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第三章 何がための戦い−2−

移転暦一八年一〇月


「作戦決行日は一〇月一五日です。この日の一二時にオーロラリア帝国に向けて宣戦布告が行われます」

「まず、西エリプトに橋頭堡を築き、保持する必要があります。これには陸戦隊一個大隊、第三航空戦隊および第一二水雷戦隊からなる先遣艦隊を充てます」

「第一航空戦隊、第四戦隊、第二水雷戦隊、第二○駆逐隊で一部隊として第一航空艦隊、第二航空戦隊、第五戦隊、第三水雷戦隊、第二四駆逐で一部隊として第二航空艦隊とします」

「第一戦隊、第二戦隊、第五戦隊、第四水雷戦隊、第二六駆逐隊で一個部隊として第一遊撃艦隊とし、遊撃任務につきます」

「第三戦隊、第八戦隊、第一〇水雷戦隊、第二八駆逐隊で一個部隊として第一哨戒艦隊とし、サウロギニア西南海域哨戒守備にあたります」

「潜水艦部隊は新鋭の「はるしお」型七隻でナミルラリア海峡の封鎖に充てます。あくまでも隠密行動ですから浮上航行は厳禁です」

「五一航空艦隊のFG−4戦闘機部隊は第三航空戦隊、第一二水雷戦による輸送を待って参加、九九式爆撃部隊および九七攻撃部隊も同様ですが、気候などの条件が許せば途中発艦もよしとします。P3D対潜哨戒機部隊はサウロギニアに進出、対潜哨戒および情報収集にあたります」

「陸軍は本土より、大型フェリー四隻の到着を待って第50、第51師団を出発させ、東エリプト国内の敵陸軍撃破掃討にあたります。なお、投降兵の扱いは慎重に願います」

「また、今回特に重要なのが、軍人や軍施設以外の施設に対する攻撃は厳禁ということです。これは必ず守らなければいけません。少しでも不安があれば攻撃せずに引き返すことも重要です。我々は侵略者ではありませんから」

「次にエリプト派遣軍司令官には今村均陸軍中将が着任されます。今村中将には今次作戦に参加する陸海軍すべての指揮をお願いします。すべての報告は西エリプトの派遣軍司令部、暗号名<仙界>に行うこととします。なお決行時の無線封鎖は特に必要ありませんが、不必要な発信は避けること。以上です」


 一〇月一五日一二時をもって作戦は決行された。第48師団隷下の第481普通科連隊が派遣軍司令官の護衛につくことが、変更された一部であった。


 戦闘が始まったのは大方の予想に反して潜水艦による雷撃からであった。ナミルラリア海峡封鎖任務についていた伊83(SS583はるしお)、伊84(SS584なつしお)、伊85(SS585はやしお)が放った一発ずつの魚雷が敵の軽巡洋艦と思われる三隻を屠ったのである。この後、ここで二○隻の大小艦艇が撃沈されることとなる。


 先遣艦隊には二隻の敵軽巡洋艦が艦対艦ミサイル攻撃を仕掛けてきたが、対空ミサイルが対応して六発すべてを撃破、逆にハープーン対艦ミサイルによりレーダー画面から敵艦は消えた。いわゆる轟沈であったが、これには攻撃を加えた先見艦隊側でも驚いていた。後に明らかとなったのは防御能力がほとんど付与されていなかった、ということが判った。


 作戦は一部変更され、西エリプトではなく東エリプト北部に上陸することなったのは、航空隊の偵察による情報から東エリプト国内の敵陸軍戦力が北部にいないこと、エリプト軍側からの、敵兵力は首都に集中せり、との報告による今村司令官の決断であった。東エリプト最北部の良港カイラプスに橋頭堡を築くことに成功、陸戦隊は滑走路と基地施設の設営にかかる。それほどに東エリプト北部が平穏であったということである。何しろ、カイラプスでは民衆が手をふって部隊を歓迎していたのである。


 先遣部隊はこの後、秋津島とエリプトを何度も往復することになり、いつしかエリプト急行と呼ばれ、兵士に歓待されるようになる。


 第一航空艦隊および第二航空艦隊は予定通り、東エリプト南部と東部に進出し、周辺海域にいた敵戦艦(実際は約一万五○○○トンクラスの重巡洋艦)五隻を航空攻撃により撃沈することに成功する。これにより、海上の脅威がなくなったため、予定通り港湾の軍施設、周辺に展開していた敵軍への航空攻撃に移った。遊撃艦隊となった戦艦部隊は東エリプト東側を北から南へと抜け、再び北上し、給油艦から補給を受ける。その間に大小艦艇一〇隻を屠っていた。


