ヒタタケ少女、平(タイラノ)和歌恵(ワカエ)と、再登場、滑木滑子(ヌメリギナメコ)
「この忌々しいキノコを殲滅する方法を教えてくれ!」
稲穂先輩はヒラタケの生えた『菌糸ビン』を指差して、オトハに詰め寄った。
「殲滅っていわれても」
オトハと樹乃香は驚いて顔を見合わせた。
本来『菌糸ビン』はオガクズにキノコの種である菌糸の破片を混ぜて熟成させたものだ。
これを室のような場所に置くことでキノコが育ち、それを収穫する。
有名なところでは、ブナシメジやエノキタケ。それにヒラタケや舞茸、最近だとスーパー店頭に並ぶエリンギ等も菌糸ビンで育てるものだ。これらはいわゆる『菌床栽培』というものでキノコ栽培として広く普及している。
けれど、稲穂先輩の用途はそもそも違っていた。
国産のオオクワガタやヒラタクワガタ、それに外国産の珍しいクワガタの幼虫を育てる為にこの『菌糸ビン』を使っているのだ。
程よく菌糸の伸びた栄養価の高いオガクズは、幼虫たちの格好の餌となる。これは自然界の朽木を模したものとなる。
「条件がそろえばキノコが生えてくるのは、しょうがないんじゃ……?」
「折角伸ばした菌糸を食べられるキノコの身にもなってください」
擁護するオトハと樹乃香。
「可愛い私のクワティーヌが、養分を吸われて痩せ細ったらどうするんだ!?」
「クワティーヌって……」
クワティーヌは菌糸ビンの中の幼虫の名前らしい。キノコはクワガタの養分を吸わないと思うと口に出さなかったのは、これ以上揉めない為のオトハの気遣いだ。
キノコの側に立って発言する二人と、クワガタの側に立ち憤慨する稲穂先輩。
議論は噛み合いそうも無い。人間同士の誤解と対立は、こうして生まれてゆくのかと、オトハは歴史の縮図を見る思いだった。
なかなか隙間な趣味を持つ稲穂先輩だが、何故に物理準備室をクワガタ育成に使っているのだろうか?
「今の日本で、天然のオオクワガタは絶滅寸前だ」
「絶……滅?」
オトハは息を呑む。
「絶滅危惧二類に分類されている生き物だ。この子達は学校周辺で、数年前に捕獲した固体の子孫なんだ」
「育てたんですか!? ここで?」
「先輩から代々受け継いで、ここまで育てるのに二年かかった」
「二年、この部?」
「そうだ。自然科学の良心を標榜する、我ら『黒光り同好会』がな!」
「いやぁあ!? 部の名前なんとかなりませんか!?」
樹乃香が思わず耳をふさいで叫ぶ。
我ら、と言っているけれど、部員らしき姿はほかに見当たらない。この部屋に入った時から稲穂先輩しか居ないのだ。
この学校では物事を深く探求することを推奨しているので「一人部活」が認められている。黒光り同好会もいわゆる「謎部」の1つなのだろう。
「黒くて硬い……そして大きい! このオオクワガタの魅力がわかるならキミも入ってくれ! オトハくん!」
ばしっ! とオトハの両肩に手を載せて強い目線で見つめる。
「先輩、途中から勧誘に目的が変わってません!?」
「とっとにかく! 健全なるオオクガタの育成に、このキノコが邪魔なのだッ!」
稲穂先輩はやにわに菌糸ビンから生えているヒラタケを引き抜こうとした。
「オトハ! あれを!」
樹乃香が叫ぶ。
「えっ!? あれって?」
「先輩をキノコ時空に引きずりこんで!」
「キノコ時空!?」
だが、反射的にオトハはスマホを取り出して、「キノコの娘」アプリを起動――今まさに引き抜かれそうになるヒラタケを画面に納め、タップ。
次の瞬間、まばゆい光が沸き起こり、物理準備室を満たした。
