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恒久の無限回廊  作者: えくりぷす
セルディア
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1

「…… あれ? 」


 真人の額に大粒の汗が溜まっていた。気候は良好で暑い訳ではない。そして歩いたから体が熱を持ったという訳でもない。

 自信を持って歩いたにも関わらず、目的地に着かない上に自分の居場所すら見失ってしまった焦りからくる汗だった。


 …… これは遭難したのではないだろうか。

 向こうで遭難したのであれば救助を待つという選択もあるのだが、ここではそれは期待出来ない。


「結局、夢と同じか」


 嫌な正夢もあったともんだ、と自嘲してみても虚しさが増すだけだ。

 さてどうしたものかなと、真人は考える。朝見た夢ならこの辺で不思議な声が道標になってくれたのだが、今のところそのような声は聞こえない。


「ったく、正夢なら最後まで責任を持てよ。妙な声なら大歓迎だぞ」

(妙な声とは我でも良いのか? )

「あ、そうか。なるほど、確かにいたな」

(お前、我の事忘れていただろう)


 目まぐるしく変わる状況に、ジンが云う通りすっかりとその存在が頭から抜け落ちていた。


「まあな。でもまあ、助けてくれるならありがたい」

(にべもなく云うな。全く、お前という人間が分からんぞ)

「そりゃあお互い様だろ。俺にしてみりゃ、お前の存在自体がよく分からん」


 精霊という事は分かっているが、幻想文学で得た情報しか真人にはない。

 その精霊である事もジンは意図して隠していたのだ。何も知らないに等しい。


「んでもって、お前は何も話すつもりはないんだろ」

(随分と物分りがよくなったものだな)

「はあ? 昔からこんなもんだと思うがな。でもまあ、お前と美沙さんの関係は気になるかな。知り合いなんだろ、お前達は」


 無限軌道で美沙は「迷ったらジンを頼れ」と、真人にアドバイスを送った。

 真人は美沙にジンの事は一切話していない。精霊と契約している事は真人の知らない美沙が持つ情報があったとしても、ジンという固有の精霊とは知り得るはずがない。その上で固有名詞を出してきたという事は、ジンという精霊を知っているという事に他ならなかった。


(あんなのと知り合いだと思われるのは心外だ)

「心外も何も自分で認めるじゃないか」


 その呟きにジンは耳ざとく反応した。


(知り合いだったら何だというのだ)

「いや、そうだったらシリアの居場所を知らんかなと思ってな。

 全ての始まりはアイツだ。まず会うべき人物なんだろ」

(始まりねぇ…… 残念ながら我には分からぬな。ここを離れてから時間が経ち過ぎた)


 真人にはジンが何を見ているのかは分からない。それでも、遥か遠くをジンが見ている事を感じる。だからだろうか、まじめに答えずる茶化すような返答をしたのだった。


「ったく、使えねぇな」

(やかましい。だったら一つ使える情報をやる)

「へぇ~、興味深いね。是非とも頼むよ」

(そうか…… 我の記憶が確かならこの森には一寸やっかいな連中がいてな。それがお前に狙いを付けた―― こんな情報はどうだ? )


 ジンの言葉と同時に周りの木々が揺れる。そして、決して大きくはないが複数の殺気が真人に向けられたのだった。


「―― なるほど、物騒な事で。で、これは一体何なんだ? 」

(魔犬だよ。個々としてはそれほどの力ある存在じゃないが、群れを作り連携を取る。

 幸いにも大きな群れではないみたいだが、今のお前じゃ餌になり兼ねんな)

「それでも逃げろとは云わないんだな」


 ジンが撤退を提案しない理由は分かっていた。

 地の利もなく既に包囲されている。この状態で撤退を選択すれば追い詰められるだけだからだ。


(ああ、応戦一択だな。ただ、応戦し続けるのは愚の骨頂だ。

 お前は複数を相手取る戦闘経験がないのだから分かるな)


