遭遇、春のモリーユ3人娘 ~シャグマ・エスクレンタ~
「ハハ!? どうやら話してなかったみたいだね! そうさ、オレら3姉妹には毒があるのさ! 人間の止血機能を破壊する……溶血毒がさぁ!」
赤い眼光を光らせて三姉妹の末っ子シャグマ・エスクレンタが吼えた。
モリーユと出会ったときに見た、瞳の奥の赤い光――。それが「毒」を意味するものだと、オトハはここで始めて理解した。
全身から凶暴なオーラを放つシャグマ・エスクレンタは、見るからに「毒キノコ」と判る。
けれどモリーユは、キノコそのものの見た目こそ不気味だが化身である「キノコの娘」は優しく穏やか。なのに……毒をもつと聞いて、オトハは少なからずショックをうけていた。
「オトハ、騙すつもりはなかったの。私たちは熱いお湯に入れば……毒は消えるの。だからフランスでは食べてもらえてるのよ」
「そうよ! お湯に入ればモリーユもアタシも、毒はなくなるの!」
「そう……なの?」
つまり「毒抜き」と呼ばれる熱い湯で湯でこぼす事で毒が抜ける種類のキノコなのだ。
オトハはホッと胸をなでおろした。
だが、数メートル先には苦々しい顔でそんな三人を睨み付けるシャグマがいた。
「そこをどきなモリーユ! コニカ! そんなヤツ昇天させちまえば、オレらは有名になれるんだ! あの……カエンタケやドクツルタケのようにな!」
「カエン……タケ?」
オトハはその名前に聞き覚えがあった。
キノコに元々詳しいわけではないが、最近ニュースで話題になっていたはずだ。赤く危険な「カエンタケ」という猛毒のキノコの事が。そして「ドクツルタケ」も確か「死の天使」と呼ばれ恐れられている最強の毒キノコだと、小説やいろいろなメディアで時折取り上げられているのを目にしたことがあった。
目の前に現れたシャグマアミガサタケというキノコも、それに劣らない特殊な「溶血」毒をもち、時には人の命さえ奪うことがあるのだ。
けれど、オトハを殺める事で、更に有名になろうというのだろうか?
オトハの心臓は命を奪われるかもしれないという恐怖に慄き、酷く暴れていた。気楽に遊びに来たはずの異界で、初めて命の危機にさらされているのだ。
「僕の命を奪って……、有名な毒キノコになるって……それって……、そんなの……」
オトハは搾り出すような声で、呻いた。
けれどその声はシャグマには届いていない。代わりに三姉妹のモリーユとコニカがオトハの前に立ちふさがり応戦する。
「いやよ! 毒で有名になんてなりたくないわ!」
「そうよ! 美味しいって思われて、人間に認められたいの」
「無駄無駄! 無駄なんだよ!? モリーユもコニカも、自分の姿を見てみなよ? 人間が可愛いと愛でてくれるのか? 美しいと思ってくれるのか? 好んで食ってくれるってのか? 違うだろ?」
「…………っ!」
「それは……」
モリーユが唇を噛み、うつむく。
「人間どもに気味悪がられて、踏みつけられ、蹴飛ばされてきた事を忘れたのか? あぁ、オレは構わないさ、見てのとおり全身毒だらけの極悪キノコだからな! でも……、嫌なんだよ! モリーユやコニカが蹴飛ばされて辛い目に合うのを見るのは!」
「シャグマ……」
シャグマは一息に叫ぶと、瞳を細めて歯を食いしばり声を振るわせた。
強暴だとばかり思っていたその瞳の奥に、姉妹に対する慈しみの情のようなものが見え隠れしている事に、オトハはようやく気がついた。
「だから! オレはその少年の命を奪って、人間どもを震え上がらせてやるのさ! そうすれば誰もオレらには手出しなんて出来やしねぇ!」
ドゥオッ! シャグマが全身から赤い毒気のオーラを迸らせた。
晴れていた空が一気に曇天に変わり、何か邪悪な力がシャグマに流れ込んでいるようにさえ見えた。風がゴゥゴゥと渦を巻き、シャグマのモコモコとした頭を揺らす。
おそらく、シャグマの毒の接吻を受ければ命が失われるであろう事を、オトハは直感で理解していた。
ジャリ、とシャグマが一歩足を踏み出す。あと数歩でオトハに手が届くだろう。
「だめ! まってシャグマ!」
「やめてぇええ!」
コニカとモリーユが両手を広げて叫んだ。
「どけ! なぁに一瞬さ。そいつはオレの毒で死ぬ。それでオレの名は世界に轟くんだ!」
シャグマが全身から真っ赤なオーラを立ち昇らせながら天を仰いだ。
初めて出会う毒属性のキノコの娘の凶暴さに気圧されていたオトハだったが、ぎゅっ、とこぶしを握り締めて、僅かばかりの気力と、ちっぽけな勇気を振り絞る。
「違う――!」
「なに?」
シャグマが動きを止めた。
確かにモリーユもコニカも、元のキノコの姿を見る限り傘に網状の穴が開いた不気味な姿をしている。
