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「これは酷いわね…… 」
外に出るなり、レイサッシュはウンザリとした表情をした。 大地に生命力を感じない。
踏み締めるアスファルトは確かに歩きやすく、何故こんな鋪装をするのか明確に意図が見える。しかし、これは事故を起こりにくい状況を造る為の物で、事故が起こってしまったとしたら被害はより大きくなるのではないか── そうレイサッシュに思わせる。
「大地に見捨てられる可能性があるのに、何でこんな事をするの? 」
「そんなの事故や災害から身を守る為にしかないじゃない。レイはこの道を歩いて歩きにくいとか感じた? 」
当然、そんな感じは受けない。だが、土の神官であるレイサッシュには、それ以上の危機感があった。
今の状況を例えるなら、坪の中に土を入れ重い蓋をしているようなものだ。確かに大地の力の消費は剥き出しになっている状態より少ない。しかし、供給もない。従って、徐々に確実に目減りしていく。
レイサッシュはその様を精霊という形で視認出来る。そして、この地には本来見える精霊が全く見えないのだ。
「その程度の問題じゃ済まない状況になっているとしても、貴方はそう云うの? 」
「どういう事? 」
精霊の活動からその地の活力が見えるレイサッシュとは違い、瑞穂にはその意味が分からないでいた。
「大地はね、そのままの姿なら例えどんな災害が起きても事なきを得るように精霊が守護してくれているものなの。けどね、人がその土地に根を降ろす以上、そのままの姿ではいられない。そんなのはセルディアでも、こちらでも変わらない事だけど、こっちの変化は度を超えているわ。
精霊の力を拒絶する変化に対して、精霊が既にこの土地を見捨てている。このままじゃ、貴方達の知識を上回った災害が起きた時、どうやっても取り返しがつかなくなる」
「もう人知超えた災害なんて何度も起こってるわ。それでも、人は知恵を搾って何度も復興させてきた。それに、大自然はないけど……って、百聞は一見にしかずか。ちょっと遠回りしましょ」
レイサッシュの顔から、瑞穂はある場所を見せたくなった。だが、それを見せた所でレイサッシュが満足するとは思えない。それでも少しは何かが変わるのではないかと思えるのだった。
その後、20分程歩いただろうか。
周りの風景が少し変化を見せる。アスファルトの歩道は相変わらずだが、民家から少しだけ顔を覗かせていた木々の量が増え始め、それに比例するかのように土の匂いがする。
「ミズホ、これは? 」
「この先に、名ばかりの自然公園があるのよ」
瑞穂が謙遜したのは、本当の自然を知るレイサッシュに向けてだからだ。
そのレイサッシュからすれば、整備された自然など紛い物としか感じない。だからこそ、実際に目にする前にハードルを下げた。
「ほんとに大したもんじゃないのよ。けどね、こちら側の人間だって、自然を慈しむ心があるって感じられればいいなって」
「へっ? 」
「あー、これは私の勝手な思い込みかもしれないけど、さっきまでのアンタの目は、全く違う生物としてこっちの人間を見ているような気がしたのよ。
それって、自分の価値観と重なる部分がまるでないって事でしょ。でもさ、こっちの人間だって皆が皆、自然が嫌いって訳じゃない。寧ろ半数以上の人間が自然を愛してる」
ほら、これが証拠── 。
そう云うが如く、瑞穂は右腕を大きく振る。そして、その腕の先には木々に囲まれた広場があり、沢山の人がその空間で羽を休めていた。
子供は目を輝かせて走り廻り、その子を横目に見ながら母親達は談笑に花を咲かせる。そして、八つあるベンチには老夫婦やサラリーマンが腰を降ろし休んでいる。
春を終盤に迎え、何処にでもある普通の光景でありながら、レイサッシュはその光景に目を奪われた。
瑞穂が云うように、整備された土地に木々花々を植えただけの自然とはかけ離れた場所である。しかし、そこで休む人達は皆、安らぎを感じている。もし、本当に自然を忌避しているのであれば、そんな表情をする事はない。自然とかけ離れた生活をしているからこそ、自然を求めているのだと分かる。
「都内に出ればこの程度の場所すら殆どないけどね。それでも完全に無くなる事はないわ」
