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「てっ、てててっ! いきなり何すんだっ! 」
これまで魔犬に腕を咬まれた経験はあれど、年頃の女の子に耳は咬まれた事はない。痛い痛くないの話でいえば、魔犬に咬まれた方が数倍痛いのだが、驚きが上回り上げた声はこちらの方が大きかった。
「あれ、意外に初々しい反応」
「当たり前だ馬鹿っ! 初々しいてか、耳齧られたなんて初体験だ」
「へぇー、そうなんだ」
空々しく瑞穂はそう云うが、その声には悪意が込められている。
「ったく、甘噛なら兎も角、本噛する奴がいるかよ」
「甘噛ならされてきた、と」
真人の首筋を撫でながら、艶やかな声を出す。
「今まで咬み付いて来たのは魔犬とお前だけだ」
「犬に咬まれるよりはマシでしょ」
「何も変わらんよ。ったく、何がしたいんだ? 」
「マーキング」
やっぱり犬と変わらない言動に、真人と唖然とし首を後ろに向けた。すると、そこには声からは決して知れなかった瑞穂の顔がある。
「瑞穂? 」
「本当に誰も触れて無かったんなら、初めては私。もし、誰かに触れられてたんなら、塗り替えてやる…… そんなつもりよ」
今にも泣き出しそうな不安を抱えた表情。気を張って踏ん張っている瑞穂を真人は初めて見た。
「馬鹿野郎」
「野郎じゃないもん。おまたに変なものなんてないもん」
ふざけているのかと思った真人であったが、瑞穂からその様子は見て取れない。
── 寧ろ、厄介な……
ふざけているのなら、返し方は幾らでもある。しかし、相手が真剣であるならきっちり返さなけれならないのだから、選択の幅は狭くなる。
「結局、俺はどうすればいい?
お前の手の中でオモチャのように遊ばれていればいいのか? 本当にお前がそれを望んでいるなら、俺はそれに付き合ってやるよ」
だが、そこに真人の気持ちはない。真人は自他共に認める朴念仁だが、それがどんなにつまらない事なのかぐらいは分かる。
「違うよ、分からない? 私はおにいちゃんにもっと見てほしいだけなんだよ」
「10年だぞ。俺がお前を見てきたのは、まだ足りないのか? 」
「それも違う。私が見てほしいのは、本当の私…… それくらい分かってよ。
置いて行かれるのは辛い。そして、折角追い付いても、また置いて行かれたらと思うと怖い…… そんな事も分からないのっ! 」
泣いたり怒ったり、瑞穂の表情は彩り豊にコロコロ変わる。それでいて大真面目なのだから、真人にとっては最大の難敵となる。
「要は自分の力に自信が持てない。この先どう頑張ればいいの、私…… って事か? 」
「…… うん」
私を見てなど思わせ振りな発言をしておいて、所詮はこの程度の事なのだ。と、思えれば真人はもっと気楽になれた。しかし、その実、これは瑞穂が退いた結果の答えだった。
覚悟と勢い半々に、何だかとんでもない事をしているのでは…… と、気付き恥ずかしくなってしまった。だから、真人でも瑞穂の本気が見えてしまう。
今の真人の頭の中は「何を云えばいい」、「何が正解何だ? 」というような疑問が延々と巡っていた。
「分からん…… 」
少し考えて出せない答えに、真人は諦めてそう呟く。
結局、瑞穂が自分の力に自信が持てない事で取り残されるかもという考えが、一番大きな問題なのだ。だが、そこで真人が「お前なら平気」とお墨付きを付けたところで、自信の核が見つけられなければ何の解決にもならない。
また、瑞穂が口にした「私を見て」という望みも同様にどんなに快諾したところで単なる口約束の域を出ないのだった。
── どうすっかな。俺自身、どんな言葉を発しても白々しくなるような気がするわ…… 。
瑞穂の自信に繋がるような言葉のストックはない。もし、瑞穂が自信を持てるとするなら、それは言葉ではなく瑞穂に出来る事を明確にしてやる事だ。
── 魔法でも使いこなせれば、それは自信に繋がるかもしれんが…… んっ、魔法か……
閃きがあった。
それが出来るか出来ないかで云えば、まず出来ないになる。しかし、真人と瑞穂なら出来る可能性はあった。
「瑞穂。本当に一つ試してみないか? 」
「え? 何を? 」
真人でも一つの可能性でしかない提案である。当然、瑞穂にはそれが何であるかは想像出来ない。
「何、大した事じゃない。ただ、お前の不安を少しでも取り除けるかもしれない試みだよ。
