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菌界の絵師オトハとキノコの娘たち  作者: たまり
第一茸 家の近くで出会えるキノコの娘たち
3/19

 僕、美術部辞めます。 と、オトハは言った

「お前はアリアドネ様をなんだと思ってやがる」


 ざらっとした不快な声に、オトハはキャンパスの上で滑らせていた絵筆を止めた。


 ぱっちりと大きな瞳を細めて後ろを振り返ると、ヒョロ長いナスビ顔の男子生徒が、苛立たしげな表情を浮かべて立っていた。

 美術部長の佐々木、オトハの天敵だ。


「何って……ギリシア神話の女神です。迷宮脱出とかで有名な、アリアドネ」


 今更何を、とでもいいたげにオトハは鉛筆を石膏像へと向けた。


 指し示す先、絵の具で汚れた机の上では真っ白な胸像が穏やかな笑みを浮かべて鎮座していた。それはギリシャ神話の女神『アリアドネ』で間違いない。


「そういう事を聞いてるんじゃないっ!」


 部長のひときわ甲高い声が美術室に響き渡った。何事かと他の美術部員たちがそれぞれのキャンパスの影からひょこりと顔を覗かせる。


「じゃ、何なんですか?」


  オトハはぷく、と片頬を膨らませて部長を睨み返した。

  それは一応不満の意思表示なのだが、小学生かと馬鹿にされる幼い顔だちのせいか、可愛く拗ねた表情にしか見えない。


 高一の男子にして華奢で小柄な身体。ぱっちりとした瞳に小ぶりな鼻や唇、かたちの良い輪郭に沿って飾り気の無い黒髪が揺れる。

 けれど、黒目がちな瞳に宿した光はどこか淀んでいて、あまり他人に心を開いているようには見えなかった。


 名前は、真壁音羽(まかべおとは)


 県立、岩乃泉高校1年、美術部の部員である。


 オトハにじっと見上げられて、部長はすぐに目をそらした。本来は気弱な男らしい。


「いっ、いいか オトハ君! い、今はデッサンの時間なんだ。デッサンというもは対象物と空間を紙へと写す美術の基本で大事な技術なんだ。わかるな?」


 部長のご高説が、しんとした美術室に響き渡った。

 オトハの描く絵に対して部長がとりわけ厳しく指導をしているのは明らかで、『目を付けられた』状態といっていいだろう。


「僕のデッサンに問題があるんですか?」

「ある! 大ありだ!」


 一段と声を張り上げて、部長がカマキリみたいな顔になる。


「大あり……ですか?」


 オトハは困ったように表情を曇らせると、複雑な面持ちで自分のキャンパスに視線を向けた。


「そのデッサン画……それは何だ?」

「ですから、アリアドネちゃんです」


「デッサンで萌え絵を描くんじゃない! ここはアニ研じゃないんだぞ!?」


 部長がキンキンと甲高い声で叫び、ビシリと絵を指さした。


 そこには――可愛らしい絵柄の「アリアドネちゃん」が微笑んでいた。


 世間一般で言うデッサン画とは明らかに異なる画風。それは誰がみても『萌え絵』だ。アニメやライトノベルの挿絵で使われる絵柄といっていい。


 明確な輪郭線で描かれた顔、愛らしい虹彩のある瞳。

 何をどう解釈して描けばこうなるのか不明なほど、たおやかな髪が揺れている。普通に石膏像を模写しても、そうはならないであろう「躍動感」がそこにはあった。


「ちゃんと質感とか空間描写には気を付けて描いたつもりですけど……?」


「あのな、石膏像だぞ? デッサンだぞ? なんで瞳にキラキラハイライトが入ってんだ? なんでいまにも動き出しそうな躍動感に満ちてるんだよ!?」


 ナスビ顔の部長が指差し叫ぶ。


「……見たまま描いたつもりなんですけど」


 オトハは不満げに口をとがらせると、キャンパスを眺め、向こうに見えるアリアドネの胸像と見比べた。何度か視線を行き来させて、やがて納得したように頷くと、「これでいいと思います」と、臆する風も無く応えた。


「お前……只者じゃないな」


 部長はあきれた様子で深くため息をついた。


  オトハのキャンパスにはアニメ絵風のギリシャ神話の女神が微笑んでいた。


 ――『姉妹の末っ子で、迷路で迷っちゃったりするドジッ娘』というキャラクターの方向性がきっちりと見て取れる程の腕前だ。 オトハのアリアドネちゃんに対する無駄とも思える程の情熱と描画は、可愛い絵と言う意味ではYESなのだが、デッサンか? と問われれば完全にNOだ。


「絵は得意なつもりなんですけど……」


 えへへ、と オトハは困り顔のまま照れたように頬を掻く。


「お前ン中ではな!? つか、褒めてないからな! 美術部長として言わせて貰えば、お前の絵は間違っている。偉大なる美術の世界をナメている!」


「……間違ってる?」


「そうだ。デッサンは写実が基本だ。脳内でどう解釈するかじゃないんだ」


 オトハの顔が陰る。僅かに俯きながら自分の絵を見つめる。


「でも、それって……楽しくないです」

「なに?」

「自由に描いちゃだめなんですか? そんなの楽しく、ないです」

  オトハの声は僅かに震えていた。


「デッサン画は、楽しいとかじゃなく、技術なんだよ」


 部長の丁寧で鋭利な言葉が自負心をなで切りにする。だが、部長のいう事も尤もなのだろう。


「僕は、もっと……楽しく描きたいんです」


 ちり、と胸の奥で熱い物が湧き上がった。

 

