ソウマ編 緑小鬼の大侵攻7終 もう一つの戦い ゴブリンVS蟲人
ソウマが未知のゴブリンと対峙していた頃、裏でゴブリンを操る青いコートの髭男の元に向かう4つの人影がいた。
彼等は蟲人種と呼ばれる亜人種で、魔力を操る魔蟲が知性を宿して進化した希少な種と定義されていた。
非常に希少な種とされエルフよりも総人数は少ない…と学者が書き記した書物に残っている。
大まかに分類すれば、皇種>騎士級=特異級>兵士級と呼ばれる階級に別れているとされる。
1番低い兵士級でも天然の武具である蟲人固有の能力【生体武具】を有し、手に種族専用武器と甲殻を纏って如何なる状況でも対応する事が可能だ。
蟲人自体の戦闘能力は高く、それは人間種の兵士とは束になっても比べ物にならないほど強い。
魔蟲から進化した者は蟲人、更に底から年月をかけて蟲人から存在進化した者を一般的に魔蟲人として区別して呼んでいる。
其処より先に進めるかによって、騎士級や特異級までに成長出来るか否かが別れる境界なのだ。
特に騎士級や特異級は、兵士級とは一線を画する正に一騎当千の戦闘能力と知性を有する。
人間種の国と蟲人種の国で遥か昔に戦争になったとき、連合を組んだ人間は兵3万人と数にモノを言わせ有利な勢力で戦闘を進めていった。
個が優秀でも元々数が少ない蟲人種は、1万にも満たない軍勢で迎え撃つも、徐々に後退して圧倒的不利な状況に置かれた。
当時、騎士級と特異級で構成された300名の寡兵で3万の人間種の軍勢を撃ち破ったとの逸話が残されるほどで、事実かどうかは情報が書かれた書物が一切途切れており現在不明だが、実際に戦争はそこで終結していた。
集まった蟲人の数は4名。
その中でも1番身長が低いながらも気高さと気品を兼ね備えた銀髪美少女は、周りを囲まれながら付き従うように一緒に来た人影にやんわりと答える。
「シアノさん…私にもお手伝いさせて下さい」
先頭を行くのは片腕の1人の青年。良く見れば眼をバイザーのようなモノを装着して行動している。
不思議な事に全く障害物に当たる事なくスイスイと驚異的なスピードで進んでいる。
口元をマスクで覆い、背に蜻蛉のような翅を折り畳んである青年は隊列の1番後ろを行動し、上半身は人型で下半身は蜘蛛の形態を保っている人物にOKの合図を出す。
そして中央を守るように行動しているのは、スレンダーな体型で水色の髪をボブカットにした乙女。
黒のカラーリングされた尻尾を走る毎に可愛らしく揺らし、お尻をフリフリさせていた。
キツメ…と言うか勝ち気な顔立ちの美女である。
シアノと呼ばれた彼女が代表して答える。
「マユラ姫様、有難いお申し出です…が、寧ろ後は私共にお任せ頂き、危険ですので後方へとお下がり下さい」
それに…と続けて、
「やっとグラス様とカーム達を討ったあの憎き張本人を見つけたのですから…イクサ、間違いか?」
彼等は復讐者だ。
時間をかけ、情報を集め、地道な努力のもと仲間を殺した者達を探し続けてきたのだ。
そして、ようやく目星をつけた。
片っ端から怪しい集団を潰して、残ったのが目星をつけたこの集団だった。
直ぐに復讐したい気持ちを抑え、標的の動向を観察する事は非常に忍耐を強いられた。
そして今日、動き始め周りを固めるゴブリン共が激減した為に、ようやくチャンスが訪れた。
その憎しみに籠った眼で遠く離れた丘の上を睨み付けた。
イクサと呼ばれたのは隻腕に背に翅を生やした青年だ。
兵士級の実力を持つ優秀な斥候役を担っている。
バイザーに映し出された情報を読み解くと、蜻蛉の複眼がキラキラと光を反射させ、はっきりと青いコートの髭男を捉えていた。
優秀な斥候役が多い蜻蛉型の蟲人であるイクサは、半径1㎞範囲内に件の人物を捉えている。
「間違い…アリマセン。妹姫様を皇国へとお送りした際にオソッテキタ賊にチガイナイ」
明瞭な発語ではないものの、絶対の自信を伺わせる言葉。
蟲人の中でも広範囲探査系スキルを秘めた複眼は暗い光に反射して捉えた獲物を離さない。
「やっとか…やっと兄貴の仇が討てるぜ」
そう息巻くのは蜘蛛型の蟲人であるゼクター。彼も兵士級の実力を持つ。
上半身は人間、下半身は蜘蛛で、下半身から糸を放ち敵を捕縛する事に長けた蜘蛛型の蟲人だ。
「ゼクター…ごめんなさい。私の双子の妹を送って貰うばっかりに貴重な騎士級であった貴方の兄上を結果的に死なせてしまった…」
項垂れる銀髪美少女に、慌ててゼクターが声がける。
「いやいやいや、マユラ様がおきになさることではないですぜ!?
