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「ところで、何で瑞穂の着替えがここにあるんだ? ここは、お前の昔の家だよな」
瑞穂の嘆きにも通ずる無茶ぶりに、周囲が沈黙しそうになる。このタイミングで沈黙が訪れるとなると、瑞穂が居た堪れなくなるシーンになる。そう咄嗟の判断で、ふと気になった事を口にした。
今居るこの家は、住み慣れた我が家ではない。高々三ヶ月不在にしたところで、間取りを忘れるなんて事は有り得ない。だが、三ヶ月前に踏み込んだ屋敷とは、思えないほどここには生活感が溢れていた。
「最近は大体、こっちで過ごしているからね」
「まあ、何時呼び出しがあるか分からない状況が続いてたからな。あ、そうそう俺も一部屋借りてるんだぜ」
まあ確かに駅にすれば二駅、時間にすれば二十分程度と対して離れている訳ではないが、頻繁に訪れる必要があるのなら、住んでしまうのが手っ取り早い。
「って、じゃあ実家は? 」
別に瑞穂達が真人の家に居続けなければならない理由はない。その上、家主である信司や真人がプラプラ家を出ているのに、頑なに家を守ってくれなど云えるはずがない。
ただそうであったとしても、真人の心境からすればあの家は美沙達の物であり、居て当たり前の家族なのだ。
いつか戻った時、10年前信司と二人暮らしだった時に戻る事は寂しさを感じざるを得ない。
「普段はお母さんが戻って暮らしてるわ。私だって、状況が落ち着いたらあの家に戻るつもりよ」
「そ、そうか…… 」
「随分、嬉しそうね。真人君」
その言葉に「ほっ」と胸を撫で下ろす真人。そして、その表情を見逃すはずがない美沙がそう云うと、瑞穂がニヤニヤとして擦り寄ってくる。
「なぁに、お兄ちゃん。私達が出ていくと寂しいの? 」
「んっ? 」
そうだな── そう答えるのは容易い。しかし、ニヤつきながらドヤ顔をする瑞穂の思惑に乗るのは少し癪に障る。
「寂しい云々より、放置された家の心配が先立ったかな。思わずシコシコ雑巾掛けをしている自分を想像して、寂しさを感じた事は事実だがね」
信司を待つ間、神城家の家事は真人が一手に引き受けていた。当然、美沙達と暮らすようになっても全てを任せるような真似はせず、家事を手伝う事は普通にしていたのだが、今想像した事は一人で全てをしていた頃のものだ。
冗談めいて軽い口調で云ったが、内心はあの頃の寂しさが渦巻き落ち着かなかった。
「ふ〜ん、強がりじゃなきゃいいけどね」
知ってかったる真人の癖。
口調とは裏腹の事を云う時、一瞬だが視線を反らすのをしっかり見抜き瑞穂は勝ち誇る。
「やかましい」
「おーほっほほ…… それじゃ、良雄君、レイ行きましょうか」
いつまでもやりあっていれば墓穴を掘る。真人に勝った時、瑞穂は引き際を心得ていた。
「おー、それじゃ行きますか」
「ちょっ、ミズホ。あんたにレイって呼ぶ許可はしてないわ」
「あー、うっさいな。アンタに拒否権なんてないのよ。無一文の無知なんだから、大人しく先人の云う事を聞いてなさい」
「なっ! 」
残念ながら瑞穂の云う事は的を得ていた。こちらに来る時、真人の見立てで金になりそうな物を持ってきてはいる── が、換金しなければそれはお金ではない。そして、レイサッシュには換金する術がない。
正に無一文の無知なのだった。
「マサトぉ…… 」
「ま、瑞穂の云う通りだな。けど、そこまで云うなら、レイの日用品は瑞穂の懐から捻出してくれるって事だよな? 」
「うっ! 」
「まさか、美沙さんに出させるつもりなのに、大口叩いてんのか? 」
瑞穂がレイサッシュの雑貨代を持つ義理などない事は、百も承知で真人が云う。
美沙と瑞穂から見れば、レイサッシュは只のお客様でしかないのだから、そこまで面倒をみる必要があるはずない。
ホームステイの受け入れ先が、そんなに手厚く面倒をみないのと同じ事。食事と部屋を貸与え、家族の会話に迎えいれればそれは及第点を与えられる。
だから、真人が態々そんな風に云ったのは、先程やり込められた瑞穂への軽い意趣返しであり、深い意味などなかった。
だが、
「で、でもさ。私、ここ最近バイトも出来ないし、予算に心もとないっていうか、全く余裕がないの」
瑞穂は真人の言葉を真に受けて、あたふたと言い訳に走り出す。
「けど、レイが嫌いだからとか、ほんとはあるのにセコいから出さないとかじゃないのよ」
オロオロと必死に言葉を探すその姿は滑稽だが、不様ではなく愛くるしさを感じるほどだった。
「出してあげたいのは山々だけど、無い袖は振れないっていうのかな。っていうか、ぶっちゃけ無理っ! 」
「ミズホ、貴女って私の事嫌いじゃなかったんだ? 」
言い訳の途中で出た本音に、瑞穂自身気付いていない。
瑞穂にしてみれば、真人を奪われる危機感はあっても、それ以外レイサッシュを嫌う要素は何もないのだ。だが、だから好きになったという訳でもない。
