契約結婚②
マリスは突然家にやってきた、想定外の訪問客に困惑を隠せないでいた。
対面に座るその青年の美しい金髪の髪と、甘いマスクと称された整った顔立ちは、学生時代、多くの女性を虜にした。
そして、今はその青い瞳でマリスを優しい眼差しで見つめている。
他の女性なら目が合うだけで卒倒してしまいそうだが、幼い頃から見慣れているマリスにはその眼差しすら困惑の要因の一つであった。
「元気そうで何よりだよ、マリス」
「ええ、卒業以来ね……エレン。」
マリスが幼い頃からの愛称で呼ぶと、エレライン・ルーカーは子供のように嬉しそうに微笑んだ。
「それで?いきなりやってきて何の用かしら?」
だがそんなエレラインに対しマリスが突き放すように冷たい口調で尋ねると、エレラインは笑みを隠し、今度は眉を吊り下げ悲しげな表情を見せる。
「約束もなしにやってきたのは、申し訳ないと思っている、でも君が婚約するって話を聞いていても経ってもいられなくて」
「……その話はどこから?」
「貴族界では既に噂になっているよ、あのビート・キャメロンの婚約が決まったってね。それも伯爵家に婿入りするという形で、貴族としては格落ちするから中には何かの罰ではないかとも言われていたよ。」
その話にマリスは眉を顰める、
キャメロンとの契約婚の話を持ちかけたのが数日前、まだ正式に決まってないのに、広まるにはあまりにも早すぎる。
という事は、キャメロン側が意図的に広めた可能性が高い。
――まだ正式な婚約も決めてないのにどう言うつもり?
その事に関してもマリスは少し苛立ちを見せる。
「それが事実として、どうしてあなたがやってくるの?」
「……単刀直入に言うよ、キャメロンと結婚しないでほしい。」
「え?」
「君のことだ、恐らく当主として生きていくのに相手が必要だったんだろう。だがそれなら僕を選んでほしい、僕が幼い頃から君を思っていたこと……君も気づいていただろう?」
その言葉にマリスは言葉を返さない。
確かに婚約の話こそされなかったが、幼い頃から何かとエレラインの父から息子についてどう思う?と何度も聞かれたことがあったので薄々気づいてはいた。
その度マリスは優秀だとか いい領主になれるなど的外れなことを言ってはぐらかしていた。
別にエレラインが嫌いとかではなく、当時からカルタス家の事しか考えていなかったマリスにとっては、次期ルーカー伯爵家当主のエレラインは対象外だったのだ。
「そもそもあなた、ルーカー家の跡取りでしょ?私はカルタス家を捨てるつもりはないわよ。」
「ああ、勿論わかっている、だからこの一年間で弟への次期領主の引き継ぎを全て行い、最近やっと終わったところだったんだ。」
「……はあ?」
エレラインが幼い頃から次期当主として勉学に励んで来たのをみてきたマリスにとって、その言葉は寝耳に水だった。
「どうしてそこまで……」
「全ては君と結婚するため、僕は君の傍にいたい、それだけだよ。それにコレア様との約束もあるから。」
「お父様の約束?」
「ああ、コレア様は前々から自分が危険な立場にいることをわかっていたらしく、もし君が独り立ちする前に自分に何かあった時は、君の事を頼むと父達の間で約束していたらしい。」
「お父様がそんなことを……」
だが、あの父ならあり得ない話ではない。
「そして、コレア様は不幸にも亡くなってしまった、僕はその話を父から聞くと、君の心が落ち着き次第、君を妻として迎えに行くつもりだった。だけど君は僕が思っていた以上に強くて早く立ち直ると、コレア様に代わり領主を引き継いでいた。そして領主として頑張ってるのを知って、気が変わったんだ。それなら僕が君を支えようと……だから、どうか僕の手を取ってほしい。」
マリスはそう言って差し伸べてきたエレラインの手を見つめる。
そこまで自分を深く思っていたことは素直に嬉しい、だが……
――重い
そもそもこの結婚はあくまでエマを養子にするための契約婚で、一年後に離婚する予定だ。
マリスにとってはいつものように男を利用する手口の一つである、そのことを話せば理解してくれるだろうか?