兄貴は無事に妹姫様を本国まで送り届ける為に散っただけ…キッチリと皇族の方を護り魔蟲人としての兄貴の役割を果たしたんです」
「私にも家族である妹を無事に送り届けて頂いた恩があります。微力ではありますが、お手伝いさせて下さいましね」
そう伝える。
強い決意を以て語られた言葉に、シアノ達は深い感謝の意を表す。
マユラは自身の生体武具を発動させた。
身体には星の輝きを散りばめた皇鎧衣が銀の髪に映えている。
両手には双星槍。
その姿を見るだけで、蟲人たる自分達の体の調子や力が若干だがみなぎる感覚を受けた。
古来より限られた魔蟲皇人の持つ高貴な魅力は、付き従う相手に力を与えるとされている。
これがそうかは解らないが、継承権を放棄したとしても、マユラ様は紛れもなく我らが守るべく至高のお方なのだと感じさらせられた。
彼等の魔蟲人と蟲人で構成された組織が、自国である皇国の姫たる妹をこの王国の貴族から助け出して、保護したのは3週間も前の話。
連れ去られたものの、後に双子の姉たるマユラ様も自力で脱出して此方へと合流した。
しかし、双子の姉は継承権を持つがそれを放棄して出奔する事を選んだのだ。
長い間、新たな皇種が産まれなかった。
それが今年に限って何人も生まれたと報告が上がってきた。
魔蟲人にとってそんな彼女達女皇候補は、正に大切な希望の宝。
せめて妹姫だけでも無事に本国へ送り届ける為に、この地方で最強の実力を持つ上魔蟲人で甲蜘蛛型の騎士級グラスが同行する。
彼は優しい性格で全員から信頼されている。
それに戦闘面では蜘蛛型蟲人系統で初めて放出する糸に魔力を上乗せし、糸自体に切れ味を加えた独自のスタイルで戦う異才である。
皇国の騎士団でも上位に所属していても可笑しくない実力を兼ね備えていた。
ちなみに蜘蛛型の蟲人であるゼクターとは兄弟である。
ゼクターは兄であるグラスを天才だと思っている。生来の生糸は粘着力が高いだけで耐久性など全くない。その優れた粘着性で敵を捕縛させやすくしているのだ。
その生糸を魔力を注ぐ事で耐久性を上げ、更に斬れ味まで上昇させて独自に【斬糸】と呼ばれるまで昇華させた。
試しにゼクターも自身の生糸に魔力を流したが、練り込む魔力が足りなくてへにゃっとなるのが限界。耐久性などなくとてもではないが斬れない。逆にただ魔力を込めて流しすぎると糸が限界を迎えて持たない。
兄は自身の糸を見極め…魔力配分とバランスを調整しながら、幾千幾万と修練を重ねることで斬れるまでの魔力の精緻コントロールが可能だって笑っていたのだが。…やっぱり弟として兄の歩んできた膨大な修練を思うと誇りに想うのだった。
兵長級の大きな殻で身を守る防御に長けた甲殻虫型の経験豊富な中年ガサムと、ストールのような衣装を纏った亀虫型の魔蟲人の女性ビァタの2名が守りを固める。
そこに兵士級の蜻蛉型で斥候役のイクサと同じく探査役のカームの2名とが護衛として出立した。
戦闘能力の高い唯一の魔獣型の魔蟲種であるマンティス・ナーガの兵長級シアノと、敵の捕縛に長けた蜘蛛型の蟲人ゼクターに同じく兵士級であり鋭い顎を持つ蟻型蟲人のデルスがこの地に残るマユラ姫を守る為に残る。
無事に妹姫を送り届け、仲間の皆が帰ってくるのを待つ筈だったのだが。
帰還予定日になっても仲間が帰らない。
最初の内は何日かずれることもあると心配などしていなかったのだが、流石に月日が立つ程になると疑念と心配が彼等を襲う。
それでもこの地を離れる訳にも行かず、焦りと心配を我慢しながら待っていると、皇国から来たと言う全身に武具を纏った美しい魔蟲人が組織の隠れ場に訪ねてきた。
同行者に左腕を失った蜻蛉型の蟲人イクサを連れて。
隠れ場にて、マユラを見付けると片膝を付いて、兜を外す。
さらっとした橙色の髪が流れるようにこぼれ落ち、4つの触覚を持つ美しい顔立ちの女性の顔を表した。
「姫様…いえ、報告では皇位継承権を放棄なさったのでしたね。