出会って数時間の人間を好き嫌いに分けるような浅慮な人間ではないのだ。
レイサッシュ以外、そんな瑞穂の気質を見抜いているから二人にしても何も問題がないとしていた。ただ、レイサッシュにしてみれば真人への好意を粗か様にしている年頃の女性が、突然割り込んできた第三者に敵愾心を燃やすのは、自然な事という思いがある。嫌われて当然としていた自分に、掛けれる言葉とは思いもよらなかった。
「はぁ? アンタ初見で人に嫌われるような性格って自覚してんの」
「そんな訳ないでしょ。けど、嫌われる事が怖いとは思ってないわ」
「そんなんどーでもいいわよ。私は初見でどんなに敵意を剥き出しにしていても、別に嫌ったりしない。ま、それでもそんな奴が居たらまず自分から近寄ったりしないけどね」
遠巻きに云っているが、それはレイサッシュの質問を肯定している。
「私は邪魔じゃないの? 」
「あのねぇ、邪魔に決まってるでしょ。今まで最高に鬱陶しくて、出来れば出てくるな〜って、心の底から思ってるわよ」
でも、それは真人の気持ちがレイサッシュに傾く可能性があるから感じる事だ。どうでも良い程度の人間なら、決して感じる事がない焦燥をここまで強く抱くのは、レイサッシュにそれだけの魅力があり、瑞穂はそれをしっかりと感じ取っているという事に他ならない。
「けどね。だからって、そんな理由で嫌ったら己の小ささを露呈するだけでしょうが。私は、そんな相手なら正面から叩き潰す事を選択できる女なのよ」
「叩き潰す? 私を? 魔法一つ録に使えない貴女が、調子に乗り過ぎじゃなくて」
「うっさいっ! だから、そのいつか叩き潰すその日の為に、こうして恩を売ろうとしてんじゃないの」
「…… そんな打算、堂々と公表しないでよ」
デスヨネ〜。と、真人も同意。
心根の読み合いという、高度なやり取りをあっさり放棄する瑞穂に対して、毒気を抜かれたように唖然とするレイサッシュ。
これも戦略の一つとでも考えれば、もう少し気力の低下を防げたかもしれないが、瑞穂の性格とそのしてやったり然としている表情を見れば、そこまで知恵を回していないと思われた。
「公言された上で、それでもアンタは私に頼らなければならない。これ以上の屈辱があろうか── 否、無いっ! こうして深層心理に苦手意識を刻みつける。これで完璧」
『なっ! 』
反語を混じらせてその真意を瑞穂が語ると、真人を始めとした全員が驚愕の声を洩らした。
「瑞穂が物事をしっかり考えているだと…… 」
「ちょっと、熱があるんじゃないの? だったら、休みなさい布団敷いてあげるから」
「いやはや、この状況で感情論に走らない瑞穂ちゃんを初めて目撃してしまった」
各々が好き放題に発言していくと、瑞穂は眉間にしわを寄せて、
「私だって思考する脳を持ってるし、自室はベットっ! 更に何? レアモンスターに遭遇したみたいに云わないでよっ! 」
「おー、全員の発言に突っ込むとはイヂラシイな。けど、お前らとっと買い物に行けよ。レイと顔無しの分は俺が持つから、好きなもん買ってこい」
「へっ? お兄ちゃんが出すの? それに、顔無しの分って…… 」
「レイは俺が呼んだ客だからな。出すのは当然だろ。それと成行とはいえ、コイツの居場所を奪ったのも俺が原因だから、やっぱ他人任せには出来ないだろ」
そう言って真人は、腰に引っかけてあった麻袋から、唯一こちらからの所持品であった財布を取り出す。
「当たり前の話だが、一円たりとも使ってないからな。二人分の買い物なら充分な額があるはずだ」
「充分って幾らあるの? 日本の物価は高いのよ、お兄ちゃん」
真人が無駄使いをするような性格ではないのを知ってはいても、そこは高校生の貯金である。金持ちボンボンのどら息子の貯金ならいざ知らず、二人分の日常品を揃えれば決して充分な額があるとは思えない。
「うん? 二百万ぐらいか…… この一年で俺の想像を絶するインフレが起きてなければ充分だろ」
「まあ、ギリギリ……って、に、二百! 」
瑞穂の予想より一桁多い呈示額だった。
「な、何でそんなに持ってるのよ」
「あん、親父が念のために残した金と、毎月のバイト代を貯金してただけだ」
「ちょ、ちょっと待ってっ! 」
タカタカと瑞穂の頭の中で、音がなり他人の給与計算という最低の行為に勤しむ。
真人がバイトを始めたのが高校一年の春からで、その時の時給は800円だったと記憶している。一日五時間で月20日働いたとすれば、収入は月8万となる。その内4万を貯金したとすれば年48万。二年半溜め続けたなら軽く百万を超える。信司が残したという金額が100万なら200万を超える計算は普通に成り立つのだが……
「真人君は毎月4万を生活費として入れてるわよ」
いつぞや小遣いUPを美沙に進言した時の言葉を思い出す。
稼いだお金の半分を家に入れ、残ったお金を全て貯金に回す高校生が果たしているだろうか?
