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16.人間の英知、汽車の旅

 汽車の中には執事のような人がいて、私たちをそれぞれの席に案内してくれた。


 詰めれば二人くらい並んで座れそうな椅子が、窓辺で向かい合うようにして置かれている。と思ったら、椅子は置かれているのではなく、床にしっかりと固定されていた。


「まさか、汽車に自分が乗ることになるとは思わなかったな」


 向かいの椅子に座ったシオンお父様が、うきうきしながら窓の外を見ている。ステファニーとダミアン、それにハーヴェイは別の席に案内されていった。


「私が成人の儀のためにこちらに出てきた十七年前、汽車はまだ計画段階だったからね。王都に行った時、線路を敷くために地面を固めているのを見たよ」


「お兄様は、その時どう思われました?」


「とんでもないことを考えつくものだなあ、って思ったよ。彼らは私たちより寿命も短いし、術も使えない。土や石を運ぶのも、人力やロバで地道にやっていくしかない。鉄を加工するのだって、大きな炉を作って根気よく溶かしては固めていくほかない。それなのに、こんなことをやろうとするなんてね」


 しみじみと語るお父様は、しかしとても愉快そうに笑っていた。


「けれど彼らは、やってのけた。とても地道に、やりとげた。そう考えると、楽しくてたまらないんだ」


 そんなことを話していたら、大きな笛の音が聞こえた。それに続いて、朗々とした声が響く。どうやら、いよいよ汽車が出発するらしい。


 この鉄の芋虫は、どれくらい速く走るのだろう。わくわくしている自分に気づき、ちょっと戸惑う。


 お父様はともかく私は、人間の技術とやらをそこまで信用していない。こんな大きなものを動かしてしまったら、もしもの時に危険ではないのか。そんな考えを、どうしても振り払うことができなかった。


 そんなことを考えていたら、もう一度笛の音が聞こえた。それに続いて、がたん、と座席が揺れる。


「おや、動き出したようだね」


 思わず、ひざの上に置いた手をぎゅっとにぎりしめる。馬車が走り出す時のような、すうっとすべる感覚に続いて、がたん、という音がする。その音は少しずつ早くなっていき、規則正しいリズムを刻んでいく。