では、マユラ様、お目にかかれて光栄でございます。
私の名はカリスト・アンナマリー。
女皇陛下にお仕えする皇室の特選蟲騎士団に所属する極騎兵の内の1人でございます。お見知りおきを」
シアノ達は聞き覚えがなかったが、マユラはハッとした表情となった。
特選蟲騎士団とは女皇のみに忠誠を誓い、身辺警護に武具の携帯すら許された凄腕の私兵達。
特に最上位の極騎兵ともなれば現在3名しかおらず…間違いなく皇国最強の実力を持つ蟲材だった。
女皇候補のマユラですら詳しい情報は知らない。
カリストはその後に続けて、護衛チームがどうなったのかを聞かされた話に一堂は仰天する。
本来ならば有り得ないほどのゴブリンの大群れに襲撃にあったということに。
襲撃事態は護衛チームの献身的な活躍でマユラの妹は皇国まで無事にたどり着いたこと。
しかし、護衛チームの騎士級グラスの死亡。
その他にもガラムとカーム、ビァタも死亡し、唯一イクサだけが生き残れたのだと、伝えられた。
残された者達に一同沈黙がおりる。認めようのない事実を告げられた。
真っ先に我に返ったのはゼクターだ。
「カリスト様…ちょ、ちょっと待ってくださいや。本当に兄貴やガラムの旦那、カームの野郎は死んだんですかい?急に言われても俺には信じられんのですよ」
「落ち着ケ、ゼクター…悲しいガ事実ナノダ」
諌めるイクサに、キッとした表情を見せるゼクター。
「良い…イクサ」
そこへカリストが手で制する。
カリストの無表情ながらに美しい両眼で見据えられると、焦るゼクターの心に冷風が吹くように落ち着きを取り戻した。
「そうか、お前がグラスの弟のゼクターだな…奴に良く似ている」
「!兄貴を知ってるんですかい?」
「グラスがこの地方の責任者となって皇国を去るまでの間…だがね。当時から強く…何より優しい男だったよ」
フッと寂しそうに笑った。
「だからこそ、ゼクター。辛いだろうがグラスの死を受け入れて、奴のように強くなれ。
勇敢で誇るべき死だったのだから」
護衛チームは王国を抜け、暫く進んだ場所で700を越えるゴブリンの大群に遭遇したと語る。
斥候に出ていたカームが発見した時点で何処かに隠れてやり過ごす予定だったのだが時は既に遅く、多すぎるゴブリン達に発見されて囲まれそうになっていた。国境にある峡谷には、同じく蟲人の組織がある。そこへ救援を求める為に、チームで1番機動力がある蜻蛉型蟲人のイクサが選ばれ、先行する。
残ったメンバーは妹姫である障壁蟻を無事に送り届ける事にした。
峡谷を越えるまでの間、群がってくるゴブリンを正面突破して蹴散らしながら進む。
後方にはガラムを配置しバックアタックの際に持ちこたえるだけの戦力を配置し、殲滅力が高いグラスが斬糸と呼ばれる切れ味の高めた糸を放出して目的地のルートを塞ぐゴブリンを装備ごと切り刻む。
グラス1人で100体以上を殺し尽くした事から、その戦闘能力の高さが伺える。
なおも執拗に追い掛けてくるゴブリン相手に護衛チームは軽傷を受けながらも、ようやく峡谷に辿り着けた。
あともう少し…しかし、そこまでが彼等の限界でもあった。
通常種では勝てないと分かったゴブリンが、上位種のレッドゴブリンやゴブリン・リーダーよりも強力なゴブリンウォーリア、ゴブリンマジシャンを始めとすら戦闘能力の高い個体を纏めるゴブリン・ジェネラルを差し向けてきたからだ。
流石にキングこそいないが手強い相手だ。一気にそこからの進行スピードが遅くなる。
ゴブリン達の僅かな綻びから、何とか切り抜けたものの、少なくないダメージを全員が受けていた。
特に亀虫型の魔蟲人ビァタは、戦いながら体内より合成して噴出させたガスを何度も相手に浴びせた事で負荷と無理が祟り、駆けることで精一杯になっていた。
そして、護衛チームの疲労は限界に近い。
強行軍で保っていた距離はいずれゴブリンに追い付かれるのも時間の問題だった。
