贖う者 中編
大変お待たせして申し訳有りませんでした。
絶望感に彩られた光景から…気付けば現実世界へと一瞬にして意識が戻っていた。
辺りを見渡すと、私達はまだ隠し通路から外へと繋がる移動の最中であった。
グレファンは間違いなく己が死んだと知っていた。いま生きているのに可笑しな表現の仕方だが、あの大規模魔法を食い止めるために正しく身を削って死んだ事を覚えていたのだ。
それなのに何故…と、混乱が自身の思考を支配する。
不意に止まっていたグレファンを訝しむ視線と、妹であるナタリーから心配そうに声を掛けられていても気付かない。
「まさか夢、だったのか」
と…。呟くのみであった。
他にも様子がおかしい者達がいた。ジーン、ヤラガンだ。
彼等もまた立ち止まったまま、白昼夢を見たようにボゥとしていた。
寒くもないのに薄ら寒い。
それは彼等の全身を襲う死のプレッシャーからだった。
何一つ傷はなく、健康な身体だったのだか1度死んだと判断している思考は嘘をつかない。その違和感が拭えずに本人達も酷く混乱していた。
死が自らに訪れた筈。顕著に手や足を触ったり、首を撫でてみたり…と、生きている実感を求めて無意識的にそんな行動を行っていた。
しかしどうやら現実に間違いないと確信し始めれば、そこから立ち直るとまでは早かった。
暫く何かを考えるように暫く俯いていたグレファンは、意を決してそこにいるメンバー全員にこの不可思議な経験を語った。
これから起こる未来の出来事とその顛末。そして行われる会話…全て覚えている範囲で詳細に語る。
話していく過程で次第に表情が強張っていくヤラガンとジーン。
それ以外の大半の者達は怪訝そうに聞いていた。
この反応を見てグレファンはヤラガンとジーンだけは、やはり私と同体験を追体験したのだと悟り、少し表情を和らげた。
こんな荒唐無稽の話を1人でも多く信じて貰うための説得の時間も証拠などもない。
だが、特に実力者であるヤラガンとジーンの2人が解っていてくれば、此れから話すことにも心強く感じられた。
自らの未来を体験しただろう経験はまさに奇跡の技。
大昔の物語に神に気に入られた勇者が死地を脱するためにこのような体験をしたと伝記に残るのみだ。
その物語はその体験の事を名義上、霊知と名付けていた。
この荒唐無稽な現象は人知では不可能であり、出来るとすれば偉大なる神々にしか起こせない現象である。
しかし、いくら考えても不思議な所が多々あるし、私達は神々に気に入られる程の人材ではないと…それくらいは分かる。
どうして我々だけこんな体験をしたのだろうか?
疑問は尽きないが、折角助かった命なのだ。疑問は思考の隅へと追いやった。
未来で体験した出来事をどうにかせねば、自分達の未来はない。
1番いい事はここからすぐに逃げる事である。または元凶を断つ事の二者択一だ。
現時点で逃げる事はリスクが高いと判断した。それと、もしかしたら今後更にパワーアップした千貌と戦わなけばならない確率は非常に多い。
そのため、無理をしてでもここで撃破する必要があるとグレファンは即断する。
決めた以上行動に移す。
その為にまず私たち以上に訝しむ味方である彼等全員をどうするか?に尽きた。
鍛えた精兵揃いだが、今回の相手には分が悪すぎた。
グレファンは半ば強引にナタリーに直属兵と一部の研究員を預け、ガリウを先頭にアデルの町まで駆けるように指示を下した。
その際にガリウには密命を預ける。
その密命の内容を聞いたガリウはグレファンを凝視していたが…やがて恭しく礼をして主人の密命を受け入れた。
そんな事とは露知らず、納得のいかない表情のナタリーと直属兵の面々だったのだが、ガリウは次々と指示を下しグレファンの命令を直ぐに実行へと移した。
急遽編成が行われていく中、討伐メンバーが発表された。
戦うメンバーには【拳嵐】と、眼鏡を掛けた研究員1人が選ばれ、今後の話し合いが行われる。
グレファンの話す内容を纏めれば、まず最初にしなくてはいけないのは特殊個体をどうするか?についてだ。
夢の内容が本当ならば仮面の人物はこの特殊個体を狙ってきている。
千貌から特殊個体は神の一部と説明があったが、その情報は伏せておくことにする。
