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いただきます

「さて支度も済んだな」


「我は腹を満たすより、眠りに落ちて行きたいぞ。眠くて叶わぬ。ふわっ〜あ〜あ」


「起きると告げてからまだそれほど経っておらんというに、弱音を吐くのはちと早いぞ」


「ぼーっとしておったらそのまま寝入ってしまうわ。早う食べよう」


「待て」


「何故だ道善」


「また人の世の学びごとよ」


「挨拶を知ったばかりであろう。もう次があるのか! 飯が冷めてしまう」


「天狐が一度で覚えれられたなら今日で終わる話よ」


「……ふぅ……その学びごととはなんだ?」


「先程天狐が覚えた挨拶の続きよ」


「朝におはよう、昼はこんにちは、夜はこんばんは。挨拶というのはこれで終わりではないのか?」


「終わりではない。挨拶は探せばいくらでも出てくる物よ。奥の深い言葉だ」


「人の世とは複雑なのだな。気が滅入るわ」


「一月は学んでもらうぞ」


「……話し聞かせろ道善」


「ではまず、目の前にある物はなんだ?」


「目の前? 朝飯であろう?」


「うむ。では、朝飯とはなんだ?」


「朝飯とは、朝に食う物だ」


「うむ。では、食う物とはなんだ?」


「食う物とは我の腹を満たす物だ」


「では腹を満たす物とはなんだ?」


「……何が言いたいのだ?」


「ふむ、では聞き方を変えよう。腹を満たす物はどこにある?」


「……どこ……山や川か?」


「うむ、では山や川の何をワシらは食う物としている?」


「それは、他の動物や魚、菜だな」


「では動物や魚や菜とはなんだ?」


「……生き物だ」


「その通り。生き物だ。では、我らはその生き物をどうしている?」


「食う物として……殺めておる」


「では、殺めるとはなんだ?」


「命を絶つことだ」


「そうだ。ワシらは腹を満たすため、生きるために、目の前にある飯を食う。それはどういうことだ?」


「どういうこと……?」


「考えよ天狐。先程、言葉を交えたこと思い出せ」


「我らは……生きるため……腹を満たすため、飯を、命を食うておる」


「そうだ。では、その命は誰の物だ」


「……その命を……持つ物の物だ」


「そうだ。ワシらは生きるため、他の物の命を奪い生きておる」


「だがそれは当たり前のことだ。自然の摂理よ」


「そうだ。ワシらは当たり前のことをしておるに過ぎぬ。だが人は、当たり前のことだからと、自然の摂理だからと考えることをやめたりせんのだ。天狐が己が何物かを知ろうと考え続けておるようにな」


「…………」


「他の物を己の勝手によって奪い、食う。それは当たり前のことだが、当たり前だからと許されることか?」


「許されは……せぬ」


「うむ。奪われる物は当たり前だからと、自然の摂理だからと受け入れることはせぬ。命ある限り抗うのだ。お前もよく知っているな? 長き時を生きたお前はそのことを考えておらんかった。それは罪ではない。が、今日のお前は考えた。その意味を、在り方を、当たり前のことを考えた。当たり前のことを疑問にし、言葉にした。その心の在り方をよく見つめよ。それはお前が何物かを知る答えの一つになるやもしれん」


「だが、許されぬとしても生きている物は食わねば死ぬ」


「そうだ。食わねば死ぬ。この世の摂理を認められぬと抗えば死ぬ。この世にはそれに気づき、抗い、この世から去ろうと命を己で絶つ物もいるかもしれん。だが天狐よ。お前にそれができるか? ワシにはできぬ」


「我もそんなことをする気はない。我は……我が何物かを知るまではこの世を去る気はない」


「その覚悟、見事なものよ。見習わねばならんな。して天狐よ。生きるため、許されぬことを続ける。これをどう思う? どう考える?」


「……この場で……答えを出すことなど……できぬ」


「うむ、ワシもまだ出ておらん」


「なに? ならなぜ問うた?」


「ワシもまた考え続けているからよ。天狐がどのように考え、どのような答えを出すのか。己の中で天狐の考えを知り、己で再び考え、答えを探すためよ。ワシ一人では、答えがいつまで経っても出ないのだ」


「我と――同じということか」


「そうだ。言の葉を交えるのは己を知るためでもあるからな。さて話を戻そう。人の世には食うために他の命を奪うことにある一つの考えを示した」


「それはなんだ?」


「許されぬことではないが生きるために仕方のないこととな」


「結局のところ答えになってないではないのか?」


「確かに諦めたとも取れるな。だがそうではない。その者は仕方がないだけでは終わらせなかった。頭を下げて謝ったのだ。その行いをする己を許してほしいとな」


「……許されぬとしてもか?」


「そうだ。許されぬとわかっていてもその者は頭を下げ続けた。許してほしいとな。それを見たある者がまた違う答えを出した。命を口に入れ、何度も何度も噛んだのだ。そして、ありがとうと口にした。それから多くの者が交わり、口の中で味わって食べ、命を感じ、謝り、礼を言ったのだ」


「――挨拶の続きとはそういうことか?」


「天狐よ。お前は聡明よな。今、ワシらの前には朝飯がある。これはどういう物だ?」


「他の命、我らが生きるために必要な物だ」


「ではワシらはその他の命とどう向き合う?」


「我らが生きるため、礼を尽くす」


「うむ。感謝の気持ちを言葉にしなければならんな」


「その礼はなんと言えばいいのだ? 我にはわからぬ。教えてくれ」


「命を奪うことを許してほしいと、己を生き永らえさせてくれる命にありがとうと、感謝の意を込めて頂く。いただきますと言うのだ」


「いただきます――か」


「そうだ。食べ終えた後は、生き永らえることができたご馳走だったと感謝の意を込め、ごちそうさまでしたと言うのだ」


「ごちそうさまでした……わかった」


「うむ。人の世では、飯を食うときも必ず挨拶をする。他の命に対し礼を言うため、飯を用意してくれた者にも礼を言うためにな。礼をするための儀としてな。生きていることができるのは誰のおかげなのか忘れぬために」


「そうか……」


「では、天狐、良いな?」


「あぁ、良い」


「「いただきます」」


「話が長過ぎたな。冷めてしまったわ」


「構わぬ」

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