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「逃げる程度ならと思われているなら心外だな」
自ら名乗る事はなかったが、影こと顔無しは吐き捨てるように、背中を見せて逃げ出した良雄に向かって呟いた。
魔香相手に戦っていた良雄を見ていた感想は『素人にしてはマシ』だったが、簡単に背を見せた事によって、その評価を下げないといけない―― そんな事を考えながらの呟きだった。
「伝説の王クライム・クラインに拘るのは理解出来るが、何故、双面はあのような凡庸な輩に拘るのだ」
主の命なればこそ、こんな所まで出張ってきたが、その全てに納得はしていない。そんな不満たらたらの雰囲気を醸し、顔無しは少し遅れて良雄を追い掛け始めた。
「良雄君、アイツは? 」
「分かんないよ。でも、素直に逃がすつもりはないみたいだよ」
その身に絡む魔糸に目をやり良雄は答える。
これまでの良雄なら、決して感じ取れなかった魔力の流れが今ははっきりと感じ取る事が出来る。
魔香を食らう度増していた力―― それが実感出来た。
「ま、私達もこのまま逃げる気はないんだけど…… 」
魂の川から距離をとった事によって、瑞穂が気兼ねなく魔法を使える態勢は整っている。しかし、
「うん、多分勝てないな」
「そうよね── ったく、大体、遠隔人形なんて卑怯なのよ。男だったらその身一つで戦えっていうのよ。
── あ、男って保証もないか」
「限りなく男っぽいけどね」
話し方、態度、雰囲気、どれもが顔無しが男である方向へ、ベクトルが向いている。だが、そのどれもが芝居一つでどうにでもなる。
「どっちにしても、倒せない相手をどう追い払うかを話した方が建設的よね」
「だね。形があっても俺の剣が通用するとは思えないし…… と、なると瑞穂ちゃんの魔法が主体になるかな」
瑞穂の魔法は威力はあるが、力のコントロールが足りない。弾数が少ないバズーカのようなものだ。
大袈裟な例えをすれば、初歩的な火炎球を使っても、無差別広域火炎魔法並みの魔力を消費してしまう。だが、美沙はそれ有り得ない事なのだと云う。
それぞれの魔法には、使用する最大MPが決まっていて術者の才が高く、膨大な潜在魔力があっても、一回に消費する魔力量は変わらないのが普通なのだ。
しかし、
「この魔力垂れ流し癖治らないのかな」
「自分の問題を他人任せにしている時点で、治らないと思うよ」
「むぅ…… 」
良雄のクセにとばかりに瑞穂は剥れてみるが、正論を論破する事など出来なかった。
確かに普通では起こり得ないこの状況には原因がある。
細かく分類すれば幾つかに別れる理由があるが、大分類分けすれば瑞穂の魔力領域が魔力容量に対応するだけの広さがない。ぶっちゃけ器が足りないということになる。その結果、素のままでも少しづつ魔力を洩らしていて、その上で魔法を使うと、開かれたチャンネルから大量の魔力を放出してしまう。そして、これが魔法や魔導のやっかいな所になるのだが、魔力が枯渇するから魔法が使えなくなるのではないという事なのだ。
勿論、魔力が枯渇すれば魔法や魔導を使えなくなるのは原則としてある。そして、殆どの人間はこの原則以上の事は必要としない。だが、瑞穂を含む一部の人間には原則を超える大原則が存在した。
── 使える魔力量は、術者の精神力に依って比例する。
これが意味するのは、精神力=魔力でない事と瑞穂を代表するように自分の器を超える力を持つ者がいるという事だ。
つまり、どんなに魔力が残っていても、一定量の魔法を放出してしまえば、魔法は使えなくなり、下手をすると真人のように数日間寝込む事になる。そして、今の瑞穂であれば魔法の高位に拘わらず三回程度で丸一日は寝込むほど疲弊する。
