表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

矛盾の中にある想像

作者: 秋雨そのは

何故追記した……12月4日

何故また追記した……12月9日

更新しないとは言っていないだろう?……12月20日

これで終わりさ、ほんとさ。

 先に述べておくことがある。

 ここから下の文章は個人の意見であり、反論等は認めるが、一意見としか扱わないということ。



 物語において矛盾と想像はどんな立ち位置であるのか。

 そもそも矛盾とは何か、前に言ったことと一致しない事である。

 次に想像、知覚に与えられていない物事を思い浮かべる事。

 なお、参照は辞書に基づくとは限らない。


 そこで物語を読んだ際に、矛盾は起きるのか。また、それは必要な事なのか。

 例えばAさんがBさんに嘘を付いた。

 自動販売機で「100円が切れているから出てこないよ」と言った。

 それを無視してBさんは1000札を入れジュースを買った。すると、出てきたのは900円。

 Aさんは舌打ちして去っていった。


 これは前もって嘘である、と言っている。それと最後に思わせる仕草があったからである。

 これがもし、前後の文章がなかった場合。


 Aさんが自動販売機で「100円が切れているから出てこないよ」と言った。

 それを無視してBさんは1000札を入れジュースを買った。すると、出てきたのは900円。


 前の文章と今の文章はおかしいと思うだろうか?いや実際には両方文面的にはおかしい。

 何故か、10円玉で900円分出たのか、500円玉と400円分50円玉が出たのかはっきり書いていないからだ。そもそも900円玉というのは存在しないのは知っているだろう。

 前の文章では『嘘を付いたのに、見抜かれていた事』がAさんの行動で分かるだろう。それは『100円玉が切れていなかった事への行動』である。

 後の文章はどちらもない。だからおかしい、矛盾していると言った言葉が出てくる。


 何故その話をしたのか?

 それが矛盾と想像の立ち位置の問題だからだ。

 基本的に物語は、語られる事か読み手の想像によって独自に作られる。

 暇であれば『900円じゃなく、600円だった場合』も考えてみるといい。前と後述の文章がいかに大事かが分かるだろう。


 話を戻そう。

 何故そんな事で矛盾が起きるのかが鍵である。

 それは無意識に『人の行動とはこういうもの』『自動販売機はこうでしかない』という理解の上だからだ。

 じゃあ、自動販売機が900円玉が出ると書いたらどうか。


 この自動販売機は特殊で稀に900円玉が出る。

 AさんはBさんに自動販売機で「100円が切れているから出てこないよ」と言った。

 それを無視してBさんは1000札を入れジュースを買った。すると、出てきたのは900円。

 Bさんはニヤリと笑ってその場を去った。


 割とギリギリの面があるが『Bさんは900円玉を引き当てた』という事になると同時に『Bさんは900円玉が出ると知った上での行動』である事も一緒に分かるだろう。

 当たり前の事から事柄を変えるのであれば、前後述に記する事が大事である。

 加えて言ってしまえば、読者は知らずのうちに自分にとっての当たり前の想像と比べるだ。


 矛盾のベースは人の行動によるものが多い。多いと語るのは必ずしも『そうだ』と言い切れない物もあるからである。(霊などの謎、それも作りだした何かである可能性もある)

 想像はそれを色濃く見せられるのだ。トラウマなどの記憶で、そんな事があったわけでもないのに思い込んでしまうなど、矛盾を矛盾だと思わなくなる原因でもある。


 もう1つ言わなければならなかった。

 もし、矛盾と想像を極めて読者を引き寄せたとして理解が発生する。

 しかし

 物語の理解が高めれば良いというわけではない。人との個人差は、その理解という溝が広くなって出てしまうのだ。

 行動に合わない、そんな事考えていられるのか。などそう言った齟齬が発生しやすく、勘違いが強く浮き出てしまう。



 ここで当然と理解は違う。いや、誰だって知っているだろう。

 本当にそうだろうか?

 まず何故これを書く必要があるのか、というところを始めに示そう。


 あの上の例文を見た時に感じる事はなかっだろうか?

『自動販売機はお金を入れれば飲み物が買える』

 これは理解だろうか、当然なのか……それは当然に入る。

 それでは、こういうのはどうだろうか?


 AさんはBさんに自動販売機の前で「100円が切れているから出てこないよ」と言った。

 それを無視してBさんは1000札を入れた途端。

「おい、兄ちゃん。それ1000円札だけどよ、あいにく100円玉切れてんだわ。ねぇなら帰んな」

 機械的な声で自動販売機はBさんに発した。

 それにも関わらずBさんはジュースを買う。すると、出てきたのは1000円。

「ちっ、しゃあねな。今回はまけといてやるよ」

 そう言って777の数字を出した自動販売機は黙った。


 理解出来ない、当然だろのどっちだろうか。

 これは人によって変わる。何故ならその点に対しての矛盾かどうか判断するのは読者で、それをどう捉えるか問題であるかだからだ。


 これから分かるのは自動販売機は『人間が近づくと喋る』『777という数値が出れば無料』と言える。

 しかし、こう考える事も出来ないか?

