王立学園
―― 一ヶ月前
「随分と景気がよさそうだな。」
マリスに呼ばれ、久々に訪れた屋敷の中を見て回った後、俺は手入れの行き届いた庭園で優雅に茶を楽しむマリスへ声をかけた。
「ええ、ブリット子爵家の領地が手に入ったことで徴収できる税も増えた分少し余裕ができたのよ。」
そう言ってマリスは和かに微笑んでいるが、実際はそれだけではないのは当然知っている。
こいつはここ最近、社交パーティーに参加しては、過保護に育てられた世間知らずな貴族の息子どもを誑かしては、貢がせる事を繰り返している。
自分の屋敷に男たちを招き、町へ出かけては、わざと贅沢をさせる。
金を使わせて領地の経済を回し、思わせぶりな言葉をひとつ添えれば
その気になった男たちから、毎日のように服や宝石が届けられるようになる。
父親たちも上手くいけば歴史ある伯爵家に婿入りさせられるとあって、息子たちが彼女にどれだけ金を使おうが文句は言わない。
もちろんマリスにそんな気はなく、送られてきた贈り物はすべて売り払い、搾り取るだけ搾り取ったらあっさり切り捨てて、次の獲物に乗り換える。
中でも特段のアホが釣れた時なんかは上手くそそのかして、親のデスクから土地や店の権利書なんかも手に入れてくるという。
そんな噂は貴族界でも広まりつつある。
だが、実際に会えばマリスはどこから見ても完璧な淑女で、男たちはそれを他の令嬢たちが流した虚言だと思い込み、結局は自分だけが特別だと信じ込むようになる。
……まったく、この世界のガキどもは羽振りがいい。
見栄と欲望で塗れた貴族界隈なんて、女にとっちゃ宝物庫みたいなもんだろう。
「フッ、女には楽な世界だな。」
「あら、そう思う? ならちょうど良かった……」
「あ? どういうことだ?」
「フフ、何でもないわ。」
意味深な笑みを浮かべたマリスは、それ以上言葉を続けなかった。
……まあいい。話す気がないなら、とっとと本題に入るだけだ。
「それで、わざわざ俺を呼び出すとはどういう要件だ? 俺を直で指名するとなれば、それなりに高くつくぞ?」
「ええ、勿論わかっているわ。報酬もそれなりの物を用意してるし、今回の依頼はあなたにとっても悪くはない話だと思うの。」
マリスがカップを静かに机に置き、執事を呼ぶ。
すると俺の前に資料差し出されたので、それに眼を通す。
「王立、ベルランド学園?」
「ええ。王都にある、由緒正しき貴族の学校よ。私も以前は通っていた場所だわ。
この国の貴族の子弟なら、ほとんどがここに通うことになるの。あなたにも、そこに通ってほしいの。」
「……なに?」
俺の反応をわかっていたのか、マリスはそのまま詳細について話し始める。
「今、そこには私の従姉妹に当たるエマ・エブラードという子が通っているわ。魔法も勉強もそれなりに優秀で、私と違って純粋で可愛らしい女の子よ。」
エブラート……前にこいつの従姉妹という事で一応調べさせたことがあったな。
エブラード家は領地を持たない男爵家で、どちらかと言えば平民に近い貴族だ。
情報によれば、当時伯爵家だったマリスの叔母が、男爵家に嫁ぐと言い出したことで家の者たちに強く反対され、駆け落ち同然の結婚となったそうだ。
そのことで両家の仲は険悪になり、カルタス家がエブラート家を潰そうとしたものの、兄のコレアが間に入って何とか事態を収めたという。
それ以降、こいつの叔母はカルタス家に足を踏み入れていないが、兄のコレアとの仲は悪くなく、定期的にマリスを連れて向こうに会いに行っていたという話だ。
……で、話を戻すが、こいつの従姉妹、エマ・エブラートについては、特に目立った情報はなかったはずだ。
「そいつを俺に落としてほしいのか?」
「……馬鹿言わないで。それに今、その子には懇意にしている男子がいるらしいの。その男子の名は、マルクト・ベンゼルダ。 」
マルクト……ベンゼルダ?