それと先程の戦闘で、ゴブリンマジシャンの魔法がカームを狙い、10を越える火、土、風の玉に襲われ回避しきれずに翅と背中とを直撃した。
負傷も酷く、被弾して落ちたカームを担ぎ上げたガラムが運んでいた。
「オレハ…助かナイ。ステテ下さイ。ガラム兵チョウ」
「黙っとれカーム。喋ると傷に障る」
「シカシ…」
「総員止まれ」
突然発せられたグラスの口調には、即座に命令を遵守させられる強い緊張感のもと、真剣な表情で前方を睨んでいる。
チーム全員が警戒体勢をとる。
「前方から此方に近付く何かを感じる。この気配は…イクサか?」
ふっと細くした双眼を緩める。
その言葉通り、イクサを先頭とした蟲人達が此処へと集まってきた。
皇国に近いこともあり、イクサからの報せを受けた魔蟲人達が総勢30名は駆け付けてくれたのだった。
立派な体躯と角をした兜甲虫型のかなり高齢だが明らかに格の違うと思われる上魔蟲人が前へと出て、グラスへと話し掛けた。
「儂の名はオオカブト・ゴイーヌと申す。
国境警備の将軍をしておる。そこの蟲人より報告を受けて参った。
数百を越えるゴブリン共から姫君を護り、送り届ける大義、まことにご苦労であった。後は我らに任せよ」
「オオカブト…かのアトラス戦役の英雄ではありませんか。私はグラスと申します。
歴戦の勇士たる将軍に拝謁出来て光栄です。
これで安心して姫様をお任せ出来ます。どうか宜しくお願い致します」
「うむ…任された。して、うぬらはどうする?共に来るか?」
妹姫をオオカブト老将軍へと任せると、グラスは首を横に振る。じくじくと脚から出血が止まらない。
「私は先程の戦闘でもう脚を傷付けられ、移動に関してもう満足に動きません。
足手まといになるよりはせめてここへと残り、皆さんが無事に姫様を皇国へと護送出来るように、少しでも長く足止め致します」
「しかし、怪我人もおりますゆえ…私のチームメンバーを皇国までお任せしても宜しいでしょうか?」
その切実な願いは、聞く者に自らの命を捨てでも護りたいと想う強い証が感じられた。
「イ、イエ。オレも…ノコリ、ま、す。長クナイ。死ヌク、ラ、イナ、ラ奴ラ、道ズレニ」
息も絶え絶えで話すカームはもう死相が浮かんでいた。
反対することは簡単だ。最期の思いとして本人が強く望むのだ…好きにさせてやろう。
他のメンバーはと言うと、
「ならばカームと儂が殿を務めるから、皆は先に行くのだ。
なぁにそろそろゴブリン相手に走るのも飽きてきたしな。肩慣らし程度には丁度いい雑魚どもだ」
「私も残るわ…正直、ガラムだけでは足止めは役不足だわよ。死ぬ気ですればガスもまだ噴出できる筈。
グラス様とイクサだけでもこのまま妹姫様の護衛に付いて…」
あぁ、私の部下達は仲間思いのバカばっかりだ。生き残れる確率はないと分かっていて…それゆえに…護りたかった。
「急ぎ故に此方も最低限の数しかおらん。救援は此方へ来る前に要請済じゃ…が。儂らもなるべく早く救援に駆け戻る…それまで頼むのじゃ」
オオカブト一行に敬礼を持って送り出した。
護衛は終了した。あとは……………。
グラスとの話し合いの末、結局、護衛チーム全員がその場に残る事になった。
せめてもと、オオカブトの好意で置いていってくれた特効薬や傷薬、食糧を食べて英気を養った。
ほどなくして追いかけてきたゴブリン。その後の戦闘は苛烈を極めた。
まず最初にイクサとカームがゴブリンマジシャンを選別し、3体倒したのちにゴブリンウォーリアに襲われてカームが倒れた。
イクサは混戦となり、ゴブリンに呑まれて姿が見えなくなった。
ガラムが全身装甲を身に纏いながら残りのゴブリンマジシャンを優先的に排除していく。
ガラムの物理防御力は高いが、魔法に対しては防御が薄くなるゆえに戦場に魔法使いがいるだけで脅威なのだ。
そのガラムと組んで、ビァタも自らを溶かす程の強いガス量を噴出して多くのゴブリンウォーリアを殲滅した。
グラスの斬糸はそんな彼等を少しでも生かす為に、彼等の動きの邪魔をするゴブリンを駆逐する。
