人類VS菌類、戦争勃発? ~共存共栄の道~
ヒラタケの「キノコの娘」――平和歌恵――は、静かに稲穂先輩の方を向くと、じっとその顔を見据えた。
和歌恵の瞳はグレーでやや垂れ目。意志の強さを感じさせるハッキリとした顔立ちに、髪は肩までの長さで灰褐色でとても艶やか。そして前髪を斜めに流しピンで留めている。髪や瞳の色合いは間違いなく「ヒラタケの傘」そのものだ。
服装は「ロシアの兵隊さん」を思わせる灰褐色のコートを羽織り、縦じまの白いズボン、そして滑り止めがついたブーツを履いている。
全体的に北国の冬を思わせる服装だが、オトハたちの人間世界では春も終わり、爽やかな季節を迎えつつあるので、すこし違和感がある。
だが、季節感がズレているのは異世界跳躍の原動力となったヒラタケが、物理準備室の「菌糸ビン」で育った栽培品だからだろうか?
オトハはスケッチブックを和歌恵から受け取りながら、そんな事を考えていた。
スマホアプリ『キノコの娘たち』によって訪れた、ここ『菌界』は、一面綿のような白いフワフワで覆われた場所だった。
「オトハ! このフワフワ、綿飴みたいだけど甘くないよ!?」
「食べたのかよ……」
確かに、辺りにはほんのりと甘い香りが漂っていた。
発酵のような、何かセルロースが分解されるときの香りだろうか。
「なんだかキノコの匂いがしたけどね」
「たぶん『菌糸』なんだよ、これ全部」
「えー!? 甘いのかと思ったのに……」
口の周りを白くして残念そうに辺りを見回す樹乃香を、オトハは呆れつつ眺めた。
試食するにあたり、肩までの黒髪をゴムで結って挑むあたり、本気を感じる。貧しいながらもタフに生きる少女は、どこに行っても生きていけそうだ。
「それよりオトハ、その子が『ナメコ』さんなのね?」
「うん。僕が初めて出会ったキノコの娘。滑木滑子さん」
「ど、どうも、はじめまして。キノカ、です」
「こちらこそ始めまして! キノカさん!」
オトハに馴れ馴れしく擦り寄っているビキニ&ホットパンツ少女に会釈をすると、明るい元気な挨拶が返ってきた
友好的で明るいキノコ。それが滑木滑子のいいところだ。
「ムフフ。今回は女の子と一緒とは……隅に置けませんな少年、んー?」
「オッサンか!? ていうか、ベタベタくっつかないでよ」
比喩でもなんでもなく、本当にネバネバベタベタするナメコの娘――滑木滑子をオトハは引っぺがした。。
「もう、冷たいんだから。……友達なんだからいいでしょ!」
「良くな……うわぷ!?」
「言ったよね? なら私たちは友達だー! イエー!」
「きゃー!?」
びちゃっ! と、オトハと樹乃香の間に入り、勢いに任せてガッシリと肩を組む滑子。
挨拶を交わせば既に旧知の間柄、オトハ君のことはよく知ってます!(えへん!)……みたいな顔つきで肩を組む滑子だが、今日も絶好調に茶色い粘液が滴っている。
あっという間に腕や腰、馴れ馴れしく回された肩と、オトハと樹乃香は粘液まみれになってしまった。
「うぅ……ヌルヌルするよぅ……」
「はは、まぁナメコだしね」
社交性が高いキノコの娘だが、いちいち粘液で濡れてしまうのは何とかならないものだろうか……。オトハはもう諦め気味で苦笑するしかない。
と、友好ムード一色なオトハ達のすぐ横では、平和歌恵が、緋色の髪の少女、稲穂先輩と対峙していた。
「こんにちは、稲穂さん。私のこと……わかりますか?」
「君は……一体? まさか……!?」
「えぇ。私はヒラタケ属のキノコの娘、平和歌恵。あなたが大事に育てている『虫さん』の……餌です」
少し皮肉をこめて自分を「餌」という和歌恵だが、強い目線で稲穂先輩を威嚇するように睨んでいる。
「ぬぅ!? 俄かには信じがたいが、その姿に色つや形……わが宿敵! あの極悪なキノコに取り付いた妖怪変化……物の怪かの類か!?」
ザッ! と身構える稲穂先輩。
肩の幅に左右の足を開き、わずかに落とした腰、軽く握った拳など、何か武術の覚えがあるのが見て取れた。
「……人の家に『虫さん』を放り込んで、一人ニヤニヤ眺めているあなたのほうが危険では? キノコ殺し専門のサイコさんですか?」
「ぬ、ぬぅう! 言ったな貴様!」
「言いましたけど何か?」
バチバチと目線が交差し火花が散る。
売り言葉に買い言葉、もはや一触即発の状態だ。
「ひぇええ!? やめなよ和歌恵ちゃん~!」
「稲穂先輩やめてくださいいい!」
滑子と樹乃香は大慌てで目を白黒させた。口をあわあわと動かして、二人同じ動きでオロオロする。
ヒラタケ少女、平和歌恵と稲穂先輩は真正面から睨み合い「菌類VS人類」という、未曾有の戦いが始まりかねない状況だ。
「言うに事欠いて私を変人扱いか! いいだろう……わが稲穂家に伝わる秘儀、四十八手で貴様をくんずほぐれつ……料理してくれる!」
