10.いい加減父離れしなくては
いきなりわき道に突っ込んできた何かに、男たちがどよめく。そのすきをついて、今度は私がステファニーを背中にかばった。
「大丈夫、ここは私に任せて」
そう言いながら、目の前をびゅんびゅん飛び回っている何かをじっと見すえる。男たちをぶちのめしてやりたいけれど、その前にあれが何なのかを見定めておかないと。というか、あれには見覚えがあった。
「間違いない、式神だ……」
おそらくこの場で、その何かの姿をきちんととらえられたのは私だけだろう。
それは、普通のものより二回りほど小さな白いツバメだった。人間の世界では見かけない、術の気配がする。
たぶん、あれはシオンお父様の式神だ。私と同世代の天人が数名、私と同じように人間の世界に来ているけれど、そのうちの誰かがたまたまこの町にいる可能性は低いように思えた。
式神があまりに速く勢いよく飛んでいるせいか、男たちは明らかに逃げ腰になっていた。
放っておいても、じきにあいつらは逃げていくだろう。逃げていかないようなら、お父様はさらに術をくりだしてあいつらを叩きのめすに決まっている。
でも、それでは腹の虫がおさまらなかった。か弱い女性たちに手荒な真似をして怖がらせた不届きな連中には、それ相応の報いを受けてもらいたい。そのためには、あの式神はちょっと邪魔だ。
じっと式神を見すえて、動きを観察する。
「捕まえた!」
ためらうことなく手を伸ばして、飛び回っている式神をわしづかみにする。
手の中でびちびちと式神が暴れているのを無視して、反対側の手をまっすぐ前に突き出した。事態が何一つ分からずに戸惑っている、がらの悪い男たちに向かって。
次の瞬間、無数の小さな稲妻が私の手から放たれた。それらはあっという間に男たちにからみつき、縛り上げる。
そのままばたりと、男たちは地面に倒れた。それから稲妻はゆっくりと薄れて消えていったが、男たちはまだ身動きが取れないままのようだった。
「朝まで身動きの取れない恐怖と戦っていればいいわ。さあ行きましょう、ステファニー」
すっかりおびえた顔で地面に倒れている男たちを見下ろして、ステファニーの手を引く。振り返らずに、ずんずんと屋敷に向かって歩き出した。
「あの……ユリ、今のはもしかして、天人の術、ですの……?」
「ええ。護身用の術なの。普段は、里に迷い込んできたイノシシや熊から逃げる時に使うのよ。手加減せずに撃ったから、たぶん朝まであのまんまよ。いい気味」
「すごいのですね……わたくしと同じ年で、あれだけのことができるだなんて……」
ステファニーが、感心したようなため息をもらす。褒められたことを嬉しく思いながらも、軽く肩をすくめて答えた。
「あの術は、そう難しくはないの。小さな子供でも使える術だから」
しかしそんな浮かれた気分は、長続きすることはなかった。
屋敷に戻って夕食を済ませた後、私はお父様に呼び出された。
「どうして呼び出されたのか、分かっているね、ユリ?」
「……夕方の、町でのことですね」
「正解だよ。君はそれだけ賢いのに、どうしてあんなことをしてしまったのかな?」
「……あの男たちが、どうしても許せませんでした」
実は、あのツバメの式神を捕まえた時から、何となくこうなる予感はしていた。
私は今、成人の儀の途中だ。一年の間、人間のふりをして旅を続ける。正体がばれれば、面倒なことになりかねない。
だから、堂々と人前で術を使うべきではないのだ。あの時私が取るべき行動は、男たちがお父様の式神におそれをなしているすきに逃げ出すことだった。そうして衛兵を呼べば完璧だったろう。
それは分かっていた。でもやはり、無礼で最低なあの男たちに、直接痛い目を見せてやらずにはいられなかった。ステファニーを怖がらせたあんな連中なんて、絶対に許せない。
「君は相変わらず、正義感が強いね。そんなところも愛おしいのだけれど、時と場合によって使い分けることも覚えていかなくてはならないよ」
「……お父様は、やっぱり過保護です」
小さな子供に言い聞かせているようなお父様の口調についむっとして、小声で言い返してしまった。
「私だって、その気になればもっとこっそりと、あの男たちを追い払えました。ちょっとあわてていたので、あんなやりかたになってしまいましたが。次は、もっとうまくやります」
そうだ。私ももう十六。この旅を終えて天人の里に戻れば、飛行の術を授けてもらって、長寿の力を得て、一人前の天人になれるのだ。そうなるまで、あと一歩なのだ。
