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2.人間の町と過保護なお父様

「ここが、人間たちの世界……」


 生まれて初めて足を踏み入れた人間たちの町は、私たちが普段暮らしている天人の里とはまるで違っていた。


 天人の子供は、小さな頃から人間たちの世界について学ぶ。成人の儀で人間の世界を旅する時に、ちゃんと人間のふりができるように。天人の存在を、人間たちから隠し通せるように。


 だから人間の町についても、十分に知っているつもりではいた。けれどそれでも、実際に見ると驚かずにはいられなかった。馬車の窓に張りつくようにして、外を眺める。


「大きくて、どっしりしていて、ごちゃごちゃしていて……目が回りそうです」


 私たち天人の里は深い森の奥にあり、木でできた小さな建物がまばらに建っている。静かで穏やかな、森に溶け込んだような里だ。


 ところがこの町では、建物はどうやら全部石か何かでできているし、縦にも横にもやけに大きいし、隙間なくみっちりと並んでいる。圧迫感がすごい。


 地面という地面には、やはり石が隙間なく埋めこまれている。木なんてろくに生えていないし、たまに小さな花壇があるだけだ。何だか息苦しい。


 しかも、道という道にはものすごい数の人が行きかっていた。こんなにたくさん、どこから来てどこに行くのだろう。


「ふふ、君のそんな姿を見られただけでも、この旅についてきたかいがあったな」


 目を丸くして外を眺め続けていると、後ろからシオンお父様の楽しそうな声がした。前を見たまま、呆然と尋ねる。


「あの……お父様、これはお祭りか何かなのですか? 人が、とても多くて……」


「いや、これはごく普通の光景だね。祭りの日なら、こんな風に大通りを馬車で進むのは難しくなるから。……この通りが人で埋まったのを、見たことがあるよ」


 十七年前、今の私と同じように成人の儀でこの町に来た経験のあるお父様が、落ち着いた声でそう言った。


「人で、通りが埋まる…………うう、何人ぐらいいるんだろう……」


 小声でうめきながら、天人の里で習ったことを思い出す。


 今私たちがいる町は、町の中ではそこまで大きくない方らしい。旅人が多く通るところなので、私たち天人の若者が混ざっていてもそこまで目立たない。大きすぎないので、初心者でもどうにか動き回れる。そう聞いていたのに。


「……大きくないとか、初心者向けとか、絶対嘘だ……」


 窓の外でうじゃうじゃしている人間たちを見ていたら、気分が悪くなってきた。窓から視線を外して、身震いする。


 と、お父様がすっと動いた。手を伸ばして私の頬に優しく触れ、そのまま身を乗り出してくる。顔が近い。


「大丈夫かい、ユリ。……少し、刺激が強すぎたかな」


 切れ長の目を細めて、とびきり甘くお父様がささやく。かすかな吐息が耳をくすぐる。お父様の綺麗な黒髪が、すぐ近くでさらりと揺れていた。


 普段とはまるで違う豪華な服が、お父様の美しさをさらに引き立てていた。人間の貴族がまとう、体の線を出しながらも美しく飾り立てられた服だ。


 身じろぎした拍子に、私が着ているドレスがさわさわと音を立てる。こちらもまた、貴族の女性が着る豪華なドレスだ。やけに布が多くてそのくせぴったりしていて、動きにくいことこの上ない。


 成人の儀で人間の世界を旅する間、天人は人間のふりをする。そして私たちの今の身分は、物見遊山の旅をしている貴族……ええと、男爵、だったかな……ということになっているのだ。


 すぐ近くに迫っているお父様についつい見惚れてしまい、それをごまかすようにふくれっ面を作る。


「あの、お父様。くすぐったいです。わざとやっていますよね、それ」


「はは、済まないね。君の反応が面白くって、つい。それより、そろそろ宿を見つけよう。そこでなら、ゆっくり休めるから。この辺りはみな貴族にふさわしい高級な宿ばかりだから、好きな宿を選ぶといいよ」


