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嘆きのテオーリア  作者: 黒部雅美
第一話 心の中で私と
7/11

03


「熱力学において、物質の状態は『示量変数』と『示強変数』という二つの変数で見るのがセオリーだ――」




 妙に背の高いひょろひょろとした老人な教授がへにゃへにゃとした口調で、めちゃくちゃ難しいお話をしてるのを、私は教室の最後尾でボーッと聞き流してかれこれ二十分が経ってる。

 私は手を無心に動かし、先生の板書をルーズリーフに完璧に写し取る事で、授業への関心がまるで無い事を先生に悟られないようにしてる。

 火曜二限、この授業はやたら受講生が少ない、なんでだろう。

 多分「単位が取り辛い」的な理由があるのだろうけど、サルサル以外に友達を持たない私は何も考えずに受講登録しちゃって。

 でもまぁ私はそれなりに筆記は得意なので……っていうのはどうでも良い事で。

 今の私は他にもっと考えなくちゃいけないことがある。

 死神と私と、ミカの事。


 


「――この図では、w1=w2が成り立たない、そしてQ1=Q2も成り立たない。つまり始めと終わりの状態が同じであっても、仕事と熱量は途中の道筋に――」




 ルーズリーフの真ん中の留め金をパチパチ弄びながら私は考える。

 私の人生、というか私自身について。

 私は中学一年生の時に、一度自殺を試みた。

 なんでそんな事を試みたのか、その理由は上手く説明できないし、私だってまだ理解しきれてないんだけど。

 考えるに二つ大きな理由があって。

 一つ目の理由はたぶん「自分の生に意味づけをしてくる何か」が無かった、そんな所かなとボンヤリ思ってる。


 


「――仕事と熱量は、過去の履歴や経路に拠らず『状態』で決まる状態量の事を指す、つまりこれが『内部エネルギー』だ。ちなみに単独、つまり仕事、あるいは熱量だけでは――」


 


 その「自分の生に意味づけをしてくる何か」っていうのは、所謂「友達」だったり「素敵な両親」だったり、つまりこの世界にいる自分に価値を認めてくれていて、自分を必要としてくれる人?

 こう言うと、なんか「生きる」って事が受身の上に成り立ってるみたいで嫌だけど。

 でもまぁ、とにかくそういう、「自分の生に意味づけをしてくる何か」が私の世界には欠けていたのだ。




「――これが『カルノーサイクル』だ。どうだ諸君、美しいとは思わないか? 簡単に言えばこれは高温の熱浴から低温の熱浴へ接触させる事で――」




 私が自殺を試みた理由、その二。

 それは「生きているのが辛くなったから」かな。

 なんかちょっと説明し辛いんだけど、私は自分の心と自分の体がズレちゃってる性分で。

 そんなんだから、そんな自分とも折り合いを付けられなくて。

 つまりは周囲、っていうか社会? と折り合いをつけるなんてまったくできるわけも無くて。

 私はずっと辛い思いをしていた。

 辛いことばっかりだった。


 


「――いいか、正の方向である吸熱過程と、負の方向である放熱過程で、温度で割った値が等しい。つまりQ1/T1=Q2/T2となる。さて、ここから少しピッチを上げるぞ。もし熱源がn個あったとしてだ――」




 ママ。

 こんなメチャクチャな私の事を、唯一愛してくれた人。

 私を、「大切な娘」と言ってくれたママ。

 ママが職場でドシャ降りの中無理に作業して、うっかり足を滑らせて転落死した一ヵ月後。

 私も同じ様に死のうと思った。

 私は生きる事が面白くなくって、でも死ぬ勇気だけはあったから。

 それしか道は無いよね? みたいな、結構ポジティブなノリで自殺を決意する私。




 

「――よーし諸君、着いてこれてるか? ここで今度は状態量をS、微小な熱の移動をdσとする。すると、dS=dσと定義できる、これにさらに高温熱源からの熱を――」



 『決めました、私は君が自殺するのを阻止することにします!』

 彼女、猿渡ミカは怖いくらいに高いテンションでいきなり私にそんな宣言をしてきて、私は卒倒する程ビックリした。

 私とミカの間にはそれまで面識みたいな物は全然なかったし、てか、私なんてミカの名前すら知らなかったし。

 いきなりドンドコドンドコお祭りみたなテンションでやってきて、そんな意味不明な宣言をして。そもそも、なんで私が自殺するって知ってたのか?

 とにかく、彼女はそうやって乱暴に私の友達になった。

 そして私から乱暴に「自殺する理由」を奪っていった。




「――ここでカルノーの定理を思い出して欲しい。それを式にぶちこんで見ると、Q'2/T2-Q'1/T'1/≦0となる。もう少し分かりやすくする為、放熱を負と捉えれば――」




 他人と本心から接する事ができない、それどころか「本心で接してない」そんな自分自身にさえ気づけてない、人との関係性がツルツルと上滑りする痛々しい私。

 そんな私にミカは、怖いくらいに献身的に尽して、私はたった三ヶ月で社会という枠組みへの順応ができるようになった。

 そうなれば後は、もうシンプルな話で。

 社会に順応できた私には、すぐに友達(めっちゃ少ないけど)ができて。

 自殺なんかできなくなった。

 そうやって、私から自殺する勇気を奪っ後、今度はミカが校舎の屋上から飛び降りた。


 

「――つまりこうやって積分すると、はい、でました。dQ/T≦dS 断熱系ではdQは0なので、あーもうめんどくさいからこの辺は各自やっておく様に。で、状態変化が生じる場合の話だが、エントロピーは減少せず――」




 後日サルサルから聞いた話だと。

 ミカはずっと昔から自殺するつもりだったとか。

 んで、自殺に多少なりとも良心の呵責みたいなのがあったミカは、「一人の命を救えば、自分の命を絶ってもいい」みたいな思想になったとか。

「カエデちゃんは利用されたんだよ、あのバカに」

 サルサルのその言葉は真実なのか?

 それとも何時までも気に病む私に気を使ったのか?


 


「――エントロピー増大の法則、そう、熱力学第二法則だな。エントロピーは『これ以上自然変化が生じない、安定した状態』つまり平衡状態になるまで続く、だからSは――」



 あれからもう五年。

 今更、なんなのだろう。

 どうして今更、ミカの話が。

 私はミカをどう思ってるのだろう?

 憎んでるのか? 親しく思ってるのか?

 私はミカに会いたいのか?

 なにも分からない。

 死神はどうして……


 私はボンヤリと考え続ける。

 ミカのこと死神のこと、そして私の事。

 答えはどこにも無いのに。


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