既に良雄を守る為の防御魔法を使い、残された魔法は二発。それも二発使えば動けなくなってしまうのだから、実質、後一発がリミット。見た目の余裕とは違い、二人は追い詰められていた。
「それでも、何とかしなきゃならんね」
「うん、ここで止めなきゃ、またお母さんに負担を掛けるもの」
「そうなったら、特訓とは名ばかりのお仕置きか── 嫌だねぇ…… 」
「そんな心配は無用でしょう。貴方に私と一緒に来る以外の選択肢などないのですから」
良雄の相槌に被せるように、顔無しはそう云う。
「ちっ、思った以上に勤勉でやがる。
── だが、却下だ」
声のする方へ一閃、良雄は顔無しの姿を確認する事なく穿つ。
「ぐっ、く、ははは…… 何を無駄な事を」
良雄の突きは正確に眉間の辺りを貫いていた。それでも、顔無しは笑っていた。
「無駄ねぇ…… 」
「その含みは何かな。云っておくが、これはやせ我慢や虚勢の類いではない。君の攻撃など針に刺された程度なのだよ」
「ま、実際そうなんだろうな。けどな、それって逆を云えば、物理攻撃を喰らえば一寸は痛いって事だよな。針1本なら効かなくても、針千本ならそれなりの効果があるんじゃね?」
初撃を放った時、まるで手応えがなければその考えに至らなかったかもしれない。だが、豆腐を貫いたかのような柔らかい手応えと、一瞬顔無しが動きを止めた事によって良雄は確信した。
「意味が分からんな」
「こういう事だよっ! 」
全身の力を抜き、何度も剣を振り回す。そこに戦術は存在せずに、ただがむしゃらに良雄は剣を振る。
「── なっ! 」
「豆腐を切るのに、力を込める必要なんてないだろ」
良雄の剣が顔無しの体を削る度、小さな苦悶の息を吐く。しかし、与えるダメージは小さく撤退を選ぶ程の決断には至らない。
「くっ! 」
目の前を飛び回る蝿を振り払うように、両腕を振るがその程度で勢いの乗った良雄を止める事は出来ない。
顔無し本体が受けているダメージは、飛んできた虫が顔に当たったようなものだったが、それが何十となると鬱陶しい事この上ない。良雄が攻撃を繰り返す度に冷静さを奪っていった。
「こ、このっ! 」
そして、選んだのは『影縛り』だった。良雄の間隙をついて影を踏み、その動きを封じる。
「ぬっ! 」
顔無しの思惑通り、影縛りは良雄の剣撃を封じる事は出来たが、この選択は明らかにミスだった。それは、
「テメーでテメーの動きも封じてどうするんだ? 」
「はぁ? 」
影から足を外せばすぐに解ける影縛りだが、ここでの問題は顔無しの意識が完全に良雄に向いているという事だ。つまり、瑞穂が完全にノーマークになっていた。
「云っただろ、針千本ってな」
「── !」
「水針っ! 」
良雄と顔無しの会話を聞いていた瑞穂は、的確に良雄の意図を汲み取り魔法を選択した。
そして、この魔法は水槍のアレンジ版で1本1本に威力はないが、高位術者が溜めて放てばその本数は有に千本を超える。
問題があるとすれば、良雄を巻き込む事から広範囲に放つ事が出来ず、千もの水針が密集し直進する為に避け易いという事のみ。だが、その心配は良雄が顔無しの意識を完全に引き付けた事によってなくなった。
「くっ、この…… 」
顔無しが瑞穂に気付き、動こうとした時には、既に水針がその身に到達していた。そして、そのまま顔無しを飲み込み存在を抹消した。
「余裕見せ過ぎなのよ。ま、この程度じゃ死んでないでしょうけど」
「そりゃ、そうでしょ。本体に与えたダメージなんてたかが知れてるよ。
それでも、充分プライドを潰してやったと思うけどね」
「それじゃ、撤退してくれるかな? 」
案の定、瑞穂の足は小刻みに震えている。自分の限界を感じ始めているからこその願望が表面に出てきていた。
「さあね? 適度にプライドを刺激したのなら、ここは退いてくれるだろうけど」
「期待値は? 」
