02
「――で?」
「それでお終いよ。その後幾ら待っても何も無かったから、半壊のクロスバイクを漕いで帰ったよ……」
月曜日の昼休み、文芸部の部室で私はサルサルと向き合うようにして、昼ごはんを食べていた。
「へぇー、テオーリアねぇ。随分懐かしい都市伝説だ」
サルサル、こと「猿渡沙耶」はそう言うと私に向けて、疑いと嘲笑の入り混じった微笑みを浮かべて見せた。
「なにその目。嘘じゃないからね、私本当に見たんだから」
必死に抗議をすると、彼女はまるで女優さんみたいに肩を竦めてみせた。
「はいはい、信じますよ。楓は真実『死神』を見た、信じてあげましょう――」
そう言って手をパンパンと叩き、狐のような糸目を楽しそうに吊り上げる。
「――んで、楓はどうしたいの?」
サルサルの問いかけに、私は思わず額を手で覆う。
「正直、私もわからない」
「一応言っとくけどさ、ひょっとしてまだあの事引きずってる?」
あの事、そんなぼんやりした言い回しでも、私はそれがすぐに「猿渡美香」の自殺の事だって察した。
美香は私の友人で、そしてテオーリアの言っていた「命を絶った友人」でもある。
彼女はサルサルの妹で、中学時代の私の友達だった。
でも、自殺した。
5年前の夏休み、校舎の屋上から飛び降りた。
遺書は無い。
自殺の理由を私は知らない。
サルサルも、サルサルの家族だって知らない。
美香はただ一人で、何も言わず、自分で自分の体をぺちゃんこにしてこの世から消えた。
「楓、ねぇ楓ちゃん!」
サルサルの呼びかけで、私は意識を現実に戻す。
「そういうのも、あるかも知れない」
「……楓さ、何時までもあのバカに振り回される気?」
「そんな、言い方――」
「私嫌なのよね、バカな妹のせいで楓みたいなお人よしが苦労するの」
彼女が私を気遣ってわざと悪く言ってるのか、それとも本心から妹を憎んでるのか。
私には判断がつかない。
「待ってよサルサル。確かにあの事を思い出したりはしたけどさ、それが全部じゃないから――」
サルサルは少しだけ眉間の皺を緩めて、探るような視線私に送る。
「――理由はそれだけじゃないよ、いろんな理由があって、私はテオーリアにまた会いたいの」
「いろんな理由って、どんなよ?」
理由。
私はぱっぱと頭を動かして、サルサルが一番喜びそうな理由を選び出す。
「それは、『面白そう』だから」
そう言葉にした瞬間、サルサルはプッと笑ってしまう。
「面白そうって、楓、なに言ってんのよ」
「サルサルはそう思わないの?」
「面白そうって、いや……」
もごもごと口ごもる彼女に、私はここぞとばかりに一気に畳み掛ける。
「なんで? サルサル大好きでしょ? こういう都市伝説」
「いや、まぁそうだけどさ……」
「私から言わせればね、そうやって素直に関心を持てないサルサルの方こそ、ミカの件を引き摺ってるんじゃない?」
うわヤバイ、キツイ事いっちゃったかも。なんて一瞬不安になるけど、直ぐにそんな気負いを振り払う。
サルサルは、この程度の言葉で人を嫌ったりはしないはず。
「……はいはい私の負けですよ」
しばらくの沈黙の後、彼女はそう言って再び手をパンパンと鳴らした。
それはサルサルの癖だ、話題を切り替えたい時にいつもやる。
「――で、楓は私にどうして欲しいのか。テオーリアについて詳しく教えて欲しいの? それともテオーリアと再び会う方法が知りたいの?」
彼女の糸目がうっすらと開かれ、私を値踏みする様な真剣な色になる。
「『会う方法』を知ってるの?」
私は思わず喰い気味に聞き返してしまう。
「元『ミステリー研究部』名誉部長の私を甘く見ちゃいけないよぉ――と、格好着けたい所だけど、流石にテオーリアはなぁ……」
彼女は悩ましげな様子で言葉を濁す。
「どういう意味?」
「テオーリアは特別なんだよね、『狂った都市伝説』なんて呼ばれるくらいに」
サルサルの言葉の意味がさっぱり汲み取れない。
私は黙って彼女に注視して、話の続きを促す。
「そもそも『死神』に関する都市伝説ってね、かなーり歴史があって、それこそ七十年ぐらい昔からあるのよ」
サルサルはそう言うと、お弁当の中から卵焼きを一つ取り出してみせる。