あとは皆の意見を聞いて、纏め、行動に移すだけだ。
大半がそんな厄介なモノは即破棄すべしと多数の意見が占める中、勿体無いと反対する意見もごく僅かにあった。
反対派の意見は勿論ミハイルだったが、大半が破棄を望む意見が多かっため多数決で破棄と決定した。
不服に思った反対派の僅かな者達は反論はせずに、取り敢えずの沈黙を貫いている。
そして破棄する方法については特殊個体をただ破棄するだけで良いのか?に尽きた。
例えばここで中身を取り出し破棄しても、仮面の人物…千貌と名乗っていた人物は何らかの方法で再生させるかも知れないし、それは仮に魔法で消滅させたとしても、充分とは言えないのではないか…と。
充分にあり得ることであるため、その扱いは慎重を極める。
そんな中で作戦参謀を担うジーンは自身が体験した中で、千貌が言ったセリフからヒントを得ようとしていた。
確か戦闘前に突然気配を感じた…と言っていたのではなかっただろうか。
曖昧な情報を信頼性の高い情報へと変換、検証していく。
彼の強化された頭脳は必死にあの体験を思い出す。
余りの恐怖に吐き気も催すがそれをも耐え切り、一つの結論に辿り着いた。
千貌はあの黄金蟲の対戦にも殆ど興味を示さず、強大な魔法を一つ唱えただけで去ってしまっていた。
少なくともあの時点では気付いてはいないはずだ。
もしも気付いていれば魔物に任せずに自らが動いただろうし、もっと早くに行動に移していただろう。
では、結論から考察した結果、あの特殊個体専門の貯水槽から取り出した事で気配が漏れ出したのでは…と推測を導き出す。
そうなれば、貯水槽に特殊個体を戻すことも1つの手ではある。
推論からその件について話し合われ、良案として意見が採用されそうになっていたのだが、そこにすぐにリスクの方が高いとグレファン、ヤラガンから意見が出た。
今から再度研究所に戻る時間は無いし、仮に貯水槽へ戻しても、そのまま千貌が部屋を調査している内に気付かれて、特殊個体そのものを奪われてしまうリスクが高い。
あの化物のような存在感を放つ者となる可能性がある以上、その選択肢を摘んで高い確率で訪れるであろう未来は、少しでも避けねばならないとグレファンやヤラガンは諭す。
この平行線の意見は纏まったかのように思えた。
そしてグレファンは戦力不足を痛感しており、その打開の為には強力な戦力であるレガリア達にも依頼という名の参加を求めていた。
あの霊知の体験では道は別れたが、もし彼女達も一緒ならば千貌を倒す事が出来るのではと感じているからだ。
1度体験した残酷な未来…何としても霊知からの運命に打ち勝つために。
少しでも生き残る確率も上げたいグレファンは、参加してくれれば報酬を出すと約束してくれた。
此れから襲ってくる仮面の人物【千貌】殺害の報酬として、焔巨人から剥ぎ取れた焔鋼石とレア級の武具を1つ報酬として上乗せしてくれるという。
あまりにも破格の報酬である…ミランダは珍しくグレファンに対して諌める言動も聞こえるが、これは成功報酬として変えないと、彼は頑として首を振らなかった。
話を振られた面々は、内々での意見としてダンテはあの恐ろしいまでの戦闘能力を持つ未知の魔法使いの相手をすることに反対であった。
あの上空から降り注ぐ破壊魔法を見た後では、最悪コウランを守る事が出来ないかもしれないと不安すら感じているからだ。
狂乱兎達はレガリアの決定に従うと告げ、待ち構えている。
ちなみにレガリア自身の答えは…もう既に決まっていた。
レガリアはダンテとコウランを無事にアデルの町へと帰らせる事をグレファン達に確約させる事で、本人は参加する意思を示した。
そして狂乱兎達にもそのメンバーに着いて行くように命じた。
戦力は少しでも多い方が道中も安心である。
本当の理由としては、傷付いたNo.6ではこの戦いは生き残れないであろうし、No.7の土属性の魔法は惜しいが千貌相手にはあまり通用していなかった事を思い出したからだ。
そう、このメンバーの中ではレガリアだけが先の未来の霊知体験を共有していたのだ。
レガリアの体験した霊知では、狂乱兎達がサザン火山にて発見した光沢を放つ鉱石を回収する為に、街道を目指していたコウラン達とは別の場所へと向かっていた。
