第八章 戦いに意味はあるのか−2−
移転暦二二年一○月
かくて二つの作戦は実施されたのである。陸戦隊特殊部隊の回収には揚陸艦『鳳翔』と第一○水雷戦隊軽巡『長良』(105いなづま)駆逐艦『陽炎』『不知火』『野分』『早潮』『親潮』『黒潮』が充てられた。今回の派遣において『鳳翔』には三機のSH62ヘリが搭載されており、それがための作戦参加であった。
海軍陸戦隊特殊部隊について述べておこう。この部隊はこの地に現れた陸戦隊(元陸軍一木支隊)から選抜された一個中隊を元に編成され、作戦に応じてその参加人数の規模が変わり、選抜された部隊が任務に就くようになっていた。その目的は多肢にわたり、要人護衛から敵地侵入作戦に上る。本国海軍にはない部隊(陸軍では第一空挺部隊隷下の一部隊がその任についているといわれる)であり、指揮官は本国海軍陸戦隊より参入した大田正義少佐であった。彼は大井の同期である。オーロラリア戦の前に結成され、既にいくつかの武勲を上げていた。
その陸戦隊は今回の任務には2個分隊が投入されていた。その目的は敵侵略部隊の情報収集であった。彼らの現地での身分は秋津島から来ていた貿易会社社員というものであり、一民間人としてオーロラリア国民と同様に扱われ、一部地域を除いては自由行動が許されていたのである。そのため、情報入手が容易だったといえる。
その日の深夜、彼らは行動を起こした。警備の厳重な皇女の居住地(それは現地でも格式の高いホテルであった)に潜入、皇女とお付の女性二人の合わせて三人を保護し、所定の場所に向かったのである。途中何の妨害もなく、ヘバートを脱出している。それには理由があった。格式の高いホテルといえば聞こえはいいが、王室の人間や貴族たちが利用するホテルであり、プライバシー保護のため、警備が難しい作りとされており、警備は穴だらけであったのだ。
所定の場所には既に二機のヘリが待機していた。ここまで来たのは部隊の半数であり、残る半数は既に街に戻っていた。女性たち三人と部隊のうち四人がヘリに乗るとヘリはすぐに離陸し、残った男たちも街に戻って行った。これが第一の作戦の顛末である。ここまで容易に進んだのはオーロラリアには未だレーダー網がなかったこと、侵略者たるフレンス皇国軍にもレーダーがなかったからであり、侵略軍としての規律も緩かったからであろう。
翌早朝、タフマン沖で山本率いる独立遊撃艦隊、戦艦『大和』『伊勢』『日向』、第六水雷戦隊軽巡『大井』(106さみだれ)『風雲』『夕雲』『巻雲』『霰』『霞』が敵艦隊と対峙していた。その距離、三万五○○○m。第一独立機動艦隊も独立遊撃部隊の後方三○kmにあり、上空には二四機のFG−5戦闘攻撃機、一機のE−3A早期警戒管制機、二機のSH62ヘリがあった。既に敵艦隊の攻撃は終わっていた。この間、独立遊撃艦隊は艦隊防衛に徹し、一度も攻撃を行っていない。そして、ついに敵は砲撃を開始したのである。
ではあったが、その砲撃は独立遊撃艦隊には届かなかった。そのとき、山本ははじめて反撃を命じた。この地に跳ばされて以来、初めて『大和』の四六cm砲が敵艦に向けて放たれたのである。しかもレーダー射撃ではなく、旧来の測距儀による射撃であった。命中こそしなかったが、三発とも至近弾であった。
そのとき、敵艦隊右舷にいたSH62ヘリからの報告が入る。敵艦隊右舷より、雷跡認む。我攻撃す、というものであった。山本は落ち着いて迎撃を命ずる。その山本に驚きはなく、内心、やはりいたか、と考えていただけである。このことは出撃直前に大井より言われていたからである。つまり、艦対艦ミサイルや砲撃が通じないとなると敵艦隊に紛れている潜水艦からの雷撃があるだろう、というのである。やがて、敵艦隊左舷でも同様の攻撃が行われた。
当初、降伏勧告には応じなかった敵ではあったが、第二皇女の話をするにおよび、降伏を受け入れた。山本は敵艦隊に直ちに機関停止を命じ、残るヘリ2機と水雷戦隊に対潜哨戒を命じたのである。結局、その海域を離れ、シンドニーに向かったのは二時間後であった。むろん、対潜哨戒は厳に行いつつである。
シンドニー港には既に第二皇女フランソワ・ミシェールが到着していた。派遣軍総司令部として徴用されたホテルであった。三日後には港と空港に挟まれた派遣軍居住地の一角に設置されるプレハブの仮住まいに移ることとなっていた。むろん、ただのプレハブではなく、広さも十分取られていた。応対したのは今村中将、大井中佐、土田少佐である。
大井は三人の紹介が済むとまず詫びた。そして、自ら所属する組織や国の事を説明した上で、なぜこのような事態になったのかを説明し、情報の提供を申し入れた。それに対するミシェールの返事は予想していたものであり、それに対して失望することはなかった。ただ、その後の計画の中に秋津島への渡航と皇室との接触を盛り込んだだけであった。山本大将の帰還後、もう一度面会して自分の考えを告げた。そして日本国は戦争終結のためにフレンス皇国への逆侵攻も辞さない構えであることを告げる。
降伏した艦隊指揮官、ジャン・マルセイユとの面談ではより強硬な形で情報提供を迫った。むろん、ジャン・マルセイユが皇女との面会を済ませてからである。その結果わかったことは軍政の破綻が近づいている、ということであった。この地への移転前はうまく機能していたようであるが、移転のため、国民生活の窮乏に適切な手段を講じることができず、軍政側は侵略により凌ごうとしたが、負け続けており、皇王派といわれる軍人たちの排他を目的とした派兵をしている、というものであった。
自国内で生産される生活物資では二億五○○○万の人口が養えず、移転前は植民地からの奪取により、国体を維持していた、という。軍政派は国内に留まり、皇王派の軍人のみ海外派兵をしている。さらに、皇王は数年前に亡く、第一皇女がその地位にあるが、もはや皇王の権威はなく、軍高官による独裁政治へと移行しているようである。大井は一つだけ確認している。軍政討伐のための皇王派軍人の協力は得られるか、である。