「ニアが楽しそうで俺は嬉しい」
「ここは俺のお気に入りの場所なんだ」
「まぁ、綺麗な場所ね」
マヌが私を馬に乗せて連れて行ってくれた場所は、湖だった。
私はこうやって湖にやってくるのも初めてである。ほとんど外に出たこともなかったから、湖に近づけることが不思議な気持ちになった。
湖に近づこうとして、マヌに止められる。
「あんまり近づくと危ないぞ。落ちてしまったりするからな」
「湖って結構深かったりするの?」
「そうだな。深い所だとニアは足がつかないと思う」
湖につかるなんてことはしたことがないので、私はあまり想像がつかなかったけれど目の前に広がる湖はそれだけ深いみたいだった。
私は泳ぐこともしたことがないので、落ちてしまったら大変だろう。
「落ちたら大変ね……。気を付けないと」
「ニアが落ちても俺が助けるからな」
「マヌは泳ぐことも出来るのね」
「ああ。泳ぐことも好きだぞ。ちょっと泳いでくる!」
マヌはそういうと服を脱ぎ始めた。って、いきなり脱がないでよと私は慌ててしまう。
「マ、マヌ、いきなり脱がないでよ」
「ニアしかいないから大丈夫だろ?」
まぁ、確かに私はマヌの奥さんで、だから夜にマヌの身体は確かに見ているわ。でも、その、それとこれとは別だと思うの。
マヌはそのまま湖の中へと入って行った。それにしても本当に楽しそうに泳いでいる。
マヌは身体を動かすことが好きなんだなというのが分かる。
本当に生き生きとした表情をしている。
私はその様子を見ていると思わず笑ってしまう。
「ニアも足だけでもつけてみるか?」
「……そうね」
私はマヌに誘われて、頷く。
はしたないかもしれないけれど、靴を脱いで湖に足だけをつける。ひんやりとしていて気持ちが良い。
穏やかな風が流れていて、美しい緑が視界に入り――、なんだかとっても心地よい。
こうやって湖に足をつけるなんて初めての経験で、なんだか少しだけワクワクした気持ちになる。
「ニアが楽しそうで俺は嬉しい」
私の楽しんでいる気持ちは、表情に出ていたみたいでマヌにそんなことを言われた。
マヌが湖の中から嬉しそうに私を見ていて、私は少しだけ恥ずかしくなる。
「……湖にこうやってくるのも、足をつけるのも初めての経験だから」
思えば本当に私はずっと、限られた場所で縮こまって生きていただけだった。『呪われた令嬢』と呼ばれ、疎まれ、必要最低限の場所にしか向かわず……それと比べると私の世界は一新している。
「マヌと結婚してから、私は経験したことないことばかり経験させてもらっている気がするわ」
「それは良かった! もっとニアがやりたいことがあったらどんどん言ってくれていいからな。俺はなんでも連れてくぞ」
「流石にすぐには思いつかないわ。……でもマヌに馬に乗せてもらうの、ちょっと楽しかったからこういうのもいいなって思ったわ」
「ははっ、なら休みの度に連れてくぞ」
「……マヌにだって付き合いがあるでしょ? 私はその、ほとんどそういう付き合いがないからともかくとして、マヌは友人も多いし、もっとやることがあるんじゃない?」
「ニアと一緒にいる方が大事だぞ」
……毎回休みの度に一緒に出掛けるなんていうマヌ。
迷いなんて一切ないような態度。
それにやっぱりなんだかむずむずした気持ちになる。
「ニアも友人が出来ても、俺のことを放っておかないでほしい。そうなると寂しいからな!」
「私に友人なんて出来ないと思うわ。……もし仮に出来たとしても、マヌのことは放っておいたりなんてしないわよ」
大の男が寂しいなんて堂々と言い張る。それを恥ずかしがりもしないマヌ。嫌な気持ちはない。
私は……、例えば私の世界がもっと広がって、付き合いが多くなっても――、マヌのことは放っておくことはないだろうなと思った。
私の言葉にマヌは嬉しそうに笑った。
……それにしても、友人か。
マヌや屋敷の使用人たち、マヌの知り合いたちは私が『呪われた令嬢』と呼ばれていることを気にもしない人も多い。でも気にする人が多いことも私は知っている。
多分友人を作りたいと私が言ったら、マヌはその場を作ってくれようとすると思う。
それでも友人を作ろうとすることはちょっとだけまだ恐ろしいなって思うのだ。
私はマヌと結婚してから自分が変化していることを実感している。
マヌとずっと過ごしていれば、私はもっと変わっていく気はする。
……そのうち自分から友人を作りたいとか、その作った友人と出かけようとか。
そういう気持ちが私も湧いてきたりするのだろうかな。
そんな未来がもしかしたら来るかもしれない、そんな風に自分が変わっていくかもしれない。
そのことを少しだけ楽しみになっているというだけでも、本当に私は変わってきている。
これもマヌと結婚してからなんだなと、私はマヌの方をちらりと見る。
私と目が合うとマヌは笑っていて、私はそのまま恥ずかしくて視線を逸らすのだった。