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これまでの顔無しは、本体へのダメージを抑える為に、その存在を希薄にしていた。故に攻撃パターンは魔法に頼った単純明解なものになり、また良雄を生かしたまま連れてくるという命令が、顔無しが使える魔法に制限を掛けていた。
「相手に一番重圧を与えるのは近距離からの直接攻撃だよ」
「まあ、そうでしょうね。
筋骨隆々のマッチョと見るからに鍛えていない普通の人、どちらかと必ず戦わないといけないなら、鍛えていない者を選んだ方が気が楽だもの」
「うん、だからあの影にあまり恐怖を感じなかったんだ。
── と、なるとアイツはどう動くと思う? 」
「そうねぇ、出来るなら── 」
自分の考えに間違いがないか検証する為に、瑞穂は目を閉じて思案する。そして、
「存在をもう少し濃くして、攻撃の幅を拡げる── かな」
「だよね。俺がヤツなら、間違いなくその方法を選ぶ。けどさ── それ以前にこの状態で退かないなんて選択はしないけどね」
「正しい判断が出来ない格下に負けたくはないわね」
顔無しが退かずに行動するのは、良雄や瑞穂を格下と見ているからだ。そして、瑞穂が如何に強がろうとも現状格下なのは、間違いなく瑞穂達になる。
ただ──
伸び代の有無でいえば、顔無しは瑞穂達に遠く及ばない。それを人は才能の差と云う。
「才能だけじゃ中々、埋まらないのが経験なんだろうけど、やっぱアレには負けたくないわな」
「当然!」
良雄は手に持つ木刀に、瑞穂はその右手にそれぞれが意識を持っていく。そして、そのままの態勢で時が流れるを待った。
「── 待たせたかな? 」
戦闘態勢を取ってから、五分、顔無しがやってきた。
「惨めに敗走した奴が、大物気取りですか? どんな厚顔無恥な存在よ、アンタ」
「口の減らない小娘だな」
「いやいや、瑞穂ちゃんの云う通りでしょ。お前がここまで戻ってくるのに時間が掛かった理由、当ててやろうか? 」
「ちっ! 」
再び現れた影は良雄の予想通り、先程までより影の濃さが増している。つまり、本体の感情が読み取り易くなっているという事だ。
「動揺してるわね」
「何の事だか…… 」
「んじゃ、一発核心を突いてやるよ。お宅の本体、無限回廊内にあるだろ?
詰まらない自尊心の為に、危険度が上がるのを承知でえっちら歩いてきたって訳だ。まったく、御苦労なこったな」
顔無しが再度現れるまでのタイムラグは、影だけでなく本体の移動もあったからだ―― と、良雄は予想していた。
そして、何故そんな危険を冒す必要があるのかといえば、瑞穂の予想通り存在を色濃くして、物理攻撃をする意図があったからだろう。さすれば、本体と影の距離は短くなるのは必然になる。
「―― その他大勢がいい気なるなよ」
「図星指されるとキレるなんて、意外に子供っぽいな、アンタ」
「黙れっ! 」
ここまでは良雄達の予測通りに運んでいる。
顔無しが物理攻撃をしてくるという事は、少なくとも先程以上に良雄の攻撃が通用するという事でもあるのだ。しかし、ここから先、顔無しが予測を超えないとは限らないのだから、初撃に対する緊張感は並々ならない。
単純な武の競い合いならば、良雄が負ける要素はない。だが、内包する魔力は顔無しが頭三つは抜けている。
瑞穂がまともに魔力を使えれば、圧倒出来る相手だと思うが、如何せんそう上手く事が運ばない。小さな事象一つで結果は違ってくるのだ。
── さて、考えうる攻撃で一番可能性が高いのは……
良雄の頭に浮かぶイメージは、影が自在に伸縮し鞭のようにしなやかな攻撃だった。
── オーソドックスだが、可能性は高いな。
予想が当たれば、戦闘は優位になる。
「どうした、来ないのか? 」
「控え目な性格なもんでな。良かったら、お先にどうぞ」
「なるほど、ならっ! 」
シュンっと風切り音が鳴り、良雄の頬が裂けた。
「っ、はえーな」
良雄の予想は半分当たっていた。
影を伸ばしての攻撃。だが、それは鞭の様ではなく、槍の様に直線的なものだ。更に悪い事にその速度は予想を大きく超えている。
── まさか、ボーカンを近距離でぶっぱなされたように感じるとはな。けど、やりようはある。
顔無し意気揚々と先手を取った事で、見えなかったものが見えるようになる。
「さっき、お前の突きを見せて貰ったからな。どうだ自分の力以上の攻撃は? 」
「俺以上? この程度でか? 何を云ってんだ」
確かに速度は良雄の突きより速かった。射程距離も長いだろう。しかし、それだけで技が優れているとは云えない。
「もし今、わざと外してやったと優越感に浸っているのなら、それ勘違いだぞ」
剣先を顔無しに向けて、剣気を高める。
「人を制する武器で一体何が出来る? 」
「分かってねえな。ウチの流派は、剣が剣としての機能を失った時でも、人を殺す事が出来る技を高めていったものだ。武器の質は問わない。
