誘拐②
『エマ・エブラートは預かった、返して欲しければ今日の夜、一人で指定の場所まで来い。』
「なんとも捻りのない文章ね、つまらないわ。」
俺はなんの面白みもないありきたりな脅迫文を読みあげると、書かれた手紙をそのまま床へと放り投げる。
「字もかなり雑ですね、ディンゴファミリーの者が書いたのでしょうか?」
「でしょうね。」
リネットが捨てた手紙を拾い上げ、感想を口にする。
貴族ってのはどんな人間であれ、そう言うところはきっちりしてるからな。刺客でも丁寧な字を書いたりするもんだ。封筒自体は貴族の招待状の様な煌びやかな物だけにこの荒い文章がよく目立つ。
まあ、そんな事とはどうでもいいか。
「エマの方はどうなってる?」
「はい、寮長に確認したところ、どうやら実家でトラブルがあったと言う事で、急遽帰郷したと言うことになっています。昨日から部屋にはいないみたいですね。」
という事はどうやら本当に攫われたらしいな。
「エマにはマルクトが寄越した護衛がついていたはずだけど?」
「全員やられたか、もしくは守りきれなかったんじゃない?護衛って言っても人数も少なく実力も平凡だったからねえ。」
話を聞いていたレイルがベットで寝転がりながら返答する。
まあ、実力のあるのは王子本人についてるだろうし、そもそも婚約者でもなんでもないたかだか友人の男爵令嬢に護衛をつける方がおかしいからな、仕方ないと言えば仕方がない。
それにマルクト達も数日で戻ってくる予定と言っていたしな。ただもう直ぐ二週間になるのにまだ帰っていないようだ。恐らくマンティス家の誰かが足止めをしているのだろう。
「すぐに救出に行きますか?」
「ええ……だけど私一人で行くわ。」
先ほどの手紙をディンゴファミリーに書かせていたのを見る限り、この一件にマンティス側は動いていない。いや、正確にはゴロツキどもに指示を出して自らは傍観を決め込んでいるのだろう。
恐らく向こうは今、俺と竜王会の関係性を疑っている。もし迂闊に手を出して組織、もしくはその依頼主と敵対となれば向こうもタダでは済まないからな。
だからゴロツキども動かして、組織がどう動くのかを探っているのだろう。
だが向こうも、ゴロツキどもを完全に信用していないはず、もし俺が組織と無関係と判断すれば最後には自分たちの手で下そうとするだろう。
狙うのならそこだ。
「よし、とりあえず、まずはツルハシの旅団に連絡を、あとそれから……」
……それと、折角だからこの機会を利用させてもらうか。
俺は指示を出しながら夜になるのを待った。
――
「……あれ?ここは……」
目を覚ましたエマがゆっくりと目を開けると、ぼんやりした視界のまま周囲を見渡す。
自分がいるのは窓がない小さな部屋で、ろうそくの火が燃えて薄暗い部屋の明かりを保っていた。
どうやらそこの床で眠っていたようで、エマはすぐに起き上がろうとするも、腕が後ろで拘束されており起き上がれない。
――私、どうしてこんなところに?
エマが気を失う前の記憶を振り返る。
放課後、授業が終わり帰宅の準備を進めていたエマは、突如教室に入ってきた見慣れない女子生徒達に囲まれた。全員が初めて見る顔だが明らかに好意的ではなかった。
彼女たちは、自分たちの身分を名乗った後、何故かエマに学園外にある店で文房具を買ってくるよう指示をしてきた。
ここは貴族の学校、文房具は購買に売っているし、メイドもいるので、わざわざ別の生徒に買いに行かせる理由もない。
あるとすれば嫌がらせくらいだろう。
相手の命令にエマは断ろうとするも、爵位を出されると口をつぐむ。
残念ながらエマには自分より上位の身分を相手に楯突く勇気はなかった。
エマはこの程度の嫌がらせならまだかわいいもんだと割り切り、渋々承諾すると一人で地図の場所まで向かった。
しかしその途中、目の前にガラの悪い男達が現れると、エマはいきなり裏路地へと連れ込まれた。
それとほぼ同時に、どこからともなく騎士が現れエマを守り始めたが、待ち構えていた男たちの数の多さに騎士達が苦戦していると、エマは背後から口を塞がれそのまま意識を失ってしまった。
そして、現在に至る。
――私……攫われたのかしら?
