マルクトの決意
時間は少し遡り、ティア達がディンゴファミリーに捕まりアジトへと運ばれていた頃、王城の城門の前では第三王子であるマルクトと、その幼馴染であるロミオが帝国からやってくる使者の出迎えの準備をしていた。
元々城に来ていたのはマルクトの父である国王へ学園での近況報告と、卒業後の事についての話をするためだったのだが、近々外交のため帝国から使者がやってくる事になったので、二人は急遽その対応を任されることになった。
「ったく、一体いつになったら戻れるんだ?もう二週間だぞ?」
雲が漂う空を見つめながらロミオがボヤく。
学園から城までは距離も離れていないのだが、任される仕事が非常に多く、その忙しさに学園に戻れないまま、かれこれ二週間も城に滞在していた。
そして今日がその使者が城に着く日なのだが、ここから滞在している間の対応も全て任されているので、二人が学園に戻るのはまだ先になるだろう。
「それは分からないが、今後城で働くならもこういう事も経験しておいても損はないだろう。」
「でもよぉ……お前は学園が心配じゃないのかよ?」
「それは……心配じゃないと言えば嘘になるな。」
ロミオの問いにマルクトは言葉を詰まらせながら肯定する。
城を出てからも生徒会のメンバーと連絡をとっているので、学園の状況は二人の耳にも入ってきている。
話によれば、どうやら自分たちが城へ行く事を見計らったかのように再び騒動が起きた様で、現在その騒動によりマティアスが謹慎処分を受けたという事だった。
話を聞いたロミオはマティアスを随分気にしていたみたいだが、マルクトはそれ以上にエマの方が気になっていた。
一応不在の間、密かに護衛はつけているが、学園内の出来事や、女子寮までは介入できないので、それまでエマを守っていたマティアスが不在の今、その辺りが心配になっている。
「だろ?それによお、お前本当にいいのか?このままだとソフィア譲との婚約が正式に決まってしまうぞ?」
「それに関しては構わないよ、僕自身が決めた事だ。」
ロミオの問いに、マルクトははっきりと答える。
マルクトは国王である父に、ソフィアとの婚約を前向きに考えていることを伝えていた。
正式な発表はまだだが、このまま行けば卒業前には決まり、卒業パーテイーの場で皆に発表する事になるだろう。
「でもそれじゃあエマちゃんとは……」
「……元から無理だったんだよ、君も知っているだろ?身分の低い王妃がどういう末路を辿ったのか。」
そう尋ねられるとロミオは言葉を無くす。それは第一王子である兄、リチャードの母親の話だった。
元々現国王とリチャードの母親は互いに思い合っていたのが、身分が子爵家という事もあり、周囲からは強く反対されていた。
しかし父は粘り強く周囲を説得した結果、当時三大公爵家だったテイロン公爵家の令嬢を第一王妃に、そしてリチャードの母は側室と言う形で離宮で過ごすという条件で婚姻が認められた。
しかしそれでも国王が愛していたのは側室となった方で、国王は彼女と多く時間のを過ごし、先に身籠ったのも彼女の方であった。
だがそれがきっかけとなったのか、リチャードの母親は子供共々命を狙われることとなり、そしてリチャードが五歳の時に毒殺されることとなった。
犯人として捕まったメイドは処刑されたが、誰もそのメイドが主犯だと思っていなかった。ただ、それでも本当の主犯と思われる人物は疑う事すらままならぬ相手で、国王も守ってやれなかったことを随分悔やんだという。
そしてリチャードに矛先が向かぬ様、国王は王子の継承権を破棄させることで守り、その後王妃との間に生まれた第二王子であるルクスに王位継承権を渡した。
ただ、そのルクスの母親であった第一王妃も亡くなってしまい、新しく正妻に迎えられたのが他国の王女であったマルクトの母親であり、マルクトが生まれた事で再び玉座を巡って貴族たちの中で争いが起き始めていた。
そんないざこざをずっと見てきたマルクトは、エマの思いと、エマへの自分の思いに気づいておりながら、その一歩を踏み出せずにいた。
「それより君はどうなんだよ?マティアス嬢の事。」
「その件に関しては前に言っただろ?彼女は女の子が好きなんだよ。」
ロミオは以前二人で行った喫茶店でマティアスに女性にしか興味がないとはっきり言われたことを思い出し渋い顔をする。
「でも、その割には割り切れてる様には見えないぞ?」
その言葉にロミオは返さない。
元々興味を持たれていなかったこともわかっていたので、簡単に割りきれた……はずだった。
だが、その後計画していたマルクトの心を動かすために、行ったマティアスとエマのデートをマルクトと覗いていたロミオは、女性専用の店から出てきた少し雰囲気が変わったマティアスを見て、逆に自分が彼女への気持ちを気づかされることになった。
「ロミオ、僕は彼女が女性が好きと言ったのには理由があると思うんだ。」
「理由?」
「ああ、彼女はスラムで育ったと聞いている。余りこういうことは言いたくはないが、若い女性がああいう場所で生きてきたのであれば色々あったのかもしれない、それも女性を好きになるような事が。」
