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第六章 再生のための苦難−3−

移転暦二一年九月


 長引くかと思われていたオーロラリア帝国の議会制国家への移行は八月に入り、一応の完了を見ることとなる。記念すべき第一回普通選挙が行われ、議会が開かれていたからである(むろん、早期実施のため、形だけは整のえ、中身はないものであり、同国改革派を納得させる、という程度である。本格的に移行するには二年を待たなければならないと考えられていた)。最後まで反対していた一部勢力は同国東南部の地域に集結、反抗を強めていたが、新政府による巧みな誘導により、平民階級が次々と新政府を頼り、同地域を出て行くにおよび、貴族だけでは成り立たず、この月になり一応の統一をみることとなる。


 日本は敢えて内政には関知せず、新政府に何が必要かを知らせるにとどまる。が、国民の教育に関しては三ヶ月以内の実行という無理な条件を押し付け、国民への情報公開、軍教育および再編成というこの三つに関しては妥協しなかった。中でも軍人教育は幼年学校からの教育は禁止され、一六歳以上からとし、軍の再編においては今後一○年間一万トン以上の艦艇の配備は禁止する、というものであった。先にバーデンにおいて沈没した戦艦は解体処分されていた。


 かって昭和天皇が実践された、君臨すれど統治せず、を目指した若き国王は有能な人物であったようで、この後、オーロラリア帝国改めオーロラリア国は議会制民主国家として格段の成長を見せることとなる。また、初代首相となったハリー・ギルバートはかって宰相としてふるっていた辣腕振りをここでも発揮することとなり、一部を除いて治安は急速に良化していくこととなる。


 かのイエツ王国はこの一年で格段の復興を見せていた。即位した当初から王政を廃止、祖国復興を民衆に任せたことがその足がかりであった。自分たちが成した事は自分に跳ね返ってくると知った民衆の力は強く、教育の充実、情報公開、普通選挙の実施、農地改革など、王(女王)が幼いためもあり、その発展振りはすばらしいものであった。日本から派遣された後見人が動いたのは普通選挙の実施と農地改革、教育の充実だけであり、それ以降は自らの力で切り開いて行くこととなった。後にこの復興は「奇跡の復活」と称され、亜細亜では手本とされたのである。


 近隣、特にインペル国の存在が大きく、鉄鉱石やボーキサイト鉱石のインペルへの輸出というパイプがかの国の発展に大きく関与することとなる。軍備の拡充に走るインペルにとって鉄の原材料たる鉄鉱石、アルミの原材料たるボーキサイト鉱石は必要不可欠なものであった。かって自国内において豊富に産出していたそれが、今では隣国からの輸入に頼ることとなったインペルの消費はすさまじく、それがイエツ国に膨大な利益を生むこととなる。石油による国家財政の拡充によるインペル国が隣国であったことがかの国の発展をも促してゆくことになったといえる。


 議会制国家への移行とそれによる発展は周辺国のひとつであるパリエル王国に与えた影響は大きく、国内では完全な議会制国家への移行の検討が始まることとなる。そもそも、パリエル王国は王政ではあったが、議会は存在していた。たとえていうなら、第二次世界大戦のころの日本と同様、軍は国王の指揮下にあり、国政の重大な決定は国王が下していたのである。日本との交流により、時の国王は国政にはほとんど関わることがなく、君臨すれど統治せず、にかなり近い状況であった。


 工業が発展し、多種多様な産業が起こると、王政では対応不可能な面も出てくるのだろう。それはパリエルでも同様であった。現に、首都パリスタよりも交易都市であるパリストールの方が発展しているのである。すでにマレーリアやゴリアスでは王政や帝国制から議会制民主国家へと移行し、格段の発展を見せている(むろん、いろいろな問題点も出てきている)のを知っていたパリエル国王は王が代わるたび、政策の変更や税率など国民生活に与える影響が国の発展を遅らせる事を看破していたのである。特に自身の子には凡庸なものしかいず、国政に不安を感じていた現パリエル国王は決断することとなる。


