有言実行②
「ハァ、ハァ……」
マティアスの部屋を飛び出したリーシェは、まるで何かに追われているかのように寮の廊下を走っていた。
ぶつかりそうになる寮生に注意されるも、構うことなく自分の部屋までひたすら走り続ける。
先ほどマティアスから感じた恐怖は、虐めとか嫌がらせなどの悪意から来るレベルではなかった。感じたことのない恐怖、死をも連想させる自分が生きてきた世界とは無縁の恐怖だった。
未知の恐怖に駆られたリーシェは自分の部屋に逃げ込むと、その日は何かから隠れるように部屋に引きこもった。
そして翌日、リーシェは休み時間になると人気のない場所に友人の二人を呼び出し、昨日の事を説明する。
「……つまり、ここ最近あった、嫌がらせは全てマティアス先輩の仕業で、それがこれからも続くってこと?」
「そうなの!だからお願い!二人に助けて欲しいの!」
謹慎しているにも関わらず、攻撃を受けているという事はどこかにマティアスの手の者がいるはず、だからこそ、わざわざ人気のない場所で信用できる友人二人に打ち明けた。
「勿論よ。私にできることがあったら何でも言って。」
そう言って二つ返事するエレラにリーシェの頬が少し緩む、一方そんなエレラとは逆にリーラは少し考え込む。
「……ねえ、今の話って本当なの?」
リーラが神妙な顔つきで尋ねる。
「ど、どういうこと?」
「いや、なんか腑に落ちなくて、どうしてマティアス先輩はそんな事するのだろうと思って。」
「それは勿論、私が罠……ではなくて、私が告発したからその仕返しよ。」
「でも、まだ謹慎も明けていないのにもう仕返しするのもなんだか変だし、それにマティアス先輩は私達より爵位が高いから、もっと他にやり方があると思うんだけど……」
今の話にどこか納得していない様子のリーラ、しかし事実を疑われたリーシェは、そんな彼女に苛立ち、つい声を荒げる。
「はあ⁉︎なにそれ!私が嘘ついているとでもいうの⁉」
「え?あ、いや、もちろんリーシェを疑うわけじゃないけど……信じたいけど、なんか引っかかるような――」
「ならもういいわ!あなたなんて友達じゃないから!行きましょう、エレラ!」
「あ!ちょっとリーシェ――」
リーシェはリーラを捲し立てると、エレラの手を取りその場を後にした。
――大丈夫、落ち着つかなきゃ、向こうが同じことをするならこっちもまた同じことをすればいいだけよ。
前回は自分の嘘でも断罪できたのだ、今度は本当に被害を受けているのだから、でっちあげも作もなくただ事実を話せば周囲はまた味方になってくれるし、同情も買えるはず。
前回よりもよっぽど簡単だ、そして二度目ともなればマティアスを退学にできるかもしれない。
――そうよ、私は悲劇のヒロイン、リーシェ・グスマン、助けてくれる人なんてたくさんいるわ。
そう言い聞かせたリーシェは前向きに考えると、まず初めに前回力になってくれたローレンスに会いに三年の教室を訪れた。
――
「ふむ……成程。また、マティアスがそのような事を……」
「はい、ですからまたローレンス様に助けていただきたくて。」
空き教室でローレンスに、涙を見せながら事情を説明した後、祈りを捧げるように助けを求める。
正義感の強い彼女ならまた力になってくれるだろうとリーシェは期待した。
しかし……
「して、その件に関しての証拠、もしくは目撃者はいるのか?」
「え?」
「現在謹慎中のマティアス嬢の部屋の前には監視がついているが、人が訪れることはあっても、彼女自身が部屋から出た様子はなかったと聞く。なのになぜ彼女の仕業だとわかるのだ?」
「そ、それは……」
言葉を詰まらせる、リーシェが知っているのは本人から直接聞いたから確実なのだが、逆に証拠と呼べるものがない。本人から聞いたなどと正直に話したところで信じてもらえないだろう。
「前回は君がいじめを受けていると言う証言とその証人が複数人いたから、私は信じたのだ、そして証拠も見つかった。だが今回は君の証言のみだ。これでは事実かどうかなど判断できない。」
「で、ですが彼女には前科があります」
「だからこそだよ、次また問題を起こせば退学だってあり得るのに、謹慎も明けないうちにまた全く同じすることをするだろうか?」
「それは……」
リーシェはどうにか言葉を探すが、なかなか出てこない。
これが嘘だとわかっている自分以外にしてみれば、全く同じ嫌がらせをするなど、やはり不自然な話なのだろう。
情に厚いが情に流されない、誰に対しても平等だからこそ信用できたこのローレンスの正義感が逆に仇となって返ってきた。
「……わかりました、証人がいればいいんですね」
そう言うとリーシェは挨拶もせずに空き教室を出ていく、そして次は放課後、マンティス派閥の令嬢の集まるサロンへと顔を出し、前回証人になってくれた令嬢たちに再び声をかけた。
「お断りするわ。」
だが今度は考える間もなく断られる。
「な⁉何故ですか⁉︎」
「何故って……ねえ?」
「そもそもあなた少し勘違いしてるんじゃないかしら?」