「そう、ベンゼルダ王国の第三王子よ。」
なるほど、そういうことか。
「まあ、私としては王族と関係を持てるなら願ったり叶ったりなんだけど……ただ、一つ問題があるの。」
「身分だな。」
「ええ。いくら男爵家が貴族といっても、王族とは身分の差がありすぎるわ。世の中、物語みたいに甘くはないの。だからあなたには学園に入って、二人の関係を確かめてほしいの。ただの友達なら問題ないけれど――」
「それ以上だったら?」
「……あの子を、カルタス家の養女として迎え入れるわ。」
マリスが神妙な顔で言った。それも当然だろう。
一族の者が王族に嫁ぐとなれば、その家の地位は一気に上がる。
カルタス家の繁栄を目指すマリスにとって、これはおそらく最大の山となる案件だ。
「あの子は王子と結ばれ、私は王族と繋がりを持てる。お互い、利害が一致してると思わない?」
「つまりお前は第三王子派に入るという事か。」
「まあ、そうなるでしょうね。でも正直、派閥なんてどうでもいいのよ。王になろうがなるまいが。王族と結婚すれば、その家の立場は国の中でも揺るぎないものになる。私が求めているのは、それだけ。当然叔母さまも承諾してくれてるわ。」
まあ、赤の他人にやるよりは血縁者の養子に出したほうが母親も安心できるだろう。
それも自分の実家だしな。
「だから、あとはその話の真偽と、彼女の本心を確かめるだけ。その調査をあなたに頼みたいの。護衛も含めてね」
「護衛?」
「ええ――嫉妬に駆られた、害虫からの。」
……ああ、そういうことか。
この手の話は、どこの世界でも同じだ。
しがない男爵令嬢が、他の令嬢たちを差し置いて王子と懇意にしている。そんな状況を、上流の令嬢たちが面白く思うはずがない。そうなると、どうなるかは容易に想像がつく。
「叔母様の話によれば、長期休暇で帰省したときのエマは――隠しているつもりだったみたいだけど、ずいぶん弱々しかったそうよ。それが王子との関係によるものか、身分の差によるものかは分からないけど……虐げられている可能性が高い。私としても、従妹をそんな目に遭わせる連中を放っておきたくない。だから、あなたには学園に通ってエマを守ってあげてほしいの。」
「話は分かった。だがどうやって入る? 王子が通うような学校だ、そう簡単に潜り込めるもんじゃないだろ。」
「それなら大丈夫。あなたには潜入ではなく、正規の学生として通ってもらうわ。私があなたを貴族にしてあげる。それが今回の報酬よ。」
マリスがそう言うと執事が追加の資料を差し出してきた。
目を通してみるとそこには、俺の“新しい身分”としての情報が記されていた。
マティアス・カルタス 十七歳。
マリスの叔父――ガバス・カルタスが外で作った隠し子で、マリスとは従姉妹にあたる。
「……これは?」
「あなたの新しい名前と身分よ。今のあなたじゃ、もう表立って街を歩けないでしょ?
だから――新しい“人生”をあげるわ。」
「ほう……」
確かに、それは俺も感じていたことだ。
ティア・マットという人物は今や表にも裏にも知れ渡りすぎている。以前と違って今では見た目の特徴も広まっており、敵が多くなった今の立場ではどこに眼があるかわからない表を一人で歩くのは難しい。
俺は無言で資料に視線を戻した。
マティアスの母親は平民で、ずっと娼婦として生きてきたが、最近になってその母が亡くなり、それ以降、マティアスはスラムで一人生き延びていたという。
そこをマリスが見つけ、哀れに思って保護し、親族として屋敷に迎え入れた、という設定だ。
生まれも育ちもスラム。貴族としての教養がなく、多少乱暴な言葉遣いや立ち振る舞いが目立つ――。
……なるほど、これなら俺が礼儀を知らなくても違和感はない。
それに、自分の株が上がるような設定をしっかり盛り込んでくるとは、ちゃっかりしてやがる。
「平民の血が流れてる、娼婦の娘ってことで色々言ってくる子たちもいるでしょうけど、まああなたには関係ないわよね」
「ああ。」
もちろん、その程度のことを気にするつもりはない。
これなら特に問題も――
……娘?
