グリエル伯爵とフィオーネ男爵
「まさか、あの娘が生きていたとはな。これは思わぬ朗報だ。」
グリエル伯爵家当主、アシッド・グリエルは、自室のの椅子にもたれながら、上機嫌にお気に入りのワインを開ける。
今開けたワインは、屋敷にある最高級の代物で、以前は当たり前のように飲んでいたが、今では特別な来客に振る舞うため、大切に取っておく酒だ。
というのも、現在グリエル伯爵家は深刻な財政難の危機にさらされているのだ。
元々、先代の当主辺りからグリエル伯爵家の領地経営が芳しくなかったが、贅沢をやめられなかった伯爵家は本来もっと早くに没落してもおかしくはなかった。
だが、アシッドの妹であるミサリーがフィオーネ男爵と結婚したことで状況は変わった。
ミサリーはグリエル家の中では珍しく庶民的な感性の持ち主で、よく街に行っては街の人間や子供達と遊んでいた。
そんなミサリーは、貴族意識の高いこの家では浮いた存在だった。
学園に通っていた際も両親からの言いつけであった、格上の貴族との交際を無視して、男爵家であるフィオーネ家と婚姻を結びたいと申し出てきた。
そんなミサリーに両親は激しく怒りを見せていたが、フィオーネ家の次期当主、ウィルスは、魔道具の才能に秀でた青年で、学園に在学中にもかかわらず、自作の魔道具で莫大な財を築き始めていたのだ。
それにより、結婚の際には彼が用意した多額の結納金がグリエル家に渡り、ミサリーはまるで商品として売られるかのように男爵家へ嫁いだ。
これにより、伯爵家は普通に過ごせば十年は持つと、思われた資金を手に入れたが、一家そろって浪費癖が抜けなかった事もあって僅か数年で使いきってしまった。
当の本人たちは、どうせまたフィオーネ家にたかればいいと、高をくくっていたのだろう。しかし、ウィルスは一度婚姻が成立すると、それ以降はどれだけ言い寄られても、びた一文たりとも金を渡そうとはしなかった。
その事で逆恨みした伯爵家は、社交の場でフィオーネ家を公然と貶めるようになった。
そしてミリアムが生まれてからは、今度はその娘に矛先が向いた。
盲目であることを理由に、まるでそれが罪であるかのように、一族は寄ってたかって虐げた。
それでも折れることのなかったウィルス達にアシッドは、貴族たちの間に、根も葉もない悪評をばらまき貴族社会から孤立させようとした。
しかしそんな矢先に、最悪の出来事が起こった。城で行われた王家主催のパーティーで、ノイマン公爵家当主バルデスが公の場でフィオーネ家を派閥に迎え入れることを宣言したのだ。
なぜそんなことになったのかはわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。
ここ何年もの間、貴族界隈はノイマン公爵家を頂点とし、その当主バルデスはもはや庶民どころか貴族すら容易に口を利けぬ存在となっている。
そんなバルデスが自らフィオーネ家を派閥に迎え入れた、その事実だけで誰もフィオーネ家には手を出せなくなったのだ。
だが、その一年後、フィオーネ一家を乗せた馬車が崖から転落するという事件が起きた。
噂では、とある下級貴族が嫉妬から馬車を突き落としたとも囁かれているが、真偽は不明だ。
ただ、その噂の貴族の当主は、事件の数日後に不可解な死を遂げている。
愚かな話だとアシッドは思った。
だが同時に、これほど都合のいい出来事もなかった。
自ら手を下すことなく、憎きフィオーネ家を潰すことができたのだ。
しかも、そのおかげでフィオーネ家の財産は、そっくりそのままグリエル家の懐に転がり込んできたのである。
ただ、調査で発見されたのは、片輪が壊れた馬車と、夫妻の遺体だけで、そこにミリアムの姿はなかったようだ。
だが、彼女は盲目のうえ、当時まだ幼い少女だったこともあり、ひとりで生き延びられるはずがないと判断され、正式に死亡扱いとされたのだった。
……しかし、それからわずか数年で、その財産もすっかり食い潰してしまう。
そんな矢先、アシッドのもとに届いたのが、「ミリアムは生きていた」という一報だった。
あれから三年が経ったが、ミリアムはまだ十歳にして一人では何もできない盲目の娘だ。だが、だからこそ好都合だった。
自分が後見人として彼女を支え、男爵家を“再建”すれば、ミリアム目当ての貴族たちが、自然と自分に頭を垂れるようになる。
そして、頃合いを見て、どこかの有力貴族にと縁談を組めばいい。
婿を入れようが、嫁に出そうが、どちらでも構わない。
要は、それを足がかりに新たなコネと財産を手に入れられればいいのだ。
そうなればこのワインも、また毎晩のように楽しめるだろう。
「フフフ、ミリアム、ほんと、よく生きていてくれた。」
アシッドは生きていたミリアムと保護していた冒険者に向けてグラスを掲げ、静かに乾杯した。
そしてじっくりワインを味わっていると、部屋のドアをノックする音が聞こえたかと思うと、承諾もなしに扉が開かれる。
入ってきたのは、アシッドの愛娘であるアメリアだった。
「ちょっと、お父様!私の服をあの子にあげたってのは本当ですか⁉」
「ん?ああ、だが確かあれはお前が九歳の時に来ていたドレスだ。今はもう着ていないし構わないだろ?」
アメリアはミリアムより四つ年上で、来年から学園の高等部へ入学する予定だ。
その為、他の同年代の子供と比べて小柄なミリアムとは少し体格差があったのでミリアムに渡した服は着られないはずだ。
しかし、それでもアメリアは不満げな顔を見せる。
「嫌ですわ。あんなごくつぶしに私の物をあげるなんて。どうせ目が見えないんだから、服なんてボロ布でも巻いていれば十分ですわ。部屋だって屋根裏か倉庫なんかでいいでしょう?」
「フッ、そう言うな。あいつはいずれどこかの貴族に縁談をさせる予定の娘だ。傷でもつけたら、相手に足元を見られてしまうだろ?だから、丁重に扱わないとな。お前も昔みたいにいじめるんじゃないぞ?」
「あら?心外ですわね。別に虐めなんてしていませんわ。第一、目が見えないんですもの。誰かに突き飛ばされたり、水をかけられたりしても、分からないじゃないですか?」
そう言ってアメリアはクスクスと笑う。
我が娘ながら意地が悪い娘である、だがそれでも盲目な姪よりも遥かに愛おしい。
「フフ、それもそうだな。じゃあ、使用人達が虐めたりしないように、注意しておいてくれ。」
「はあい。」
そう言うと、アメリアは気の抜けた返事を残して部屋を出ていくと、アシッドもまた、グラスを手に取りワインを飲み始めた……




