「楽しみにしているぞ」
ドラゴンという生き物を私は見たことがない。
そもそも必要以上に外に出してもらうこともなかった私だけど、貴族令嬢として生きてきた私は魔物を見たこともない。
図鑑を見せてもらったけれど、ドラゴンって複雑な形をしている。絵で描かれているドラゴンはとてもかっこいい。ドラゴンと一口に言っても、色んな種類がいるみたい。マヌはどれが一番好きなのかしら。
……どのドラゴンが好きなのかって細かく聞いたらマヌにプレゼントをしようとしていることがばれてしまうかしら。
使用人たちにどのドラゴンをマヌが好きかと問いかけたら、色々教えてくれた。
マヌのことを昔から知っている使用人たちは、その情報も知っていた。マヌは赤い鱗で覆われた炎を吐くドラゴンが好きらしい。子供の頃からそのドラゴンが出てくる絵本を気に入っていたらしい。騎士がドラゴンを倒す話で、私は読んだことはない。
思えば絵本も……妹がいらないといったものを読んだことがあるぐらいだ。
……そういうのも読んでみると楽しいのかしら。マヌが好きだっていうその本を読んでみたい気もする。
探したらあるかな?
そんなことを考えながら図鑑の中のドラゴンを赤い糸で刺繍しようとして……難しくてうまくいかない。
私は手先が不器用なのか、変な生き物のように見える。
「奥様、一緒に練習しましょう! 私が教えますわ」
そう言って侍女の一人がお手本を見せてくれる。そのお手本のドラゴンの刺繍はとてもすごかった。それを見て私は何とも言えない気持ちになった。
「とっても上手ね」
そういいながら私は自分の歪な刺繍に視線を落とす。
そして次に侍女のお手本を見る。
「……それをあげたほうがいいわね。私のこんなのより」
「ダメですよ。奥様があげるものだからこそ、マヌエトロ様は喜ぶんですよ」
「そうかしら? だって、こんなの変な生き物じゃない」
「そんなことをおっしゃらないでください。マヌエトロ様は、奥様から贈り物をもらったらそれはもう喜ぶはずですよ」
「……そうね。喜ぶ姿は想像出来るわ」
マヌはちょっとしたことでも喜んでくれる人だ。いつもにこにこ笑っていて、私が何か言うだけでいつも嬉しそうだ。
「奥様、頑張りましょう」
「……そうね」
難しいかもしれないけれど、一旦試してみよう。
練習すれば上手になれるかもしれない。そういう気持ちで私はドラゴンの刺繍を続ける。
だけど、中々うまくいかなくて少し投げ出したい気持ちになる。
「ニア、どうしたんだ?」
「……何が?」
仕事から帰ってきたマヌは、私のことをまっすぐ見ている。
マヌが仕事の間、刺繍をしているけれどかっこいいドラゴンにならない。
「嫌なことでもあったか? いじめられたなら言えよ。俺がどうにかするから」
「……なんでもないわよ」
私の表情を、マヌはよく見ている。
だから刺繍が上手くいかなくてもやもやしている私にマヌは気づいているのだ。
でもマヌに心配をかけるわけにはいかないと思う。
「……マヌ、えっと、いつになるかは分からないけれど」
「ん?」
「マヌに、プレゼントを準備しようとしているの。だから、ちょっと待ってて」
「プレゼントをくれるのか?」
マヌが目をキラキラさせる。
その嬉しそうな目で見つめられると、なんだか妙に落ち着かなかった。
「ええ」
「楽しみにしているぞ」
マヌが笑っている。
その笑っている様子を見ていると、ちゃんとドラゴンの刺繍をしたいなと思った。
「ねぇ、マヌ。マヌの好きな絵本、読みたいわ」
「絵本? 多分実家だな」
「……この屋敷にはないの?」
「母上に持ってきてもらうよ。ニアが読みたそうだからな。俺の好きな絵本をニアが気に入ってくれると嬉しい」
「……私、絵本をあんまり読んだことがないの。マヌは色んな絵本を読んだ?」
「そうなのか? 俺はそこまで本を読む子供ではなかったが、それなりに読んでいたぞ。母上に他の絵本も持ってきてもらうからな」
マヌの実家には、いくつかの絵本があるみたい。
そこまで本を読む子供じゃなかったというのは想像が出来る。だってマヌは身体を動かす方が好きそうだもの。それに何か本を読んでいる姿は結婚してから見てないもの。
それからマヌは有言実行で、すぐに実家から絵本を持ってきてもらっていた。
マヌが幼い頃に読んでいたという絵本と、他には女の子に人気だという絵本も辺境伯夫人は買ってきてくれた。
私はその絵本をぱらぱらとめくる。
――私の読んだことのない物語。イラストの中のドラゴンはかっこよくて、こういうかっこいいドラゴンにマヌは憧れていたのだろうか。
一人の少年が冒険に出かけ、ドラゴンを倒す物語はストーリーも楽しかった。
女の子向けのものだと、主人公がお姫様のものだった。
美しいお姫様が、攫われた後に救われて幸せになるお話。めでたし、めでたしで終わる話は有名な絵本らしいけれど私は読んだことがなかった。
数冊絵本を読むと夢中になって、私は使用人に頼んで追加の絵本を買ってきてもらうことにするのだった。