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「それじゃあ、まず貴女達の状況を説明するわね」


 体を横に傾け左手を顔の横まで上げると、そのまま指をチッチッと左右に振る。

 そんな仕草一つで嘗めきっている事が分かるのに、揚げ句状況説明などしようとしているのだから、レイサッシュでなくてもカチンとくる。


「アンタ、何様よ。ミズホ、こんなおふざけに付き合う必要なんてないでしょ」

「あら、だったらすぐに殺り合う? 私はそれでも構わないわよ」

「レイ、アンタが100%勝てるなら私は何も云わない。けど、そうじゃないなら今は大人しく、勝機を上げるのよ」


 無限回廊(メビウスロード)で里美と対等に渡り合っていた時の余裕がレイサッシュにはない。それくらいは瑞穂にだって分かる。


「そうその判断は結城が正しいわ。尤も、お嬢ちゃんもそんな事は百も承知みたいだけどね」

「チッ!」


 ── 見抜かれてるか。


 さっき瑞穂の態度は何か策を打ったから出たものだ。そして、その策を成就させる為には時間が必要なのだろう。

 そう判断したレイサッシュは、敢えて待てないという姿勢を見せた。そうする事で里美の話をスムーズに進めさせない様にしたのだ。

 適度な横槍なら、稼げる時間は増やす事が出来る。だが、それすら里美には読まれている。最早、余計な事などする事は出来ない。


「人の好意を袖に振るような策は良くないわね。だから一つお仕置きよ。結城は知らなくてお嬢ちゃんが知っている秘密をバラす事にするわ」

「なっ! 」

「さっき才能の話をしていたわね。それでいてはっきりと才能があると断言した。でもそれは嘘、結城に才能なんてない」


 才能があるかどうかなんて、瑞穂には分からない。でも、レイサッシュに才能があると云われた時、ただ純粋に嬉しかった。それを真っ向否定されたのだ。

 千年の恋が冷めるほどの勢いで、瑞穂の中にあった里美の株価が大暴落した。


「云ってくれますねセンセ、リーマンショックさながらにムカつきました」

「この不景気は私の所為とでも云いたいのかしら」

「あら、失礼。センセイ様のお歳ならオイルショックの方がよろしかったわね」


 何を話しているのか呆然とするレイサッシュをよそに、瑞穂と里美が水面は静かに水中なかは大荒れの態で微笑みあっている。


「何れにしても、私は言葉の撤回はしない。結城、アンタにあるのは才能じゃない。力そのものなのよ」

「ふ、ふーん…… で、何が云いたいんですか? 力だって才能の内でしょう」


 そうは云ってみるものの、瑞穂自身これが里美を看破出来る台詞ではないと思っている。


 大きな才能は嫉妬を呼ぶが、大きな力は恐怖を呼ぶ。ここに大きな違いがある。

 嫉妬の根幹には「憧れ」があり、憧れ単独ならそれは善意である。しかし、恐怖の根幹は恐怖なのだ。どんなに気持ちを巻き戻しても人の善意には辿り着く事はない。

 二つ共人が持つ弱さと業でありながら、何処まで行っても変わらないという違いはとても大きい。


「才能だったら良かったのにね。大きな力を持ちながら才能溢れる神城のように、全てを受け入れる事が出来、そして受け入れて貰う場所も出来る。けど、アンタには無理な話よね」

「勝手に決めつけんなっ! 」

「決めつけ? いいえ、これは純然足る事実。このままなら、アンタはその力を暴走させて死ぬか、人の恐怖に負けて居場所を失うかしかないわ」

「そ、それは…… 」


 真人を引き合いに出され比べられては、瑞穂に言い返す言葉はなかった。もし、自分が真人と同等の力を持っているとしたら、真人の様に振る舞い自身をコントロールする自信がないからだ。


