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第八章 戦いに意味はあるのか−5−

移転暦二三年一月


 フレンス皇国での戦闘は続いていたが、その周辺海域は平静を取り戻していた。秋津島統合防衛軍でも四個独立機動艦隊がそれぞれローテーションどおりに任務についていたが、戦いが内陸に向かうにつれ、支援は難しくなっていた。ルーランは落ちたが、未だ解放軍戦力は首都パーリには至っていなかった。ルーラン上陸一個師団一万名のうち、戦死者は一〇〇〇名であり、上陸した四個師団の中ではもっとも被害が少なかった。


 秋津島統合防衛軍の被害はというと、水雷戦隊の駆逐艦に出ていたのである。幸いにして沈んだ艦はないが、中破および大破と断定された艦が一○隻出ており、死傷者が二六七人出ていた。軍政派陸軍は地対艦ミサイルを所有しており、航空攻撃との連動で対応しきれていなかったのがその理由であった。しかし、そのミサイル基地は二二式巡航ミサイルによって撃滅されていた。


 ともあれ、フレンス皇国南部地域は解放軍である皇王派の支配する地域となり、治安も回復されつつあった。軍政派はパーリを中心に北部地域に移動し、防備を固めていたのである。西部方面は山岳地帯に阻まれ、フレンス皇国内でも開発が進んでおらず、人口も少なく、蚊帳の外という感じになっていた。東部はルーランまでが解放軍支配下に置かれ、軍政派には海に出る道は北東部にしかなくなっていたのである。


 現在、皇王派陸軍(海軍兵も含めて)六個師団六万人、対する軍政派は一二個師団一二万人、倍の戦力差であり、かつ、その兵力はすべてが機械化師団であったため、戦力差は倍ではなくそれ以上になる。それでも戦えているのは航空戦力にあった。日本はFG−4戦闘機およびFG−5戦闘攻撃機を供給していたのである。


 その頃、秋津島統合防衛軍では、最新鋭機であるF−6戦闘機およびF−7戦闘攻撃機が正式採用されたからである。簡単に言えばF−16(F−2ではない)を双発化したものといえる。F−6戦闘機は全長一五m、全幅一○m、全高五m、自重八八二○kg、全備重量二万二○○kg、エンジンIHI−飛龍ターボファン推力八一〇〇kg×二、航続距離三六○○km、最高速度マッハ二というものであり、F−7戦闘攻撃機は全長一八m、全幅一二m、全高五m、自重九二八○kg、全備重量二万一○○○kg、エンジンIHI−飛龍ターボファン推力八一〇〇kg×二、航続距離三三○○km、最高速度マッハ一.八というものであった。


 このF−6戦闘機およびF−7戦闘攻撃機は、元々本国海軍に配備される予定の「きい」型航空母艦に搭載するため、開発されていたものであったが、現在建造中の「きい」型原子力空母に搭載の前に試験機として少数配備され、『飛龍』『蒼龍』を用いての試験運用を行っていたのである。そこで表面化した問題を改善後、量産型が配備されることになっていた。


 現主力機のFG−4戦闘機およびFG−5戦闘攻撃機はフレンス皇国正式戦闘攻撃機ダッシー・ラフェールに比べれば性能は落ちるが、ミサイルや爆弾などの性能差で十分渡り合えていたのである。フレンス皇国に供給しているのは火器管制装置を変更したものであり、複数目標同時攻撃機能という最新技術はないが、レーダーレンジは広く、早期警戒管制機のないフレンス皇国では使いやすいものであったようで、パイロットからの評判は非常によかった。余談ではあるが、この戦闘機は他国のジェット機配備の基本となってゆく機体であった。この航空戦力の充実に伴い、解放軍たる皇王派の総合戦力は上昇し、軍政派との格差は減少しつつあった。


 当然ながらこの航空機供給には裏があった。皇王であるマリー・ミシェールとの間に、戦後のフレンス皇国国内についての話し合いが持たれ、双方同意していたのである。当初、この条文に反対の気持ちでいたマリーの考えを変えたのが、妹フランソワとアラン皇太子の体調の状態であった。フランソワと再会したマリーはその勧めで秋津島を訪れたのである。そしてアラン皇太子は北秋津総合病院での診察の結果、重度鉛中毒からくる症状であると判明したのだった。皇太子の加療中に日本を訪れ、フランソワ同様の考えを持ったマリーは決断することとなる。


 アラン皇太子の状況はすぐにフレンス皇国で公表され、国民を驚かせ、軍政派に対する批判は強まることとなる。年が明けて帰国したアラン皇太子は見違えるほどに元気になっていたのだった。秋津島で行った診断や治療はすべて公開され、フレンス皇国の医師たちは誰もがそれを妥当なものと判断し、皇太子の加療はフレンス皇国国内で続けられることとなったのである。


 この後、公開された日本との条約には皇国すべて(皇王派の兵士および一部を除く国民)が賛同したのであった。その条約とは次のようなものであった。

1.皇国は日本に対して戦費を支払う。

2.皇国はオーロラリア国に対して賠償金を支払う。

3.皇国は日本との通商条約を調印する。

4.皇国は日本およびその友好国との外交チャンネルを設置する。

5.オーロラリア国および日本は皇国に対して領土は要求しない。

6.亜細亜連盟は皇国に対して連盟への参加を要求する。


 条約の締結後、日本は、否、秋津島統合防衛軍は第50師団および第51師団の投入を決意したのである。一月二六日、ローゼンヌに到着した両師団は南進を開始する。その前日、第一遊撃艦隊の巡航ミサイルによる攻撃が行われ、それと同時に第四独立機動艦隊所属のFG−5戦闘攻撃機四○機による対地攻撃も行われた。南からは皇王派四個師団が北上を開始した。


 これに対して、軍政派トップにいたドコール元帥は残存兵力のうち、二個師団を南に一個師団を北に向けたのだった。ではあったが、オラリアンで第50師団と相対した軍政派一個師団は壊滅、ナンダーでは長くこの要衝を守っていた一個師団が壊滅、東部沿岸ストラスダールへの退路は絶たれた。南部ではよく四個師団を防いでいただけにその敗北は内戦の終結へと向かうこととなる。


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