ゴブリンマジシャンを駆逐し終わる頃には、大量の屍が地に転がっている。
3名がお互いの背中を預けてあう。見れば身体の至る箇所に剣や矢が刺さっている。
その光景に口から血を流しながらもガラムが笑う。
「フゥゥ、昔もこうやって修羅場を潜り抜けましたなぁ」
「…あの時からガラム、ビァタには世話になった」
「……」
ビァタは無言で立ったまま、既に息絶えていた。
「……くぉぉークソゴブリンどもが!!」
猛るガラム。
怒れる彼はゴブリン・ジェネラルによるハルバートの一凪ぎによって傷付き続けた全身装甲は壊れ、上半身が別れて最期を迎えた。
しかし、最期のガラムの顔は嗤っていた。
その捨て身による一瞬の隙をついてグラスはゴブリン・ジェネラルの懐まで潜り込んだ。
2人の共通目的は何としてでもゴブリンの大将だけは討つ…との一念だった。将が討たれれば後は纏める者がいないゴブリンなど皇国の蟲人達にとって殲滅は容易い。
ガラムの嗤い顔は、苦楽を供にしたグラス様ならばゴブリン・ジェネラルを殺れると信じていたからに違いなかった。
魔力供給が切れたグラスの斬糸では、もうゴブリンウォーリアすら斬ることが出来ない。
それでも糸を牽制や拘束に使い、手にした剣で切り捨ててきた。
満身創痍。
グラスが首へと剣を振るう前に、体勢を崩したままで無理に放たれたゴブリン・ジェネラルのハルバートの一撃の方が幾分速かった。
肩から下腹部を貫通して袈裟斬りにされるも、グラスの放つ剣は綺麗な剣閃を描いてその勢いを衰えさせずに剣を首に這わせる。グッと硬い感触が手に残り抵抗してくる。
しかし、命を捨てた最高の一撃と長年の訓練がゴブリン・ジェネラルの屈強な首の筋肉すら断つ事を可能にさせたのだ。
両者ともその場に崩れ落ちた。
グラスは血だらけで身体中に突き刺さる剣と矢を眺めた。
両手は健在だが8本あった脚は切り取られ、3本しか残っていない。
明らかに袈裟斬りは致命傷で、皮一枚で繋がっているし他にも何故ここまで動けたのか理解不可能な重傷がある。
「まだ、だ。ま、だ、倒れる訳にはい、かな…い」
何とか声を絞り出すグラス。
「マリー…すまないが約束は果たせそうに…ない」
かつて誓い合った女性の顔を思い出したグラスは、苦痛ではなく、悔恨の表情のあと一瞬だけ微笑みを浮かべた。
ゴブリン・ジェネラルが倒されて混乱していたゴブリン達であったが、それも収まり醜悪な笑みを浮かべてゆっくりと迫り来るゴブリン達を睨み付ける。
体内に魔力を高め、残る全てを下腹部へと注ぎ込む。
出血が一瞬酷くなるが直ぐに出血すらもなくなり…崩れ落ちるように体の負担も倍増して僅かな命の灯火すらも…。
「我、が命を…睹す。
闘、気、吸い上、げ、魔力、の糧と、して残らず全て燃え上が、れ…爆命散華」
充分に魔力を吸った灼熱の糸が天と地に高速で拡散していく。
蜘蛛の巣の美しさと残酷さは一種の華を思わせる。
半径10mの全てに等しく絶望と無慈悲さを伴ってその威力を放った。
ゴブリンとの混戦となったイクサは生き延びていた。
片腕を失いながらも戦場からゴブリンウォーリアを少しでも多く引き離し、死ぬ気で各固撃破していたのだ。
ようやく戦場へと戻って来れた時に、大きな爆発があった。それはグラスの最期の輝きを以て放たれた最高の技であった。
その爆発の爆風の余波で飛ばされたイクサは、運良く大樹の枝へと引っ掛けられた。
身体中から力が抜けていく感覚を味わっていると、青いコートを羽織った男がゴブリンを付き従えさせて現れた。
灼熱の温度を保つ地面や焼けついた現場もモノともせず、
「ハハッ、インセクトノイドとは珍しい。
ゴブリンにはその都度死体を回収させていたから良かったものの…遅れておったら全て燃えカスになるところだったわ。
幸い、半壊しているが質の良い素体サンプルが最後に手に入った。蟲人固有の生体武具スキルだったかな?
