人と何物
「我の邪魔したこと許さぬぞ!」
「ワシは困っていた者を助けたに過ぎんよ」
「貴様が余計なことをしなければ、あの男が我を恐れることはなかった!」
「それは認めよう。だが、初めから命を奪るつもりだったのだろう?」
「ふん! それはあの男次第よ。我を満足させることができたのなら――帰してやったさ」
「では聞こう。あの男はお主を満足させることができると思っておったのか?」
「さて……な? それを貴様に教えるわけなかろう」
「確かにな。蜜事の結果を教えたがる女は滅多にいまい」
「ならば――」
「そう、ならばワシの行いは間違ってはおらんよ。首を刎ねられてからでは遅いのでな」
「――気に入らん! その態度、我の癪に障る!」
(疾いな)
「その身体! 我の気が済むまでズタズタに引き裂いてくれる!」
「おっと……それは困る。ワシは寿命が尽きるまで生きると定めておる」
「逃げるな!!」
「逃げるつもりはない。邪魔となる荷物を下ろすだけよ」
「安心するがいい! 我の爪はその荷物ごと引き裂ける故な!」
「提案がある。争いはやめて、言の葉を交えるというのはどうだ?」
「それならば我からも提案がある。その減らず口を我に引き裂かせるというのはどうだ? 新たな趣向に目覚められるかもしれぬぞ?」
「それは断らせてもらおう。目覚めると同時に眠くなるかもしれんからな」
「なに……ほんの少し眠るだけよ。貴様は特別だ。膝枕をしてやろう。我がこのような提案をするのは初めてのことだ――どうだ?」
「初めてというのはそそられる話だが、今回ばかりは遠慮しておくとしよう。まだ眠くはならんのでな」
「そうか……それは残念だ。想像するだけで笑みが溢れるのだが……」
「ワシの頭に浮かんだ景色は真っ赤に染まっていた。間違っておったか?」
「おぉ! 我と同じ景色を見れていたようだぞ? いい景色だろう?」
「そうか? ワシには悲惨な景色にしか見えんなぁ」
「互いの感性が合わぬのか……残念だ……ならばこの場で引き裂くしかあるまいて……いい加減!――さっさと!――我に引き裂かせよ!!」
「全く……やんちゃな女よ。隠れ見ていた時はお淑やかな女だったのになぁ。なぁ、その爪を納め小屋で茶でも飲みながら世間話をしよう」
「黙れ!! 貴様のような男を我の住処に入れるだと? 反吐が出るわ!」
「ふぅ……振られてしまったか……仕方あるまい――許せ」
「!? ぐっ――かはっ!」
「ワシは女に手を上げぬと誓っているのだが――」
「……貴様……ならばなぜ我に手を上げた?」
「聞く耳を持ってくれぬからな。それに、人の道から外れかかっている者を正すためには……時に必要なのだ」
「人の道? なにを訳のわからぬことを……我は人とやらではない! 我は――我だ!!」
「己を主張すること――悪ではない。ただ、やり方がちと過激よな。そのやり方は一方的なもの。それでは互いに歩み寄ることができぬ」
「歩み寄る必要などない!!」
「ワシには言葉通りには聞こえん――許せ」
「あぐっ! くぅぅぅ〜〜〜!! 貴様ぁ! 武器を捨て素手で応じるのはそのような趣向でもあるのか!? 我を激怒させたいのか!? であるならば貴様の思い通りよ!! 我は必ず貴様を殺してやる! 姿形が残ると思うな!!」
「違う。人の道を正すに武器はいらぬ。正道には正道を、邪道には邪道を、外道には外道を。これがワシの在り方。そして我が師の教えでもある。お前はただ道に迷ってしまっただけにすぎぬ。人の生を歩む先人からしてみればそのようにしか見えぬのだ」
「戯言を!!」
「――許せ」
「――ッ!! なぜ当たらぬ!! なぜ引き裂けぬ!!」
「お前はワシよりも遥かに力がある。認めよう。だが、その力を活かす技はなく、その力を振るう心は未熟。故に、ワシがお前に負ける道理はない。それだけよ」
「ほざけ!!」
「少し強めに行くぞ。許せ」
「ガッ! グッ――アッ!……はぁ……はぁ……もう……よい」
「…………」
「もうよい。貴様を引き裂くのはやめだ。塵すら残さん。消し炭にしてくれる!!」
「これは……炎か。まだまだ力が有り余っているようだな」
「地獄を味わえ!!」
(どこまでも正直で心優しい女よな)
「法術――『法結界』!」
「――なぜ……なぜ通じぬのだ!」
「それはお前自身が一番よくわかっているのではないのか?」
「……どこまでも――どこまでも癪に障る奴め!!」
「激情に呑まれ、心が陰り、本心が見えぬか――許せ」
「グッアッ……はぁ……はぁ……」
「ワシの話を聞く気になったか? それともまだ続けるか?」
「フッ……くくく……あっはっはっはっは!! 貴様だけは……貴様だけは殺す……必ず殺す」
「落ち着け、お前には見えているはずだ。お前の目は、全てを映しているはずだ。この世に生きる全ての生き物達が」
「あぁ……見えているとも……貴様がこの世から消える瞬間がな!!」
「――っ! これはっ! なんという……」
「貴様は殺す。貴様だけは殺す。必ず殺す。全てを引き換えにしてでも殺し尽くしてやる!!」
(白き美しい毛並み。9つの尾。満月が照らすあれは、正に伝え聞く神獣のようだ。このような状況でなければいつまでも見ていられるほどに美しい。なんともったいない。己が未熟を嘆くばかりよ。師よ――父よ。あんたならどのように言の葉を紡ぎ、あの者を説き伏せるのだ?)
「この全てを持ってして貴様を殺してやる。我にここまでさせたのだ。我に感謝して死ぬがいい!!」
「これだけの力を感じ、体を震わせてなお、お主はこの場から逃げぬのか。待っておれ。ワシが必ずあの者の心を救ってみせよう」
「幻を見ているのか? 諦めたのか? 今更許しを請うても遅い。貴様は我が必ず殺すと決めた。死ぬ瞬間まで懺悔でもしているがいいわ!」
「見て見ぬ振りはよせ。そこにいる一匹の狐が見えていないわけがなかろう。お前の傍から離れぬ者のこと、お前には見えておるだろう。お前と争う前から……いや……ワシがお前を見つけた時から付かず離れず居続けていた者が、お前には見えている!」
「――黙れ……黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! 黙れ!!!! 消えよ!! 今すぐ消え去れ!!」
「ワシは今、ワシが定めた禁を犯す。師よ父よ許せ。ワシ自身の欲を満たすために犯すことを許せ。だがそれは、生まれてから今に至るまで何物にもなれなかった者を、正道から外れかかってしまっている者を正すために犯すのだ。この手に持つ錫杖は、師から正業法師の名と共に受け継いだ物。あの者を正すため、その業をワシが背負おう! その覚悟――正業法師の名を受け継ぐ前よりできている! 父よ! 強欲であろうとも、ワシにあの者を救わせてくれ!! 法術――『正業法師―道善』!!」