「そんな風に思ってるのに、この場所から離れないなんておかしな事ね」
「禁断の果実を食べたら元には戻れない。そういう意味じゃ、人にとって科学は禁断の果実そのものなのかもしれないわね」
人が生物の頂点にいるといえば、エゴになるかもしれない。それでも、中心である事は疑いようもない。しかしその癖、人間は非常に弱い生き物なのだ。
弱い人間が生物の中心であり続ける為の力が、知恵であり、その結晶が科学なのだから捨てる事など出来やしない。
「けどさ、それはアンタ達だって同じでしょ? 魔法や精霊術だっけ、それを捨てろって云われてすぐに捨てられる? 」
「それは無理ね。だって精霊術は私にとって手足と同じだもの。そんな物と科学を一緒にしないでよ」
「ふぅーん、魔法も科学も本来持ち得ない力、私達だって科学によって生み出された物を手足のように使う。それのどこに違いがあるのか、詳しく馬鹿な私にも分かるように教えて頂戴」
充分に発達した科学は魔法と変わらない。
アーサー・C・クラークが残した名言だが、瑞穂はその言葉を噛み締めて云った。
持ち得ない力を使う時、どんな力であれ世界に歪みを生む。レイサッシュの力は自然と協調する事で生み出される力だから、環境に対する歪みはないのかもしれないが、必ず別の所で歪みを生んでいるはずなのだ。
「それは…… 」
「違いなんてない。必要な物でありながら、無くてもなんとかなる物なんだからさ。それでも捨てられない者、それが私達人間。ほら、同じでしょ」
そう云われて云い返す言葉がレイサッシュには無かった。確かに瑞穂の云う通り、精霊術や魔法など使わなくても生活をしていく事が出来る。それはセルディアに於いても、精霊術や魔法が使えない民がいる事で既に証明されていた。そして何より、精霊術や魔法が使えぬ者達がいる事によって科学では生まれない歪みが生まれている。
「ミズホは、精霊術が何を歪ませているか分かってるの? 」
「人間関係── 。有り体に云えば、人種差別でしょ。使える者が上位種族になり、エリート意識を生んでいる」
緩和こそされているが、こちらでも完全に払拭されない大問題である。だが、セルディアが抱えるこの問題は、こちらの比ではないだろうと容易に想像する事が出来た。
「耳が痛いだろ…… お前」
瑞穂とレイサッシュの後ろを黙って着いてきていた良雄が、ベルに向って問う。
「別にどーでもいい事だよ」
精霊術を持たない、まだまだ少年のベルがあれだけ力に固執したのが、瑞穂の想像に確信を与えている。外から聞いていれば、良雄にだってそんな事は理解出来る。だから、そう説いたのだ。
「ガキはガキらしくもっと人に頼れよ。年とれば、どんなに頼りたくても頼れない時が来るもんだ」
「おっさん臭いよ、アンタ。だったら、アンタはもう人に頼れなくなっているのかよ」
「いや、そんな事はねえな。親が残した金を使いきるまでは、それにどっぷり頼ってやるつもりだ」
「残した金って…… 」
どことなしに寂しげな良雄の顔があった。
「14の時に事故でな。その後は爺さんと二人暮らしだったが、その爺さんも去年逝っちまった。んで、結構な額が俺に入ってきたと云う訳さ」
「白ける話だな。まだ続くのか? だったら、俺は姉ちゃん達に着いていくぜ」
ベルは聞きたくない言葉から耳を塞ぐように拒否をする。しかし、その一方で瑞穂とレイサッシュがどんどん先に進んでいるのもまた事実だった。
「んっ、そっか、行くなら行けよ。どうせ後50m程でゴールだ。瑞穂ちゃん達ならそこにいるぜ」
「なんだ、アンタは行かないのか? 」
「俺はいいよ。別に珍しい物がある訳じゃないしな」
そう云って良雄は空いているベンチに腰を降ろす。すると、ベルは仕方ねえなとその横に座った。
「何だ、迷うような道じゃないぜ。ただ道なりに歩けばいい。俺に付き合う必要なんてねぇぞ」
「ふん、別にアンタの身の上話を聞くつもりはないよ。ただ俺がアンタに聞きたい事があるだけさ」
「俺にか? 」
「そう云ってるだろうが」
可愛くねぇな、このガキは── 大人の対応で顔には出さないまでも、良雄は内心そう思う。
「さいですか。で、何が聞きたいんだ? 」
「それは…… 」
少し戸惑いベルは口を塞ぐ。そして、じっと良雄の顔を眺めた後、重たい口を再び開いたのだった。