これで新しい術式としての解明が進む。
ハハハッ、見掛けて追ってきたかいがあったと言うもの。
たった5体でゴブリンジェネラルを狩られたのは痛いが…ゴブリンなんぞ何匹死のうが幾らでもサンプルはいるからな。いずれまたジェネラルが生まれる」
上機嫌に笑う男の顔を、薄れゆく脳内に何とか残そうと目に焼き付けたイクサ。
イクサが気を失い、次に目を覚ましたのは見知らぬ天井のある部屋に、見知らぬ蟲人が1人佇んでいた。
そこは皇国の国境にあるオオカブト老将軍の屋敷の1つであった。
片腕にも治療がなされており、節々が痛むがそれ以外に問題はない。
あのあとオオカブト達は妹姫を本国へと届けたのち、手勢を率いてグラス達と別れた場所へと大急ぎで戻ってきたそうだ。
そこで見たものは大規模戦闘の痕であり、散らばる大量のゴブリンの死体のみ。
先に駆け付けていた救援部隊の責任者からゴブリン・ジェネラルの死体1部と上位ゴブリン達の100を越える死体を発見したと報告を受け、傷だらけのたった5人での戦力で行える事ではないと戦果に驚きを隠せないでいた。
肝心のグラス達はいくら探しても見当たらず、大樹の上で枝に守られるように気を失ったイクサを発見したそうなのだ。
そこで応急措置を受けたイクサだけでも医療施設のある屋敷へと連れ帰り、保護したと言う訳だ。
イクサは覚えている限りの出来事を、オオカブト老将軍に伝えて欲しい…と、話した後に極度の疲労で再度気を失った。
後にオオカブト老将軍は「皇国を護り、将の噐たる才気溢れる有能な蟲材を失った…」と周囲に語って嘆いたとされている。
「この顛末を重く見た女皇陛下は、仲間の帰りを待つ貴女方に私を使わし、説明と謝罪。
そして組織を一度解散してこの地方からの一時撤退を決めたのですよ」
シアノは全てを語り終え、諭すように話すカリストを他人を見るように冷たく見返した。
「仲間の命を賭けた最期をお伝えして頂いたこと、有り難うございます。しかし、仇を討たぬまま解散など…冗談ではありません」
「そうか…女皇のお言葉は伝えた。ではマユラ様、私は失礼致します」
そう呟き、カリストはあっさりとその場を離れていった。
組織の一員で兵士級の蟻型の蟲人デルスだけは脱退する事を選び、皇国へと向かい去っていく。
残ったシアノ達はあれから組織を飛び出て、情報を集めながら仲間の仇を探し求めて、ようやく今に至るのであった。
生体武具で目がバイザーのように変化し、イクサの探知能力をフルで使い、現在敵は無数に広がるゴブリンとは距離を置いて、1人離れた場所の小高い丘にいた。
きっとグラス達を襲撃した時と同じ、自身が獲物と定めた魔物ないし人間種を襲わせて高見の見物を決め込んでいるのだろう。
そう考えたら、シアノとゼクターは抑えていた殺気が溢れでそうになる。
しかし肩にそっと手を添えられる。振り抜けばマユラが悲しそうな表情で見つめていた。
「折角イクサさんが仇を見付けて下さったのです。ここではなく、あの場で…存分に発揮しましょう」
「姫サマのイウトオリ…オレもアノトキ生き残ッテシマッタ責ニンヲハタス」
バイザー越しに見えるイクサの眼は底冷えするように冷えきっていた。
その視線に両者は頭が冷える。
「っ、すまねぇなイクサ。お前が1番辛かっただろうに…」
「同じくすまない…イクサが生き残ってくれたから仇が判明したのよ。だから、有り難う。共にアイツを討ちましょう」
戦力的に此方は4名。
索敵した結果彼方は1人…だが、相手は1人でも未知なる戦力を兼ね備えている油断のならない相手だ。
目標へとじりじりと迫り、半径が500mを切るとイクサが先行して初撃を与える役割となっている。
その間に合流して増員されるまでに討つ手筈になるので、短時間決戦で挑まねばならない。
乗り越えるハードルはあるものの、ここまで順調に進んだ。あとはやるだけだ…彼等は改めて決意を旨に実行に移した。
蟲人達が黒幕である青コートの髭男へと戦闘行動を開始した頃、ソウマの方では決着が付いていた。
虫ゴブリンはダンゴムシのような甲殻を全身に纏って此方へと突進してきた。
ドラゴントゥース・セカンドを狙い澄まし、解き放つ。
輝く矢の飛来を避けることは叶わず、易々とその甲殻を突き破る。
一般的な弓矢ではこうはいかず、矢すら弾かれていただろうが。