決して可愛いとか美味しそうと思われる姿形ではないのだ。
――でも、ちがうんだ。
「――僕は…… みんなの魅力を……伝えたいんだ」
痺れていた心臓に鞭を打ち、カラカラに乾いていた声帯を動かす。
「なん……だと? 嘘をつくな!」
シャグマがキバをむき出して真っ赤なオーラをモリーユやオトハに叩きつけた。
悲鳴を上げてよろめくモリーユとコニカ、けれど、オトハは怯まなかった。
「僕は……ッ! そのためにここに来た。――だから、僕が君たちの絵を描くよ!」
オトハはその気迫に負けないように声を張り上げた。
凛然と、澄んだ声色に迷いのない瞳。
「なっ!?」
その決意と気迫に、シャグマの真っ赤なオーラは逆に吹き飛ばされ、曇天が一気に晴れてゆく。シャグマは驚愕の表情を浮かべその場にへたり込んだ。
モリーユもコニカも、まるで奇跡でも見たかのような顔で、オトハに視線を注いでいる。
「毒で人を殺さなくても、食べてもらえなくても、綺麗でなくても、僕は、みんなの良いところを見つけて絵を描くよ! それを、僕ら……人間に広めればいいんだよ!」
オトハは明るい声で言うと、モリーユとコニカに手を差し出して、引っ張って立たせてやった。
そして背中にしょっていた通学カバンからスケッチブックと鉛筆を取り出した。
「オトハ……絵を?」
「少年が……アタシらの絵を、描く?」
モリーユととんがり頭の長女コニカが顔を見合わせる。その動作は同じタイミングで双子らしく瞬きのタイミングさえ同じだった。
「ゴルァ! し、信じられるかそんなこと!」
三女のシャグマが驚きと困惑の声を上げた。
「私たち、綺麗でも、可愛くもないんですよ……」
モリーユが不安げな瞳をオトハに向ける。
「大丈夫! 僕の力はね……じゃーん!」
ぺらり、とめくったスケッチブックには、ぬるぬる粘液キノコの娘、ナメコこと滑木舐子が「美少女イラスト」としてそれはもう可愛らしい絵柄で描かれていた。
むっちりとした身体、頭から指先まで垂れる粘液、そしてキラキラの瞳。
「これ、ナメコさん?」
「うそ、上手い! 少年、絵描きなのか!?」
モリーユとコニカが、まぁ! と目を丸くした。
シャグマはその横むぅうと唸り目を白黒させて、そして最後は明るい表情へと変わる。
「じゃ、じゃぁ何か!? オ……オレでも、その……いい感じに描けるってのか!?」
三人は一斉にオトハに詰め寄った。
オトハは目を白黒させて苦笑しつつも自信ありげに微笑む。そして、鉛筆をくるくるっと指先で回して、ぴしっと三人に向けた。
「もちろん! 三人まとめて描いちゃうから、座って座って!」
◇
今日は春の日差しも暖かい、麗らかな日だ。
不思議な模様の浮かんだ空は淡く青く、そして穏やかな風が吹き抜けてゆく。
「三人で並ぶなんて初めて。なんだか嬉しいね」
「ほらほら、シャグマが真ん中ね!」
「オ、オレか!?」
ぐいぐいっとコニカとモリーユがシャグマを真ん中に座らせる。
その右側にはコニカ、そしてモリーユが腰掛けた。
シャグマはクマさんをモチーフにしたカバーを手足につけて、ワイルドさをことさら強調してはいるが、こうしてみると三姉妹の例に漏れず、なかなかにグラマラスな体型だ。
ロングのワンピースは胸元ほど茶色を帯びて、裾は不規則に波打っている。三姉妹のドレスは色こそモリーユの白に、コニカの茶色、そしてシャグマのグラデーションのドレスと、どこかに通っていた。
オトハがスマホのアプリで調べたところによると、シャグマ・エスクレンタの「エスクレンタ」は「食べられる」という意味らしかった。
恐ろしい毒を確かに持ってはいるが、熱い湯で10分以上湯でこぼす事で毒が抜け食べられるようになるらしく、フランスでは普通に食べられているのだとか。
また、モリーユとコニカにも確かに微弱な毒成分があるらしいが、生で食べなければ大丈夫、という事のようだ。
結局のところ三人は「お風呂に入って温まれば幸せ」なのだ。汗と共に毒も抜け、瞳の赤い光も無くなり、人間に牙を剥くことも無い。
「知れば知るほど、君達は不思議だねぇ」
オトハがしみじみと言う。
「人間もね。けれど……わたしたちはもう、友達よ」
「うん、そうだね」
三人のキノコの娘が「春のアミガサ三人娘」と呼ばれている事に、オトハはようやく納得する。日当たりのいい桜の木の下や、人の家の庭先に自由気ままに生えてくる「キノコの娘」たち。みんなそれぞれ魅力的で、とても可愛らしく思えた。
「じゃ、描くから、動かないでね」
――僕がみんなの絵を描くよ。そして……皆に伝えるんだ。
オトハは自分に言い聞かせるように呟くと、白いスケッチブックの紙面に、軽やかにペンを走らせた。
【遭遇、春のモリーユ3人娘編、了】
<つづく>