ま、喰らってみれば分かるさ。スピードやパワーだけでは測れない完成度というものがな」
「ならば、やってみろ」
余裕を見せて受ける態勢を取る。そんな様子を見た良雄の口角は吊り上がった。
「鷹爪連撃」
そして、放たれた一撃は良雄が最も得意としている突きだった。
「何をするかと思えば、この距離で貴様のトロい突きなど通用するかっ! 」
確かに普通の突きなら、良雄は後三歩は間合いを詰めるべきだった。良雄の瞬発力と跳躍力では剣が顔無しに届く頃には腕が伸びきり、威力は三分の一以下になり速度もない。
最高のパフォーマンスからは遠いその攻撃に、顔無しは侮蔑の表情を浮かべ首だけを動かすという最低限の行動で、良雄の剣を避けてみせた。
「── だから、お前は一流じゃないんだよ」
ぼそりと良雄が呟いた瞬間に、顔無しの顔が湾曲した。
「がっ! 」
「連撃だと宣言しただろ、忘れたのか、聞いてなかったのか知らないが、戦いの最中に届く僅かな情報は必ず把握していた方がいいぜ」
「貴様、一体何をした? 」
影を通じて頬に痛みが走る。
受けたダメージとしては軽度の打撲といった程度だが、精神的に受けたダメージは決して浅くない。
「分からないだろ。もうちょい注意深くしていれば分かっただろうにな」
「ふざけるなよ」
「おいおい、ふざけてんのはどっちだよ? 教えてやる義理なんぞないだろうが」
一度正体がバレた技は対応しやすくなる。だが、実態が分からなければそれは初見と変わらない。無条件に近い確率でヒットする攻撃を得意がってペラペラ喋るのは馬鹿以前に問題外な愚か者がする行動だった。
しかし、そんな事は顔無しにしても理解している。それでも答えればラッキーぐらいの気持ちで聞いたのだ。
だから、答えないと知ると頭を切り換えて、自分に起こった出来事を思い出してみた。
まず眼前に迫る木刀を首を捻り交わした。そこまではいい。問題はそこから何が起こったのか? そういう事だ。
微かな記憶を辿って、僅かばかりだが右肩に衝撃があった事を思い出す。しかし、それ以上の事は分からない。次の瞬間には頬に強烈な衝撃が走ったのだ。
「舐めてたのは認めざるを得ないか」
「そういう事だ。そして、それがお前が一流足り得ない理由だよ」
例えどんな相手でも、真人ならどんな攻撃をしてくるのかを必ず予測する。その上で相手が予測を超える攻撃をしてくればダメージを負う事もある。しかし、無駄にダメージを食らうような事は有り得ないのだ。だから、おいそれと気兼ねなく技を繰り出す事が出来なくなる。
どんな達人であっても、本当に効果が期待出来る技など10有れば多い。なれば、実力上位であるからこそ、無駄なく相手の攻撃に対応し、自分が負ける可能性を確実に減らしていくべきなのだ。
「お前はたった一回のミスなどと考えてる。けど、その一回が命取りになる時だってあるんだぜ」
「お前にその実力があるとは思えないがな」
「だったら、試してみろよ」
そして、良雄は木刀を地面と水平にして、初めて攻撃の構えを取った。
「うっ! 」
構えとは本来、相手に情報を与えてしまうものだ。
今から攻撃する、今は防御に徹するなど、その構えからある程度分かる。だから、良雄は無形を使い構えを取る事はこれまでしてこなかったのだが、
── 別に構えを否定している訳じゃないんだよ。
構えはマイナスになるだけではない。もし、そうなら構えを取る者はいなくなる。しかし、実際は現代の流派では必ず構えが存在し、それを利用しない者が少数派になる。
構えというものは、その流派の得意とする動きをスムーズに行う為に最も適している為、リスク以上の恩恵があるのもまた事実なのだ。そして、良雄が今回構えを取ったのは、顔無しが攻撃を受けるのが分かっているからだった。
無条件で受けてくれるなら、最大の攻撃力が発揮する手順を踏む── ただそれだけの事だった。
「俺が構えたんだ。しかとその目に焼き付けろよ」
脅しや挑発ではない。
良雄は純粋に忠告をしただけ、それなのに顔無しはえもいわれぬ圧力を感じた。
「それじゃ、いくぜ」
宣言してから良雄は跳んだ。
さっきのとは違い、間合いも溜めも十分な一撃を放つ。
「くそっ! 」
その攻撃は顔無しがそう呟く程、鋭さが違っている。
本当に同じ技とは思えないその迫力に、顔無しは初めから良雄に嵌められた事を知った。
もし、初撃からこの威圧感を良雄が発していたら、少なくともあそこまで余裕を見せる事はなかっただろう。そして、技の外枠だけでも見ておけば今回は避けるという選択も出来た。だが、もう逃げるという方法は取れない。
逃げて、良雄の攻撃を見逃すばかりか、攻撃を食らいでもしたら、それは取り返しがつくミスではないのだ。
「来いっ! しかと見届けてやる」
眉間を狙った良雄の木刀を、体を横にする事で避けて木刀全体を見えるように動く。
問題は二撃目なのだ。ここで木刀がどんな動きをするのか、それを見なければ見切る事など永遠にない。
そして──
「ば、かな…… 」
顔無しは言葉を失った。