主人公と悪役令嬢
「ノイ……マン……?」
「まさか、あの公爵家の……」
後ろで俺達の会話を聞いていた三人組の下級生が、ノイマンの名前にみるみる顔を青くしていくと、先程渡された宝石を床へと落とす。
宝石は廊下に散らばり他の生徒達の足元へと転がっていくが、誰一人触れようとはしない。
大体の生徒はアンデスの事を知っていたようで、彼女達の行いを見ていた他の生徒は同情しつつも関わらないように、距離をとっている。
他の者たちが絶望している下級生に注目している中、エマは一人、今のアンデスの言葉に反応していた。
「婚……約……者?」
呆然としたエマの反応に、アンデスは嬉しそうに頷く。
「ええ、昨日正式に殿下と婚約を交わしたの、それで今日はいつもマルクト様と親しくしてくださっているお二人に一度挨拶しようとやってきたの。」
挨拶ならわざわざ寮まで来なくとも、学園で言えばいいものを。
しかも俺たち二人が揃っているタイミングでやってきたのはただの偶然か?
「で、ですが、アンデス様はずっと殿下との縁談の話断ってきたと……」
「気が変わったのよ。ほら、文言にもあるでしょ?『女心と山の天気は変わりやすい』って」
そう言いながら、アンデスはクスクスと笑う。マルクトが決意を固めたタイミングで婚約など、明らかに狙ったようにしか思えない。
しかし、この話はまだ誰にも話していないはずだ、世間にも、そして国王にも。知っているのはあの場にいた奴らだけで、そちらの情報のルートはちゃんと封じたはずだ。
もしあの場に他の密偵がいたのならメーテルが気づくいたはず、だがそんな話は聞いていない。
まさかメーテルに悟られぬほどの密偵を持っているのか?もしくはこいつ自身にそう言った能力があるのか……
なにせあの男の子供だ、どちらがあったとしてもおかしくはない。
「で、ですが、マルクト様は私に――」
「結婚の約束をしてくださったと?フッ、やはりあなたは面白いわね。貴族の結婚なんて打算的なのが殆どで、望む相手と結婚するなんてほんの一握りなのよ。ましてや王族となればなおさら、それともなに?まさか、男爵令嬢如きが本気で、王子と結婚できると思っていたのかしら?」
「あ……」
その一言に、言葉を無くしたエマは膝から崩れ落ちた。
アンデスは、そんなエマを見て満足そうな笑みを見せると次に俺の方を見る。
「まあ、そう言う事だから。それでね、今私が気になっているのは貴方なのよ、マティアス・カルタスさん。」
「私?」
「ええ、編入してきてからたった一ヶ月で様々な問題を起こし、良くも悪くも今や学園の注目の的、是非一度会ってみたかったのよ。」
そう言って、アンデスは手を差し出してくる。
「……まさか、握手を知らないのかしら?」
俺はアンデスを警戒しつつも、無言で差し出された手を取る。
「⁉」
するとその手に触れた瞬間、今まで笑みを見せていたアンデスから笑みが消え、そして驚きの表情が浮かんだ。
だがそれは一瞬で、次にはアンデスの高らかな笑い声が廊下中に響き渡っていた。
「プッ、アハハハハハ!驚いたわ!まさかあなた、無能だったのね!」
「⁉」
アンデスが笑いながら俺が無能だと、告げると周囲が再びざわつき始める。
「ねえ、今無能って……」
「嘘でしょ?無能なんかがこんな場所に来れる訳ないわよ。」
「そうよ、無能だなんて、平民よりもよっぽど穢れてるのに……」
見慣れた光景、聞きなれた言葉に今更何も思わんが、周囲が騒がしくなったことにアンデスは少し顔をしかめる。
「貴方と少しお話ししたいのだけど……ここじゃ少し落ち着かないわね、場所を変えていいかしら?」
「ええ、私も聞きたいことができたしね。」
その言葉に了承すると、俺はアンデスに連れられて寮を出る。
そして学園敷地内を暫く移動すると、他の建物から少し離れた場所にぽつんと佇んでいる小さな建物の中へ入っていく。
「どう?ここが私の寮よ。」
そう言って案内されたのは、侯爵令嬢専用の寮とは思えない場所で、部屋は一つしかなく、その殆どの面積が本棚で埋め尽くされていた。
「まるで書斎ね。」
「まあ似たようなものよ。」
部屋の中にあるのは本棚の他、読書用のテーブルと椅子が一つ部屋の真ん中にポツンと置かれているだけで、花瓶やベットと言った令嬢の部屋らしきものは何一つない。
まさに本を読むためだけの部屋とも言える。
成程、これは本の虫という言葉が良くあてはまる。
そして暫くすると、護衛の騎士らしき男が入ってきて、俺のために用意したと思われる椅子を持ってきたのでその椅子に座る。
アンデスも対面に座ったところで早速本題へと入る。
「それで、どういうつもり?」
「なにが?」
「このタイミングでの王子との婚約なんて……まるで嫌がらせにしか思えなかったけど?」
「ええ、だって嫌がらせだしね。」
「なに?」
そう言うとアンデスはアイテムボックスから一枚のノートを取り出し俺に渡してくる。
中身を見てみると、そこにはどこかで聞いたような話が王子と男爵令嬢の物語が直筆で書かれていた。
「……これは?」
「見ての通り王子とエマさんの物語よ。」
「……物語というよりはただの記録じゃない?」