何か目的があり、それに向けてお金を貯めるというのであれば有り得るそれも、 真人にはちょっと有り得ない。この10年で真人が見せた物欲は、あのバイクだけなのだ。
目的もなく金を貯めるのは、人として正しい姿ではあっても、高校生としては正しくない。
飽くまでも瑞穂の持論である。しかし、疑いもなくそう考える瑞穂は、そんな不浄な金全部使っちゃると心に決めた。
「真人君。瑞穂、悪い顔してるわよ。使わせる額に上限を決めておいた方がいいわ」
「お母さん、何て事を云うのよっ! 」
瑞穂の不浄さが表情に浮き彫りになり、美沙の牽制に激しく動揺。
「…… 情操教育上良くないみたいだな」
「私は幼児ですか」
「目先の金に釣られて、欲望を剥き出しにするような奴は成熟してるとはいえねぇよ」
「所詮、人間なんてこんなものなのよ」
けっ、とばかりに吐き出しそう呟く。
「やさぐれてんな…… ったく、それじゃあ20迄は好きに使えよ。二人に必要な物をキチンと揃えた上で余った分は好きにしろ」
女性用の衣服が幾ら高くても、ばか高いブランド品でも買わなければ、2〜3万で事足りる。つまり、二人分一式揃えても10万超えはない。
10万という大金が瑞穂の小遣いとして、さくっと転がり込むのだからこれは美味しい。
「ちょっと甘過ぎかな。母親の立場としては容認出来ないわね」
「んじゃ、瑞穂。買い物リストにちょっと高めの甘い物を追加しておけ」
「買収? 」
怪訝風を装おって美沙は云うが、
「いや、お詫びと御礼を兼ねた俺の気持ちです」
「なら、受け取りましょう」
と、あっさりと同意する。
「という訳だ。忘れた時のフォローは出来ないからな」
「りょーかい。それなら善は急げ、ホラ、モタモタしない。そこで狸寝入りしているガキもとっと動く」
急かすような瑞穂の言葉に、顔無しは渋々体を起こし、
「俺はガキじゃない。ベル・パンドラという名前がある」
「OK、んじゃベル。買い出しに行くわよ」
「おい、この格好で俺はいいのか? 」
「アンタに合う服がないのよ。ガキの格好なんてどうでもいいわ」
ベルの格好は真人と同じ簡素な貫頭衣である。街中に出れば色々目立つとは思うが、子供ならそれこそコスプレで押し通せる。
「だから、ガキじゃ── なっ! 」
反論をしようとしていたベルを後ろから、ガッチリフォールドしたのは良雄だった。
「今は何を云っても無駄だ。それより、時間を掛けると理不尽女王がキレるぞ」
既にベストな条件を貰っている瑞穂にしたら、これ以上ここにいる意味はない。呈示された条件が放物線の最高位にあるなら、後は下るだけなのだ。だから、一刻も早く行動に移したいと考えている。
「逆鱗は触れちゃならねえから逆鱗なんだよ。お前だってそれ位分かるだろ」
「それは…… 」
知らない世界で放り出される事を考えれば、どんな屈辱でも堪える必要がある。何より、今最も権力を持っているのが瑞穂である以上、良雄の助言は正鵠を射ているのだ。
「ちっ、分かったよ」
「大分、聞き分けが良くなったわね」
「今だけ勝ち誇ってろ」
負け犬の遠吠えを聞き流し瑞穂は、お客様ご一行を引き連れて部屋を出ていった。
「アイツ、少し変わりましたね」
「フフっ、違うわよ。真人君の前で猫かぶりを止めただけよ。あのままの自分で居たら、真人君に捨てられるって、分かったのよ」
「捨てるですか? 」
「そんなつもりはない? でも、何度も離れた生活を送っていたら、それは捨てたのと変わらないでしょ。あの娘は、家族以上の繋がりを真人君に求めているからね」
う〜んと、真人は首を捻る。家族以上の繋がりが何なのか、真人には理解出来なかった。
「ま、おいおい分かるわよ。それより── 」
家の中から真人と美沙以外の気配が完全に消えると、美沙の目付きが変わる。
「碧眼について聞きたい事があるんでしょ? 」
「そりぁ、あんな条件出されて聞かない訳にはいきませんよ」
そして、真人もまた母親代わりの女性に向けるとは思えない表情を創る。生死には関わらなくても、これから始まるのは間違いなく真剣勝負だった。
なかなか更新出来ませんが、何とか頑張って次は二、三日で更新予定です。
お付き合い下さい。