遭遇、アミガサタケは身近にいるよ
美術部を飛び出したオトハは全力で走り続けた。
校門を抜けると辺り一面、のんびりとした田園風景が広がっている。
通学路はすぐに民家のまばらな農道に変わった。水の張った田んぼには校舎が逆さまに映りこんでいて、水鏡がオレンジ色の斜陽を照り返している。
「くそぉっ……!」
小柄な身体の何処にこんなエネルギーが秘められているのかと思えるほどにオトハはがむしゃらに走った。土と水の匂いの混じる皐月の湿った空気が涙目と肺にしみる。
聞こえるのはオトハの荒い息遣いと、ゲコゲコというカエルの呑気な歌だけだ。
やがて神社のふもとに広がる森へと辿りついた。そこは広葉樹林を切り払って造られた公園になっていて自然を生かした憩いの場となっている。
桜の木の下にはベンチがいくつか置かれていた。
オトハはそこでようやく足を止めた。
汗が額を流れ落ち、シャツが背中に張り付いて気持ち悪い。両膝に手を乗せてはぁはぁと荒い息を整える。
所詮は元美術部員の絵描き。体力ゲージはすでに底を尽きかけていた。
ベンチに腰を下ろすと、カバンから愛用のスケッチブックを取り出して、開く。
――絵師ノート。
手書きで書かれたタイトル。大切なスケッチブックは、オトハの絵師としての証だった。
いつも肌身離さず持ち歩き、気に入った風景や女の子を網膜に焼き付けては、スケッチブックに描き写しておく。もちろん三次元を二次元に変換した可愛らしい絵柄でだが。
木のベンチの冷たさがひんやりと心地よく、オトハは落ち着きを取り戻した。
公園と名は付いていても辺りに人影も見当たらない。
絵師ノートを膝の上で広げると、紙の上では瞳を輝かせて髪をなびかせた美少女がふわりと微笑んでいた。
――キノコの娘「ナメコ」
「ふふ……ふ」
思わず変な声が出た。にやっと口角を吊り上げてノートを見つめるその姿は、近寄りがたい空気を醸していた。
――あぁ、落ち着く。
自分で描いたお気に入りの絵を眺めていると心が安らぐのだ。
真剣な面差しで眺めているのは、先日であった異世界の美少女キノコ、滑木滑子だ。
茶色い粘液に包まれたビキニ美少女の萌え絵はとても可愛らしい。
「ちょっと髪のライン、調整かな」
ふーむ? と先ほどまでの激情はどこへやら。早速絵の修正をやって心を落ち着かせる。
と、ふと足元の地面に目線が向いた。
少し湿った土の上に、茶色い何かが見えたのだ。
「ん……? キノコ?」
オトハは立ち上がって近づいてみた。しゃがみこんで地面の上の眺めてみると、それは茶色い5センチほどのキノコ……らしかった。
「らしかった」と断定出来ないのは、その姿があまりにも異様で見慣れないものだったからだ。
「うわ? なんだこれ……宇宙生物!?」
オトハは指先で突いてみた。それは湿っていてキノコなのは間違いない。
キノコの大きさはシイタケほど、キノコの『柄』の部分はクリーム色。しかし『傘』の部分が異様だった。キツネ色の傘の表面には無数の穴がボコボコと開いていて、それはまるでハチの巣を外側に丸く変形させたような窪みに覆われていた。例えるなら茶色いマスクメロンの表面の模様を凹ませた感じなのだ。
正直すごく気持ち悪い。とても地球上の生物とは思えない。他の星で採集したと言っても通じるレベルの姿形をしている。
――そうだ、こんな時こそ!
オトハはスケッチブックを畳んで小脇に抱えると、ポケットからスマホを取り出した。『キノコの娘たち』アプリを立ち上げて、連動のカメラ機能で茶色い不気味なキノコを撮影する。
ぴろりーん♪
数秒程で、種類が判明する。
――アミガサタケ (網笠茸) アミガサタケ科 アミガサタケ属
「へぇ! やっぱりキノコなんだ」
――会いに生きますか? YES/NO
ぴろん♪ と選択肢が画面に浮かび上がる。もちろん迷う理由なんて何もない。
「ようし! 菌界へ――!」
次の瞬間、眩い光がオトハの視界を奪い、光の粒子が身体を包み込んだ。
◇
ちちち、と小鳥のさえずりでオトハは目が覚めた。
「ん……」
気を失っていたのか、寝ていたようだ。頭がふわふわと柔らかくて暖かいものに乗っかっている。まるで春の日差しの下で「うたた寝」をしていたみたいな心地よい感覚だった。
オトハはゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできた空は、不思議な模様の見える青色で――。
「来た! キノコの国!」
オトハは起き上がろうとした、けれど、優しい手がそれを制した。
「えっ!?」
「急に起きてはいけませんわ、異世界の旅人さん」
穏やかで優しい、変わったイントネーションの声が耳に届いた。
茶色いくせっ毛の少女が心配そうにオトハの顔を覗き込んだ。思わぬ近さに驚くオトハ。
「えっ!? ……あれ!?」
どうやらオトハは膝枕をされていたようだ。
覗きこんだ瞳の色は桜色で、奥から淡い赤い光を放っている。髪は黄土色で複雑にからみ合っていて、ぼこぼこの編み笠のように見えた。
「空から落ちてくるなんて、不思議なひとですね?」
「き、君は? まさか……」
「まぁ、私ったら……。自己紹介が遅れましたわ。わたしはモリーユ・エスクレンタ。……アミガサタケのキノコの娘、なのですけど……ご存じないですよね?」
アミガサタケの少女はそう言うと、少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「君を……? 僕が?」
――どういう、意味?
オトハは膝枕をされたまま、ちいさく首を傾げた。
<つづく>