組手
「天狐。今日の座禅はここまでとする」
「……わかった」
「ずいぶんと心が乱されておったな」
「うるさい、黙れ」
「わっはっはっはっは! わかりやすい奴よ。今日が初めてなのだ。そうピリピリするでない。乱されて当たり前。己の心と向き合うとはそれほどに難しい」
「――ふん」
「少しずつ答えを探し、見つけてゆけ。さて次は……」
「今日はもうよい。気分が晴れぬ。今の我を無理に付き合わせようなら大暴れしてやるわ」
「ならば丁度良いではないか。今から行うことは心ではなく体を動かすことよ」
「体を動かすだと? 何をするつもりだ?」
「組手だ」
「組手?」
「そう、組手だ。己と相手とで稽古をするのだ。己の体を鍛え、技を身につけ、心を強くすることが目的。この組手は天狐のためでもあるが、どちらかと言えばワシのためだ」
「道善のため?」
「そうだ。この地に長くいれば、麓の村の者から妖怪退治を任されるやもしれん。反対に、この地に長くはおらず再び旅に出るやもしれん。妖怪退治をするにしろ、旅の道中で賊に襲われるにしろ、己の身を守れなければ生きてはいけぬ。体は怠けた分だけ衰えてしまう。衰えぬためにも、己を鍛えるためにも必要なのだ。ワシは己の命を何者かにくれてやるつもりはない。己の生を謳歌し大往生すると決めておる」
「ふぅん。道善は十分に強いと思うがな」
「そうだな。今のワシは間違いなく天狐より強いであろうな!」
「やはり癪に触る男よ」
「気に入らんか? ならば組手を通してワシを地に伏せさせるがよい。先程の座禅で鬱憤も溜まっておろう。その鬱憤をぶつけられる丁度良い相手が目の前におるぞ?」
「……聞くに値せぬくだらぬ挑発だが、今は気分が悪い。乗ってやる」
「うむ。組手は死合ではないから、爪で切り刻むことは禁止する。よいな?」
「なに? それではどうしろというのだ」
「拳か足を使え。天狐の力ならばそれだけでも十分凶器となろう」
「いいだろう。道善、お前はあのよくわからぬ術を使うなよ」
「元よりそのつもりだ。では――いつでも来るがいい」
「その余裕――すぐに無くしてやろう!」
「その速さ。人のそれを遥かに凌駕しておる――が、それだけよ」
「なっ!?」
「力もまた、人より遥かに強い。ワシがその力と速さを利用したまま加減せず投げ飛ばせば、もはや立てなくなっていただろうな」
「道善何をした。突然視界が回ったぞ」
「先に言ったばかりであろう。気が動転してそれどころではないか?」
「いいから教えろ!」
「やれやれ。ワシの顔を殴ろうとした腕を掴み、その力を殺さず背負い投げたのよ」
「背負い投げ?」
「そう背負い投げ。人は力だけで勝てぬ相手にどのようにすれば勝てるようになるかを考えた。それが技。ワシよりも遥かに体が優れている天狐に勝つことができたのも技のおかげ」
「技」
「そしてもう一つある。組手を行う前に教えたな? 覚えておるか?」
「心か?」
「正解だ。己より遥かに体が強い者に襲われれば、心が怯え、体がすくむ。そうなればせっかく鍛え上げた技も無駄となる。ワシより優れた体を持つ天狐に勝つことができるのは、ワシが天狐よりも技と心が強いからよ」
「どうすれば我がお前に勝てるようになる?」
「組手の中でワシから受ける技を見て、覚え、身につけ、心を鍛えるしかないな」
「なら勝てるまで挑もう。負けっぱなしは気に食わぬ」
「わっはっはっはっは! その気概やよし! 天狐の鬱憤が晴れるまで付き合ってやる」
「ぬかせ! すぐに終わるわ!」
……………
「むっ! よく耐えたな」
「何度も背負い投げを受けたからな。我は馬鹿ではないぞ!」
「これは困った。こうも踏ん張られては投げられんな。力では勝てぬし、さあどうしたものか」
「くくく、このまま地に押し倒してやるわ。大人しくあきら――っ!?」
「ふぅ……わしの勝ちだな!」
「おい、何だそれは。なぜ我は倒れた?」
「背負い投げられぬよう足に力を入れておったのでな。払ってやったわ」
「何だそれは! 払われただけでなぜ倒されるのだ!?」
「それが技というものよ。今のは足払いという」
「技は一つだけではないのか!?」
「なぜ一つだけだと思ったのだ。技はそれこそ言の葉と同等に無数にあるわ」
「……今日はもうやめよ。気が削がれた」
「確かに丁度よい頃合い。気の済むまで体を動かし、汗をかいた。座禅での鬱憤は十分に晴れたであろう?」
「あぁそうだな。しかし我は別のことでまた鬱憤が溜まったぞ。どうしてくれる道善」
「わっはっはっはっは! そこまでは考えておらんかったわ。ではどうしたものか」
「貴様、こうなるとわかっておったな? とぼけおって」
「まぁそう言うな。許せ天狐」
「まったく……なんて男よ。お前のような奴は初めてよ」
「いい男であろう? ワシを父としたこと、もっと存分に喜ぶがよいぞ!」
「貴様と出会ってから散々な目にしかあっておらんわ!」
「わっはっはっはっは!」