レア級の弓の威力でも、突き刺さることはあっても浅い表面だけでここまで突き破る事はない。
ドラゴントゥース・セカンドの弓の完成度の高さと、ソウマ固有のスキル【セフィラ】が効果を2倍にさせている為に起こせた事象だった。
1度に2矢…反撃も許されぬまま虫ゴブリンは体中に矢を生やしている。
現在は正に虫の標本の如く輝く魔力矢によって縫い付けられており、最初こそ再生していた身体も次第に再生する力が失われた。
警戒していた通り、虫ゴブリンの体内から大きな魔力のうねりを感じ取ったソウマは形となる前に徹底的にそこを射ぬく。
ボヒュウゥ…と虫ゴブリンが突如溶け始め、ついに物言わぬ骸と化した。
背後では未だ戦うグラン達とエル。数は明らかにまだゴブリン達の方が多い。
味方の負傷者はいるが誰も死傷者はいないようだ。
そうなれば残る敵などソウマの現在の戦力では有象無象でしかなく、立て続けに射たれた矢によって、一体も残らずゴブリンの殲滅が完了した。
念のために戦弓眼以外に気配察知とマップ併用して見るが、スキルの届く範囲では敵の気配はない。
「何と言うか…改めて見ると凄まじい攻撃ですな」
死を覚悟していたグランは、ようやく生き延びた実感を強く感じていた。
ゴブリンは殲滅の一言に尽き、この方が味方で良かったと…。
もし敵にそのような者がいようなら…戦いにすらなりえなかったこんな死に方だけはしたくない。
呆気なさすぎる展開に寧ろソウマはまだ何かある…と、警戒しながらも戸惑っていたのだが、次第に味方の上げる歓声に「終わったのか」とやっと感じた。
上位ゴブリンも少なく、またこの規模の纏め役であるゴブリン・ジェネラルもいなかったのは、そう言う理由があったのだ。
ゴブリン・ジェネラル等は個体としての戦闘能力の高さもあるが、それ以上に厄介なのは存在するだけでも配下のゴブリンに対して能力補正が入るスキルを有している事だった。
只でさえ数の多いゴブリンが強力になって襲ってくるのは、ソウマやエは兎も角、グラン達が相手をしていれば持ちこたえることなく全滅していたに間違いなかった。
暗闇の中を改めて周りを確認すれば人間の死臭や死体、そしてそれ以上にゴブリンの酷い損壊のある死体が大量にある。
それらを見たら気持ち悪いな…という不快感はあってもソウマの心には動揺も吐き気等の強い影響は何も起こらなかった。
どうやら戦闘において不要な感情を感じなくなってしまったようだ…と勘違いするほど冷静な思考で、普通の人間らしい感情は沸いてこない。
(これも進化の恩恵なのか?今は有り難いけど…)
努めて深く考えないように想うソウマだった。
ソウマが駆けつけるまでの死傷者37名を出して、ゴブリンとの一先ずの戦いは終わった。
総勢ゴブリン300体を相手に亡くなった人数は少ない。
戦友を失い悲嘆する者、怒る者、座り込む者、生き残れた事を喜ぶ者…グランはそれらを纏めて撤退の準備を始める。
が、しかし、次の戦いは別な場所で既に起こっていた。
ソウマ達が撤退を始めた時に、遠くの小高い丘から大咆哮が聞こえた。
それは聞こえた者の心胆を震え上がらす程の不気味で異質な声色。
グランと兵達は疲労困憊の上に新たな敵の出現に、ソウマとエル以外の全員が軽い恐慌へと陥り金縛りにあったように動けない。
疲れもそうだが、生物的本能が大咆哮に込められたプレッシャーにあがなえなかったのだ。
ソウマは急ぎマップ確認をすると、北上にある敵マーカーが1つ見えた。
暫く待機していたようだが南下し始め、次第にぐんぐんと速さが上がっていき、驚異的なスピードでその場から離脱していく。
此方へとこない事を伝えるとホッとした者達が多い中、ソウマがハッと気付く。
「ソウマ殿…お願いがあります。
将軍を…あの方と我らの兵をお守り下さい。残念ながら…重傷を負った我らでは、直ぐには救援に動けません」
「解りました。どの道ここの撤収作業もありますし…敵もこれで終わりとは限りません。なので安全の為にもこの場で待機し、後方の守りをお願いします」
言うなりソウマは駆け出す。
「ソウマ殿…忝ない」
後方でグランが頭を下げた。
この会話から、グランとソウマには先程の正体不明の存在が向かう場所に心当たりがあった。現在多くの冒険者と残る兵達による東詰所に間違いなかったのだ。
暗闇の中で行われた緊急召集。