 快楽を得ようとする存在と生を得ようとする存在では狩人(ハンター)として気概が違う。街中で格下を複数相手取った経験など無いに等しい。


「逃げる為のドアは重いか」


 飛び出して来るであろう魔犬に備えて真人は右手に力を溜める。

 ジンの力を自在に扱えればこの程度など危機でも何でもないのだろう。しかし、真人が使えるのは散発的なものだけである。連発させる為のイメージを創り出せる技量はなかった。


 ざわりと小さな殺気が膨れ上がる。

(来るぞ、真人っ! )

 五つの影が同時に飛び掛かるが、真人は右手に溜めた力を解放させずに迫る魔犬を交わす。

 幾ら同時に飛び掛かってきても実際の攻撃には差異が生じる。それを見切る事が出来たのは真人が窮地であれ冷静であったからだ。

 一つ、二つ…… 交わせば交わすほど魔犬の攻撃は激しさを増す。だが、攻撃が激しくなればなるほど魔犬の連携は崩れ隙は大きくなる。そして五匹の内、攻撃が緩んだ一匹に向けて真人は反撃に転じた。


「キャインっ! 」


 魔犬と云えど鳴き声は普通の犬と変わらないようだ。

 真人が放った一撃は、魔犬の腹部を捉えその体を上空へ跳ね上げる。そして、真人の目の前には一本の逃げ道が出来上がった。

 そのまま残った魔犬を背にして全力で走り抜ける。

 連携が取れている分、仲間の離脱は魔犬に一瞬の動揺を与えている。研ぎ澄ました神経は魔犬の攻撃を交わす運動能力を真人に与えたが、そんなのは長続きするはずがない。この機会を逃したら、もう一度チャンスを得る事は出来なかっただろう。だが―――


「チッ、しつこい」


 後ろを振り向く事なく木々の間を走り抜ける真人。その後ろからピタリと一定の距離を取り、魔犬は真人を追ってくる。


「流石に狩りの仕方を熟知してやがる」


 野生の獣は狩りをする時、逃げる獲物に攻撃を仕掛ける事はない。獲物が逃げる事を止めるまでじっくりと追い続ける。じわりじわりと獲物の気力が尽きるまでただ追ってくる。

 これは期待薄だな—―― 真人は何の目算もなく逃げていた訳ではない。走り抜けた先に人がいる場所があれば、魔犬は近づかなくなると考えていたのだ。だが、魔犬は止まらず真人を追ってくる。それはこの先、しばらくは狩りの邪魔をするようなものはないという事なのだろう。

 逃げるだけ無駄なら――― 真人は逃げる足を止め踵を返した。

 体力はだいぶ消費したがまだ足掻くぐらいは出来る。迷って逃げ続けて好転しないのなら、ここで迎え撃つ方が助かる可能性はある。


「一匹づつ確実に潰す」


 魔犬には戦術や戦略などというものはない。本能のまま効果的な狩りを行うだけなのだから、想定の範囲外の出来事には対応が遅れる。まだまだ逃げる気力の尽きていない獲物が、噛みついてきたのだから魔犬は迷って動きを止めていた。そして、真人はその迷いをついて拳を魔犬に叩きつけた。


── 一匹目っ!


 声を上げる事なく魔犬は事切れる。右拳に嫌な感触が残っているが、それでも真人は次の獲物に目を向け絶望した。

 攻撃対象から外れていた三匹の魔犬は、一匹が倒される僅かな間に立ち直っていた。つまり、獲物が逃げないのなら攻撃を仕掛けるという本能に従って行動を起こしていた。そして、真人が視線を魔犬に向けた時には魔犬の牙は目の前に迫っていた。

 同時三方向からの攻撃に対処する方法は真人にはなかった。鼠が噛みつける猫は一匹だけだったのだ。


「ここまでか」


── 弱いな俺は……


 諦めかけた瞬間に目を疑うような出来事が起こった。

 真人に襲い掛かった魔犬は、全て炎の矢に射抜かれて地面に縫い付けられ絶命していた。


「決断力は称賛に値するけどまだまだ、もっと自分の実力を知らなきゃダメね」


 そして、真人の前に立つ赤髪の人物――― それが『スティゴールド・ミルレーサー』との出会い。

 真人のセルディアでの運命を変える出会いだった。





「…… あ、あのスティゴールドさん」

「スティルでいいよ。さんもいらない、云いにくい名前だからね」


 森の中を進むスティルに周りを確認しながら付いていく真人。


 スティルは女性でありながら、真人と同等の身長があり醸し出す雰囲気は男性のようだった。赤く長い髪をポニーテールで纏め、その顔立ちは整っている。本人にその気はないのだろうが、男装の麗人という表現がぴたりと当て嵌まっていた。