途中で戦闘音が聞こえ、スケルトンや翼獣の襲撃を受けて戦闘中のダンテを偶然合流した。
本来ならばこのサザン火山にはいない種類の魔物ばかりである。
撃退したのち、最終的に逃走していたコウランと合流して町を目指していた所、仮面の人物 千貌がレガリア達の経験値に目を付けて襲いかかってきた。
結果的には善戦したと思う。
何度も千貌を追い詰めたが最終的には狂乱兎達は殺され、ダンテの大盾は幾度の危機を防いできた。
大盾を破壊されても前線に立って戦い続けたダンテの最期は、コウランを庇いその身を盾にして死亡した。
コウランはそのショックで直後の攻撃で攻撃を躱せずに致命傷を負い、回復役のいなくなったレガリアも大太刀が損壊した。
押し切られて最終的に宝箱である本体ごと魔導核を潰されて負けた。
メンバーが反対する中、レガリアだけが参加を表明した事に訝しむ。
勘の鋭いコウランは何かを感じ取ってはいたが、それが何かが確証はない。
一緒に町へと戻ろうと説得するが、最終的に折れないレガリア。
「レガリアちゃん、何を隠しているから知らないけど後でちゃんと話して貰うわよ」
「…お前を信じる。無理だけはするな」
自分達も残り手伝うと言い始めた所で、レガリアは逆にコウラン達には町へと向かってほしいと説得された。
この不透明な状況で敵の隠れ戦力がいるとも限らない状況だ。
撤退するコウラン達には念のためにアデルの町でギルド長に協力を仰いで欲しいとお願いしたのだ。
ソウマ以外に初めて興味を抱いた人間。
この人達には死んで欲しくない…そう思う自分にも驚いていた。
千貌を倒すのならば全員で戦った方が勝率は高い筈だが、その選択肢を頭の中から自然と消していた。
これはレガリアがソウマを失った極度の喪失感から来ているもので…もう二度と失いたくない思いが無意識に感じていた行動だったのだが、本人は気付いていなかった。
そう言った経緯から、グレファン達の話し合いにレガリアも加わった。
特殊個体の存在を隠すということに関しては、レガリアが保有するアイテムボックスの存在を仄めかしたことで解決した。
それはアイテムボックス内に偶然回収していた特殊個体の貯水槽もあり、尚更特殊個体を移せば破棄するよりもマシでは無いだろうか?という事を伝えた。
ある程度の人数にアイテムボックスの存在を知られてしまうが、リスクには変えられない。
時間による経過がないアイテムボックスならではこそ、外界から発見も出来ないだろうと確信していた。
しかし、当然納得など出来ようのない男が1人反対する。
言わずもがな、ミハイルであった。
「そんな事は許されん。渡さん、渡さんぞ。アレは低俗で価値の分からぬ者達が手を触れて良いモノではない。
そうだ、アレは私の未来の輝かせるためだけにあるのだ。
それを何人たりとも邪魔などさせない…私もここに残るぞ」
とうとうそんな身勝手な事を言い出し、痺れを切らして強引に特殊個体に触れようとした時は流石のグレファンが我慢の限界を突破して怒鳴った。
何故上司であるグレファンに怒られるのか理解出来ず、助けを求めてゴートへと視線を向けたが、ゴートも然もありなんと頷いただけだった。
こうしてる間にも時間は有限であり、仮面の人物…夢では【千貌】と名乗った恐るべき人物が向かってきているのだ。
待てば待つほど不利になる可能性が高い。
グレファンは強引に特殊個体を入った容器をスッとレガリアへと渡す。
上司の行動に対して納得の行かないミハイルは当然の如く抗議しながら、取り返そうとレガリアへと手を伸ばした。
するとレガリアは容器の蓋を開け、中に入っていた特殊個体だけをアイテムボックスに移した。
そのあと貯水槽の中へと念じると、あっさりと収納する事が出来た。
目の前から消えた特殊個体を見たミハイルは、余りのショックに暫く呆然としたまま言葉を発声する事も忘れていた。
はたと我に返った時には恐慌に陥ったように激しく罵しって、レガリアへと掴みかかった。
「私のモノを…汚い手で触れるな。アレをどこへやった?早く、早く、早く返さんか!」