明らかに何か違う奥義のような気もするが、稲穂先輩が、ずい……と一歩前に出た。
「出来るかしら? ここは私の『領域』……いわば菌糸という固有結界の中ですよ」
ヒラタケ少女が腕組みをしたまま、たしっ! と足を踏み鳴らす。
稲穂先輩からは赤い火柱のようなオーラが立ち上り、平和歌恵の周囲では、白い菌糸がまるで生き物のように波打ち始めた。
もはや何処からか、ゴゴ……ゴゴゴ……と、地鳴りのような効果音まで聞こえてくる始末だ。
「わー! ストオオップ!」
「やめてよーもー!」
たまらず、樹乃香が稲穂先輩を、滑木滑子が和歌恵を止めに入った。
ブレイクとばかりに、いがみ合う二人を引き離す。
こんな時に頼りになるのは唯一の男子、オトハの筈なのだが……。
オトハは近くの菌糸の固まりに腰掛けて、のんびりとスケッチブックを広げ、エンピツを水平に構えて片目をつぶっていたところだった。
「あーもう! いい構図だったのに」
二人の対決があまりにも絵になっていたので、描き写そうとしていたらしい。
「オトハのバカ! 何のん気なこと言ってるの!」
「そうですよ、ここで争いなんてしたら神様が怒りますよー!」
眉を吊り上げて必死の樹乃香に滑子。
「……やれやれ」
オトハは立ち上がると、ポケットからスマホを取り出して、ぺぺぺっと打鍵。
ナメコとヒラタケのキノコの娘、そして樹乃香と稲穂先輩――。
四人の少女たちは、落ち着き払ってスマホをいじりだしたオトハに一斉に視線を向けた。
数秒の後。
「あのさ……。菌糸ビンにキノコが生えても影響無いって。キノコの方も虫がいても大丈夫だって」
スマホの画面を皆に向ける。いわゆるググレ……なんとかいうやつだ。
「え?」
「そ、そうなのか?」
ヒラタケ娘と先輩は、気の抜けたような声を漏らした。
「虫にとってはキノコが生えても栄養価が変わらないし、キノコにとってはクワガタの幼虫が居ることで菌糸の隙間に空気が入って、むしろ成長がよくなるとか……まぁ、諸説あるみたいだけどね……」
つまり――。
菌糸ビンにキノコが生えようが、クワガタにとっては成長を阻害する要素は無いのだ。キノコがあると成虫になってから外に出られないと言う弊害はあるようだが、元来人間の手による育成だ。それは問題とはならないだろう。
キノコの側にしてみても、オガクズの中に空間が出来ることで空気と水の巡りがよくなる、と言うメリットがあるらしい。
「そっか! なるほど、オトハすごい」
「それってつまり、自然界で、私の生える木と同じことだよね?」
樹乃香は目を輝かせ、滑子が小首を傾ぐ。
「ナメコさんの生える木?」
「そーそ。私の生える木にもさ、たまにクワガタとかの子供が住んでるけど、気にしたことなんてないなぁ……。なんだか空気が入って気持ちよくなるくらいかな」
頭の後ろで腕を組んで、滑子が笑う。
天頂に差し掛かった太陽が、その笑顔と粘液をキラキラと輝かせた。
「つまり、ケンカしなくていいってこと」
オトハはその言葉を補足するかのように飄々(ひょうひょう)と言うと、再び腰を下ろしてスケッチブックを手に取った。
ペンをくるりと回して、ビシリと遠近を図る。
「そ、そうだったのですか」
「共存……共栄、というわけか……」
和歌恵と稲穂先輩が顔を見合わせて、目を瞬かせた。
互いの無知と誤解により対立は生まれる。けれど、互いを理解しさえすればそんなことは起こらないのだ。
空気が一気に弛緩する。
肩の力が抜けて、はは、と笑みさえこぼれた。
「わかったら握手、してください」
オトハの有無を言わせぬ声に、その場にいた緋色の髪の先輩と灰色の髪のキノコの娘は、躊躇いながらも互いに手を差し出し、最後はぎゅっと手を握りあった。
「すまなかった。私が無知だっただけのようだ」
「いえ、いいんです。大事に菌糸を育ててくれた事、感謝しています」
「これからもよろしくな、シメジ」
「私、シメジじゃないんだけどなぁ……」
「僕たちは、知らな過ぎるんだよ。足元の地面や森、道端、そこで暮らす彼女たちのこと」
「オトハ……」
――知ろうとさえ、していないんだ。
「あ、でも、いい構図だから、そのままでおねがいします」
「えぇ!?」
「このままでか!? 君はキノコ画伯なのか!」
オトハにはもうそんな声も届かないのか、集中した真剣な顔つきで、するすると紙の上でペンを走らせた。新しく「知った」キノコの娘を描いてゆく。
稲穂先輩と平和歌恵はしばらくの間、握手をしたまま、引きつった笑みを浮かべ続けることになった。
ふわふわとした白い綿毛のような世界は温かく、ほんのりとよい香りが漂っていた。
(ヒラタケ属のキノコ娘「平和歌恵」編、了)
<つづく>
【さくしゃより】
次回も「身近な場所に潜む」キノコの娘にスポットを当てます。