マティアス・カルタスとして
……
「……どうかしましたか?お姉さま。」
「……」
「……あの、マティアスお姉さま?」
「ん?あ、ああ……」
エマに声をかけられると、俺は自分が無自覚に言葉を失っていたことに気づく。
「別に、昔の知人に似ていたから少し驚いただけだ。」
そう言って誤魔化すと、俺はマリーから少し距離を取り、適当に店の中を見て回り心を落ち着かせる。
マリー……と言うよりレクター一家は俺の恩人であり、そして俺がこの世界でも、裏で生きるきっかけとなった人達だ。
もう関わらないと決めたはずだったが、まさかこんなところで出会うことになるとは予想もしていなかったので、流石に動揺を隠せずにいた。
それに万が一関わることがあっても、他の人間をを通しての間接的な関係になるだろうと考えていた……まさか俺が女装して表通りを歩くなんて考えもしなかったからな。
俺は改めて店の中を見て回る、ここがレクターの店としてみると、やはり先ほど感じた懐かしさは間違いではなかったようだ。
客が興味の持ちそうな商品の説明や並べ方、法外な価格を適正価格に割引したこの世界ならではの合法な値段改定など、露店で出してた頃に俺が提案した事や、マリーと二人で考えた事がこの店でもうまく活用されている。
商品自体も女性メインではあるが、よく見れば各地方で女性人気の高かった物が、多くなら並んでいる
これは「アイテムボックス」のスキルを持つマリーの父、ジェームスがいてこその品揃えだろう。
あれからもう二年立つのか……
過ごした時間はたったの一年と特別長いわけではなく、恩もしっかり返したし、別れればそれっきりと思っていたが、こうして見るとどうやら俺にとってあの時間は特別なものだったらしい。
いつかは自分達の店を持ちたいという話はよく聞かされていたので、店を持った事自体は驚くようなことではないが、王都の街中に店を構えるのは簡単ではない。
それにもしわかっていたのなら花くらい贈ったのに……
ま、それに関しては仕方ないか。レクター一家と無関係を装う為、ツルハシの旅団以外には商人時代の話をしたことがなかったからな。
とりあえず隠していたマーカスは後で問い詰めることにしよう。
気が付けばエマは少し離れたところで北部の村の名物である、木彫りの花飾りを手に取って、店の店員と仲良く会話している。
他の客たちも楽しんでいて、和やかな雰囲気である。
「雰囲気のいい店だな……」
「ありがとうございます。」
店内を見ながら呟くと、その言葉に返事が返ってきて思わず振り返る、
気が付けばマリーが傍で先ほどの商品を並べていた。
「私みたいな人間は華やかな世界とは縁がありませんから、貴族のお嬢様にそう言っていただけると、凄く自信になるんですよ。」
そう言って、マリーが嬉しそうに笑う。
貴族のお嬢様……か。
……そうだったな、今の俺は名もなき無能な奴隷でも、ティアラ・レクターでも、ティア・マットでもない。
貴族令嬢のマティアス・カルタスなのだ。
声も髪も変わっているし、普通にしていればバレることはないはず、俺はあくまで他人を装いマリーと会話をする。
「随分若いのに、王都に店を持つなんて随分やり手のようですね。」
「そんなことありませんよ、運が良かっただけです。」
「と、言うと?」
「実は以前、旅先の村で貴族の方とトラブルになったのですが、その事件の事で聖騎士団の方に謝罪をされて、その際に父がその一件で行商をやめて店を持つことを決めたのですが、話を聞いた聖騎士団の一人の団員さんが知り合いに口添えをしてくださって、格安でこの店を貸してもらえたんです。」
……事件と言うのは、やはりパルマ―の出来事だろうか?あの一件には聖騎士団の管轄だったことはレーグニックから聞かされていたからな。
しかし平民と貴族のトラブルなど、よくある事でいくら聖騎士団でも、大きく介入することはないと思うが……下手をすれば口封じをされてもおかしくないのに。
という事は俺絡みで接触を図っているのか?
「ではその事件がきっかけで男性不信に?」
「いえ、不信と言う程ではないですけど、結局仕入れのために父が行商を続けることにしたんですが、女性一人ではいくら王都でも危険だと言い始めて。女性専門店にしたのです。」
成程な、あの気弱だったジェームスとしてはなかなか大きい決断だったな。
「じゃあ、この店は母親と二人でやっているのですか?」
「いえ、母は交渉下手な父について行きました。」
「それはまた心配では?」
マリーの母親のエリザも美人で実際何度も危険な目にあっている、今の俺はその事は知らないことになっているので、それとなく聞いてみる。
「それに関しては大丈夫です、先ほどの聖騎士団の方に信頼できる冒険者も紹介してもらい、専属の護衛を雇って旅いますから。そこのアニータも紹介してもらったんですよ。」
そう言って、先ほど話していた用心棒に目を向ける。
「なるほど……」
しかし、その聖騎士団の奴は随分と入れ込んでるな。
「その聖騎士団の団員とは今でも会ったりしてるのですか?」
「はい、時々店に尋ねてこられます、男性なので店内には入って来られないですが。」
「へえ、じゃあその方とはいい関係なの?」
「ち、違いますよ!確かに親身にはしてくださいますが、決してそう言う関係では……それに私は――」
冗談で言ったつもりだったが、この反応を見る限り、マリーはまだ男性との恋愛経験はないようだな。
少し安堵する。
ただ、マリーはともかく向こうはその気がありそうな気もするが……まあ、それに関しては知ったこっちゃない。
「そう、なら安心そうだな。」
ともかく、もう貴族で揉めることはなさそうで安心した。
「あの、すみません、私からも一つお聞きしたいのですが?」
「なに?」
「あなたに、その……昔生き別れたご兄弟とかはいらっしゃいませんでしたか?」
……
「……どうして?」
「すみません、その……話す仕草とか、雰囲気とか上手く言えないんですけど、なんだか懐かしい感じがして、特に今の笑ってる顔が私の知っている子に似ていたのでもしかしたらと思いまして……」
「……」
そうか……これでもダメか。
どうやら見た目や名前を変えても雰囲気や話し方で勘付き始めているようだ。
それは嬉しくもあるが、このままではいずれバレるのは時間の問題だろう。
それだけはあってはならない。
となると、やはりもう関わらない方がいい……
いいのだが……
俺は一度目を閉じ、覚悟を決めると一度息を吐き目を開ける。
「そう……でもそれはきっと勘違いね、だって私に兄弟はいないもの。」
「あ……そうですか。」
「悪いけど、そろそろお暇させてもらうわ。」
そう言うと、俺はエマを呼び、店を出る。
が、扉の前で一度立ち止まりマリーの方へ振り返る。
「ねえ、また来てもいいかしら?」
「え?」
「今度はその似ている人の話を、もう少しゆっくり聞いてみたいわ。」
「あ、はい!お待ちしています!」
マリーが深く、頭を下げるのを見て店を出た。
「すごく雰囲気のいい店でしたね。」
「あら、気に入った?」
「はい、私には貴族の店よりもああいう店の方が居心地がいいですね、お姉様も気に入ったのですか?」
「あら、どうして?」
「いえ、何だが先ほどの店員さんと話してから少し柔らかくなった感じがして。」
「変かしら?」
「いえ、寧ろ素敵です!」
「そう。」
まあ別に変でも構わない。
雰囲気や仕草でバレるというのならば、俺はこの姿の時だけはティア・マットとしての全てを捨てる。
そしてマティアス・カルタスとして、俺は……いや、私は完璧な貴族令嬢として振舞ってみせる。