 その言葉に、また窓の外を見る。お父様と話しているうちに、別の区画に出たらしい。


 より大きくて優美な雰囲気の建物ばかりが並んでいて、道行く人たちの数も減っている。雑多な感じは薄れていて、ずっと落ち着いた感じだ。


 また窓に張り付いて、建物を観察する。どの建物にも複雑な彫刻がたっぷりと施されているし、色鮮やかなタイルなどが模様のようにはめ込まれている。


 宿を表す文字や記号が、その装飾の一部のようにしてあしらわれていた。


 あれが貴族好みの装飾なのだろう。個人的には、ちょっと目が痛い。けばけばしいというか、ちかちかするというか。


「貴族らしく、ただし過度に高級でない宿を探せばいいのですよね」


「そうだよ、ユリ。私たちは今、男爵家の兄妹ということになっているのだから」


 人間にはいくつもの身分がある。王族、貴族、平民。さらに細かく分けることもできるらしい。男爵家というのは貴族の一種で、でも貴族の中では一番下だ。


「貴族に、平民……身分って、まだよく分かりません」


 天人の里ではみんな平等で、誰が偉いとか偉くないとか、そういったものはないのに。


 ちなみにお父様は里の長ということになっているけれど、お父様によれば名ばかりの、ただの雑用係らしい。確かに、お父様は里の天人の中でも忙しくしているほうだ。


「いいんだ、それで。一年かけて、じっくりと人間の世界を、そこに生きる人間たちを見ていけばいい。結論が出なくてもいい。大切なのは、見ることなのだから」


 ふわふわと穏やかな雰囲気をまとっていたお父様が、静かに答えた。いつになく神秘的な雰囲気に、思わず目を見張ってお父様に見とれてしまった。


 どうも今日は、お父様に目を奪われっぱなしだ。たぶん、豪華な服のせいだ。そういうことにしておく。


「あ……えっと、そうだ、あの宿でどうでしょう?」


 照れくささを隠すように、とっさに窓の外を指す。少し先に建っているその宿は、他の建物よりも小ぶりで、落ち着いた雰囲気だった。


「ああ、いい感じの宿だね。君はやっぱり趣味がいい。私の好みにも合っているよ。……まあ正直、人間の貴族というものは、こう……少々派手にすぎるきらいがあるからね」


 すっかりいつも通りに、おっとりとお父様が微笑む。どうやら、これで決まりだ。その建物の前に馬車を止めさせて、お父様に手を引かれながら降りていった。ちょっぴり緊張しながら。


 それから、馬車の前で控えている御者に話しかける。周囲の人間に聞こえないように、声をひそめて。


「ここまででいいわ。ありがとう。……町を出て森の中に入り、人の目のないところで消えなさい」


 御者はゆっくりとうなずくと、馬車に戻る。そのままくるりと向きを変えて、町の外に向かっていった。


 あの御者と馬、それに馬車も、みんな私が術で生み出した式神だ。私たち天人の里の者は、子供の頃から様々な術を学んでいる。この旅は、その術をきちんと身につけられたか、それを確かめるためのものでもあるのだ。


 去っていく馬車を見て、お父様が満足そうにうなずく。


「高度な術だけれど、ちゃんとできているよ。とても順調だね」


「旅に出る前にしっかり練習しましたから。これくらい、たやすいものです」


 さらりとそう返したものの、実は嬉しかった。私の術が、ちゃんと実用に足るものなのだと実感できたから。


 私は天人の里で暮らす、ただ一人の人間だった。そのせいか、子供の頃の私は術を中々覚えられなかった。幼なじみたちがやすやすと術を使いこなすのを横目で見ながら、半泣きで必死に練習していたものだ。ここまで来るのに、人一倍苦労した。


「それでは、行こうか。ユリ、おいで。……いよいよ、人間との初対面だね」


 感動に打ち震えている私に、お父様は腕を差し出してくる。確か、この腕につかまって歩くのが正しい作法だったか。しっかりと腕を組んではならない、大股で歩いてもならない。中々に、面倒だ。


