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(やはり腐っても鯛か)
(何が云いたい?)
ジンの呟きに真人は憮然と云い返した。
(お前はまだまだだと云いたいのだよ。真人)
(上等だこの陰険精霊。お前への教育は後できっちりやってやる)
(ここを切り抜けられたら何でも聞いてやるさ。それでお前は何を見せてくれるんだ?)
ジンは以前の契約者と真人を重ねてみた。
(能力は足元にも及ばない…… それなのに何故コイツは期待感を抱かせる)
何をするのか全く読めないが見たくなる。
そんな思いをしたのは、永く存在していて初めての経験だった。
(洗練された戦い方をするヤツは確かに強い。でも、崩された時は意外に脆くなったりするもんだ。
―― さて、アイツはどうだろうな)
そう云って真人は、裕司に向かって飛び出した。
その様は無策のように見えて、無謀な特攻としか思えない。
「ヤケクソか…… 醜いな」
「そりゃ、お前がそんな能力を使っているからそう思えるだけだ。
普通の喧嘩ならこんなもんだろ」
真人の言葉を意に介さず、裕司は風の弾を数発創り放つ。
「原始的な戦いに付き合ってやる気はない」
「否、付き合ってもらう」
真人は風の弾をその身に受けながら怯む事なく裕司に迫る。
残念だったな―― ダメージを受けながらも真人はほくそ笑んだ。
普通ならば、真人の特攻は裕司の攻撃で簡単に跳ね返される。だが二人の属性が同じである事と、裕司が真人を見下している事がこの状況を作り出していた。
当たり前の事だが、風使いに風の攻撃は通じにくい。にも関わらず真人がダメージを受けているのは、裕司との力量差を如実に表している。それでもダメージがある事を受け入れ、舐めているからこその弱攻撃なら、数発受けたところでたじろぐ道理などない。
「―― 届いた。俺の間合いだよ」
裕司の右肩を掴み真人は云う。その顔は笑っていたが、左目に風の弾を受けていたらしく腫れて視界を奪われていた。だが、残された右目の光が裕司を退かせる。
「離せっ! 」
「ああ、ダメだな。離れたらお前はまたお前はまた俺を見下すだろ…… アレな、ムカつくんだわ。
二度とあんな目をさせるつもりはねえ」
風使いの本質は、中距離からの多彩な動きとそのスピードにある。つまり近接戦闘に関しては充分に能力を活かせるものではないという事だ。
風を使い切る戦闘では、真人は裕司に遠く及ばない。ならば、使いにくい状況で戦えばいい―― そう考え真人が導き出した答えだった。
「舐めるな、この距離なら精霊術が使えないとでも思ったかっ! 」
「んな事思ってねぇよ。その証拠に俺だって使わせてもらうつもりだからな」
裕司の肩に置いた手を視点にして地面を蹴る。そして、二歩目以降は空中を蹴って裕司の周りを周回する。
「受けたダメージからすれば割に合わないが、まずは一発返させてもらう」
真人の膝が裕司の顔面を捉えた。
斜め上から放たれた一撃は、力が逃げずに喧嘩なら勝負を決めるに足りる攻撃力がある。しかし、今回の戦いでは一撃必殺には程遠く牽制程度にしかならない。それが分かっていたからこそ、真人は割に合わないと云ったのだ。
「チッ、やっぱこうなるか」
「無駄な事をする」
裕司は真人の膝を顔面に受けながら痛みを感じている素振りは見せない。それもそのはず、薄皮一枚のところで風の防御幕を張っていた。
「全くの無駄じゃないさ。少なくてもお前の攻撃は封じているだろうが、それに―― 」
肩に置いた手を滑らせてそのまま腕を取り、着地と同時に捻り上げる。
「関節技なら、そのやっかいな風は関係ないだろ」
「なるほど侮った罰か。お前の根底にある底力を忘れてたな。
―― だがこれで終わりだ。腕一本はくれてやる離すなよ真人」
「何を云って―― ハッ!」
真人が着地した地面に魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。そして、足元から浮き上がる感覚があり、その後無数の衝撃が真人を襲う。
マズいと真人が感じた時には、既に身体は空高く舞い上がっていた。
今、真人は痛みを感じていない。残っている感覚は裕司に云われた通り、離さなかった手にボキっと骨が折れた感触があるだけだった。
だが、次の瞬間背中から衝撃が走る。
「がはっ! 」
身体の中にある酸素が全ての穴から放出されたような息苦しさを感じる。
(5M程度の高さから落ちただけでこれだけ苦痛を感じるか。身体と云うものは不便なものだな)
ジンの有難い説明のお陰で、真人は自分の状態を認識した。
(ホントにそう思うぜ。まだ戦う意思はあるのに、指一本動かねぇよ)
「生きてるか…… しぶといな」
薄っすら影のような裕司の姿が真人の視界に入る。
裕司は右肩を左手で抑えながら、上から真人を見下ろしていた。
