミアンさんは静かに言う。ステファニーとハーヴェイが、納得したような顔を見合わせていた。二人とも、眉間にくっきりとしわを寄せて。
「つなぎとめるだけなら、手はあるにはある。公爵夫妻が寿命を迎えるまでの数十年くらいならね。けれど今の二人がそのことを知れば……さらにとんでもないことになりそうだと、私はそう思う」
お父様がため息をついて、うつむいた。長い黒髪がさらりと流れる。
「少なくとも、二人が心を入れ替えて、きちんと領地を統治して……とはならなさそうな気がするんだ」
『……そうね。私もそう思う。きっとお父様とお母様は、全てを投げ出してしまう。そうして残りの人生を、私を可愛がることに費やしてしまうわ』
ジャスミンが、うつむいて同意する。細い指を組み合わせて、しょんぼりした声で言った。
『それでなくても、お父様たちはすっかり領地をほったらかしにしてしまっているのでしょう? 国中の治安に影響を及ぼすくらいに。ユリたちから聞いて、驚いたわ』
さっきまでのおっとりとした微笑みは、もうすっかり影をひそめている。見ているこちらまで、悲しくなるようなそんな様子だ。
『だから、そちらも何とかしたいの。私が死んだりしなければ、こんなことにはならなかったのだし……』
「ジャスミン、あなただって死にたくて死んだ訳じゃないんだし、気に病まなくてもいいと思うわ」
『ありがとう、ユリ。優しいのね。でも、やっぱり放ってはおけないわ。長き歴史を持つ、オイジュス公爵家の娘として』
ジャスミンは穏やかに、でも力強く言い切った。ふわふわと柔らかな雰囲気の彼女が、急にりりしく見える。私と同じ顔と姿をしているとは思えないくらいに。
『……そういえば、私がいなくなったあと、お父様たちは跡継ぎを決めたのかしら』
その言葉に答えたのは、ダミアンさんだった。彼も男爵としてウラノスの領地を治めているからか、そういったことには詳しいようだった。
「いえ、そのような話は聞いていませんね。あの家はいったいどうなってしまうのだろうと、他の家の当主たちもみな心配していましたから」
私は貴族の家の事情には詳しくない。けれど、オイジュス家の現状が普通ではない、そのことだけは理解できた。ダミアンさんやステファニー、ハーヴェイ、そしてジャスミンの反応から。
ジャスミンが亡くなったのは、もう一年近く前のことなのだ。それなのにあの二人はいつまで、嘆きの海に浸っているつもりなのか。
悲しいのは分かる。辛いのも分かる。でも、あの二人はまだ生きている。いつまでも立ち止まっていることはできない。人の上に立ち、たくさんの人の暮らしを背負っている身なら、なおさら。
それでなくてもあまり好感を持てずにいた公爵夫妻への印象が、またちょっと悪くなる。無言で眉をひそめていたら、ジャスミンがためらいがちにまた口を開いた。
『……跡継ぎさえ決まれば……お父様に代わって領地を運営する人が決まってしまえば、お父様たちが私にのめりこんでも、問題は……ないのよね』
「確かにそうですね。我がウラノス家には、ステファニーという立派な跡継ぎがいます。私に何かあったとしても、彼女が我が家をまとめ、領地を治めてくれる。そう信じていますから、私はいつ倒れたとしても、安心して天に旅立てます」
「おとうさま、縁起でもないことをおっしゃらないで」
しれっと答えたダミアンさんを、ステファニーがたしなめる。ジャスミンはそんな二人をじっと眺めていたが、やがて静かに言った。
『……私の親戚に、跡取りにふさわしい人がいるの。私も子供の頃から、彼のことを兄のように慕ってきたし、彼からはたくさんのことを教わってきたわ。どうにかして、お父様とお母様に、彼を推薦できないかしら。そうすれば、私もまたお父様たちに会える……』
その言葉に、みんなが同時に彼女を見た。お父様がのんびりと、彼女に答える。
「なるほどね。確かに、それはいい考えだと思う。新米の跡継ぎであれ、今の当主夫妻よりはずっとましだろうから。ジャスミン、その彼の名前を教えてもらえないかな」
お父様は公爵夫妻に対して、私以上に思うところがあるらしい。その言葉には小さなとげがある。ジャスミンは悲しそうな顔で、短く答えた。
『エドガー・ハルモニア。オイジュスの分家である、ハルモニア侯爵家の息子よ。ハルモニアの跡継ぎは他にいるから、養子に来てもらえばいい』
「何、エドガーだと!?」
その名前に真っ先に反応したのは、なぜかハーヴェイだった。思わず彼を見ると、彼は目を真ん丸にしていた。
「……彼は俺の友人だ。もう五年以上の付き合いになるだろうか。温厚にして優秀、人望も厚い。確かに彼なら、公爵家の当主としても十分にやっていけるだろう。けれど、まさか彼がオイジュスの縁者だったなんて……」
『オイジュスの分家筋は、みんな本家との関係を伏せることになっているの。万が一にも、利用されることのないように。でもあなたが、エドガーお兄様のお友達だなんて嬉しいわ』
私と同じ顔で、ジャスミンが花がほころぶように笑う。ハーヴェイが動揺した様子で、目をまたたいた。その頬が、ちょっぴり赤い。