そう怒鳴るミハイルの掴んだ手を振りほどいて容器を手渡す。
慌てて中を確認したが当然の如く、中身は見当たらない。
容器を何度も眺め、次第に狂声を上げて地面を探し始めたミハイル。
グレファン達もアイテムボックスの事を匂わせていた為そこまでの驚きはない。
実際に真逆とは思っていたのだが、目の前で中身が瞬時に消えた特殊個体の容物だけを前にして流石に説明を求める視線を感じたが…。
シレッと無視するレガリアは白衣を着たとある男に眼を止めた。
研究者の装いでありながらも、引き締まった肉体と、只ならぬ気配が感じ取れる。
じっと見ていた事に気付いた男は苦笑しながら此方に軽く会釈した。
直接相対していなかったためにレガリアは気付かなかったが、この男はソウマ達の襲撃の際に加わっていたユピテルの街所属の闇ギルド《逆巻く棘》のマスターであった。
ずっと探し続けているミハイルを放置して残ったメンバーで暫定的な話し合いをした結果、グレファンが総指示を下しヤラガン、レガリアがアタッカー。
ジーンが魔法巻物を使って支援、攻撃、援護を担い、また魔法障壁を張れる防御の役割を職業 魔法医師こと逆巻く棘のマスター【アルギュース】が遊撃を担当するになった。
そしてアデルの町へと向かう総勢10名のメンバーは先程出発した。
ここに残るはグレファンと白衣の男と拳嵐のメンバー。
あとはレガリアと狂乱兎達のみが残って【千貌】を倒す予定だったのだが、意地でも残ると言い張ったミハイルも残っていた。
余程さっきの特殊個体の件が尾を引いているようだ。
多分レガリアが殺された後にでも死体を探るつもりなのだろう。
憎悪にかられた表情がソレをよく表していた。
遂にその時は訪れた。町への帰還隊が出発してからそんなに間を置かず、隠し通路に軽い振動が走る。
爆発音がもうタイムリミットが来たことを教えてくれた。
最悪の…その人物を前にして全員の緊張感が一気に高まった。
「おや?待ち受けていたいのかい?
それにトゥーサの気配が突然消えたと思ったら…これはどう言うことかな?」
その声には怒気と戸惑いの両方が含まれていた。
「アレは君達が持っていても役立たないモノだ。どうやったか知らないけど早くボクに差し出してくれたら、この場は見逃してあげるヨ?」
そう囁く声には先程までの怒気は含まれておらず、寧ろ優しい口調だ。
グレファンが攻撃態勢から攻勢へと声をかける前に、発言した人物がいる。
「その話、本当だろうな?」
仮面の人物に一番近い位置にいたミハイルは憤りを隠せずに尋ねていた。
頷く千貌に気を良くしたミハイルは、そちらへ向けて駆け出した。
連れてきた青銅のゴーレム達はミハイルの背後を守るように位置しており、例え攻撃しても防がれ、合流されるのは確定事項だと誰の目にも明らかだった。
「ソレはあの亜人が持っている。
私は教えたぞ。約束は必ず守れよ…それと、私は必ず役立つから仲間にせんか?私には特殊個体を寄越せ。
もう…価値の分からぬコイツらなどとは話す価値も無い。死んでしまっても構わんのだからな」
そう嫌らしく笑いながら、ミハイルはレガリアを指差した。
突然の裏切りに唖然とするよりは、怒りが込み上げて歯が砕けんばかりに食いしばるグレファン。
見せられた未来の現実では真っ先に殺されていた為に予見出来なかったが、この男ならば生き残っていればもしかしたら敵に寝返っていたのかも知れない。
しかし、ミハイルはグレファン達の悔しがる表情を見たさに千貌への警戒を怠った。
僅かに仮面から覗く口元には哄笑と侮蔑の2文字。もっと注意深くしていれば気付けた筈のチャンスを逃したのだ。
「クックッ…分かった。約束は守るヨ」
そう言ってミハイルの腕をとる。
感謝を述べながらその手を仮面へと近付けた。
「まさか…マズイ。総員攻撃を」
グレファンは想像が出来た。
霊知では特殊個体が仮面へと吸収された。
この嫌な予感が体を動かし、この場から飛び出した。
突然の行動に他の面々も合わせて飛び出していく。
「あの行為をやめさせるんだ」
「了解」
そう言うや否や、グレファンを追い抜いてミランダは風の如く駆け出した。
向かってくる彼等を嘲笑いながら。
「君達もボクの仲間にならない?