記憶を振り返ったエマがそう結論付ける。
最近誘拐事件が行方不明の事件が多発していたと聞いているので、恐らくその事件に巻き込まれたのだろう。
エマがどうにか逃げようと必死で藻掻くが、上手く起き上がれず、すぐにまた地面に伏せてしまう。
「……私、駄目だなあ」
エマは小さく言葉を零すと、その眼に涙が溜まる。それは恐怖から来るものではなく、自身への不甲斐なさからだった。
マティアスが来てからの学園生活は楽しかった。嫌がらせも無くなり、食堂で食事ができてるようになって、更には新しい友人もできた。今までの学園生活が嘘のようだった。
そして、もう諦めていたマルクトとも再び話ができるようになっていた。
だが、彼女がいなくなった途端、以前の生活に逆戻りした。
自分一人では何もできない事を改めて思い知らされたのだ。
エマが自己嫌悪に陥ってると、先ほどの音が外に漏れていたのか、ドアが開き人相の悪い男が入ってくる。
「おっと、もう起きたようだな。」
男はそう言うと、エマを立たせて部屋の外へと連れ出す。
ドアの向こう側は酒場のようなところになっており、ガラの悪い男達が酒を飲みながら屯っていた。
「お、そいつが例の女か。」
「へへ、さすが王子を射止めただけあって上玉じゃねえか。こりゃああの豚令嬢じゃ敵わねえな!ガハハ!」
――……豚令嬢?
その言葉に、エマは何故かとある侯爵令嬢が浮かんだが、失礼だとすぐさま振り払う。
男が一人、エマに触れようとするが、それを顔に痣のある男が遮った。
「おい、まだ目的は達成してねえんだ、手を出すなよ。それに余計なことも言うんじゃねえ。」
「へえへえ、わかりましたよ。全く、ジェットの旦那はバラスクと違って堅くて仕方ねえ」
「へへ、まあいいさ、お楽しみは取っておくという事で。それに、まだもう一人も来てねえしな。」
――……もう一人?
その言葉に嫌な予感がする、そして予感が当たったのか、正面にある扉からこの場所に似合わない美しい令嬢が入ってきた。
「エマ、無事?」
「マティアスお姉様⁉︎」
現れた、マティアスの姿を見てエマの眼から溜まっていた涙が零れる。
「やっと来たか。」
ジェットと呼ばれた男がマティアスを見ると彼女は臆すことなく睨み返す。
「……ほう、こっちの女と違ってなかなか肝が座ってるな。」
「そういえば、元スラム出身だったか?へへ、色々と経験してんだろうな。」
男達の言葉にマティアスは反応せず、ジッと睨み続ける。スラムでの経験と言うのが気になったが、深くは聞いてはいけない気がした。
「あなたがディンゴ?」
「いや違う。俺はこいつらに雇われてるジェットというもんだ。」
名前を聞いたマティアスがジェットに対し拳を構えるが、それを見たジェットが小さく笑う。
「フッ、やめておけ、こいつらはともかく俺を含めここには高い金で雇われた用心棒が何人もいる。お前が今まで相手してきたゴロつきや温室育ちの学生とは訳が違うぞ?多少腕っぷしの強いお嬢様が勝てる相手ではない。それに、下手な抵抗をすればこっちのお嬢ちゃんが傷つくことになるぜ。」
そういうと、エマの首元にナイフの刃が当てられる。
「……わかったわ。」
「へへ、いい子だ。」
マティアスがため息を吐いて両手を上げると、縄を持った男達がマティアスを囲い縛り上げる
「お姉様……」
エマは自分のせいで、拘束されていくマティアスの姿を黙って見ている事しかできなかった。