無能の戦い
無能……それはこの世界に生きる人間なら一度は聞いた事がある言葉だろう。
この世界のエネルギーとも言えるマナを取り込むことができない体を持って生まれてきた人間で、種族によって言葉と解釈は異なるが、人族の間では女神に見捨てられた命として蔑まれている。
だが実際は、ただ言葉通り皆が当たり前のように使えるマナが扱えない『無能』だから見下しているに過ぎない。
その事もあって大体の人間は無能であるとわかると同時に、捨てられるか奴隷に売られ、長くは生きられない。仮に運よくどちらでなかったとしても人権というものはないに等しいだろう。
ジェットは無能とは縁遠いおかげで戦争孤児だったにも関わらず、その才能を買われて傭兵団に拾われ、団長まで上り詰めていた。
だからこそ、ジェットは今自分に起きている状況に動揺を隠せないでいた。
ジェットの剣が空を切る。
特に体が重くなったとか言うことはないが、いつも通りに動いているにも関わらず、自分の頭のイメージと実際の動きに開きがあり、そのせいで動きが鈍くなっている。
それだけではない、いつも自分を生かしてきた魔法が、スキルが一切使えない。
先ほどまで当たり前のように使っていた力が使えなくなっているので戦い方も、ただ剣を振り回してるだけとなっている。
――これが無能の世界か……
だが、それでもまだこっちが十分有利なことに違いはない。
ジェットは軽装だがしっかり防具は身に付けている、一方あっちはほぼ裸状態で武器もない。
そしてジェットの剣もマナを使わなければなまくらだが、腐っても剣だ、生身の人間を斬るくらいできる。幸いあっちも魔剣は使えなく片腕だ、十分勝機はある。
だが先ほどまでの状態でも、避けられていたのに今の状態で剣を当てることは難しい。
マティアスはジェットの剣を躱すとそのまま懐に入り込み、体の中心に向かって、突き上げるように拳を振り抜いた。
「ぐぅ!」
防具の上からなので痛みはないが、防具があるにも関わらず容赦なく繰り出された拳の衝撃で、内蔵が圧迫され呼吸が止まる。
ジェットは殴られたことは初めてではない。
荒くれ者として生きているのだ、殴り合いくらい日常茶飯事であるし人型の魔物からの攻撃も受けたことがある。
だがこの女のはそれらとは違う、構え方から狙う部位まで全て素手での戦いに特化していた。
―― 一体どれだけの鍛錬を積めば生身の体でこの威力が出せるんだ?
無能の身体能力は高いのは知っているがこれほどまでとは考えられない、となればきっと彼女は生き残るために自らの努力でここまで強くなったのだろう、そう考えると小柄な体が大きく見える。
ジェットは防具がなければ、体を突き破っていたのではないかと思えるほどの衝撃に前のめりになると、続けて顔面に膝が入り、そして続けて顔に蹴りを入れられると、ジェットは後方にあったテーブルまで吹っ飛ばされる。
――同じ条件なのにここまで差が……これが経験の違いか。
「はぁ、はぁ、は、早く立たなければ……」
ジェットは追い打ちを警戒すると、呼吸も整えぬまま無理矢理立ち上がりすぐに回復ポーションを飲む。
すると、すぐに効果が表れ、痛みが消えて呼吸も落ち着き始める。
「ふう……卑怯だと思うなよ?」
「殺し合いに卑怯もクソもあるかよ、騙し討ちだって大歓迎だぜ?」
「フッ、騙されるような玉じゃないだろう。」
ジェットは思わず笑みを浮かべる。
――さて、どうするか。
ジェットは距離を置いたまま戦い方を考える。
――今ある物で使えそうなのは馴染み大剣と、腰に付けた予備の剣、そして回復ポーションか……これでどうやって戦う?
魔法もスキルも使えない状況、頼れるのは知識と経験のみになる。
こうやって、新しい戦い方を考えるのは少し新鮮に思えた。
ジェットは向こうの出方を待つ。
こちらから仕掛けたところで、避けられるのは目に見えている、ならば向こうからの攻撃をカウンターで迎え撃つ方が当てる確率は上がるだろう。
それを察したのか、マティアスが勢いよく突っ込んでくる。
すると、ジェットは予備の剣をマティアスの足元に向かって投げつけた、マティアスがそれを跳んで避けると、ジェットもマティアスに向かって突っ込んでいく。
――奴の攻撃は足と片腕のみ、これで封じたはずだ。
空中にいることで避けることはできず、素を晒した手や足では剣を受け止めることはできない。
ジェットは体を真っ二つにする勢いでマティアスに向かって斬りかかった……しかし。
「なっ⁉」
マティアスは、躊躇いもなく素手で剣を受け止める。
「こ、こいつ……」
剣を掴んだ手からは大量の血が零れ落ちるが、マティアスは気にすることなく刃を強く握りしめて放さない。
いくらマティアスが硬いとはいえ普通の剣なら握った手が斬れ落ちてもおかしくないが、ここに来てなまくらが仇となった。
マティアスはそのままジェットごと、剣を上に振り上げる。
「バッバカな……」
そしてマティアスはそのまま剣を横に振りぬき、ジェットを壁に叩きつけた。
――ぐ、意識か……
ジェットは背中から壁に勢いよく叩きつけられ意識が飛びそうになるが、倒れれば死ぬと自分に言い聞かせ意地でも起き上がると、再びポーションを手にする。
だが、流石に向こうも二度目は待ってはくれない。
マティアスが剣を投げつけてくると、ジェットは舌打ちしながらポーションを投げ捨て、横に跳んで避ける。
しかしマティアスはその動きを読んでいた様で、先回りしてジェットの頭を鷲掴みにするとそのまま再び壁へと叩きつける。
この一撃で、ジェットは意識を完全に失うが、マティアスの攻撃は止まらずそのまま壁に何度も叩きつけられる。
そして、最後の一撃と言わんばかりにジェットの胸ぐらを掴むと、マティアスは一本背負いでジェットを頭から勢いよく地面に叩きつけた。