『自動販売機は人で、喋るのは機械、商人の名前が自動販売機』『クジか何かで777を出したら無料』

 という可能性がある。


 さすがにそれはないだろう。それが当然なのだ。

 知っている物の『矛盾を正すのが当然』の物事である。

 逆に知っていない物はどうするのか。『想像を説明するのが理解』という物事。

 言葉だけでは分からないだろう、筆者も言われれば理解に苦しむ。

 例題を書いてみよう。


 AさんはBさんに自動販売機の前に行く途中「100円が切れているから出てこないよ」と言った。

 Bさんは近づいて「100円玉無いの?」と言葉を発すると。

「べ、別に……な、無い訳じゃないけど、お金切れてるからって乱暴しないでよね」

 自動販売機は長方形の体をくねらせて、Bさんの言葉に答える。

 それを確認後、Bさんは1000札を入れジュースを買う。すると、出てきたのは900円分のお釣りを100円玉を出した。

「別にあんたの為に出したんじゃ無いんだからね!」

 自動販売機はふんっと言いつつ、ジュースを取り出し口に落とした。

 Aさんはがっくりして、Bさんと去った。


 この自動販売機は人だと想像するだろうか?

 私の答えは否、長方形で1000円入れるところがあってジュースがあるツンデレなんてどんな需要だよ。と言いたくなるほどだ。


 話がそれてしまった。

 私自身発したことだが、こんな人間などいないと想像して理解した。それは同時に、これは機械が喋っているのではないかと想像したことになる。

『想像を説明するのが理解』

 例前に言った言葉である。

 これも前記したように、理解が深まればいいという訳ではない。それは想像を説明しているだけで、物語を理解した訳ではないからだ。


 それじゃあどうすればいいの?バランスよくすればいいの?

 それは違う。

 ここで言いたいのは、2つの立ち位置を見てほしい。


『矛盾を正すのが当然』『想像を説明するのが理解』


 前者は真実、後者は虚構だ。

 つまり見せる物は当然を見せればいい、見せたくない物は想像させればいい。

 何故?

 物語に事実はあっても想像の域を超えないからだ。


 ただこれを述べた所で結局、立ち位置なんてよくわかんね。というのが本音だろう。


 ノベル系のゲームはした事あるだろうか。無いなら、それでも構わない。想像させるのに少し役に立つかも知れないというくらいだ。

 先程真実といったが、現実(リアル)と物語のどっちの真実だろうか?


 答えは後者である。

 現実は現実でしかなく、知らない物は知らない。未だ解明されていない物も多く、真実など他人からの戯言だという可能性もある。

 しかし、物語は作者が真実だ。その設定も何もかもを1から作りあげた創造主である。


 それじゃ矛盾の立ち位置は『作者』であるだろう。


 虚構はなんだろうか?

 何が嘘で何が本当なのか、物語の中では真実は創造主である事から現実の何かになる。

 なら自ずと分かるはずだ。その物語を手にしてるのは読者自身であると。


 なら想像の立ち位置は『読者』になる。


 これは言ってしまえば、作者が読者の気持ちを感じる手がかりというものだ。

 当然を語ってるだけでは、想像は膨らまない。理解しただけでは矛盾は治らない。


 最後に、タイトルの『矛盾の中にある想像』とは?で締めくくろう。

 それは『物語の空白』である。


 結局どんなに物語を精巧に作ろうと、必ず空白が存在する。

 正体は何か?矛盾だ。

 人の数だけ行動がある様に、物語は人の数だけ存在する。

 しかし、物語を1から……例えば人で言う赤ちゃんから書くかと言われたら違うだろう。

 そんな事をすれば辞書レベルの分厚い本が出来上がるのではないだろうか。


 ん?先程言った真実と真逆じゃないか?と思う人もいるだろう。

 しかし、変わりない。語られない真実、という言葉がある様にキャラだけの真実だ。


 今まで書いた物が無駄じゃないか。それだけ言えばいいじゃないか。


 それでは聞こう、行動原理を予測するのは何処から来るか?

 キャラの持つ過去の言動、行動、気持ち。それではないのか。

 空白があればあるほど物語は圧迫され、情報が少なくなる。その分、重要だと言える部分を出しやすい。

 しかし、それはキャラの行動と読者の想像したキャラとブレが大きいのだ。


 全て真逆の説明にもなってきたな?


 確かにそうだと思う。

 最初の理解から、今の空白は逆だろう。


 それを説明できる解は無く、読者が感じた『印象』が全てだ。

 理解させ過ぎても、空白を増やし過ぎてもダメ。

 ならばどうしろと、という話になってくる。


 なら使う場所を考えればいいだけだ。

 空白は矛盾を生み出すが、事を曖昧にする。良い例は魔法だろう。

 現実に存在しない物、ではあるが……そういった物と印象さえ付ければ、後は好き勝手に出来るだろう。


 文字で原理は書けても、実行は出来ない。だから曖昧なんだ。


 故意に、話をズラしてしまったがそれも重要だ。

 前に言ったようにありもしない事を理解させ過ぎると、矛盾を感じる。

 なら、表向きに印象を強くさせて、中身を曖昧にする必要になる。


 物語の事実はあるのに、不思議と中身が見えない空白なんだ。

 それが『矛盾の中にある想像』なんだ。

最後までワケワカラン。

と言いたげだな、大丈夫……私だってどう説明してもいいか分からない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