暴
「なんか気色悪い色」
目がチカチカする程に暴力的なまでのピンクがそこに立っていて、俺の口から無意識にそんな言葉が
こぼれ落ちる。
クマの着ぐるみは、何も話さない。
ただ俺とユズちゃんをじっと見ている。
何がしたいんだコイツ、と俺もクマをじっと睨みつけて、相手が動き出すのを待つ。
急に、後ろから服の袖を引っ張られた。
ユズちゃんだ。
「どうしたの?」
斜め後ろを一瞥して、驚く。
ユズちゃんが何故か物凄くふるえていた。
ガチガチと歯を鳴らして、顔を青白くさせて、俺が見ているのにも気づかずに。
クマを怯えた目で見据えて、そうして足に力が入らなくなったのか、その場に座り込んでしまった。
「ユズちゃん、どうしたの?なにが怖いの?」
小刻みに揺れる指で彼女は、あの奇妙な色のクマをさす。
アレにそこまで怯える理由は何だろう。
俺には到底理解できなくて、彼女の背中を撫でることしか出来ない。
けどユズちゃんが、ビー玉のように丸い目を更に丸くするのを見て、もう一度クマを睨みつけた。
「なっ!!」
バタンと閉じられたドア。
鎖がこすれ合い、錠をかけている音。
人を嘲笑い、馬鹿にしたようにクルリと回るあのクマ。
ギュウっと小指を握られる。
ユズちゃんが、あっ、と小さく囁いた。
あのクマがガラス越しに小首をかしげ、両手を打ち鳴らして、踊りながら去って行く。
なんだが、つくづく人をムカつかせる奴だ。
あの頭にこびりつく強烈な色といい、あの行動といい。
あぁ、殴りたい。
実体がある奴は好きだ。
実力行使でモノを言わせることが出来るから。
幽霊とは違って、やりやすい。
「ユズちゃん、立てる?」
「うん、大丈夫。立てるよ」
「そうか、よかった」
「でも、閉じ込められちゃったね。また、閉じ込められちゃった」
「また?」
「うん」
私、前にもあのクマさんに閉じ込められたの、と呟く彼女の小さな声に耳をかたむける。
「学校でこの遊園地のウワサを聞いて、友達と一緒に来たの。そしたら友達とはぐれちゃって」
「うん」
「観覧車の前に一人で立っていたら、あのクマに羽交い絞めにされて、イスの中に閉じ込めら
れて」
「いつ?」
「たぶん何時間か前。次の日が土曜日だから、お母さんに友達の家に泊まるっていって。夜の
8時に」
それじゃあユズちゃんは、俺たちがこの遊園地にくる4時間前に来ていたわけだ。
つまり、数時間はこのイスの中に入れられていたことになる。
男の俺ならまだしも、女の子には厳しいものがあるだろう。
あのクマが原因で、くまの人形とかに怯えなきゃいいのだけど。
なんだかかわいそうで、ユズちゃんの頭を撫でてみる。
最初は戸惑いながらも、甘受してくれる彼女は、猫のようで愛らしい。
「あれ?」
「誠くん、どうしたの?」
心配そうに俺の顔をのぞき込む彼女の顔を、ただ黙って見つめ返す。
ほんわりと、その頬が薄紅色に染まった。
「うん。ピンクはピンクでもこっちの方が良いよな」
「へ?」
「いや、なんでもない」
俺はどうやら、美月ちゃんに恋していなかったらしい。
なんだか違うのだ、ユズちゃんを見つめている時と。
推測だが、美月ちゃんに対しての感情は『憧れ』だったのだと思う。
俺は、心の中がすっきりして、優しくユズちゃんの頭を撫でる。
彼女の頬がきれいに彩られた。
「俺、ユズちゃんに一目ぼれしたかも」
「えぇ!!」
「一目ぼれって、信じない?」
上蓋のうえに顎をのせて、彼女と視線を合わせる。
耳まで真っ赤になった彼女に、ドクリと心臓が騒いだ。
「あの、えっと...私も、誠くんに一目ぼれ、しま、した」
恥ずかしがって俯く彼女に笑みが零れる。
「じゃあぱっぱとここから出てさ、デートしに行こうか」
「でーと?」
「そう、デート。どこが良いか、決めておいてね」
彼女の手をにぎって、一緒に立ち上がる。
上機嫌な俺に比べ、彼女はどこか不安げな表情でゴンドラのドアを見ている。
「でも私たち、閉じ込められてるよ」
「確かにそうだね」
ガチャガチャとドアを鳴らして、開けられるか試してみる。
うん、これならいけそうだ。
あのクマも、案外、俺と同じで馬鹿なのかもしれない。
俺は、こんなヘマはしないけど。
「ユズちゃん、ちょっとごめんね」
彼女の脇に手を差し入れて、こちら側に抱き寄せる。
ようやく上蓋がなくなった。
「こっちの椅子の上にきて。あと危ないからこれ被って、隅の方にいてね」
「分かった。けど、何するの?」
「ん?ここから出るんだよ」
だからそっち向いて、と言えば、彼女は素直にこちらに背を向ける。
よし、準備万端。
俺は、ゴンドラの扉を思いっきり壊した。
ガシャンともパリンとも似つかない、凄まじい音とともに、ガラス片が飛び散る。
ゴンドラのドアが歪んで、もうすでに取れかかっていた。
「おぉ、普通にできた。ユズちゃん、もういいよ」
彼女の頭にかぶせた俺の服を少し払って、ガラス片を床に落とす。
顔をあげた彼女と目が合って、そして。
「え?ええ!!ゴンドラ、壊れて...」
「うん、壊しちゃった。この遊園地、結構オンボロだし、あのクマも鎖を巻くのが下手くそ
だったから」
それにあのクマ、ユズちゃんを怖がらせたしね、せめてもの仕返しみたいな感じかな、と
言って、彼女を抱き上げる。
彼女は未だ、放心状態だ。
俺はこれに乗じて、スタスタと入場門を目指す。
結局この後、ユズちゃんが思考を正常に働かせ始めたのは、大分経ってからで。
俺が遊園地の敷地内から出て、俺の家の、俺の部屋に入って、ユズちゃんの髪や衣服につい
たガラスを取り終わった後のことだった。