「説明するとね、例えばこの卵焼きを死神都市伝説とすると――」
言いながら卵焼きを半分に分割する。
「――この右半分が一番最初の死神伝説、名前もテオーリアじゃなかった。ほとんど情報の残ってない『忘れ去られた死神』で――」
左半分の卵焼きを箸でつつく。
「こっちが二代目の死神伝説、名前は『ペシミスト』、魂の蒐集者なんてあだ名もある」
今度は左半分の卵焼きを箸でつついた。
「そんで最後のが――」
サルサルは言いながら、半分に分割する際にでてしまった『ちっちゃい欠片』の卵焼きを持ち上げる。
「――三代目の死神伝説、ご存知『テオーリア』です」
「ちっちゃ!」
「うん。そもそも死神伝説の『死神』っていうのは『美しい魂を狩る者』ってポジションなのよ――」
そう言って彼女は三つの卵焼きを綺麗に並べてみせる。
「――初代の死神は『飛び切り美しい魂』の対として現れたとか、で――」
二つ目の卵焼きを指す。
「――二代目の『ペシミスト』は貪食な死神だった、何故なら彼には対となる『飛び切り美しい魂』が無かったから。彼は貪欲に魂を狩り続け、ついには地上から一切の美しい魂がなくなってしまったの。それで――」
サルサルが小さな欠片を器用に挟んで持ち上げ、私の前に翳してみせる。
「――狩るべき魂の消えた世界に生まれた、死神伝説の残りカス。それが『テオーリア』よ」
そう言って彼女は卵焼きを口に放り込んだ。
「残りカス?」
「そうカス、役目の無い死神。だから本来テオーリアはこの世界に顕在しないはずなの。だってこの世に美しい魂は、一つも残ってないからね」
完全な初代、不完全な二代目、そして価値のない三代目。
「その……さっきから言ってる『美しい魂』ってなんなの?」
「さぁ……知らない、もうずっと昔に無くなった物って事しか――」
パンパン、彼女が再び手を鳴らす。
「――つまりだよ、もし楓が昨日見た『空飛ぶ変人』がほんとうに『死神』だとしても、彼の目的は皆目検討がつかないんだよ」
なぜ彼は顕在したのか?
なぜ楓の前に現れたのか?
これから彼は何を始めるのか?
それとも何かをやり遂げたのか?
「ふむぅ」
私は思わず変な声で唸ってしまう。
なんだその都市伝説は。
ちょっとさすがに意味不明過ぎる。
そりゃ私だって、簡単にさくっとテオーリア会える、なんて甘い見通しを立ててたわけじゃない。
けど、だ。
都市伝説っていうのは、大抵はなんていうか……「面白い説明」がつき物だ。
思わず納得しちゃうような、唸ってしまうような、どこか真実っぽさと嘘くささの混ざった不思議な噂話、大抵の都市伝説は普通そういったフォーマットに則っている。
でも、サルサルが話す「テオーリア」には、嘘くささしかない。
都市伝説として、明らかに破綻してる。
「あはは、そんな顔しないでよヒカル――」
サルサルはそう言うと、私の肩をパシパシと軽く叩いてみせる。
「――大丈夫、手は無いわけじゃないから。一肌脱いであげるよ」
そんな宣言をするとクルリと私に背を向け後方を、文芸部室の奥、テレビが設置されている隅へと目をやった。
そこでは男性部員数名が、黙々とスマブラの対戦をしている。
私が部室に入ってきた時からずっとその様子で、私達の会話には一切興味を示していなかった、けど。
「ヘイ! ボーイズ!」
サルサルの呼びかけに、男達が一斉にこっちを向く。
その動きはまるで軍隊みたいにピシッと揃った動きで、めちゃくちゃ怖かった。
「ボーイズ、今の話聞いてたよね」
彼女の問いかけに、男達は「へい」とか「はい」とか、もごもごと答える。
「じゃあ、情報を集めてきて。ご褒美にそうね……耳かきをしてあげましょう」
男達は彼女の言葉に、生気の無いような弱い頷きを返すと、ゾロゾロと部室から出て行く。
「え、ちょっとサルサル。良くないよこんな事」
今サルサルが顎で使った男達には、彼女よりも上の学年の人も居た。
っていうか、サルサルはここ「文芸部」に今年入ったばかりの、新入部員だったはず。
「良いって事よ、私の好意を遠慮するだなんて百年早いわよ」
私はそういう意味で言ったんじゃなくて……と、思ったけど。
言っても無駄そうなので飲みこむ事にした。