「それじゃスティル。今何処へ向かっているんだ? 」

「王都だよマサト」

「王都? それって王様の都の王都だよな」

「他に何かあるのかい」


 スティルはこめかみの辺りに指を当てて考えるような素振りをする。


「いや、吐く事…… とかかな」

「それは嘔吐だよ。行くと云ってるのにどういうボケだい? 君は頭の弱い子なのか」


 確かにスティルの云う通りなのだが、真人にはどうしても確認したい事があった。


 無限回廊で真人が美沙に聞いた話は二つ。

 一つは先刻の「困った時はジンに頼れ」というアドバイス。そして、もう一つはセルディアという世界のあり方だった。


 セルディアは、科学を選ばなかった世界。つまり真人の居た世界のパラレルワールドになる。

 それならばこの場所は日本である可能性が高い。スティルも名前こそ日本人のものではないが、言葉が通じ漢字も理解している。それだけに真人はこの仮説に確信を持ちつつあった。


(ま、赤髪とかつっこみ処は満載なんだが…… それ以上に王都とは、日本らしくないんだよな)


 諸外国なら兎も角、近代日本で王都という表現はほぼないに等しい。その証拠に日本人に「日本の王都は何処? 」という質問をすれば、関東圏と関西圏では違う答えが返ってくる。それほどまでに馴染みがない言葉という事なのだ。

 真人がらしくないと感じるのは当たり前の事だった。


「新鮮な響きだな」

「あらそれは意外な事ね」

「そいつは申し訳ない。

 で、その王都までは後どの位掛かるんだ? かれこれもう二時間は歩いているぜ」


 スティルに助けられてから互いに名乗りに事情を説明した真人だったが、行くところがないのなら着いてこいと云われるままに歩いていた。どうしようもない状況だっただけになるようになれと大人しく従った真人だが、二時間も過ぎれば抑えていた事も出てくるというものだ。