…こんな風に使ってあげるよ?」
その光景はおぞましかった。
千貌の仮面へと手が喰われていく。恐ろしくも悍ましい感覚に、ミハイルは抗議の声よりも先に恐怖と狂気に彩られた絶叫を上げた。
「うるさいナ…しかし不味いね君は」
ヌチャッ…と音がして仮面から腕が離れた。
その衝撃でドスンと尻餅をつく。腕の先には血液だけでなく、ヌメりのあるスライムのような粘膜がウヨウヨと付着していて、あっという間に身体中を覆っていった。
「餌は餌らしく大人しく殺されろっての。まぁ、せめてもの慈悲って奴かな。良い気分で死なせてアゲルよ」
苦痛に歪みながらも愉悦の表情を浮かべるミハイルは、スライムによって身が腐り、壊れ始めている。
口から涎や鼻水、涙を垂れ流すミハイル。
ミランダが見るに堪えない…と、ゴーレム達を一蹴して戦闘を開始する前にミハイルへと辿り着いた者がいた。
「ほへぇ?」
レガリアが一撃を持ってまだ魔物へと変貌していないミハイルの首を斬り落としたのだ。
間抜けな一言が耳をつき、見事な切り口からは鮮血が舞い散る。
頭部のない残った体からは痙攣しながらなおも増殖する気配を見せていた。
せめての救いはミハイルの意識は痛みもなく死んだ事だろう。
その首のない死体を面白いモノを見たと笑った千貌は、思いつく。
「首がないのも可哀想だ」
そう言って魔法を唱えると、大杖をミハイルの遺体に向けると召喚陣が現れ、細い魔力が身体を包んだ。
「これは生贄による死霊魔法の見せ所サ。そんな気は無かったけど裏切られて死ぬ人生なんて面白いモノを見せてくれたからね。サービスさ。さて、どんな魔物になるかな」
その光景を警戒しながらいつでも飛び出せるようにしておく。
(あの存在は放っておいては害になる)
と思いながら、眼前に転がっていたミハイルの首を掴んで一口で噛み砕く。
(…初めてね。確かにあの仮面が言うように不味い。でも粘っとクドくてクセのある味わいだわ)
そう評価しながら最後にゴッくんと嚥下した。
咀嚼している間にミハイルの身体中の肉が腐り落ちていくのが見えた。
腐った肉が瘴気を呼び出し、辺りを覆って近くに寄る事が困難になる。
腐りきって全ての肉が落ちた肉体は、頭骨のない骨だけのスッキリとした状態となっていた。
瘴気を纏い片腕の骨と頭部がない骨は、心臓部と頸部に紫に輝く魔力の石がそれぞれ存在していた。
そして千貌が放った召喚陣が不意に消え去った。瘴気が拡散して現れた姿に一同息を飲んだ。
ミハイルの骨だらけの身体は、見ている者に不快感を齎す程不気味さに溢れていた。
骸骨の窪みの眼窩は暗紫の灯火が宿っている。
瞬時に灰色のローブと杖が装着され、ミハイルだったモノは高位のダークアンデットとして蘇った。
「ほぅ…これは驚いたヨ。単なる餌がこんな生体装備付きの不死生物に生まれ変わるなんて…君のお仲間も期待できそうだね。
今回持ってきた最後の従魔をオマケに付けてあげルネ。
じゃ、主として命じる。あの鬼以外の生命体を殲滅しろ」
『御意』
低く、地底から響くような暗い声は主からの命令に喜んでいた。
上位不死生物でもあるダークネススカルは骸骨種の中でも魔法を主体とする強力な種族のアンデットの魔物である。
自然発生する事は殆ど稀であり、古戦場跡などや不死生物における環境が整った地場で死んだ魔法使いなどがアンデットとして蘇る事で現れるケースが少ないが確認されている。
非常に強力な個体であるため迷宮などで遭遇すれば、例えBランク冒険者パーティでも全滅もあり得る。
生体武具に灰色のローブは時折陽炎のように揺らめきを見せ、只ならない雰囲気を感じた。
ミハイル自身、錬金術士の中でも、更に錬金術士として特化した存在である上位錬金術士である。
戦闘はからっきしだったが素体レベルは低くはない。
仮面の人物の強力な魔力と瘴気に当てられて変貌してもおかしくはない。
杖を振り上げ、高速詠唱に気付いた時にはレガリアのいる箇所を除いて、一定範囲に闇属性の上位魔法【闇牢獄】を広範囲に張り巡らさせた。