書かれているのはエマとマルクトの話だが、内容は実際に起きた話をそのまま書き写しているだけのようだった……それも、誘拐の話まで完ぺきに。
「私はね、今この学園を舞台にして一つの物語を読んでいるの。」
「物語を読む?」
学園を舞台にして物語を作る、もしくは舞台にした物語を読むならわかるが、舞台にして物語を読むという言葉は少々おかしい。
言い間違えかと思ったが、アンデスは聞き返した俺の言葉に頷き説明していく。
「ええ、私は他者の視点から見ることができるスキルを持っていて、それで学園内を覗いていたの。『事実は小説より奇なり』といった言葉があるように、現実に勝る物語などないからね。そして私が見たかったのは学園恋愛物語だったの。」
「それで、エマとマルクトの関係を物語として見ていると?」
「そう、でもここ一ヶ月進展がなかったのよね。まあそれも現実ならではだし仕方ないかなあと思ってたの……だけど、そこにあなたがやってきたの!マティアス・カルタスさん!」
アンデスが俺に向かって勢いよく指を指す。
「あなたがやってきてから、物語は大きく動いた。それは私の想像もしていなかった展開にね、かませ役のビオラ・メフィスに悪役令嬢として配置していたソフィア・マンティスを次々と返り討ちにした、いつの間にかこの物語はあなたを主役にに動いていたのよ。」
アンデスは興奮しながら話すが、俺にそんなつもりは当然ない。
それに今の言葉は少し引っかかる。
「今のいい方だと。まるであなたが仕組んでたかのようね?」
「いいえ、でもまあ、周りを動かして少し手を加えたこともあったわ。例えば強欲なソフィアさんを婚約者になるよう唆したり、王子が誰とも婚約しないように今まで縁談を引き延ばししたりしてね。あと謹慎処分の原因となったあの下級生達の一人、リーラさんでしたっけ?あの子が呼び出しを受けて二人から離れたけど、突き飛ばす瞬間を目撃した方が面白そうだと思って手を回して退き返させたの、おかげで最高の展開になったでしょ?」
成程な、あれはこいつの仕業だったのか。
「それじゃあ、リーシェ・グスマンが階段から転げ落ちたのもあなたが仕組んだの?」
俺の計画では、あいつらを傷つける予定などなかった。ただ脅し、階段から落とされるという恐怖に怯えるだけだった、だがその計画とは裏腹にリーシェ・グスマンは自分が付いた嘘のように階段から落ちていた。
もしそれがこいつのせいなら許しがたい。
だが、アンデスは首を横に振る。
「そう怖い顔しないで、あれに関してはは本当に偶然よ、でもそういう偶然があるからこそ、現実は面白いのよ。」
「……そう。」
俺にはよくわからんが、こいつにはこいつのこだわりがあるのだろう。
今の話を聞く限りその辺は信じられそうだ。
「そしてつい先日、この物語は無事ハッピーエンドを迎えた、でも私の心は満たされなかった。何故なら肝心の所が見れなかったから……」
そう言うとアンデスは不意に俺の手を握ってきた。
「私のスキルは触れた相手の魔力にリンクしてその相手の視点から見れるの、でもあなたには会ったことがなかったから物語の中心となっていたあなたの視点では見れなかった。だから、物語を少し延長してあなた視点で見てみようと思ったのだけれど、こうやって触れても、あなたの魔力が感じられないの。」
成程、だから俺が無能だとわかったのか、だがこれに関しては無能で良かったという事か。
そうでなければ組織の事もバレていただろう。
「それで、結局あなたはどうしたいの?」
「私と勝負をしましょう。」
「勝負?」
「ええ、あなたが、私の婚約を阻止すればあなたの勝ち、出来なければ負け。シンプルでしょ?今度は私が物語の登場人物になるから嫌でも見れる。いいアイディアと思わない?」
アンデスが意気揚々に提案してくる。
「勝った場合、もしくは負けた場合はどうなる?」
「特にないわ、その代わり私は家の力は一切使わない。残念ながら引き篭もりの私に伝なんてものはない、私にあるのはこの能力とノイマン公爵令嬢という肩書のみ。でもこの肩書を前に誰も逆らえないし、能力でどんな距離でも見ることはできる、どう?この条件でノイマンを潰せるなら十分やる価値があるんじゃないかしら?」
確かに普通なら難しいかもしれないが、今の条件と状況なら十分可能性はある。
バルデスの依頼の件もあるし断らない理由はない……か。
「いいわ、その話乗ってあげる」
「アハハ!普通の人ならこんな条件ですら怖気づくというのに、流石ね。」
「でもいいの?私はやるからには手段は選ばない、もしかしたら公爵家の跡取り争いから脱落して最悪公爵家にいられなくなるかもしれないわよ?」
「……後継者?ああ、そう言えばそんな話も合ったわね、正直どうでもいいわ。そもそもノイマンの家柄自体興味ないから。」
立場よりも物語を作るか……こいつも中々狂ってやがるな、いいだろうならばこちらも遠慮なくやらせてもらおう。
「わかったわ、やるからには徹底的にやらせてもらうわね。」
「フフ、なら最高のフィナーレを楽しみにしてるわ。」
話が終わると俺はまた寮に戻る。すると寮内では既に俺の無能の話は広まっており、そして翌日には学園中に広まっていた。