「そうね、このペースで歩いたなら二週間といったところかな」

「…… は? 」


 コノヒトハナニヲイッテルノデショウ――― 真人の頭の中はこの一言で埋め尽くされていた。

 流石に森の中から出るのであれば、数時間は覚悟していたが二週間とは有り得ない答えだった。


「言葉が分からないの? 二週間よ、14日掛かるって云ったのよ」

「いやいやいや、そりゃ幾らなんでも掛かり過ぎだろ。食糧も水も無しで二週間は餓死するレベルだぞ」


 森の中から食糧を確保すれば何とでもなるのだろうが、その為には食糧確保の為の時間を作らなければならない。よって二週間は流動的に伸びるという事なのだ。


「何も持たずこんな所をウロついていた君に云える言葉じゃないよ。それに」

「それに? 」

「私の住まいならもう着くからね。当然、(ゲート)もあるからそんなの心配ないわ」

「…… 一寸待てくれ。それってお前の家が近くにあって、そこにある(ゲート)ってやつを使えばすぐに行けるって事なんだよな」

「あら、理解が早いわね。その通りよ」


 この女…… 真人は口から漏れ出す言葉を飲み込んだ。

 悪意ない悪戯、スティルは嘘は一切云ってない。真実を後回しにしただけの話なのだから、言い訳など幾らでも出来る。むきになって云い放てば、あっさりと返り討ちになる。


「何も知らない俺が悪いか」

「知るまでは何をされても文句は云えない。それが無知ってものなのよマサト」

「アンタは俺の知らない事を沢山知っている。小馬鹿にされたくなければ知ればいい―― そういう事か」


 スティルは何も云わなかったが、その口元を吊り上げている。


「覚えていろよ」

「私、馬鹿なんで約束は出来ないわね」


 数分前に真人を馬鹿呼ばわりした事を忘れているかのような言い回しだった。そして、そのまま歩く事二時間でスティルの家に着いた。


 合計四時間超、森の中を歩き続け、疲労感が出ている真人と全く疲れていないスティル。

 基礎体力では標準より上と自負している真人だが、スティルのそれは真人の遥か上をいっていると実感した。


「じゃ早速といきたいところだけど、少し休んだ方がよさそうね」

「そりゃあ助かる。ついでに少しのメシと何故アンタがあそこに居たか教えてくれるともっと助かる」

「何を云ってるのかね、この子は」


 何気ない顔をしているスティルだが、真人は構わずに言い放った。


「一から説明しないと理解しない程、頭が弱いとは思ってないよ」


 スティルの家に着くまで四時間、この時間は偶然の出会いにしては距離が有り過ぎた。

 真人がここに来た偶然、スティルが偶然あの場にいた。この二つを偶然とするよりも、その二つが必然と考える事は最も理に適っている。

 そして、必然が導くのはスティルが今日あの場に真人がいる事を知っていたという事になる。


「云うわね」

「少なくてもちょっと散歩の距離じゃないよな」

「確かに…… でも、何か別件があったとしたら、そこにいてもおかしくはないわよね」


 ここで仮定の話をするという事は、その別件を否定しているのだが、スティルはそんな事を分かった上でそう云った。


「なるほど、アンタは自分の用件を反故して俺を優先したと。随分、人が良いんだな」

「ご近所で評判になる程度よ」


 周りに民家など見当たらない場所で云う。真人にしてみれば、よほど突っ込みたいところだが無駄と分かっている事に動く気は削がれた。


「あら探しは互いに無駄みたいだな」

「やり合うなら、最後まで付き合うわよ」

「遠慮する。自分より人生経験豊富な年上には、無駄な抵抗はしない主義なもので」


 真人の見立てではスティルは二十代前半、人生経験豊富という台詞は微妙な感じなのだが、軽い意趣返しのつもりで云った一言だった。


「まあ、君よりは遥かに経験豊富なはずよ」

「何だその微妙な言い回しは…… 」

「ま、色々あるのよ。それよりお腹空いてるんでしょ。お望み通り質素な物を用意してあげるから、中に入りなさい」


 スティルに促され、家に入ると振る舞われた物は質素を越えて手抜きだった。

 干し肉と果実酒をドンとテーブルの上に置いて「さあ食え」とばかりに勧めてくる。


「悪いね。レイが居ればまともな物が出せるんだけど、私は家事全般疎くて一人じゃ何も出来ないんだよ」

「いや、それは構わないんだが…… レイって? 」

「妹だよ。レイサッシュ・ミルレーサー、これが可愛いヤツでね。私の自慢さ、アンタにはやらんぞマサト」


 楽し気に云うスティルを見て、真人は美沙を思い出した。


「そっか、一人で暮らすには淋しい場所だからな。それでその自慢の妹さんは買い物か何か? 」

「いいえ、神官宮にいるわよ。私もレイも神官だもの。それでマサト、貴方もこれから神官になるのよ。

 だから態々、王都まで連れて行くんだから」

「…… は? 」


 思わず閉口する真人。


「こっちの礼儀作法を仕込むのは、向こうに着いてからと思ってたけど、丁度良いからここでみっちり仕込んであげるからね」

「な、なんじゃそりぁー!」


 響く真人の絶叫にも、スティルは気にする様子を見せない。


「だって、目的を果す為には行動する環境を整える必要があるでしょ。

 これは貴方にプラスになる事。それだけは誓ってあげるから、しばらくは私の云う通りにしなさい」

「…… 分かった」


 何の説明もなくただ了承しろと云う。普段の真人なら受け入れない申し出だ。だが、スティルの人徳だろうか、それとも刷り込み(インプリンティング)なのか、スティルを信用している自分に真人は気付き不思議な感覚を覚えたのだった。



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