―― 結局、こうなるのか。
もし真人の目がかすんでいなければ、裕司の表情に余裕などない事がはっきり分かっただろう。だが、それが真人の意識をぎりぎりで繋ぎ止める要因になった。
「同系能力だからこそ耐えられた。しかし、同系だからこそお前は俺には及ばない」
「そんなん関係ねぇよ。俺がお前より弱いそんだけの事だ」
「そうだな。だからお前はもう少しこっちの世界の事を知るべきだった」
「こっちだと? 」
もし真人が意識を無くしていれば、裕司は何も語る事なく真人を殺していただろう。負けるにしても見下されたまま、自分の死の瞬間も知る事なく終わるのは許せない。そんな小さなプライドが僅かな時間を真人に与えたのだった。
そしてその僅かな時間が後に真人を救う事になる。
「お前はここが何なのかすら分かっていないだろ。ほんの少しだが教えてやるよ。
ここは世界と世界の境界、無限回廊と呼ばれる場所だ」
「無限回廊…… 」
「メビウスの輪って知っているだろ。紙縒りを八の字に作り、表面をペンでなぞって行くといつの間にか裏面に出てしまうってアレだよ。
ここでは同じような事が起きるんだよ。まっすぐ歩いていただけなのに、魂の川を越えれば別世界そんな場所なんだ。
そしてな、俺もお前も秀明も元々はこちらの世界の住人だ」
「だからこんな力があったという事か…… なんて云うと思うか。俺は間違いなくこちらで生を受けた者だ。それとも輪廻転生なんて楽しい事云う気か? 」
真人の言葉に、裕司はケラケラ笑い続ける。
「楽しいと思えるなら僥倖だよ。正にその通りなんだからな―― おっと、先に云っておくが信じるか否かはお前次第だ。
だが、俺達は何度でも邂逅する。それは間違いない。だから俺はお前を殺せる。
お前が間違いのない選択をするまで、何年でも何度でも待つ…… だからここで今回はサヨナラだ」
裕司の真上に風が集まる。もはや真人の目にはその風が集まる様を見る事は出来ないが、感じる事は出来た。だから食らえば絶命する事も、かといって回避する事も出来ないと理解した上でその目を大きく開いた。
殺されても絶対に屈しない。その意志を裕司に示したのだ。
「――― 全ての害する力を打ち消せ<呪力封印>」
裕司の精霊術が発動しようとしていた時に、魂の川が割れその向こうから放たれた声が風を散らす。
「真人君を殺させる訳にはいかないのよね。私が帰れなくなるし」
「美沙さん…… なんで」
割れた川の中から姿を現したのは美沙だった。
「青の魔女、シリア・L・ブラウニーか」
「それは私じゃないわ。私はただの門番で一児のお母さん。でも、ここなら貴方の術を封じる事が出来る。それでも一戦交えてみる? 」
美沙の声には言葉ほどの余裕はない。しかし、裕司もまた利き腕を失っている状態でやり合うのは得策でないと考えた。
「いいや、遠慮させて貰おう」
「それは助かるわね」
美沙がホッと一息つくと、裕司は更に奥へ姿を消した。
「美沙さん」
「少し話をしましょうか? 勿論、真人君の治療しながらね」
微笑みながら美沙は、真人の横に腰を下ろして手を当てる。そしてその後、数分の間これまで美沙が話せなかった真実を真人に聞かせたのだった。
◆
「どういう事っ!」
珍しく瑞穂は美沙に向かって声を上げた。
「真人君はしばらく戻って来ない。そのままの意味よ」
「だから説明になってないじゃない。
お母さんが、私の立場だったらそれで納得するの? 」
「少し落ち着きなさい」
美沙は疲れていた。
無限回廊を越える為には、魔力による防御壁を創るか、精霊の加護が必要となる。
精霊の加護がある真人や裕司にしてみれば大した労力ではないが、加護がなく充分な魔力を無くしている美沙は本来、川を渡る事が出来ない。それでも真人を助ける為だけに、美沙は門番だけが持つ特権、空間調律の魔法を使った。
特定の空間内にある特能を掌握する魔法―― それは無限回廊内で様々な術や魂などが、全て美沙の支配下に置かれる事を意味している。
魂の川が美沙を中心に割れたのも、裕司の精霊術が発動前に消滅したのもこの魔法の力によるものだが、大きな魔法には大きな代償が必要になる。充分な魔力を持つのであればここまで疲労する事はない。しかし、今の美沙には空間調律を使って余力を残せるほどの魔力はなかった。
裕司と対峙した際、美沙には真人を回復させる<回復>一回分の魔力しか残っていなかった。だから、もし裕司が徹底抗戦を選択していたのならここに戻っては来れなかっただろう。
大きなプレッシャーと戦って何とか戻ってきた美沙に瑞穂の問い詰めは、残っていた精神力を削り苛立たせる。もし愛娘でなかったら、大声を上げて当り散らしていてもおかしくはなかった。
「話さないとは云ってないわ。でもこんな場所で話す事でもないでしょ。
一寸キツいけど、そこで寝ている子を二人で中に運びましょう。話はそれからね」