この魔法は使用者のライフを容赦なく削り取り、場合によっては死に至らしめる魔法でもある。
この闇魔法の効果は詳しくわからないが、闇に視界が奪われる事とこの魔法の範囲において発動されてから妙な気怠さと重苦しさがグレファン達を襲っていた。
全員で駆け寄っていたことが逆に仇となり、闇の結界に閉じ込められて分断された形となってしまった。
「死んでもウザい奴だな…ミハイル」
『…我が主の為に』
流石に上位の大規模魔法を唱え終えた疲労困憊のミハイル・アンデットを守るかのように、千貌より召喚された巨大な魔物が立ちはだかる。
巨大な2対の鋏と硬そうな青色の甲殻、無数の脚に特徴的な尖った尾を持つ蠍は同意するかのように低く威嚇音を放った。
暗黒に囲まれた結界の中で戦闘が始まる。
暗闇が息苦しいような圧迫感を生む。
「出し惜しみは無しだ」
最初にジーンが魔法巻物にて広範囲に効果を伸ばすレア級の巻物の封印を解いた。
魔力の光を増す巻物は地中深くへと埋まっていく。
大規模な魔法陣が展開される。
その場の味方全員の精神高揚の効果と、闇牢獄による属性マイナス値を減らさせる効果を併せ持っていた。
暗闇を照らす光は淡い魔力の輝きで明るくなり、息苦しかった状態から活力が宿り、全員が普通の状態の身体へと戻った。
「効果時間はそう長くはないから、早めに決めて欲しい」
レア級の巻物は作る手間や素材を考えれば、下手をすれば大枚を叩いても手に入れたい代物だ。
この巻物の性能は高く迷宮でしか発見されていないので、持続性の高い効果を持つ。
この状況を打破するためにはコレしかないと泣く泣くの思いで使ったジーンだ。
ちなみにこの巻物は地中に埋まった状態でも、その付近を僅かにでも攻撃されれば魔力を構成する魔法陣が狂って効果を失ってしまう。
敵が気付いているかは判らないが、効力が無くなるまで体を張ってでもこの魔法巻物を守らねばならない。
「皆、頼んだよ」
ジーンは目の前のアンデット・ミハイルと青蠍を睨みつけ、信頼する仲間に後を任せた。
闇の上位魔法を使ったダークネス・スカルは相当消耗しているはずだが、何の表情も見せずに再度何かの魔法の詠唱を始めた。
以後、アンデット・ミハイルと呼び名を固定した。
グレファン、ミランダ、ヤラガンは各々の武器を手にアンデット・ミハイルへと迫った。
その前壁として立ちはだかるのは、高さ4メートルもある巨大な青蠍。
幼体でも1m近い体躯を誇り、砂漠の掃除屋としての異名を持つ殺人蠍の一種だ。
その分厚い甲殻は並の武器を弾き、大きな両鋏は鋼鉄のプレートメイルすら両断する。
そんな巨体から振り下ろされた2対の鋏を危なげなく躱して、ミランダが懐へと滑り込む。
鋏は硬い地面を抉りとり、大地に震えを起こさせた。
巨躯に見合ったパワーを感じさせ、当たれば胴体など簡単に潰され、切断されるだろう。
懐へと滑り込んだミランダに尻尾を使った追撃をしようとした所で、ヤラガンが側面より重斧を叩きつけた。脚部の関節部付近がメキッと言う鈍い音がして1本目の脚と関節の繋ぎ目が僅かに折れて切れ目が入った。
痛みよりも怒りが勝る青蠍の尻尾による攻撃が開始され、防戦一方となって堪らず距離を取るヤラガン。
「…流石に固いし、厄介な攻撃だな」
気合の掛け声と共にグレファンが剣に焔を纏わせた双撃を尻尾へと集中させた。
ヤラガンが脚を重点的に攻撃して機動力の低下を狙い、グレファンが尻尾を攻撃して切断を狙う。
そして1番重要な役割としてミランダが撹乱と時に攻撃して自身のターゲットにして外させない。
これが主に拳嵐が担当する攻めパターンであった。
「ハッ、鈍間が。これでも喰らいな」
バチバチッと放電している手甲を両手で接触した。
バチンと一瞬巨大蠍が震えたが、何ともないようにまた再度攻撃に移る。恐るべきHPと耐久性に優れた魔物だ。