「20%以下……かな。直感だけど、プライド高いよアイツ 」
良雄が出した答えは掛け値なしなのだろう。その集中力を維持したまま周囲への警戒を解いていない様からよく分かる。
「しつこい男はキライなんだけどなぁ」
「男かどうか分からないけどね」
「ここで退かないなら男よ。女ならもうちょっと計算高くなるもの」
「偏見に満ちてるねぇ…… 」
良雄はそう云うが一概に偏見とはいえない。飽くまでも統計的な物になるのだが、自尊心をより重視するのは男性が多いのだ。一方、女性は自尊心より実益に目を向けるケースが多い。
今回のケースでいえば、格下と見ていた相手に反撃をくらい一時的でも姿を消した以上、次の機会まで待ち策を弄するのが定石である。その定石を無視して、即座に行動するのは自尊心から退けなくなっているからに他ならない。
と云った所で、後にするも先に済ますも、同じ結果が待っているとすれば、計算高い者なら楽に勝てる前者を選ぶ可能性が高いというだけの話なのだが……
「でも、良雄君の勘が当たったらどうするつもり? 」
正直、相手を退ける駒が手元にない。瑞穂にしてみれば、後一回魔法を使えば動けなくなってしまう。そして、良雄の攻撃は殆ど無力に近いのだ。
「う~ん、一個試してみたい事があるんだけど…… 」
「歯切れ悪いわね」
「100%の自信がないから、どっちにしても美沙さんを呼んだ方がいいと思ってね」
「それって絶対に必要? 」
良雄の試しが上手くいけば、顔無しを再び退ける事になる。短期間で二度失敗すれば、どんな愚か者でも考える時間を作る。
圧倒的な力の差を感じない以上、慎重過ぎるような気がしていた。
「残念だけど、アイツはまだ何も見せてないよ。さっきまではまず受けていたけど、今度はそうはいかない。
あっちの動きを見ながら、未知な事を試すのはリスクが有り過ぎるよ」
「それは分かるけど、そうなると良雄君を一人にする必要があるわよね。そのリスクの方が大きいように思えるわ」
どうせ呼ぶなら、今この時間に二人共待避するべきではないか。
「それが出来れば一番なんだけど…… 俺、アイツに目をつけられてるからね。今回それで逃げても、結局一人の時に狙われるだろ。それなら、少しでもダメージを与えている今回の方がいいよ」
自分の体について離れない魔糸を触る仕草をしながら、良雄は云う。
「マーキングされてるの? 」
「さっき逃げる時にね。何か蜘蛛の糸みたいのが纏わりついて気持ち悪いよ」
「兎も角、今回は良雄君だけが目的か。だったら── 」
少し考える素振りをして、
「覚悟決めましょ。
お母さんに伝える事で、どっちにしても良雄君が一人になるくらいなら、ここは二人で相手した方がいいわね」
「え、でもそれじゃあ失敗した場合は? 」
「良雄君が連れ去られて終わりでしょ。それ以外に何も起こらないわよ」
「あ! そっか…… 」
相手の狙いが良雄であるならば、どんなに最悪な展開になってもそれ以上の事は起こり得ないのだ。自分達の使命が無限回廊の平定と、不純物を世界に浸入させないという事から、より悪い展開を想像していた事に良雄は気付いた。
「そういう事。どんな方法を選んでも、最悪の結果が一つなら、そうなりにくい方法を選ぶのがベストよね」
その選択は、唯一瑞穂にもリスクがあるのだが、その事はあえて口にしない。それが瑞穂の覚悟だった。そして、真人だったら気付いていたであろうそのリスクも、余裕がない良雄は気づく事が出来ない。
── けど、それでいいのよ。
真人に頼りきりだった頃より、こうする事で自分の成長を感じられるのだ。
「で? 良雄君の試したい事って何? 聞いておかないとね」
「ん、ああ…… それは── 」
良雄の考えを聞いて、瑞穂は閉口した後「不可能じゃないわね」と、納得した様に頷くのだった。




