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第一章 新たなる星の上で−1−

西暦20XX年十二月八日


 日本国は建国以来の重大な危機に直面していた。つまり、日本国は新たなる星の上に出現していたのである。その混乱の収拾、治安の回復にはその後三年を要した。その出来事は誰もが知らない間に起こった。最初に気づいたのは為替相場を監視していた人たち、そして投資家であったといえる。まず、海外との連絡が一切取れなくなったこと。そして電波の途絶。夜が明けるころには日本国中が騒然となった。

 それまで当たり前のように使えていた携帯電話の使用不能および回復、これが混乱の始まりであり、そして収拾の始まりでもあった。それほどに携帯電話の占める役割は重要であったと気づかされる出来事でもあった。現代において携帯電話は地上局を経由しない方式になっていた。つまり、専用通信衛星経由での通信方式に改められていたからこそ、通信衛星が消滅したとたんにすべての通信が途絶えたのである。

 この混乱のおり、すばやく動いたのが自衛隊統合幕僚監部であったと言われている。まず海上自衛隊隷下にあったすべての対潜哨戒機群を発進させ、日本国周辺の調査、さらには航空自衛隊偵察部隊を発進させ、最重要問題となっていた朝鮮半島偵察を命じている。しかし、この時、彼らは衛星を利用したすべての機能が使えなくなっている事を知ることになる。

 その後、種子島の宇宙開発事業団に出された依頼、移転前にあっては翌年二月に打ち上げ予定であった地球観測衛星の打ち上げの前倒しにより、事態は一気に氷解することになる。すでにこの時には宇宙に多数存在する筈の各種人工衛星がない事、自衛隊および警察、さらには海上保安庁といった電波監視機能を持つ組織からの電波状況報告により、ある程度推測されていたことが公表されるにおよび、混乱はますます大きくなり、治安の悪化を招く事態へと進むことになったのである。

 石油、である。これが問題であった。現代日本において石油がなくなることは生活の基盤が揺らぐことといっていいからだ。メタンハイドレードなどの代替エネルギーの供給はまだ進んでいなかったし、国の基盤を守るほどには市場は成熟しておらず、いまだに化石燃料といわれる石油に頼らざるを得なかったのである。

 だが、石油問題についてはあっさりと解決されることになった。備蓄分を使い果たそうとしていた三月初め、北海道稚内岬沖十kmにある島の偵察に飛んでいた海上自衛隊の対潜水艦哨戒機が天候の急変により、島の最北部に不時着した際、露呈産出している石油と油田とおぼしい地域を発見したのである。

 さらに、後の調査により、あまり多くはないが日本が使う分を百年以上まかなえるだけの埋蔵量が確認され、その他にチタン鉱脈、半導体に必要なシリコン鉱脈等が発見されている。これにより、一部エネルギー問題は解決されることになった。

 そして移転から三年後の十二月、通信衛星と放送衛星、公表はされなかったが偵察衛星があい次いで打ち上げられ、通信環境(携帯電話が以前のように使用できるようになったことも含めて)は一気に改善され、移転後の混乱は収拾されていきつつあった。この時、改めて移転暦という暦が採用された。

 ではあるが、日本は元々資源の無い国であり、いまだに不足している資源は数え切れぬほどあったのである。石油が供給され、外地への渡航が許されるようになると、問題も生じるようになる。それを避けたい政府はいまだに国外への渡航許可は出さないでいた。技術レベルが低いとはいえ、この星にも多くの文明が発達しており、それらの地域でさまざまな問題が起こることは避ける、というのが政府の方針であった。

 まず北方を見てみると、そこには移転前と同じように形こそ違えど大陸があり、油田を発見した島は樺太と同じような位置にあった。その西南に続いて大陸は延びていた。一部文明の証である夜の灯りが多く観測されている地域もあった。移転前と同じように日本海は存在し、日本が常に問題を抱えていた忌まわしき半島は形こそ違うが存在し、夜の灯りも観測されていた。

 黄海といわれた海の先には海峡があり、最狭部で四十四kmの海峡を越えればその先に陸地は無く、一面が海であった。モンゴルとカザフスタンが海の底と言ったところだろうか。最も広い部分で二千六百km以上あり、反対側出口は黒海にあたる海に面していた。さらにその先にはアラビア海と思われる海に繋がる海峡があり、インド洋と思われる海まで繋がっていた。その海を挟んでもうひとつの忌まわしき大地、中国大陸があり、夜の灯りも多く見ることができた。台湾はあったが、フィリピンとくっついた大きな島のようで、ここでも文明の灯りは多く確認されている。その先には大小さまざまな島からなっていた。オーストラリアは移転前に比べるとはるかに小さい。

 当面、日本の交易相手となるのは東南アジアに当たるこれらの地域になるだろうか。日本の方針としては、穏やかなる浸透が望ましいことはわかっていた。国会議員の中にはタカ派といわれる議員もいたが、現在の自衛隊の戦力では占領政策など不可能なことである。それこそ微兵制でも導入しない限りは。だが、誰もが微兵制導入とは言わない。微兵制と言う言葉を出した時、その議員の政治生命は失われることになるのは判っていたからである。

 だからこそ、移転前の国策そのままに、専守防衛が覆されることは無かった。そのため、自衛隊が外地に出ることは無かった。政府は沿岸警備においても海上自衛隊を動かすことは避け、変わって矢面に立ったのは海上保安庁であった。本来、政府の不手際で軍を動かすことはあってはならない、誰もがそう考えていたとき、不幸な事件はおきた。


読んでいただきありがとうございます。

ミッドウェーに参加した日本側将軍を調べているのですが、なかなかわかりませんねぇ。

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