「タフな相手だが、倒せない相手ではない。仕留めるぞ。それにあっちには彼がいる…任せても大丈夫だ」
グレファンの宣言のもと、休みなく攻め続けた。青蠍を確実に葬り去るために。
☆
「やれやれ、どうして僕一人が強敵であるミハイル殿の相手をしなきゃ行けないだ…損だよね」
そう嘆きながら、無属性の魔法陣を魔力構成していくアルギュース。
『…貴様は人間にしては魔力値が高いな。宜しい、我らが主人の糧となれ』
「…いやぁ、僕は遠慮しとくよ。しかし、偏屈と周りから呼ばれる者であったが好きなものへの情熱をかけるミハイル殿の方が僕は好きだったな。
キミは誰かの力を勘違いして貰っただけで満足している。これじゃ唯の負け犬だね」
その返答の代わりに闇属性魔法の黒球の攻撃魔法が雨のように降ってくる。
アルギュースは魔力障壁を展開しながら近づく。
「ミハイル殿の記憶は無そうだ…ね。情に訴えかける事も出来なさそうだ。
はぁ、面倒…全く割に合わないよ。だから早めに終わらすね」
魔力障壁を維持しながら、さらに別の無属性魔法を紡いでいく。
この男の職業【魔法医師】だけでは考えられない程の魔力が高まる。
魔力が濃密になり、アルギュースに嵌めてある指輪にギンギンと唸り音を立てて集約していった。
アルギュースの強さの1つに潤沢な資金を用いた装備の徹底した強化がある。
白衣の下に着ているジャケットとズボンは特別製だ。
アラクネと言われる魔蟲蜘蛛から取れる生糸と、特殊な液体に浸してミハイルの錬金術で作り上げた魔法耐性を僅かに宿したハイノーマル級の装備品である。
首にしているアミュレットは無属性の魔法効果を微力ながら高めるレア級のモノだし、履いている靴は無音の魔力が宿した沈黙の羊の革を特殊加工したレア級のモノ。
素材も希少であり、加工出来る職人も少ない上に優れた防御力と耐久性を誇る。
暗殺者達が好む逸品であるため、通常では入手出来ない。
闇業者の伝手でやっと発注して手に入れた品であった。
そして1番お気に入りは両指に嵌めてある指輪。
雌雄の一対の装備品であり、闇オークションで流れていた品だ。何方か片っぽだけでは魔力を通さないただのガラクタ品となる。
また強力な魔力と無属性の使い手にしか反応を示さない珍品として出されていた。
ライバルが少ないこともあり、当時無属性専用武器など無かったので面白半分で競り落とした武器だったが、予想以上の性能と癖で今ではアルギュースにとって無くてはならない武器の1つになっていた。
雌雄の指輪には解明されていない文字が彫られており、この指輪が迷宮産の物ではなく、恐るべき事に何者かの人種によって作られた証拠であった。アルギュースは読めなかったが日本語で《無明》と彫金してあった。
もっと良く鑑定せねば詳細なことは分からないが、使い方と能力さえ分かれば後は気にしなかった。
無属性の魔力をチャージする魔技が込められたレア級の中でも珍しい逸品。
最大に無属性の魔力を溜め込むことで魔力が指先から溢れ出し、弓の形を彩った。
その馬鹿げた魔力を誇る事象にミハイル・アンデットは警戒する。
前以て詠唱を完了させていた使い魔として産み出された闇属性魔法が向けられた。
3羽の鴉の形を模って迫る魔法をアルギュースは危なげなく躱す。
手っ取り早く距離を詰める為に、途中から突進して魔力障壁にぶち当たるに任せた。
お陰で距離は詰まってきたがミハイル・アンデットからは次々と同じ詠唱が聞こえてくる。
「んっ、面倒だね」
射程距離内に入ると魔力で出来た無属性の弓の弦を引く。
脳裏で念じるだけで魔力矢が形成された。
【解放・魔技矢雨】
輝く魔導弓から無属性で固めた魔力矢が大量に放出される。
追撃で襲ってきた無数の闇鴉を有無を言わさず高速で屠り、貫きミハイル・アンデットへと襲いかかる。
この弓矢は魔力さえチャージ出来ていれば装備者が念じるだけで任意発射され、生成された矢の術式には命中自動補正がついている。