「こうやって、兄妹で寄り添って歩くのもおつなものだね」


 前に宣言した通り、お父様は私のことをきちんと妹と呼んでいる。それだけのことが、妙にくすぐったい。


 気恥ずかしさを隠しながら、宿の入り口をくぐる。すぐに宿の人間が出迎えてくれた。後はこの人と話して、客室に通してもらえばいいだけだ。


「あの……」


「宿泊を頼む。私たちは兄妹でね」


 私が口を開きかけた時、お父様が割って入った。そのままお父様は宿の者と話し始めて、私たちが宿泊する手はずを整えてしまったのだった。


 ぽかんとしたまま、客室に通された。豪華な絨毯も、ごてごてした装飾だらけの家具も、私にとってはまるでなじみのないものだ。


 しかしそれより、急ぎ問いただしたいことがあった。宿の人間の気配が十分に遠ざかったのを確認して、小声で言う。


「お父様、宿をとるのも旅のうちですよね。これは私の旅なのに、どうしてお父様がしゃしゃりでちゃうんですか?」


「それは、私たちの今の身分のせいだね」


 窓辺の椅子に腰かけて、お父様はさらりと言い返す。窓から差し込む日差しが、豪華に着飾ったお父様を美しく彩っていた。


「私たちは人間の貴族のふりをしている。そして貴族の女性は、自分で宿をとったりはしない。必ず連れの男性か、あるいは従者にやらせるんだ」


「あっ、そうだった……」


「だからさっきの正解は、私に全部任せるか、あらかじめ術で従者を呼び出しておいて、その従者にすべて任せるか、だね。もし君が一人旅をするなら、ずっと従者の式神を連れておく必要があったんだよ。自分で気づいたほうがいいと思って、指摘せずにいたけれど」


 その言葉に、つい唇をかんでしまう。ここまでは順調だったのに。失敗してしまった。お父様がいなければ、私はおかしな令嬢として悪目立ちしてしまうところだったのだ。


 しょんぼりしていると、お父様は立ち上がって私の頭にぽんと手を置いた。私が子供の頃から、よくそうしてくれていたように。


「失敗なんていくらでもあるものさ。繰り返さなければ、それでいい」


「はい……」


「この旅は一年も続くんだ。一つや二つの失敗でめげていたら身がもたないよ?」


「そう、ですよね……」


 ふうと息を吐いた拍子に、ずっと思っていた疑問が首をもたげてきた。


「そもそも、どうして私は男爵令嬢なんて身分を使う羽目になったんですか?」


 成人の儀に向かう若者、その偽りの身分を何にするかは、里の大人たちが話し合って決めるのだ。それぞれの性格や、得手不得手を考慮して。


 少し前に旅立った幼馴染たちは、旅の画家とか行商人とか、そんな感じだった。一人、へき地を目指す冒険家、なんて身分で旅立ったのがいたけれど。


「君は気品があるし、とても知的だ。けれどおっとりとしていて、商売なんかには向かない。それに、剣も使えない。だったら旅芸人か学者、あるいは男爵令嬢くらいしかないって、すぐに話がまとまったからね」


「旅芸人にも、興味があったのに……旅の学者でもよかった……」


「でもそうすると、旅が危険なものになってしまうかもしれなかったからね。私としては、君を少しでも危険から遠ざけたかったんだよ」


「術があるから大丈夫です。自分の時は、『旅の剣士』だったくせに……」


「私は戦えるからね。それに若い頃の私は好き勝手していたから、少し痛い目を見てこいということでその身分になったんだよ。おかげで、波乱万丈の旅になって面白かった」


「そもそも、男爵家の身分なんて、勝手に名乗っていいものなんですか?」


「それは問題ないんだ。ちょっとしたつてがあってね。まあ、機会があったら種明かしをしてあげるよ」


「……男爵令嬢でさえなかったら、あんな失敗しなくても済んだのに……」


 唇をとがらせている私に、お父様はおかしそうに笑いかけてきた。


「君はまだ、さっきの失敗を引きずっているのかな? だいたい失敗なら、私も相当のものだったよ。身一つで人間たちから逃げ回る羽目になったこともあるし。それを思えば、可愛いものさ」


 お父様がぽろりとこぼした言葉に、ぱっと顔を上げる。お父様はいつも里のあれこれを処理しているけれど、いつも涼しい顔をしていて、失敗などめったにない。


 そんなお父様が、とびきりの失敗の話を口にした。


「その話、聞かせて!」


「おやおや、ユリは好奇心旺盛だね。口をすべらせた私も悪いのだし、仕方ない、ここはひとつ腹をくくって白状するか」


 お父様はにっこりと笑って立ち上がり、私に椅子を勧める。それから自分も向かいの椅子に腰を下ろして、苦笑しながら話し始めた。


「あれは十六年ちょっと前のこと、ここよりもずっと西の町でのことだった……」


 深みのある声が紡ぐ昔話に耳を傾けているうちに、いつしかさっきの失敗のことは、頭からきれいに消え去っていた。

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