そう言われて、ロミオは少し顔を顰める。確かに若くて美しい女性がスラムにいればどうなるかは容易に想像つく。
「だから君が楽しい思い出をたくさん作ってその記憶を上書きしてやれっばいいんじゃないか?君はそう言うの得意だろ?それに男に興味がないのなら、君に興味を持ってもらえばいいんだ。」
マルクトが得意げにそう言うと、渋い顔を見せていたロミオもつられるように笑みを見せる。
「フッ、相変わらず恥ずかしい事を平気で言うなお前は……そうだな。でも何にするにしてもまず学園に戻らないとな……」
そう言って二人は話を切り上げ仕事に戻ろうと城の方へ歩き出すが、街方面から馬の駆ける足音が聞こえてきた。
振り返ってみると、全身傷だらけの兵士が馬に乗ってこちらに向かっているのが見えた。
マルクトはその兵士の顔に見覚えがあった、何故ならその兵士はマルクトがエマに付けた護衛だったからだ。
「どうした、なにがあった⁉」
「殿下、すみません、エ、エマ嬢が攫われました。」
「何だと⁉」
兵士の報告を聞いたニ人はすぐさま兵士の元へ詰め寄る。
「どういうことだ⁉エマはどうなった⁉」
「は、はい、エマ嬢が町に出かけていた際に突如男達に路地裏に連れ込まれたので、すぐに応戦したのですがその中にまるで素人ではない者達がいて、交戦中にエマ嬢を連れ去られ……」
「素人ではない者……」
それは人攫いを生業としているものを示すのではなく、いわゆるそう言う仕事の訓練を受けた者たちのことを示す。つまり、相手はどこかの貴族の手の可能性が高い。
「学園へ戻ろう」
「ああ」
話を聞いた、二人がすぐ学園に戻ろうとすると、まるでタイミングを見計らったかのように一人の男が後ろから声をかける。
「おやおや、どこに行くのですか?」
「マンティス侯爵……」
派手な服を来て後ろに手を組みながら歩いてきた、小太りの中年男を見てマルクトが呟く。
「先ほど、友人が人攫いにあったと連絡が入ったんで、俺たちも急いで学園に戻ろうとしているところです。」
「成程、それは心配ですね、ですが所詮はただの友人でしょう?わざわざ殿下が動く必要はないのではないですか?」
「それは……」
「それにあなたは我が娘の婚約者になるという話です、そのような男爵令嬢などにうつつを抜かしてもらっては困りますよ」
マンティス侯爵が自慢の髭を弄りながら問いかける。
「ん?ちょっと待てよ?なんで攫われたのが男爵令嬢だってわかるんだ?」
ロミオがその事を指摘すると、マンティス侯爵は口を吃らせる。
「そ、それは……そう!最近王都で、女が人攫いに合う事件が頻発しているのを聞いたからです。」
明らかに誤魔化しきれていない言い訳だが、残念ながら二人に追求できるような力はない。
この男は国の重鎮であり、そしてマルクトの婚約予定であるソフィアの父親でもある、発言力も強く、今回の外交の話もこの男の提案で強引に決まったものだった。
例え王子であっても、まだ子供である以上、大人たちからは下に見られてしまう。
「と、とにかく、殿下はここで自分の職務を全うしてください。まさか王子ともあろう人が友人が大事だからと仕事を放棄するわけじゃないですよね?」
マンティス侯爵が嫌味たらしい言葉でマルクトに問うと、マルクトは足を止めて俯く。
「……わかった、悪いけど、学園にはロミオだけで戻ってくれないか。」
「マルクト、お前……」
確かに言い分としてはマンティス侯爵の方に分があるだろう、しかしそれでもあっさり引き下がったマルクトにロミオが苛立ちを見せる。
するとその時、ロミオはふと頭の中で一人の女性の顔が浮かんだ。
彼女はエマとマルクトをくっつけるために色々動いていた。
しかし自分はどうだろうか?
協力すると言っておきながら、説得もできず、マルクトはソフィアとの婚約を決めようとしている。
――ここで何も言わなければ、俺は本当に彼女に幻滅されてしまう。
「……本当にいいのか?」
「え?」
「お前はそれでいいのか⁉」
「何を言って……」
「ああ、もう!だから王子とか関係なく、お前個人としてエマちゃんを放っておいていいのかよ!」
ロミオからのまさかの叱咤にマルクトは驚きただ茫然としていた。
「フン、青二才が偉そうに、たかだが男爵令嬢と、帝国からの使者どちらが大切かなど一目瞭然――」
「なら、使者の対応は私がやろう。」
すると今度は城の方から声が聞こえ、皆がそちらに振り向く、そこには若い青年が立っていた。
高級感あふれる赤い貴族服を身に纏い、マルクトと同じ金色の髪を後ろで束ね、宝石の様な緑色の瞳を輝かせている。そしてマンティス侯爵がその青年の顔を見て目を大きく見開く。
「リ、リチャード王子⁉」
「兄さん……」
二人の反応を見て、第一王子リチャード・ベンゼルダが小さく笑う。
「王位はないが、私だって王子であるに変わりはない、私が対応しても問題ないだろう?」
「そ、それはそうですが……」
予想していなかった人物の登場にマンティス侯爵が動揺を隠せずにいるが、リチャードは気にすることなく弟の方へ優しい眼差しを向ける。
「さあ行くと良い、大事な人が危ないんだろ?」
「兄さん……ありがとう」
マルクトはリチャードに礼を言うとそのまま馬を借りて、ロミオと学園へと戻っていった。