二
「あれ、美月ちゃん、どうして一人なんだろう」
百合ちゃんはどこに行ったんだ、と首を傾げる。
美月ちゃんはというと、なにかを捜すように視線を絶えず動かしていて。
そして突然、ピタリと動きを止めたかと思いきや、突如として走り出した。
「待って、美月ちゃん!!」
泡沫のように生まれた疑問をそのまま放置して、彼女を追いかける。
声は、彼女に届かなかったようだ。
もう一度声をあげるべく、口を開くが、虫と衝突しそうになって思わず閉じる。
これだから夏の夜は嫌いだ。
虫が多くて敵わない。
「というか美月ちゃん早すぎ。だんだん引き離されてないか?」
徐々に開いていく距離に、内心焦る。
そういえば美月ちゃんって陸上部だっけ。
俺、中学ではバスケ部だったけど高校では帰宅部だから、体力が落ちてしまったのかもしれない。
「好きな女の子に負けるとは」
もう一度、バスケやってみようかな、としみじみ思う。
でも、今はそんなこと後回しだ。
遠くに見える美月ちゃんをしっかりと視野に入れ、走るスピードを少しずつ上げていく。
長距離走はあまり得意ではないが、それならそれで彼女をさっさと捕まえて、この鬼ごっこを終わらせてしまえばいい。
短距離走なら得意だ。
じわじわと近づく距離に、口角をあげる。
彼女の輪郭がはっきりと分かってきた。
あと少し、あと少し。
ラストスパートをかける。
だが、しかし。
「うぇっ!!」
まっすぐ走り続けていた彼女が急に方向をかえて、木々の生い茂る中を去って行く。
俺はその姿を確認するもすぐさま反応しきれなくて、彼女の曲がった道を、大幅に通り過ぎてしまう。
「俺バカだろ。普通に見送ってどうするんだよ」
ふたたび離れたであろう距離に、歯ぎしりをする。
体力ももう限界だ。
やっぱり現役の陸上部は強いな。
乱れた呼吸を整えながら、彼女の消えた方角をみる。
「あれ?観覧車?」
木々の上からひょっこりと顔をのぞかせている観覧車に、首をひねる。
「なんで美月ちゃんが観覧車に...」
もしかして俺を捜しにトイレまで行ったのではなく、迷子2人組を捜しに観覧車へ来ていたのだろうか。
だとしたら俺はもの凄く彼女たちを待たせていたのでは、という考えにまで及び、とてつもない後悔の波が俺を襲う。
「そうだよなぁ。待たせちゃったよなぁ」
今日何度目かもわからないため息を吐いて、彼女の通った道をたどる。
やはり廃園になってから数年は経っているせいか、木の枝が好き勝手に伸びていて、歩行の邪魔だ。
美月ちゃんの姿が、途切れ途切れにしか見えない。
「ああ、ついに見失った」
無駄にぐねぐねとしている道に加え、蜘蛛の巣やら木の枝をさけながら歩いていたものだから、後れを取ってしまった。
慌てて道なりに進んでいくと、ようやく目的地であろう観覧車にまで到達した。
「やっと着いたぁ」
だらしなくその場に腰をおろして、辺りを確認する。
「あ、あれ、美月ちゃん、いなくね?」
開けた場所だからすぐに分かると思っていたのに、彼女どころか、人っ子一人いない。
これは一体、どういった状況なのだろう。
心境的には不思議の国のアリスの、白うさぎを追いかけるアリスになって、見知らぬ場所に放置されたような気分である。
「うん、全くもって何が何だかよく分からん」
何がどうしてこうなった、と頭を悩ませるのも億劫で、いっその事もう入場門に行こうと思う。
美月ちゃんは絶対、百合ちゃんから離れて行動しないだろうし。
彼女たちはジェットコースターの前にいなかったのだ。
これ以上、俺が下手に動き回って、余計ややこしくするのは嫌だ。
だから黙って大人しく待っていよう。
クルリと身を翻して、今来た道を引き返そうと足を踏み出す。
だが、
『 たすけて 』
小さな声がどこからか聞こえてきて、バッと振り返る。
誰もいない。
「気のせいか?」
首の後ろをかいて、前に向き直る。
そして、木々の間を通ろうとした時。
『 だして、ここから出して 』
『 誰もいないの? 』
『 お願い、誰でもいいから 』
『 私をここから出して 』
『 狭いの、苦しいの 』
『 たすけて、たすけて 』
弱々しい女の声が、観覧車から漏れてくる。
今度は、気のせいでは済まされない。
はっきりと、聞こえた。
きっと若い女の声だ。
助けなければ。
「おい、大丈夫か!どこにいるんだ!!」
『 だれ?もしかして、わたしを助けにきてくれたの? 』
「そうだ、だから安心してくれ。声をたよりに捜すから」
『 うん、うん、わかったわ。わたしはココ。ココにいるの 』
「おっ、ココだな」
地面すれすれにある赤いゴンドラの、3つ隣にある緑のゴンドラから女の声が聞こえてくる。
俺の身長が187cmあって良かった。
緑のゴンドラのドアを開けて、勢いをつけて飛び乗る。
中に人はいない。
「えっ、ドコ。いないけど」
『 ここ、ここにいるわ 』
コツコツとイスの中から音がして、俺はしゃがみ込む。
「これどうやって開ければいいんだ?」
上蓋を開けようとするが、びくともしない。
どうにかして開ける方法はないかと、暗いゴンドラの中で携帯電話のライトをつける。
「あっ、釘が錆びて、しかも抜けかけてる」
これならドライバーがなくとも、なんとかなりそうだ。
四隅にある釘をやっとのことで引き抜いて、中にいる人物に声をかけ、上蓋をゆっくりと取り外す。
イスの中身が見えた。
おそらく俺と同い年くらいであろう。
長い髪の女の子が、そこに横たわっていた。
「ええっと」
「あの、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「え、あ、いえ、どういたしまして?」
ニコリと微笑む彼女に、俺はしどろもどろな受け答えをする。
「どうして疑問形なんですか?」
「いや、特にこれといった理由はないけど...というか君、なんで敬語なの?」
ついさっきは敬語じゃなかったよね、と訊ねると、どうやら俺は年上に見られていたらしい。
まぁ、身長187cmって大人でもそう滅多にいないし、服装も黒のVネックに黒のジーンズだし。
さらに言うなれば、俺、童顔じゃないし。
体格もそこそこ良いし。
近所のおばさんにも度々、大学生と間違えられるけど。
「俺、高校1年だよ」
「へぇ、じゃあ私と一緒だ。鈴原ユズです。ユズでいいよ」
「あ、どうも。じゃあユズちゃんね。俺は、澤橋誠。俺も誠でいいよ」
「うん、誠くんね。ちゃんと覚えたよ」
よろしくお願いします、とまるでお見合いのように挨拶をする。
でも俺たちの間には、俺が外したイスの上蓋があって、とても可笑しな光景である。
「なんだか変だな」
「ふふっ、そうだね」
クスクスと笑いあって、そして、俺たちの間にあるモノに視線をうつす。
すると足元に、不思議な影がおちた。
「えっ、クマ?」
ユズちゃんがそう呟くと同時に、俺はその影を目で追って、ゴンドラのドアの方を見る。
そして、静かに目を見開いた。
だってそこにいたのは、月光を背にした、ショッキングピンクのクマの着ぐるみだったのだから。