 さて、日本である。移転直後の人口は一億一○○○万人、何らかの理由で移転できなかった日本人もいたのであろうと思われる。移転後、二○年を経た今の人口は八八○○万人である。むろん、日本国内の居住者という意味である。それはなぜか、早い話が移民であった。秋津島には日本生まれの二○○○万人が移住しているのは述べたが、その傾向は増える方向にある。樺太島には五○○万人、漣日流島に五○○万人、そして、都羅玖トラク島に一二○○万人である。総人口一億三三○○万人、日本人の海外流出は続き、かつ、人口は増えつつあった(純粋に日本人およびその混血という意味では一億二三○○万人)のである。


 都羅玖島とは秋津島東方約一八○○kmに浮かぶ四国ほどの大きさの島である。移転後のこの地にもハワイと同じ位置に大きな島があった。しかし、その島はあまりにも遠かった。だが、都羅玖島は秋津島から僅かに一八○○km、何かのときでも支援は受けられた。最大の理由は、ウラン鉱脈であった。


 移転後の日本は資源においては何もないところからはじめなければならなかった。この島は秋津島の開拓が始まってすぐに調査されていたが、島の南部にはウラン鉱脈が発見されるにおよび、日本は領有することとなる。ウラン以外の資源はとりたてて多くはなかったが、島の北部は風光明媚であったことから、秋津島に移住してきた人物が開拓を始めたのである。今ではほぼ秋津島と同様に開拓され、移転の前のハワイと同じく観光地として栄えていた。


 そもそも移民に関しては、移転直後の経済不況から始まっていたともいえる。それまでの輸出による収益が見込めず、企業は規模を縮小されることを余儀なくされる。特に中小企業は大打撃を受けた。そこで考えられたのが、領有することとなった樺太島、漣日流島、秋津島への移民政策であったといえる。中には会社ごと移転する場合も見られた。


 ではあったが、移住先の安い労働力がこれら移転企業が息を吹き返すことの原因となる。今では日本への輸出(というのも変ではあるが)により、逆に発展する企業も多くあったのである。同じメイドインジャパンであるから、品質は落ちる事はなかったのである。もっとも、現在では産地別に表示することが義務付けられていた。


 現在の日本は連邦国家体制に移行していた。極端な話、北海道の海産物が秋津島で食べることができ、その逆もまた可能であった。そういった流通が確保されているからこその連邦制であったといえる。移転後二○年を経てようやく貿易立国としての日本が復活の兆しを見せていたのである。これには、秋津島統合防衛軍の関与が大きいと言える。昭和から現れた軍がなければ、日本は防衛に穴があり、これまでのような優位には立てなかったであろうと言えるのである。この連邦制への移行により、憲法が改定されてあの憲法第九条も撤廃されることとなった。


 この年五月、日本は東亞宣言に似た亜細亜宣言を樹立させることとなる。一部の友好国(アロリア、ユロリア、シムル、カンベジアを除く)連盟宣言である。これは国際的な(アジア的な)経済条約であり、準軍事条約でもあった。この地では最も進んだ条約であり、日本はその盟主となる。


 インペル国はどうなっていたかと言えば、亜細亜宣言参加国唯一の産油国(日本以外の)としてその発言力は強くなる。この地で産出される石油により、宣言参加国はより発展して行くこととなる。例えば自動車やバイク、電化製品等は他の国では一種ブランド化され、日本の貿易収支は赤字から黒字へと転換してゆく。


 都羅玖島には軍は派遣されておらず、海上保安庁が周辺警戒の任に着くこととなっていた。この頃の海上保安庁はかってのゴリアス帝国(現ゴリアス共和国)との間で起きた事件を踏まえ、日本海軍との連携を深めていた。いわゆる沿岸警備という任務上から有事の際の連携には気を使わざるを得なかったのである。ゴリアスとの不幸な事件はそれ程かれら海上保安庁に衝撃を与えていたのである。軍について綿密に言えば、本国軍退役将兵による防衛組織は準備されていたが、実働戦力はなきに等しいものであったと言える(移転暦二六年からは地方隊DE四が常駐することになる)


 話がそれたが、こういった議会制国家にはシナーイやタイブルでも起こっていたのである。それほど重篤な問題にはなっていなかった原因は、緩やかな移行のためであるともいえた。シナーイやタイブルはそれ程に日本との付き合いは長かったのである。


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