「だからね。アンタの力、碧眼(ブルーアイ)は私が貰ってあげるわ」

「…… は? 」

「ただの力なら無い方が生き易いでしょ。静かに暮らすならそんな力は枷になるだけ、そして私は平穏を望んでない。

 互いの利が一致しているんだから、悪い話じゃないでしょう」


 悪い話じゃない── 確かにその通りだ。

 持て余し気味の力を一手に引き取ってくれるというなら、それは瑞穂にとって最良ではなくとも良い事なのだから。


「力を失う代わりに得る平穏か…… うん、悪くはなさそうね」

「ミズホ…… 」


 瑞穂がそう答えても、レイサッシュには止める事は出来ない。

 レイサッシュに出来る事は魔力の存在を教え、少しつづても消化させて延命させる事だけ── 決して根本的な解決ではないのだ。だから、瑞穂が助かりたいと願うのであれば、ただ見守るしかないのだ。


「それじゃあ、契約成立ね。良かったわ、貴女が話の分かる人で」

「話が分かる? おーほっほほほ…… 笑わせないでよ、先生」


 瑞穂の高笑いが響く。普段なら馬鹿にしか見えない笑いだが、何故か今回はそんな風には見えない。


「笑わせたつもりなんかないんだけど」

「だったら余計にお粗末ですよ。匂いだけの人参に釣られて走るなって云うのが家訓の結城家の人間にそんな交渉を持ち掛けるなんて」

「匂いだけの人参? よく分からないけど、渡すつもりはないって事ね」


 返事の代わりにニヤリと笑みを瑞穂は返した。


「そう」

「先生の提案はどう私にとって良いのか、それが全く見えないんですよ。こんなんじゃ、一生懸命走った報酬の人参がすっかすっかの不味い物なのかもしれないでしょ」


 瑞穂は勝手に家訓にしているが、この喩えは昔信司が真人に諭す為に使っていたものだ。


 ── いいか、真人。悪い話じゃないと切り出す相手とは決して交渉に応じるんじゃないぞ。

 悪い話ではないって事は、それが信実であれそうでなくとも、結果が良いものであるという事ではないのだ。


 ── はあ? 何だそれ。


 ── 目の前にぶら下げられた人参が、如何に旨そうな匂いを発していても走り出すなってことだ。走るならその人参を試食して、走ってでも食べたいと思った時にだけにしろ。


 瑞穂の脳裏に深く刻まれている会話だった。

 甘い言葉を疑うだけではなく、その先の結果を予想して動けという真理。

 その言葉から碧眼を里美に渡した後の事を考えると、とてもじゃないが渡す気にはなれなかった。


「碧眼を渡せば私は楽になるかもしれない。多分、そこに先生の悪意はなさそうだから、事実楽になるんでしょうね。

 けど、その結果、お兄ちゃんの敵を強化する事になる。そして万が一、お兄ちゃんが負けるような事になれば、それは悪い話になる」


 里美が更なる力を得て、真人が本気にならざるを得なくなれば寧ろ負ける要素は少なくなるようにも思える。しかし、先の事を考えるという事は全ての可能性を模索するという事だ。


「どんな小さな可能性であっても絶対にそんな真似はさせない」

「強気ね。だったら奪われないように全力で来なさい。そうすれば結城美沙から奪ったこの力、水竜の指環を取り返す事が出来るかもしれない。アンタにとって最良はこの展開なのでしょう」

「水竜? って、何…… 」

「ミズホの力をコントロールする為の力よ。貴女とあの女の魔力が同じものだった理由でもあるわ」


 碧眼も三宝珠も、同じ魔から産み出された物だ。力の大小はあれど波長が同じなのは当然だった。


「んと、説明不足は否めないけど、先生からその力を奪い返せば万事解決って事でOK? 」

「一先ずはだけど、そういう事よ」

「ならレイ。遠慮なくやっちゃって」


 他力本願であり、無理難題をレイサッシュに押し付けているのは百も承知だが、今は頼る他ない。そして、レイサッシュもそれは充分理解している。


「ミズホ、アンタは私が守ってみせる」


 力強く拳を握り締め、レイサッシュはそう宣言したのだった。



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