「なっ……! なにぃ!?」
「稲穂先輩! キノコと……クワガタは共存出来るはずです!」
「それを今から、お見せしますっ! キノコ時空で!」
「いやそれ『菌界』――」
光が視界を奪ったかと思うと、三人の意識は揺らぎ、光の彼方へと跳躍した。
◇
「――オトハ!」
第一声、視界が開けたと同時に、何かが全力で飛びついてきた。
「わぁああ!?」
ビチャリ! と滑った感触と暖かい身体の程よい重みがぶつかってきた。
ぎゅっと抱きしめられて息ができない。粘液で顔を覆われて、オトハの視界が茶色く濁る。
「ごぼごぼ――ごぼぁ!?」
「いやぁああ!? オトハが息してない!?」
「えっ!? あっ、ごめんっ」
樹乃香の声に慌てて身体を離したのは、全身粘液のナメコ少女だった。
露出した肌は茶色い粘液がたれているキノコの娘――滑木滑子――。
「っぷはぁ!? 今、違う世界に行きかけたよ!?」
「相変わらず人間は不便な生き物ねぇ」
顔中についた茶色い粘液を振り払い、オトハが全力で叫ぶ。
「ナメコの粘液で溺れ死ぬなんて聞いたことないからね……!」
「でも、また会えたね! オトハ!」
「……なんでキミが居るの?」
「え! 何それひどい! ヒラタケだけじゃなくて、私もいたんだよ?」
「どこに?」
「菌糸ビン。気がつかなかった?」
可愛らしく小首を傾げると、茶色い粘液が滴り落ちた。
「菌糸ビンに……? あのビン、ヒラタケだけじゃなかったの?」
オトハはため息をつきながら、目を白黒させている樹乃香のほうを振り向いた。
彼女はナメコ少女とは初対面だった。
その横には、ぽかんと口を開けたままの稲穂先輩がへたり込んでいた。
「な、なな、なんだここは!?」
緋色の瞳を瞬かせて、先輩がきょろきょろと辺りを見回す。
確かに、ここはどこだろうか?
空は青く妙な模様が見える、菌界の色合いだ。
けれど森でも草原でもなく、足元は白い雪のようなフワフワしたものに覆われている。
「――菌糸ビンだ」
そうか、この世界から見えれば、こういう風に見えるんだ。
オトハはそういう風に解釈したが、当たらずとも遠からずだろう。
「先輩、ここはキノコ時空。キノコたちが人間の女の子として生きている世界ですよ」
「そ、そんなばかな!?」
樹乃香は稲穂先輩に説明を始めている。
と、そこでオトハはあることに気がついた。
「僕のスケッチブックが、無い!」
ナメコに抱きつかれたときに、慌てて放り投げたのだろうか? 地面がふわふわしているので埋まってしまったのかもしれない。
慌ててあたりを探し始めたその時。
「お探しのものはこれですか?」
「あ!」
静かな声と共に、スケッチブックを両手に持って現れたのは、もう一人のキノコの娘だった。
「私は平和歌恵。ヒラタケ属のキノコの娘です」
「ヒラタケの、キノコの娘……!」
和歌恵と名乗ったヒラタケのキノコの娘は、ゴワゴワした暗色のコートを身にまとっていて、髪は灰褐色。頭にはロシアをイメージさせる暖かそうな帽子を被っていた。
瞳はグレーで左目だけを前髪で隠し、滑木滑子とは正反対、理知的な表情とあいまって物静かで冷静に見えた。
オトハは思わず見とれてしまう。
一見するとクールで落ち着いた印象なのに、胸がとても大きい。
それは長いロングコートからも判るほどだ。何故にキノコの娘はみんな魅惑的なのだろう?
平和歌恵は静かに、稲穂先輩の方を向くと、ペコリとお辞儀をした。
「こんにちは、稲穂さん。私のこと……わかりますか?」
「君は……一体? まさか……!?」
<つづく>