それにそもそも成人の儀は、一人で挑むものだ。付き添いがいてはいけないという決まりはないけれど、誰かと一緒に旅に出たという話は今のところ聞いたことがない。
きっと里でも、シオンは過保護だなと、そんな話になっているに違いない。想像したら結構恥ずかしい。
そんな小さな反抗心が、そのまま口をついて出てしまう。
「私、いい加減父離れしなくてはいけないと思うんです。この旅に出てからずっと、何もかもお父様任せでした。私のことを大切に思ってくれているのは分かるんですけど、もうちょっと自力で頑張らせてください」
「ユリ……」
お父様の品よく整った顔いっぱいに、悲しみが浮かんでいく。わざとらしく目頭を押さえて、お父様は弱々しくつぶやいた。
「あんなに小さかった君が、そんなことを言うようになるなんて……大きくなったねえ……でも悲しいよ」
そう言って、お父様は一歩こちらに近づいてきた。
「小さな赤子が、あっという間に立って歩いて、一人前の女性になって……そうして、私の手からはばたいていってしまうんだね」
お父様は私の頬にそっと手をかける。ほんの少し女性らしさを備えた、指の長いとても綺麗な手だ。
「だったらその前に、この腕に閉じ込めてしまおうか。そうすれば君は、ずっと私のそばにいてくれる」
今まで聞いたことのない声音で、お父様がつぶやく。ひどく優しいのに、甘くしびれるような毒がひそんだ、ぞくりとする声だ。
変わってしまったのは声だけではない。優美なその顔にも、恐ろしくなまめかしい、震えるほどあでやかな笑みが浮かんでいる。
もともと美形なお父様がこんな表情をすると、恐ろしいほどの迫力だ。
「ユリ、どうか……どこにも行かないで。ずっと私のそばで微笑んでいて。私の愛おしい小鳥」
まるで愛を告げるような言葉に、驚いてしまって体が動かない。そうしていたら、ふわりと抱きしめられてしまった。
「できることなら、いつまでもこうしていたい。ユリ……私の、たった一人の最愛の人」
この状況は、いったいどういうことなのだろう。お父様はすっかり人が変わったようになってしまっているし、口にしているのは聞いたこともない甘ったるい言葉だ。
私の背中に回されている腕も、いつもよりずっと優しく、それでいてしっかりと私をつかまえようとしているように思える。
何も言えずに立ち尽くしていたら、やがて耳元で小さな笑い声が聞こえてきた。
「まだお子様のユリには、刺激が強すぎたかな?」
いつもと同じ、穏やかなお父様の声がする。私を捕まえていた腕の力が、ふっとゆるんだ。
大あわてで腕を振りほどき、お父様の顔を見すえる。お父様ときたら、それはもう楽しそうに笑っていた。軽やかな声で。
「……お父様……もしかして、私のことをからかってました?」
「そうともいうし、そうではないともいうね」
「どっちなんですか?」
「さあ?」
なおもくすくすと笑いながら、お父様はとぼけている。どうやらまだ、私をからかい続けるつもりらしい。
「無茶をしたのは反省しています。ですからいい加減、子供扱いはやめてください。私が一人前の天人になるまで、もう一年もないのですから」
胸を張ってそう言い放つと、お父様はすっと目を細めた。どんな言葉が返ってくるのかと身構えていると、また抱きしめられてしまった。
でもそれは先ほどのものとは違っていて、子供の頃よくそうしていたような、とっても優しい抱擁だった。
「ああ、そうだね。この旅が終われば、君も一人前の天人の仲間入りだ。けれど」
私をすっぽりと胸に閉じ込めたまま、お父様はささやく。まだ私が小さかった頃、辛いことがあるといつもこうやってなぐさめてくれていたことを思い出した。
「君が大人になっても、いつまでも私は君のことを心配し続ける。それは君のことを子供扱いしているからではなくて、君のことが大切だからなんだ」
「お父様って、心配性ですよね……今日だって、わざわざ式神を飛ばしてまで、私たちを守ろうとして」
「君と出会ってから、そうなったんだよ。昔はもっと向こう見ずだった。それこそ、気まぐれにならず者を叩きのめしてみたり、捨てられていた人間の赤子を拾って帰ってしまうくらいには、ね」
しみじみと、お父様は言う。私は黙って、それを聞いていた。そっとお父様の胸にもたれながら。
いい加減独り立ちしなくてはと思っているのに、お父様から離れたくないと思ってしまう。お父様が過保護だと抗議しているというのに、こうやって甘やかされていることを嬉しく思ってしまう。
これでは、まだまだ親離れできなさそうだ。そんな自分にふがいなさを感じながらも、お父様の温もりにうっとりと浸っていた。