美沙の顔色が優れず、いつもの余裕を感じられなかった瑞穂は不承不承ながら頷き、未だに目覚める様子のない良雄を屋敷内へ運んだのだった。
「――― で、どういう事? 」
屋敷に入ってすぐの応接間で、良雄を二つ向かい合ったソファに寝かせると、立ったまま瑞穂は答えを求めてくる。
「はあ…… 全く、真人君の事になるとあなたは」
呆れたように美沙は残ったソファに腰を下ろし、空いた半分のスペースをポンポンと叩く。その行動を見た瑞穂は、大人しく空いたスペースに座った。
良質な親子関係は忌憚ない意見のやりとりが出来る事だがそれだけでは足りない。親が本当に必要な時に、子を諌める事が出来るかどうかにある。その点から見れば、この親子の関係は良質といえた。
「真人君の事を話すなら、まず話さないといけない事があるわ」
美沙が話し出すと、瑞穂はゆっくりと視線を合わせ口を一文字に結ぶ。
「私たちがいる世界は一つじゃないわ。
真人君が向かったのは、もう一つの世界なのよ」
美沙の話に瑞穂は「はぁ? 」という顔をしている。
「まあ、当然の反応よね。けど、偽りない話だし、瑞穂にとっても無関係な話じゃないのよ。
それに私はこの話しか出来ないから、信用しないと云うならこれ以上聞く必要はないわよ」
すると瑞穂は今度こそ「はあ~」と大きく息を吐き出した。
「お母さん…… ズルい」
瑞穂にしてみれば聞くしか選択肢はない。それなのに信用しなければ聞かなくても良いと美沙は云う。それは初めから信用しろと云っているようなものだった。
「ごめんなさい。でもね、この話は信用するかどうかで時間を掛けるようなものじゃないのよ」
「つまり、真実だと証明する事は出来ないって事でしょ」
「そうね、実際にその目で見ない限り証明は出来ないわ」
そう素直に認められれば、瑞穂には云い返す言葉がなかった。
「もういいわ。お母さんが嘘つくとも思えないし、どんな話であれ信用するわよ」
「ありがと、瑞穂」
その後、美沙は世界の理について語り始めた。それは、
『分岐説』
人々の選択によって世界は無数に分岐し、その数を増やしていく。
美沙が話したのは正にそれだった。
これは定番の説であるのだが、瑞穂には納得出来ない事が一つある。
人は一生に何度も選択をしていく、今日一日だって何億という選択がなされたはずなのだ。それが何千万年と繰り返されていれば、容量を超えないはずがないと思えるのだ。
無限の世界など云われても全く想像出来ない。寧ろ天文学的数字だとしても、ある程度のしっかり数字がある方が納得しやすい。
「個人の選択で世界は分岐しない」
瑞穂の疑問を悟った美沙は、それを氷解させる為に答えを云う。
「ううん、もしその選択が世界そのものを揺るがす選択だったら分岐世界は生まれるかもしれない。
でも、そんな世界はまだ観測されてないわ。それどころか、これまで分岐した世界は一つしかないのよ。
あるのは世界が科学を選ばなかった世界<セルディア>、真人君が向かった先。そして、信司さんが今いる世界なのよ」
「おじさんが…… じゃあ、お兄ちゃんはおじさんに会いに行ったの? 」
「そういう事になるかな」
「だったら会ったらすぐに戻ってくるのよね」
瑞穂の問いに、美沙は静かに首を横に振った。
「信司さんが殆ど戻って来ない理由だけどね。セルディアとこちらでは時間の流れが違うからなのよ。それも一定じゃないみたいなの。
向こうで一か月過ごして戻ったら、二年過ぎていたり二週間しか経過してなかったりした事もあったそうよ」
「そんな…… 」
「次に真人君がいつ戻ってくるのかなんて分からない。
それを理解した上で彼はあっちへ行ったの…… だから待てるわよね、瑞穂」
美沙の願いは瑞穂が幸せになる事だけだった。
瑞穂にとって真人が必要な存在なのは分かっている。だから、真人が瑞穂を求める時がくれば否応なしに巻き込まれるだろう。
―― 願わくば真人君が戻ってきた時に全ての問題が解決していてくれますように。
美沙はそう願い、憂いの表情を浮かべる瑞穂に向かって云う。
「こんな機会中々なかったわね。折角だから、お父さんの事少し話そうか」
「お父さんか――― うん、聞かせて」
瑞穂は真人を追いかけたい衝動に駆られていた。しかし、美沙はそれを望んでいない事も追う術がない事も知っていた。だから、美沙と待つ事にしたのだった。
◆
穏やかな風が真人の顔を凪いだ。
「ここは…… そうか」
その風は優しく朝感じたものと同じだった。
大きな違いは一つ、夢では既視感を覚えた光景が今は確かな記憶となっていた事だ。
「なら、進むべき道は一つだな」
右も左も分からなければ迷うような森の中、その先の事は分からないが一本でも道が見えているのは真人の気持ちを楽にさせた。
――― 時は満ちたみたいだな。
シリアの元へ…… 真人は夢で進んだ道をトレースして迷わずに歩みを進めたのだった。