 思わず突っ込んだポケットの奥で、指先がスマートフォンに触れた。

 

 つい先日、ナメコと名乗る「キノコの娘」と出逢った事が夢物語ではないことを、オトハは驚きと共に受け入れていた。


 証拠は大切なスケッチブックに残されたイラストだ。ナメコの妖精「滑木(ヌメリギ) 滑子(ナメコ)」をスケッチした渾身のイラスト。


 幻でも妄想でもなんでもなく、確かに彼女はそこにいた。

 

 少なくとも、この動かない石膏像(アリアドネ)よりはずっと輝いていたはずだ。


 大胆に露出した肌を覆う茶色い粘液、そして健康的な肌に、人懐っこい太陽のような笑顔――。

 

 ナメコは――僕の大切な、友達なんだ。


「そういうのは余所でやれ、マン研にいくかチラシの裏にでも描いてろ! とにかく今はデッサンの時間だからな、今すぐ書き直せ」


「……いやです」

「なに?」


 ぎゅっと唇を噛む。


 絵は楽しく気持ち良く描ければいいものじゃないの? という純粋な思いを否定されて、はいそうですねと引き下がるほど、自分はもう弱く無い。

 

 絵を見て凄いと笑ってくれる友達がいる。ただそれだけで力が湧いてきた。それがたとえ人間で無くっても。

 

 高校に入るまでは自分が描きたいように絵やイラストを描いては『SSS』のようなイラスト投稿雑誌や『ピクシヴ』に投稿を繰り返していた。掲載されれば達成感と充足感を味わえたし、短いコメントであっても誰かから一言褒められれば、それはとても嬉しいものだった。


 絵を描く喜びと感動は、 オトハにとってかけがえのないものだ。


 高校に入り、美術部に入ると決断したときも、基礎を疎かにしないように、独学ながらデッサンの勉強だってした。骨格があって筋肉がついているという基本概念を頭に入れて、自分ではそれなりに描けているつもりだった。


 けれど――ここでは違うのだ。


 オトハの技はことごとく「効かぬ、通じぬ!」と弾き返される。美術部はまるで修羅の国だ。


 静まり返った美術室の中では、十人ほどの美術部員達が少し首をすくめながら緊迫感のある オトハと部長のやりとりを伺っていた。


 開け放った窓から白球を打ち返す金属音と歓声が聞こえてくる。


 オレンジ色を帯び始めた放課後の美術室を、爽やかな5月の風が通り抜けてゆく。


 本当にやりたいことはなんだったのだろう?


「僕は……、自由に描きたいです」


 ――可愛い絵を、思いっきり描きたい。


 ただ、それだけだったはずなのに。


 小学校の風景画で空一面に宇宙船を描いたら怒られた。

 中学校の自画像を伝説の戦士風に描いたら教師に破り捨てられた。

 絵が好きなのに『美術』と名前の付く行為にした途端、それを志す者たちから目の敵にされ袋叩きにあってしまう。否定され、罵られる。


 美術教師も、美術部の部長も、オトハの絵を決して認めてはくれない。


 好きなように、感じたまま、描くことがそんなにいけない事なのだろうか?


「僕がやりたかったことは――」


  オトハの瞳がじわりと潤む。しかし、それはすぐに決意の色へと変わる。ぎゅっとこぶし を握り締めてガタリと立ち上がった。


「いっ……!?」


 部長の腰が引けてビクビクと後ずさる。


「僕、美術部辞めます!」


 驚きに目を丸くする部長に、ハッキリとした声で。


 唖然とする部長に背を向けると、 オトハは美術室を飛び出した。小鹿のような俊敏さで廊下を駆ける。


 廊下に吹き込む春先の冷たい風が髪をさらりと梳いてゆく。


 階段を飛ぶように駆け下りて踊り場でターン。アニメみたいな疾走を見せて、そのまま校舎の外へと躍り出る。


 視界いっぱいに広がる空は青く、とてつもなく広く見えた。


 荒い呼吸のままぐるりと見渡せば、淡い緑に彩られた山々と、水を張ったばかりの田園が校舎の周りに広がっている。


 振り返り校舎に向き直る。見上げる校舎の三階が美術室だ。


「絵は……自由だぁあッ! ばぁああ――か!」


 良く通る澄んだ声をたたきつける。


 周囲で下校途中の生徒たちが、何事かと オトハを見て目を丸くしたけれど、あぁ……青春の一コマなんだ。といった具合に納得し、さして意に介する風もなく通り過ぎていった。


 権威と形式に縛られただけの世界なんて、こっちから願い下げだ。


 可愛い絵の何が悪いってのさ? 

 萌えの力があればこそ、偉大な芸術家は美人画を残し、豊満な石膏像を削りだしたはずなんだ。今に……見てろ。


 オトハは清々した、という風に鼻をすん、と鳴らすと、放課後の淡い日差しに染められた校舎を背に、再び走り出した。


 ぎゅっと握ったスマートフォンから、「キノコの娘たち」アプリを起動する。

 

 ――キノコがあれば、僕は……またきっと描けるんだ!


 それは五月の半ば、とある日の放課後のことだった。



<つづく>


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