第四章 誰がために戦うのか−2−
移転暦一九年一二月
パリエル王国の西方、パンザ王国という国があり、パリエルとは比較的友好的な国があり、その西方にはイエーク王国がある。未だ工業は興っておらず、国とは言えない(現代日本から見てということであるが)の沿岸部に二○○○m級滑走路、プレハブの管制塔や格納庫、木製桟橋などを備えた見た目だけは大規模な基地が造成されていた。その実、滑走路は舗装されておらず、配備されている人員も基地の規模にしては少なく、港には倉庫すらなく、いかにも急造の基地であった。もっともこの世界に現れた旧聯合艦隊所属軍人から見れば、驚きであろう。作った部隊からして驚いているのだった。この基地がたった五日でできてしまったのである。
配備されているのは一九式戦闘機一二機と一九式攻撃機一二機、零戦一〇機、海軍陸戦隊一個大隊、一個海軍整備中隊に過ぎない。港には揚陸艦『鳳翔』と第一二水雷戦隊軽巡『北上』(155はまぎり)『夕風』(122はつゆき)『三日月』(123しらゆき)、そして輸送艦三隻(うちタンカー一隻)のみであった。むろん恒久的なものではなく、与えられた任務も偵察のみである。このうち、零戦およびタンクローリー等地上車はパリエル王国が派遣したものであった。
この基地(便宜上α基地と呼ばれている)はすでに二度のエンリア帝国軍機の接触を受けていた。また、エンリア帝国の航空基地も三箇所確認されていた。対話のため何度か接触は試みられていたが、それらには応じず、未だ成功はしていない。これまでの接触は二〜四機の小機数での接触であり、こちらは視認されてからの出撃を装っていた。だが、この日は違っていた。
現地時間一〇時前に軽巡『北上』(155はまぎり)のレーダーで捉えたのは時速三八○kmでこちらに向かってくる五○機の編隊であった。臨時基地司令の南健二海軍大佐は艦艇には沖へ、地上部隊には基地裏手の森へ、零戦隊および攻撃隊には上空退避を、そして戦闘機隊には迎撃を命じた。ただし、相手への攻撃は相手の攻撃を確認してからのこととされた。
四○分後、α基地西南西八○kmにおいて戦闘が始まる。接敵した戦闘機隊からの報告で二種類の機隊があることが判明、うち一機種は低翼単葉単座の戦闘機タイプ、もう一機種は低翼単葉三座の攻撃機タイプで爆弾を抱えていた。いずれもレシプロ器であった。五○機のうち二○機が戦闘機タイプでこれが迎撃部隊に発砲、残り三○機が攻撃機タイプで基地に向かっていた。速度が遅いことから攻撃隊にも迎撃を命ずることとなった。一九式攻撃機は爆装や雷装をしていなければ零戦並みの機動が可能で、両翼には二○mm機銃が二挺装備されていたからであり、この時は爆装もしていない状態だった。
二○分後、二二機の敵が引き上げて行くのを確認した南大佐は基地への集結を、陸戦隊一個大隊には敵パイロットの捜索を命じた。戦闘機隊は一五機を、攻撃隊は二○機を撃墜、こちらの被害は被弾一二機、重症五名、基地に爆弾三発が落ちただけであった。この戦闘で命令を無視したパリエルの零戦隊が二機撃墜するも五機の零戦を失い、パイロットは三名の死亡が確認された。
五機の一九式攻撃機は陸戦隊の敵パイロット捜索のサポートにつき、それ以外の航空機はすべて基地に降りたが、一九式戦闘機六機は燃料と弾薬を補給するとCAP(戦闘空中警戒)のために上がっていった。捜索に出ていた陸戦隊が戻ってきたのはその六時間後であり、重軽傷者三六名を捕虜としていた。
日が暮れる少し前、交代要員載せたUS−2救難機二機が到着、交代要員を降ろすと負傷者、捕虜および遺体を載せてパリエル王国パリストール基地へと戻っていった。
パリストール基地はオーロラリア帝国との戦争前に、パリスタ王国側の依頼により造成されたもので、日本本国と秋津島、それにロリアムンディに次ぐ基地であった。三○○○m級滑走路(幅五○m)と天然の良港パリストールの一部を使った港湾施設があった。基地要員うち約三〇〇名は本国海空軍が主であるが、今では秋津島統合防衛軍からも数名の要員が派遣されていた。
かってパリストールは単なる漁港でしかなかったが、日本との交易後発展し、今では首都パリスタを超える発展をみせており、商業の中心となっていた。高層ビルも二十棟を超え、人口も増えていた。そのパリストール基地にUS−2が到着、負傷者、捕虜および遺体を降ろしていく。
この時、パリストール基地に入港していたのは次の部隊であった。
第三戦隊戦艦『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』
第七戦隊重巡『熊野』『鈴谷』
第二水雷戦隊軽巡『神通』(153ゆうぎり)駆逐艦『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』
第二○駆逐隊駆逐艦『吹雪』『白雪』『初雪』『叢雲』『磯波』『浦波』
α基地では翌日は陸戦隊と整備中隊から抽出の二個小隊でエンリア帝国機の回収が行われた。遺体も回収後にまとめて埋葬する。比較的原型を留めていると思われた機体三機と欠けていると思われた部分は輸送艦に積み込まれ、秋津島に持ち帰られることになった。