兵に会議室へと案内され、そこにはトンプソン将軍と副官ナルサス。
そして兵士を纏める騎士が数人が待っていた。
冒険者代表の僕は、他に数名の纏め役の冒険者と一緒に中へと入る。
「レイナード・ヴァリス、他、マルス、エビラン、ガゾック到着しました」
「うむ、入れ」
そこで聞かされたのはゴブリンの侵攻が既に始まっており、現在交戦状態だと告げられた。
「各々準備が整い次第、各班に別れ出発して欲しい。救援に対して臨時の報償を出そう」
そこで短く話し合いが行われた。決まった瞬間、将軍は素早く指示を出す。
僕たちは情報交換をしつつ退出し、各グループの元へと向かった。
先輩冒険者であり、厳つい顔の割りに面倒見の良い大男がレイナードへと近付く。
鉄腕との別名を持つマルスは、その腕の筋力と豪快な破壊力から自然と呼ばれるようになった斧使い。本人のランクはC級だが限りなくB級に近い実力があり、今回の依頼達成で正式に冒険者ギルドからランクが上がる予定なのだ。
そしてC級冒険者で構成されたチーム【鉄腕】を率いて、第2職業者の領域にいる斧戦士に就いている。
「よう、坊っちゃん。ちょいと良いかい?」
「坊っちゃんはもう止してくださいよ…構いませんよ」
「へっ、俺から見たらまだまだ坊っちゃんだよ。
なぁに、このゴブリン討伐の依頼だがよ、どうもキナ臭い臭いがしてなぁ…俺の勘でしかないが、ただのゴブリン退治とはいかないような気がする」
「なるほど…他の人なら兎も角、鉄腕の別名を持つマルスさんの言うことなら信用性がありますね」
実際にマルスはかなりの戦をこなしてきた熟練者だ。その全てに生き残ってきた生存本能が告げるのであれば、彼の言うことは大いに信憑性があるとレイナードは一考する。
余りに素直に頷くので言ったマルスの方が逆にきょとんとしてしまった。
「ふん…まぁ気にかけといてくれや。自分で言っておいてアレだがよ、坊っちゃんはもう少し人を疑う事を覚えておく方がいいぞ?」
それはバカにした言い方ではなく、純粋に心配からくる言葉だと解っているので笑顔で返す。
「僕とて、人の汚い所を見てきています。マルスさんだからこそ…ですよ」
「流石若くしてなったB級冒険者様だよ。じゃあな、また後で会おう」
そう言いつつ照れ笑いをしながら去っていくマルスを見送り、早足で自身のチームと班の元へと駆ける。
待機場所ではアーシュとドゥルクが待っていた。
まず会議室での情報と依頼を伝える。
アーシュは率いる班に得た情報を伝えに行き、そのまま残ったドゥルクと共に出発の準備へと取り掛かる…が、ドゥルクから待ったが掛かった。
鍛冶の亜神の加護を授かった事を告げられ、大いに驚く。加護を授けられる程の仲間を誇らしく思い、直ぐに祝福の言葉をかけた。
嬉しそうにドゥルクは受け取って、こう提案してくる。
「レイナード、時間がないことはわかっている。だが、お前の黒剣を貸してくれ。
いま、貴重な素材である星の砂が手に入った。
加護の力もあって間違いなく黒剣を一層強化出来る。火を入れてあるから、そんなには待たせない」
「僕の黒剣を…でも、時間が…」
「それは解っている。だが、レイナードの剣はハイノーマル級だった筈だ。そこからもう一段階上げられるだけの素材だ。レア級になれば剣にスキルも付くだろう」
その魅力的な提案に心が揺らぐ。
ソウマに自身の力に絶対的な自信を破られた。それも今の自分では到底真似できないやり方で。
これまで格上の魔物とて3人で力を合わせて葬ってきた。それでも上には上がいる。足掻いても現在の僕たちでは勝てない存在がいることを知った。
力が欲しい。そんな場合でも抵抗出来る力が。仲間を守る力が。困難に打ち克つ力が。
迷うレイナードの気持ちに、後押しをしたのは帰って来たアーシュの一言だ。
「ドゥルクの提案を受けてみたら?
私達しかいないのなら、仕方がないけど少しくらい遅れたって今回は他の人達もいるわよ。より強くなった武器で挽回すれば良いじゃないの」
そうニッコリ笑う彼女の言葉がすんなりと心に入り込み、ドゥルクに強化をお願いしたのだ。
結果として最後と出遅れはしたものの、それが幸運を呼んだ事は間違いない。
彼等を待ち受けていたのは最速で出発したエビラン、ガゾックが率いた冒険者チームが広範囲魔法によって全滅した姿だったからだ。