これは割り込んでいいのかな、割り込まないほうがいいのかななどと思いながら、そっとジャスミンに声をかける。
「だったら、公爵夫妻に一度エドガーさんのことを勧めてみるわ。公爵夫妻も、私の言うことなら多少は聞いてくれる……かもしれないし」
できれば、あの公爵夫妻には近づきたくない。でも、あの二人に正面切って頼みごとをできるのは、私だけだと思う。
それからみんなで、少しだけ話し合う。どうやって話し合いの場を設けるか、どんなふうに話を進めていくか、そんなことを相談していった。
まさかいきなりあの二人のところに乗り込んでいって、唐突にエドガーの話をする訳にもいかないし。
だいたいまとまったかなという頃、ジャスミンが心配そうな顔でこちらをのぞき込んできた。
『お願いね、ユリ。……私もこっそりついていきたいけれど、この置物からは離れられないし。最初にあなたに声をかけた時のように、壁の向こうに呼びかけるくらいならできるけど……』
「君が今姿を現してしまったら、かえって話がややこしくなってしまうよ。今はこらえて、ジャスミン」
お父様が、とても穏やかにジャスミンをなだめている。子供の頃、よくあんな感じで話しかけられていたなあと、そんなことを思い出した。
懐かしい思い出に浸っている私に、お父様は手を差し出してきた。今しがた思い出していたのと同じ、優しい笑みを浮かべて。
「さあ、それじゃあ行こうか。公爵夫妻の説得は君一人でやったほうがいいけれど、部屋の前まで私が護衛するよ」
そうして、みんなに見送られて客間を出た。お父様に守られながら。
話し合いの少し後、私は公爵夫妻の私室にいた。窓が大きく明るい部屋で、調度品も上質で上品だ。
「やあユリさん、やっと来てくれたね。お茶にしようか、お菓子はどうかな?」
「あなたは好きにこの屋敷を歩き回っているようだったし、ここに慣れてもらうためにも邪魔をしないように心がけていたのだけれど……あなたに会えなくて、辛かったわ」
私の顔を見た公爵夫妻は、それはもうあきれるほどの喜びようだった。あっという間に椅子に座らされ、目の前にお茶の用意が並べられる。
三人だけで話す機会が簡単に得られたのはありがたいけれど、この上なく歓迎されているのが分かるだけに、ちょっと居心地が悪い。
部屋の前の廊下で待っていてくれているお父様を呼びたくてたまらなかったけど、ぐっとこらえた。これからの話は、私一人のほうが都合がいい。
「あの……今日は、ちょっと気になったことがあって」
「なんだい? 何でも答えよう」
「せっかくあなたが話しに来てくれたのですものね。どうぞ、言ってみて」
これまでにないほどににこにこしている二人を見ていたら、跡継ぎの話を持ち出すのはちょっと気が引けた。
きっと二人は、私にこの家を継いでほしいと、そう思っているのだから。しかも、ローズと呼ばないでくれという私の願いをきちんと守ってくれた上で。
でも、申し訳ないけれどその願いをかなえてやることはできない。誰が何と言おうと、私は天人のユリとして生きたいのだから。これまでも、これからも。
「……この公爵家は、誰が継ぐことになっているのでしょうか」
意を決してそう尋ねると、二人は同時に悲しそうな顔をした。
「……本当は、ジャスミンだった」
「でも、もうあの子はいない。突然私たちを置いて、いなくなってしまった」
「ジャスミン以外の人間がこの家を背負って立つところなんて、見たくなどない。それくらいならいっそ家なんてつぶれてしまえ、そう思っていた」
公爵夫妻はさらりととんでもないことを言っている。人間の世界にはさほど詳しくない私でさえ、そんなことになったらとんでもないことになるのだと、すぐに見当がついた。
どこか焦点の合わない目でそんなことを言っていた二人が、同時にひどく優しい笑みを浮かべてこちらを向いた。
「だが……こうして、君がここにいてくれる」
「今の私たちにとっては、あなただけが希望の光なの」
そんなことを言いながら、二人はじっと私を見ている。その必死な視線に、ほんの少しほだされそうになった。そんな思いを振り払って、きっぱりと言い切る。
「私はたぶん、ローズだったのだと思います。でも今の私は、ユリなんです。ここでローズとして生きていくことはできません。私にはもう、別の人生がありますから」
「どうしても、駄目なのかい?」
「お願いよ……」
二人があからさまにしゅんとする。少し申し訳ないなと思ってしまいながらも、急いで言葉を重ねた。
この二人との関係もどうにかしないといけないけれど、まずはその前に片付けなくてはならないことがある。
「それに、オイジュスにはたくさん縁者がいますよね。その中に、跡継ぎにふさわしい人がいませんか? この家がなくなってしまったら、ジャスミンが生きていたという証もなくなってしまうかもしれません」
そう切り出すと、二人ともはっとした顔をした。その隙をつくように、おそるおそるその名を口にする。
「……その、エドガーさん、とか」
その瞬間、空気が凍りついたように思えた。