 誰もが不思議がっていたのは航空攻撃がないこと、いや、敵の航空機を見ることが無かったことであり、潜水艦も見ないことであった。しかし、いずれの部隊も艦対艦ミサイルの攻撃は受けている。それは派遣軍司令部でも秋津島統合防衛軍司令部、東京の統合幕僚本部でも同様であった。


 一〇月二八日には陸軍第50師団および第51師団がカイラプスに上陸、南に向けて進撃する。滑走路には四機のC−3輸送機が駐機し、南進する師団への補給に当たる(敵航空兵力がないことから輸送航空隊による空中補給に切り替えられていた)。


 一方、予定外の戦力として到着したのが、第48師団であった。これは予定外の派兵であったが、統合防衛軍司令部が第48師団残余将兵の上申に根負けした形での派兵であった。師団長は珍しく陸軍から移動してきた三好浩二陸軍少将であった。むろん、彼は本国陸軍では予備役扱いであった。


 今村均派遣軍司令官は統合防衛軍司令部と図って第48師団を東エリプトの最西端部に再上陸させる事を提案する。東エリプトは北から南に伸びる部分と西から東に伸びる部分があり、中央部で合流しているような、ちょうど逆L字型の形をしている。その最西部に再上陸、東進するルートを取らせることで、敵を中央部に追い詰める作戦である。


 それは採用され、引き上げようとしていた輸送船に再び乗り込ませ、さらにはちょうど給油のために停泊していた第二航空艦隊に西部の偵察および武力行使を命じる。偵察の結果、当地は牧草地帯のようであり、上陸に適した港もあると判る。第二航空艦隊に守られるようにエリプト海峡(西エリプト島と東エリプト島の間の狭い水道で平均幅三九kmを南進し、上陸拠点として選ばれたエランレスに部隊が再上陸したのは一一月五日のことであった。第48師団は間を置かず東進を開始する。


 南進する部隊の速度が早いのは敵の抵抗がないためであった。制海権を失ってからの敵は、首都であるカラナム周辺においてエリプト軍との戦闘を続けていたからだった。また、師団に接触しようとする民衆もいない。実は潜水艦により、国に戻っていたナリサダム次官が動いていたため、民衆は師団を避けていたのである。しかし、東エリプト中央部の第一目標であるカラナムから五○○km離れたカラフウムという都市に達してからは抵抗が強くなる。


 その上空には常に航空機部隊が上がっていたが、彼らは時折敵の部隊や物資集積所を攻撃するに留まっていた。というのも、捕虜となったエリプト連合共和国の一般市民が敵軍事施設に拘束されていたからである。


 一方、第48師団は抵抗らしい抵抗も無く、五日間で八○○kmを進軍し、カラナムから四五○kmの都市カラナスに達したところでやはり抵抗が強くなり、進軍が止まることとなった。敵は海上封鎖されたことを知ると、戦線を縮小し、カラナム周辺に勢力を集中したのであろうと思われた。


 そのころ、カラナム沖合いでは艦隊戦が行われていた。両方ともミサイルの発射から始まる。ここで威力を発揮したのが防空巡洋艦となった重巡洋艦で、敵艦の発射ミサイルはすべて叩き落されることになった。他方、こちらのハープーン対艦ミサイルは全弾命中する。


 そして機動艦隊群司令官塚原二四三中将の軍事拠点以外の攻撃は禁ずとの訓示後(このときは第一航空戦隊旗艦『赤城』に将旗を掲げていた)、第一航空艦隊から発艦した戦爆連合一五○機がオーロラリア帝国の港湾に向かう。その全力出撃による攻撃において港湾の軍事拠点はすべて爆撃され、灰燼とかす。


 さらに聯合艦隊司令長官高須四郎中将による砲撃には慎重を期せ、との下命後、戦艦からの砲撃も行われる。その結果、港湾の軍事拠点は壊滅することになったのである。後の情報公開において軍施設で勤務していた一〇〇人弱の民間人が犠牲になった、との記録があるが、詳細は不明である。その中には強制労働、という言葉も含まれており、現代ではそれが事実であろうとされている。


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