「え?」
「前回はソフィア様に仇なす、マティアス・カルタスを貶めるために協力しただけよ。でなければ誰が落ち目の伯爵貴族に協力なんてするもんですか。」
「そうそう、今回はあなた個人の問題、協力する理由はありませんわ。」
「そもそも、あのマティアス・カルタスにちょっかいかけておいて、何もされないと思うなんてちょっと爪が甘いのではなくて?」
そう言って令嬢たちが呆然とするリーシェを見てクスクスと嘲笑う、自分の計画が成功したと浮かれていただけに『この爪が甘い』と言う言葉は屈辱的かつ恥辱的にリーシェの心を抉った。
リーシェは顔を紅潮させながらその場から逃げるようにサロンを後にする。
その後も色んな相手に当たるも、リーシェにはマンティスの派閥を除けば友人以外に味方になってくれるものはおらず、なんの対策も出来ないままマティアスからの攻撃は続いた。
「ねえ、聞いた?リーシェ・グスマンの話。」
「ああ、なんでも今までの事は自作自演だったとか?」
「姉の方もアレだったし、やっぱ妹も妹よねぇ。」
学校のあちこちで、リーシェを貶めるような話が聞こえてくる。
これも恐らく自分の流した悪評の一つなんだろうが、内容は間違っていない。
「ねえ?リーシェ……皆が話してることって嘘だよね?リーシェが私たちを騙していただなんて」
噂を聞いて心配しにやってきたリーラが二日ぶりに話しかけてきたが、リーシェはそんな彼女を睨みつける
「うるっさいわね!今それどころじゃないのよ!」
八つ当たりで怒鳴るリーシェの手には筆記用具が握られ、机に置かれた用紙に自分が付いた嘘が殴り書きされている。
――陰口を言われた、アクセサリーを盗まれた、落書きをされた。
私、他何言ったっけ?
自分が被害者と言う設定であるため、他人に尋ねる事もできない。
誰にも助けを借りられなかったリーシェは助けを求めることをやめ、自分への被害を最小限に抑える方向に切り替える事にした。
嫌がらせは現在進行形で行われているが、所詮はただの嫌がらせ、どれも些細な事なので耐えられる。
問題となるのは、マティアスの罪を重くするために付いた自分に実害がある嘘のほうだ。
――池には……もう落とされた、ならあとは階段と花瓶だわ。
花瓶を頭上から落とされて危うく怪我をしそうになったと、ついた嘘。
嘘だから適当に行ったが改めて考えると、階段から突き落とされたと同等の非常に危険な行為である。
――階段は手すりを利用して、花瓶に関しては窓の近くに行かないようにすれば……
「大丈夫……そ、それにそもそも本当にしてくるのかさえ疑わしいし……」
他の嫌がらせと違って、下手をすれば大事になるような事を簡単に実行できるわけがない、。リーシェはそう何度も言い聞かせるように『大丈夫』と呟いた。
しかし放課後、その考えを嘲笑うかのようにリーシェの頭上に花瓶が落ちてきた。
「きゃあああぁぁぁ!」
「リーシェ!」
「ど、どうしてこんなところに花瓶が⁉」
咄嗟に避けたので怪我こそなかったが、
尻もちをついた際に腰を抜かしたようで立ち上がれない。
リーシェが今いる場所は、校舎から寮までの帰り道、上から物を落とせるような場所もない。一応校舎の窓に目を向けるが当然人影も見えない。
リーシェが割れた花瓶を見つめる、細長く水も入ってない様だったが、もし直撃していたらと思うとゾッとする。
もし一歩でも進んでいたら頭に花瓶が当たっていた、そんな可能性だってあった。
偶然か、それとも当たらないスレスレに落としたのか……恐らく後者だろう。
――恐らく、彼女の刺客がいるわ……
たかが貴族の学生にこんな芸当はできない。
陰謀渦巻く貴族社会で刺客くらい持っていてもおかしくはない。
ただ、一学生が持っているかと言われれば疑問に残るとこだが、マティアスは経歴が経歴なだけに色々と謎が多く十分あり得る。
そう考えた瞬間、ガタガタと体が震えだし止まらなくなる。
「リーシェ、大丈夫?」
「……なさい。」
「……え?」
「エレラぁ、ごめんなさい、私――」
リーシェは心配するエレラを見て泣きながら謝ると、これまでの嘘を打ち明ける。
「……わかったわ、ならもう一度謝りに行こう、私もついていくから」
「エレラ……」
エレラの優しさに再び泣き出すと、二人は寮へと戻りマティアスの部屋へと向かった。
「階段……」
リーシェが上の階へ続く階段の前で立ち尽くす。
マティアスの部屋は三階にあり、行くには階段を上らなければならない。
――大丈……夫よね?
リーシェが階段を上るのを躊躇いを見せる。
しかし、昇る以外道はないので勇気を振り絞りゆっくりと足を踏み出す。
恐怖心に駆られ震えながらも、ゆっくりゆっくり階段を上っていく。
隣にはエレラがいる、それだけでも勇気づけられる。
――あと少し、あと少し……
あと少しで階段を昇り切れる。
……しかし、その考えがリーシェの足を早めると、最後の段で足を踏み外す。
足を踏み外したリーシェは、大きく体勢を崩すと寮中に響く悲鳴を上げながら階段から転げ落ちていった。