 おそるおそる窓の外を見ると、信じられない速さで風景が流れ去っていくのが目に入った。反射的に顔をそむけて、視線を落とす。どうしよう、怖い。


 そのまま黙り込んでいると、向かいからお父様の静かな声がした。がたんごとんと騒がしい汽車の中でも、その柔らかな声ははっきりと私の耳に届いてきた。


「君は小さな頃から、自分の足以外のもので移動するのが苦手だったね。飛行の術で運んであげたら大泣きされて、そのあと三日も口をきいてもらえなかった」


「あ、あれは私がまだ六歳の時の話です!」


 思わず顔を上げ、お父様をにらむ。お父様はくすくすと笑いながら、さらに言葉を重ねてきた。


「そうだね。でも馬車だって、成人の儀に出る前にみっちりと里で練習して、それでようやくおとなしく座っていられるようになったんだった」


「……だって、やっぱり怖いんです。こんなにも速く、自分の身がどこかに運ばれているということが」


 窓の外を見ないようにしながらため息をつく。そんな私に、お父様がやけに明るく声をかけてきた。


「そうだ、一つだけ君が好きな乗り物があったね」


「そんなもの、ありましたか?」


「私の背中」


 ぽかんとして、お父様の顔をじっと見る。少し遅れて、理解が追いついてきた。


「ですから、それは私が子供の頃の話です!」


「声が大きいよ、ユリ。あと、別に私は構わないよ? 君は大きくなったけれど、今でもおんぶできるくらいには小さいからね」


「わ、私が恥ずかしいんです」


「照れなくてもいいのに。ああやって君の重さを感じていると、とても幸せな気持ちになれるから。里に戻ったら、またおぶってあげようか」


「遠慮……します」


 この年でおぶわれるのはさすがに恥ずかしすぎる。けれど、お父様の背中におぶわれていたあの頃を思い出すと、うっかり顔が笑いそうになってしまう。


 私のそんな内心を見透かしたかのような顔で、お父様はゆったりと笑っていた。




 そうやって話している間も、汽車はどんどん進んでいく。私もようやくその速さに慣れてきて、窓の外を眺める余裕も出てきた。


 ちょうどその頃を見計らったように、ステファニーがやってきた。その後ろにはハーヴェイもいる。


「ユリ、一緒に外に出てみません?」


「外に? どういうこと?」


 思わず首をかしげると、ステファニーはふふと笑った。


「この汽車の一番後ろの車両、そこには窓ガラスがなくて、外の景色がよく見えるんですって。せっかく汽車に乗ったのですから、一度行ってみたくて」


「俺も汽車に乗るのは初めてでな。君もよければ一緒に行かないか。話によれば、またとない体験ができるらしい」


 どことなくわくわくしている様子の二人から視線を外して、向かいのお父様を見る。


「いっておいで、ユリ。何事も経験だから」


「……おとう、じゃなくてお兄様は?」


「若者たちの語らいを邪魔するつもりはないから、ここでのんびりしているよ」


 見た目だけなら立派に若者のお父様は、しれっとそう言った。一人だけ訳が分かっていないハーヴェイが、小首をかしげている。


 それもそうだろう。私やステファニーよりちょっと年上の彼からすると、お父様は同世代の人間にしか見えないだろうから。


「じゃ、じゃあ行きましょう!」


 ハーヴェイに考えさせる暇を与えないように、元気よく言って立ち上がる。そのまま、三人一緒に後ろのほうに歩いていった。




「これは……見事ですわね」


 一番後ろの車両にたどり着いたとたん、ステファニーが感嘆の声を上げる。そのまますたすたと、車両の真ん中のほうに歩いていった。


「……話には聞いていたが、ここまで速いとは。こうして風を受けていると、そのことが実感できるな。ユリさん、ステファニーさん、髪飾りなど飛ばされぬよう気をつけて」


 ハーヴェイも目を細めながら、私のことを気遣ってくれた。人間と天人の、というより貴族と天人の文化の違いに面食らったせいで彼のことがちょっぴり苦手になってしまってはいるものの、彼自身は悪い人ではないのだと思う。


 しかしうっかり勘違いされないように、礼儀正しく微笑みかける。彼がいい人かどうかということと、恋愛感情とはまるで別物だ。またお茶会の時のような雰囲気になってはたまらない。


「はい、気をつけますね。それにしても……すごい風」


 この車両は、ステファニーが言っていたように窓ガラスがはまっていなかった。しかも窓自体も他の車両より大きく、外の景色がよく見える。


 五、六人がゆったりと並んで座れるような細長い座席が背中合わせになって、車両の中央近くにすえつけられている。


 激しく吹きつける風に戸惑いながら、三人一緒に座席に向かう。並んで腰を下ろして、激しい風と共に流れ去っていく景色を眺めていた。他に客はおらず、風の音以外に何も聞こえなかった。


 やがて、ハーヴェイが心底感心した様子でつぶやいた。


「なんとも、信じがたい光景だ。馬車よりも遥かに速い……麗しきご令嬢たちと眺めるには、少々刺激が強いな。二人とも、具合が悪くなったら言ってくれ」


「ふふ、気遣いありがとうございます。そうですわね、まさかこんな速さで移動することになるなんて、思ってもみませんでした。公爵家の領地なんて、縁がありませんから」


 私はとっさに言葉を返せず、あいまいにうなずいた。成人の儀に臨むために、人間の世界と天人の里との間にそびえたつ山脈を越えた時のことを思い出していたのだ。


 あの時私はお父様にしがみついて、飛行の術で運んでもらったのだ。怖くて目をつむっていたので何も見ていないし、吹きつける風や雪は術で防いでいた。だから、空を飛んで山を越えているのだという実感は全くなかった。


 あの時も、こんな速さで景色が変わっていたのだろう。もしかしたら、もっと速かったかもしれない。


 帰りは、目を開けていようか。いつも里から見ていた、高くて雪をかぶった山の頂を、すぐ近くで見ることもできるだろうか。


 ちょっとだけ成長したような、そんな気分に微笑んだその時、いきなり車両の前のほうでがたんという大きな音がした。


「ん、何事だ?」


 ハーヴェイがさっと立ち上がり、そちらを確認しにいく。しかし彼はすぐに、血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。


「車両の連結部が、外れている!」


 えっ、と驚いてそちらに目をやると、すぐ前の車両が少しずつ遠ざかっているのが見えた。


 汽車は複数の車両を連結しているけれど、自力で動く能力があるのは先頭の車両だけらしい。つまり私たちがいるこの車両は、どんどん速度が落ちていき、やがて止まるしかない。


 ハーヴェイがとっさに前の車両に手を伸ばし、内部に通じる扉を開けようとする。けれど彼の手は何もない宙をかすめるだけだった。二つの車両の間は、見る見るうちに広がっていく。


「いったいどうして、こんなことに……」


 ステファニーが前を見ながら、呆然と言う。私にも、何がどうなっているのか分からなかった。


 けれど私たちには、ぼんやりしている時間すら与えられなかった。今度は車両の一番後ろで、何かがはじけるような音がしたのだ。


 また、ハーヴェイがそちらに向かおうとする。けれどその必要すらないことを、私たちはすぐに思い知った。


 汽車と切り離されて、ぽつんと一つだけ線路を走るこの車両。私たちだけを乗せているその車両のその最後尾から、火の手が上がっていた。

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