第四章 誰がために戦うのか−3−
移転暦一九年一二月
α基地ではその後三度の交戦があり、いずれも撃退していたが、こちらの被害も増えていた。その被害は三度目に集中していたのである。それまでとは異なり、新型と思われる航空機で編成されていたためであった。
そのひとつは四発の大型爆撃機で、防護力が高く、速度も五○○kmを超えており、一九式の二○mm機銃でもなかなか落ちなかった。もうひとつは双発の大型戦闘機で、旋回性能は一九式に劣るものの速度は七○○kmを超えていたのである。
この時は四発機は一〇機、双発の戦闘機は二五機の編隊であった。迎撃戦闘により、四発機は五機、双発戦闘機は一二機撃墜したが、一九式戦闘機は四機、一九式攻撃機は二機機を失い、基地はほぼ壊滅状態であった。ハワイ真珠湾攻撃に参加した歴戦のパイロットにしてこれであるから、まだ、本格的な戦闘の経験していないパリエル王国のパイロットでは被害が増えるだけであろうと思われた。幸いにして地上部隊には被害は及んでいなかった。
秋津島統合防衛軍司令部では、新型航空機の出現に驚いていたが、被害が最小限度であったことにホッとしていた。そして、次の来襲においては予定通り撤退することを命じていた。
この時点でエンリア帝国の捕虜は八六人に達しており、捕虜返還での対話を考えていた統合防衛軍司令部のもくろみは潰えていた。数少ない無線でのやり取りにおいて拒否されていたからである。捕虜の話からもエンリア帝国では捕虜になること禁じられ、たとえ帰還したとしても軍法会議が待っており、死刑は逃れられないという。ちなみに、エンリア帝国は白人国家であることがわかっていた。
秋津島統合防衛軍司令部ではイエーク王国α基地へのエンリア帝国侵攻に合わせて、作戦を一部変更し、第三戦隊によるエンリア帝国イエツ王国基地への艦砲射撃による殲滅、第三航空戦隊および第四航空戦隊による空爆を実施することとした。いずれも沿岸部にある基地であった。
ちなみにイエツ王国とはイエーク王国の西にある国であり、パリエル王国とは交易があったというが、この一年はないという。交易隊が戻って来ないため、詳細は不明であるということであった。ために、パリエル王国ではすでにエンリア帝国の手に落ちたものと見られている。これは偵察衛星による偵察で判ったことではあるが、すでにエンリア帝国に侵略されていたのである。
秋津島統合防衛軍によるエンリア帝国イエツ王国基地攻撃は予定通り実施され、かなり効果を挙げたと断定された。攻撃終了後の偵察により、基地があったと思われる地点は壊滅状態であり、滑走路は跡形も無く、それに付帯していたと思われる格納庫や燃料タンクなどは見当たらなかった。
帰路についた第一四臨時艦隊であったが、この後、初めての艦隊戦(秋津島統合防衛軍にとってはということであるが)が行われることとなった。この作戦のために臨時艦隊司令官となった海軍作戦本部長宇垣纏海軍中将は敵艦隊発見の報に一時戦闘を避ける命令を下したが、敵艦隊の陣容(大型艦四、巡洋艦四、駆逐艦一○、実際は戦艦四、重巡洋艦二、軽巡洋艦二、駆逐艦一二)の陣容を聞くに及んで艦隊戦を命じた。
大艦巨砲主義の宇垣海軍中将としては、ここが艦隊決戦の最後と考えたのかもしれない。ただ、艦隊参謀長を務めていた大井保海軍少佐の意見、航空機による攻撃を避け、空母部隊を後方に下げたのは彼の航空機無用論のなせる業かもしれなかった。ともあれ、大井保少佐にとって初めて、旧帝国海軍将兵にとってこの地では初めての艦隊決戦が行われることとなった。
この時、艦隊決戦に参加したのは、第三戦隊戦艦『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』、第二水雷戦隊軽巡『神通』(153ゆうぎり)駆逐艦『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』、第三水雷戦隊軽巡『川内』(151あさぎり)駆逐艦『舞風』『浦風』『初風』『浜風』『谷風』『萩風』のみであった。その他の艦艇は空母部隊の護衛に残していた。
結果から言えば、駆逐艦五隻を残して敵艦隊を殲滅することに成功している。その主な原因はレーダー射撃にあり、最初の斉射から命中弾を出していたことと、水雷戦隊による魚雷攻撃ではなく対艦ミサイル攻撃にあったといえる。我方の被害は敵戦艦の砲撃が『金剛』『比叡』に一発ずつ命中、両艦とも中破、および駆逐艦『天津風』『時津風』の敵砲弾(至近弾)による小破、死傷者八二名であった。
大井保少佐が提案したのは航空機による対艦ミサイル攻撃であった。現代の戦闘攻撃機による単機の攻撃はレシプロ機では無理であったが、レーダー誘導は艦隊のレーダー誘導による、連動アウトレンジ攻撃は可能だと統合防衛軍司令部では判断されていたのであるが、宇垣海軍中将は敢えて戦艦部隊の砲戦を挑んだと思われた。
結果的にいえば、この砲雷撃戦はエンリア帝国に艦艇の敵は艦艇であると思わせることになり、以後、統合防衛軍航空機部隊による戦艦撃沈まではエンリア帝国側の艦艇に対する航空機攻撃は無かったのだった。
戦後、大井保はこの時の宇垣海軍中将の判断は間違いのない判断で、以後の戦闘を有利に運べたと供述している。
現代では砲雷激戦ではなく、ミサイル戦を挑むべきであったと判断され、そうしていれば八二名の死傷者は出なかったという考えが一般的である。しかし、宇垣纏海軍中将はその後、幾度か艦隊を率いて戦いに参加しているが、砲雷激戦ではなく、ミサイル戦が多いというのはこの時の経験からであろうとも言われている。