いや、ますます反対するだろう。そして、彼と結婚すれば、おそらく別れてはくれないだろう。
マリスは手をじっと見つめ、どう断ろうかと考える。
「フッ人の居ぬ間に婚約者を奪おうだなんて、随分厚かましくなったな、ルーカーよ。」
そしてそんな二人の間に別の男の声が割って入ってくる、振り返れば部屋の扉にビート・キャメロンがもたれ掛かっていた。
二人目のアポなし訪問客にマリスはますます顔をしかめる。
「キャメロン……どうしてあなたがここに?」
「この前の返事をしにきたんだが……そろそろ、下の名前で呼んでくれないか?他の男を愛称で呼び婚約者である俺の名前を呼ばないなんておかいしいだろ?」
キャメロンが勝ち誇った顔でそう言うと、エレラインは立ち上がりキャメロンを睨みつける。
「ビート・キャメロン、貴様のような奴にマリスは渡さない。」
「ではどうするつもりだ?」
「それはこちらにも考えがある……とりあえず、今日の所はいったん失礼するけど、マリス、僕は諦めないからね。」
それだけ言い残しエレラインが去っていくと、エレラインのいた場所に今度はキャメロンが座る。
「フン、相変わらず身勝手な奴だ。」
「それは貴方も同じよ、いきなり部屋まで入ってきてどういうつもり?」
「もうすぐ結婚するんだから構わないだろ?」
「という事は、内容はあれで構わないのね?」
「概ねはな、ただ少し気になるところがあったので変えさせてもらった。」
そう言うと、キャメロンは契約書の紙をマリスに渡し、マリスが内容を確認する。
変更点などを教えてくれなかったので、マリスは内容を細かく目を通していく。
――特に大きく変わった点は見えないけど……
そう思いながら見ていくと、ある場所で目が止まる。
「……一年経っても、互いの同意がなければ離婚はしないものとする?」
「ああ。」
「そんなのダメに決まってるでしょ、それが条件で進めたんだから。」
「そうか、それは残念だ、もう周りに婚約すると言いふらしてしまったのだが」
――この男……わざわざ婚約の話を広めたのはそれが理由なの
相変わらずの身勝手さにマリスは苛立ちを見せるが、このままでは主導権を握られると思い、一度息を吐いて心を落ち着かせる。
「私は構わないわよ、今更噂なんて気にする立場じゃないからね。」
「……フッ、強情だな。仕方ない、ならそこは変えよう。」
そういうと、キャメロンはあらかじめか通らないのが分かっていたかのようにあっさり引き下がった。
「なら一年後、お互い同意のままなら離婚はしない、でどうだ?」
「まあそれなら構わないけど、どうしてそこまでこだわるの?」
「別に、一年も一緒に暮らしていれば、お互いのメリットにきづくかもしれないだろ?……それに、お互い本気になることだってあるかもしれない。」
キャメロンが笑みを浮かべ、顔に息がかかるほどまで近づいてくる。
昔のマリスなら動揺を見せたかもしれないが、場数と経験を踏んだマリスは顔色一つ変えなかった。
それに気づいたキャメロンは少し顔を顰める。
「あともう一つ、契約の中にあった愛人を作るってのも無しだ。離婚をしない可能性がある以上、変な噂は避けたいからな。」
「ふーん、まあいいけど。」
元々契約婚ということでお互い愛人を作ることを許可していた。
あくまでキャメロンのための条件であるため、作らないならそれはそれで特に問題はない。
「それと、もうエレラインを近づけるなよ、本来噂を流したのはお前に悪い虫が寄らないようするためだったのに、逆に寄ってくるなんて思いもしなかったぞ。」
――……それは私もよ。
本来エレラインと会うなんて全く予定になかった事だ。
「……わかったわ、では契約成立ね。」
こうして、キャメロンとの婚約が決まった……かに思われたが、その数日後、エレラインが父達のやり取りがあった手紙を正式な遺言状として持って訪ねてきた。
それはあらかじめ聞いていた内容と同様で、コレアがエレラインの父に何かあった時は娘を頼むと言う内容で十分婚約の約束と捉えられる内容でもあった。
そして、何故かその手紙は有効とみなされることになり、現在マリスには二人の婚約者がいる状態となっていた。