10 ふり仰ぐ空に、兆し
「はい、姫」
「なぁに、リエネ?」
軽く挙手する従者の少年に、小首を傾げた姫君はちいさな鳥のように応じた。
テラス席の椅子は、彼女にとっては座面が高い。足が微妙に浮き、心許なさそうにプラプラしている。
平静を装っているけど、気まずさはMAX値なのだろう。
いつもは多彩な表情を添える白い、ふくふくとした両手は膝の上。そこだけは行儀よく動かない。
リエネは何ともいえない顔になった。
「……性別が変わったのは理解した。でも服は? わたしの部屋には男物の衣服しかないよ?」
そこは、さすがに気になった。そもそも女生徒はスカート着用が義務付けられているはず。
ちなみにこの世界の下着は“下帯”と呼ばれるものが主流らしい。巻き方によってどうとでもできる優れものだ(前世は男だったし、あまりにも問題がなさすぎた)。
話から察するに、天樹の妖精が手持ちの衣服一式まで変えてくれるとは思えない。
「うーん……覚えてないんじゃ、しょうがないか。リエネはね、入学したときからずぅっと男の子の格好だったの。私服もそう」
「えっ!? じゃあ……、剣術の授業も出てたってこと?」
メイレニアは、こくりと稚い仕草で頷く。
「そう。『若巫女の護衛でもあるのだから』と譲らなくて。あなたが刺繍の授業に出たことは一度もないわよ」
「……どおりで。我ながらすごく普通に稽古してたから……、セフィルとも試合の勝ち負けを通算で競り合うくらいだし。――ん。あれ?」
リエネはぴたり、と固まった。そのまま丸テーブルに肘を付き、今度は左側の少年へと新たな疑問をぶつける。
「セフィルは、なんでわたしが女だったことを覚えてたの? どうも……わたしを含めて、みんな忘れてるみたいなんだけど」
「ん? あぁ。俺、去年の冬は帰国してて天樹に居なかったんだよ」
「へ」
ぱち、と藍色の長い睫毛がしばたく。
ぽかん、としたリエネに目許をほころばせたセフィルは、口の端を片方、少しだけ上げた。
「おれだけじゃないぜ? ソーニャ殿もだ。たまたま、叔母上が身罷られたとかで――とにかく、驚いた。せっかく『卒業したらうちに来て欲しい』って、決死の覚悟で伝えて。……あとは、在学中にメイレニア殿から許しを得るだけのはずだったんだ。なのに」
王子の海色の瞳に、しぜんと恨みがましい光が宿る。矛先は当然メイレニアだ。
幼い巫女は苦々しく顔を逸らし、「……聞いてないもん」と、ぼそりと反論した。
セフィルはこれを黙殺する。
腕を組み、打って変わった真摯なまなざしで想い人を見つめた。
「さて。……次は俺の番だよな。お前が妖精と会ったのはいつで、どんな奴だった? 願いは叶えてもらえたのか?」
矢継ぎ早の質問に、リエネもぴりりと表情を引き締める。
――――そう。戻せるなら戻したほうがいい。
何か。どこかが歪んでる。
言葉は最小限に。
伝えるべきことは最大限に。
淡々と語り終えたリエネがふぅ……と肩をおろしたのは、終業を知らせる鐘がおごそかに鳴り渡ったとき。
リィィ……ン、ゴーーーーン…………と。
重たげな余韻を残し、辺りは再びの静寂。
やがて、昼食のために移動を始めた生徒たちの気配が伝わった。
「どうする? とりあえず食堂に移動する?」
「……だな」
カタン、と椅子を引き、立ち上がる三名。
そのとき――
「あ。見て」
メイレニアが格子状に区切られたクリスタルの天井を眺め、やわらかに一声。
つられた少年たちも、揃って透明な屋根を仰ぐ。
明るい灰色の空。
ちらちらと、いくつもの雪片が舞い降りていた。