俺は、もう一度プロフィール欄に目を通す。
「……おい。」
「なに?」
「性別、間違ってんぞ?」
「間違ってないわ。あなたにはカルタス家の令嬢として学園に通ってもらうの。」
「はぁ!? ふざけんな! 俺に女を演じろって言うのか!」
「あら、あなたは私に“悪役”を演じさせてたじゃない? 人にはさせておいて、自分はできないとでも言うの?」
こいつ……ここぞとばかりに、過去の発言の揚げ足を……
「それに、偽装の身分にするなら、性別も違う方がバレにくいし女性としての方が仕事もしやすくなると思うけど?ほら、あなたもさっき女は楽って言ってたじゃない?」
マリスが勝ち誇った笑みを浮かべて言う、クソ、さっきの言葉はそう言う事か……
「それに学園は男女別れた全寮制なの、だから女じゃないと彼女の護衛ができないのよ。」
「それなら俺じゃなくてもいいだろ、有能な女の部下を紹介してやる。」
「そう……私的には最も信頼できる人にエマを守ってほしかったんだけど、まあそこまで嫌なら仕方ないわね、でも本当にいいの?この学園には、アンデス・ノイマンも通っているんだけど。」
「……アンデス・ノイマンだと?」
その名を聞いた瞬間、思わず体が反応した。
「ええ、あなたが依頼された標的の一人で、なかなか黒い噂もある子よ、ノイマンの子供達の中では一番下で次期当主としては一番遠い存在だけど、あの話通りなら関係ないわね。その子も王子を狙っているという話も聞くし、できればあなたに直接出向いてほしかったんだけど……」
アンデス・ノイマン……一応調べてはいたが、女でまだ子供ってことで後回しにしていた。
だが、学生という立場ならまた違ったやり方で潰すこともできるかもしれないな。名前も隠せるし、女性だから接触もしやすい。
クソ、断る理由がどんどんなくなっていく。
「……そもそも女装したところですぐにバレんだろ」
確かに今の俺は、他の男に比べれば小柄ではあるが、それでも筋肉のつき方や声色を見れば一発でわかるだろう。
「それなら大丈夫よ、モンベル」
マリスが再び執事を呼ぶと、執事は恭しく小さな箱を差し出した。
見たところ、かなり高価そうな装飾が施されている。
その箱を開けると、中には星型のネックレスが収められていた。
「これは?」
「悪戯妖精の首飾りと言って、これを身に付けると男女の性別が入れ替わるの、勿論本当に変わるわけじゃなく、見た目や声、体のラインが異性のものに見えるようになるだけ。本来は女性が防犯対策の一つとして男装する際に使うもので、普通の男性が使うなら顔を隠して活用するんだけど……あなたなら問題ないでしょう。」
それはつ俺の顔が女みたいだと言いたいのか。
……いや、実際そうなんだろうな。今までだって、そういう勘違いをされた前科は何度もある。
だがこれは俺のメンツに関わる問題だ、一度だけでなく二度までも女装するなんて、俺のプライドが許さねえ。
だが、合理的に考えれば身を隠すのにこれほどいい条件はないだろう。
面子か、野望か……
「……悪いが、少し時間をくれ。」
「ええ、入学の準備をして待っているわ。」
そして後日――。
レーグニックの話を聞いた俺は、非常に……いや、とても、非常に屈辱的だが、
この依頼を引き受けることにした。