そこで確認だが、お前回復魔法のストックはあるか? 」
「…… あるにはあるけど」
気力充分でも一回が限界なのだ。幾ら真人がいても、疲弊した今の状態では使えるものも使えるはずがない。
「そうか、なら俺に使え」
それを分かっている真人が強気に言い切った。
「ちょっ、こんな状態で何云ってるのよ」
「こんな状態でも使えたなら本物だと思えるだろ」
「そんなぁ…… 」
魔力が空っぽになる虚脱感は、風邪で高熱を出している時の辛さを数倍にしたといっても過言ではない。
今は真人に分け与えられた魔力で細々遣り繰りをしている状態なだけに、一気に大量の魔力を使った時の疲労感は少なくて済むかもしれない。しかし、それでもあの究極の虚脱感を味わうのは流石に躊躇われた。
「俺を信じる気力もないか? 」
── ズルい言い方よね。
口にこそ出さなかったが、瑞穂はそういう視線を真人に送る。
「使って無事に済む可能性は? 」
「100%だ。ま、無事の定義に多少の差はあると思うがな」
つまり大袈裟に云えば、生きていれば例え植物状態であっても無事になる。流石に真人はそこまで極端な思考には至らないが、
── そんなのちょっとした保証にもならないじゃない。
当の瑞穂にしてみれば、魔法を使った上でピンピンしているのが無事の定義になるのだから、迷いも生じるというものだ。
「また、一週間ぐらい寝込んで、その隙に居なくなるなんて事ない? 」
「それをやるなら態々、認める必要がないだろう。それに、空っぽになったってすぐチャージしてやるよ。多少のダメージは残っても一週間寝込むなんて事はない」
「うぅ〜」
本音は即答で「イヤっ! 」と云いたい瑞穂であったが、真人が信じられない自分を認める事が出来ずに頭を抱える。そうして、揺れる天秤が傾いたのは、
「…… 傷物になったら責任取ってよ」
どうなるか分からない不安や、死ぬほどキツい思いをしたとしても、真人を信じる自分でありたい。
── だから私を見ててね。
今度こそ、その言葉は瑞穂によって上手く隠されたのだった。
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「なあ、本当に聞かないでいいのかよ」
もう玄関先まで来ているというのに、ベルはまだ追求の手を緩めようとはしない。
人の良い良雄は気付かないが、レイサッシュには何となく、ベルの意図する事が分かるのだった。
「ああ、別に先を急ぐ問題じゃないし、遅かれ早かれ知るべき事なら待っていればいい。焦る必要はないな── あ、美沙さーん。只今戻りました」
不機嫌な表情を浮かべるベルを無視するかのように、良雄は玄関を開けると美沙にその存在を知らせた。
「お、おいっ! 」
「自分が知りたいからって、俺を出汁に使うな」
本当に知りたい事なら人の尻馬に乗っているだけではダメなのだ。
「なっ、何でだよ。アンタにとって知らなきゃならない事なんだぞ」
「知らなきゃならない事なら、勝手に向こうからやってくるもんだ。果報は寝て待てってな」
「悠長な事で」
「俺は、な。でも、お前は人の尻を眺めてるだけじゃダメだ。知りたい事はどう知るべきか考えて動けよ」
知りたい情報になればなるほど、簡単に手に入った情報を自分の良い方へ湾曲させるのが人間だ。それは言い換えれば、騙されやすい状態であるとも云える。知りたいと強く願う事ほど、待って得る情報に踊らされる可能性が高くなる。
では、そうならない為にどうすれば良いかと云えば、自分で考え体を使って情報を得なければならないのだ。
「苦労して得た情報は嘘かどうか見えるって事か? 」
「うんにゃ、そこまで世界は優しくないよ。けど、苦労すればするほどその情報が嘘か真実か考えるようになる。
前にウチのじいさんから聞いた受け売りだ。俺は馬鹿だから、聞いた事全部真に受けちまう。だから、俺に向けた俺だけの為の忠告なのかもしれないけどよ。意外に真理なんじゃね、と思ってる訳だ」
そう思ってるからこそ、良雄は多くを求めない。
「大丈夫よ。マサトが来れば多分、貴方の知りたい事を全て話してくれるわ」
国の柵に縛られるレイサッシュには話せない事も、精霊術士でありながら自由な立場にいる真人なら話すだろう。
ましてここはラフィオンではないのだ。真人を止める者はレイサッシュを於いて誰もいない。そして、レイサッシュもまた真人が何を云おうとも、止める気は更々なかった。