その為弓の技術や技能もいらないし、魔力で作られた矢は厚さ5mmの鉄板など容易く貫通する破壊力を誇る。
持ち運びも楽で一見武器には見えない。このように優遇される万能武器だが使い手は限られる。
この魔導弓 無明のリングの発動条件に至っては、まず無属性上位の魔法が使える事が弓の形状を発動させる条件。
次に矢の起動条件に一定基準以上の魔力量が必要。
最後に魔法使い職であることが使用条件に上げられている玄人好みの仕様だ。
まず普通の魔法使いならば必要のない武器である。
系統で魔法射程や威力を高めたりする杖系統の装備品や追ダメージを与えるための属性強化を狙う者が多いため、指輪型の需要が少ないからだ。他人には今まで見向きもされない欠陥武器としてあったが、それは誰にも使いこなせるだけのスペックが無かったからに他ならない。
その為アルギュースのように合致する人材が使えば殆ど反則級の代物だが、何とも偏屈な武器もあったモノだと思う。
正に無属性のためだけに制作された武器だと言えよう。
並の人材が使おうものなら発動すら出来ない。最悪発動出来ても魔力をどんどんと吸って矢を形成していくため、急激な魔力枯渇による死もありえる危険な代物であった。
それらも踏まえてアルギュースの大のお気に入りなのだが。
人体構造を理解し尽くした彼自身の戦闘能力や体術も高い。
攻防もこなせて尚且つある程度の回復も出来る理想的な人材。
しかし、秘匿性を愛するアルギュースは滅多な事では表舞台にすら立たない。
ユピテルの街の闇ギルドの中でも隠れた実力者として知るのはほんの一握りだ。
その自慢の武器から立て続けに魔力矢を放ち、どんどんとダメージを重ねていき、アンデット・ミハイルに反撃の詠唱させる隙も与えない。
「良い線言ってたけど、この武器の射程距離内までに仕留められなかったのが君の敗因だね。
さて、これから実験です。アンデットに僕の隷属の魔石は効くでしょうか。
今後に活かす検証にするためにも、ある程度付き合ってもらいますよ?」
不敵に嗤うアルギュースは、己が閃いた案に満足していた。
勝てば上位のアンデットが手に入り、殺しても多くの経験値が手に入る。何方に転んでも悪くない。
魔力障壁の維持とと弓矢の形成でMPは急激に枯渇していく。
消耗は激しいが、此方には貴重なマナポーションによる回復も可能だ。
お金は使わないと回らないよね。
これから始まるのは一方的なゲームである故に、負ける危険はない。
【逆巻く棘】たる闇ギルドの由縁を幸か不幸か、身を以てアンデット・ミハイルは知る事になった。
暫くすると【闇牢獄】の魔法が砕け散った。
そこにはボロボロになって倒れ伏しているミハイル・アンデット。
身体の至る所に矢が突き刺さり、無事な箇所など見当たらない。
2つの魔核も貫通している無残な姿で、骨に表情が感じられるか分からないがその表情が物語るは、全員が全ての苦痛を味わい恐怖に歪んでいるだと読み取れたことだろう。
再生すら許されなかったアルギュースの奥義は、相手の生命力を奪いながら逆巻く棘の如く成長する。
つまり、生きている限り終わりのない攻撃を強いられたミハイル・アンデットはその眼窩の中の窪みに一切の輝きを宿していなかった。
ミハイル・アンデットが倒れた結果、暗黒の結界が晴れると少し離れた場所には傷だらけのヤラガンと、腕を抑えて蹲るミランダがいた。
戦闘音だけは響いていたので、状況は何となく理解している。
青蠍は全ての脚を折られ鋏を切断されていた。まだピクピクと動いていたがたった今それもグレファンが紅蓮に舞う双撃で命を刈り取られた。
ミランダとヤラガンの回復を行う為に彼ら支援へと向かう。
その時アルギュースがレガリアと千貌の戦いを横目に覗き、そう呟いた。
「おや、彼方は派手ですね。やはりあの時逃げていて正解だったようですよ」
アルギュースは勝てない試合はしない主義である。
今回のお話と後編とエピローグにてレガリアメインのお話が終わり、ソウマ編に入る予定です。




