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恒久の無限回廊  作者: えくりぷす
無限回廊
3/75

「じゃ、行ってきます」

「行ってきま~す」


 玄関先で、見送りに来た美沙に向かって 二人は云う。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 美沙はいつものように、笑顔で二人を送り出す。そこには先ほどあった陰りはない。だから、真人と瑞穂も何も気付かずに家を出ていく。

 そして、真人達が戻ってこない事を確認した美沙は、リビングに戻り自分の席に座る。


 気付かれてないよね……

 冷めたコーヒーを口に運ぶと、美沙の口の中に苦味ではなく、渋味が広がる。


「マズっ」


 冷めたコーヒーは、心を落ち着かせる薫りも飛んでしまっている。だが普段なら、ここまでマズさを感じる事はないだろう。

 美沙は、ざわめく自分の心を抑えつける様に、残ったコーヒーを飲み干した。


「あそこに戻るのか…… 」


 シンクにカップを置いて、エプロンを外す。


 ―― 帰ってくるんだから、洗い物は後でいいよね。


 瑞穂は作るだけ作って、一切の片付けをしていない。


 ―― 我が愛娘ながらこれはね。もう一寸、色々教えないといけないわ。


 いつもの作り笑いではなく、本当の笑顔を見せる美沙。そして、そのまま家を後にしたのだった。



 ◆



 真人と瑞穂は、学校に向かって歩みを進めていた。そして、二人が通う高校で彼等は有名であった。だから、通学路を歩いているだけで注目されるのは、日常茶飯事、慣れっ子になっていた。


「見て、神城先輩と結城先輩よ」

「ちくしょー、あの二人付き合ってんだろ」


 真人も瑞穂も美形に属する。しかも、一緒に暮らしている事は周知されている。

 毎朝並んで仲睦まじい姿を見させられている者達からすれば、この程度の注目など当たり前の事なのだ。尤も、美沙はこの様な状況を危惧し、真人と違う高校に行く事を薦めていたが、瑞穂が頑として受け入れなかった。そして、真人も別にどっちでもと興味を示さなかった為、やっかみを受けたとしても仕方がないと割り切っている。

 幾ら二人が兄妹の様な関係であっても、世間ではそうは見てくれないものなのだ。


「お兄ちゃん。また有象無象が騒いでいるわよ」


 小声でそう云う。


「お前な…… 」


 ただ瑞穂の場合、度が過ぎた注目に苛立っているらしく、よくこの裏バージョンになっている。その度、真人に耳打ちする為、より仲良く見えている事に本人は気付いていなかった。


「神城真人、勝負しろやっ! 」

「で、またか…… 」


 剣道の武具に身を包み、その手に竹刀を持った男が校門の前で立っている。


「良雄。もう諦めてくれないか? 」

「何故に? 」

「お前、俺に21連敗中だろ。今更、俺が部に入っても、試合に出られる訳じゃないし…… 」


 真人は高校3年だ。部活に入ってもすぐに引退になる。


「否、部活はもはやどうでもいい。しかし、瑞穂ちゃんの件がある」

「その件もお前、本気じゃないだろう」


 何故、こんな事になっているかと云えば、理由は二つあった。第一の理由は、今、目の前に立っている〈猿渡良雄(さるわたりよしお)〉が、真人を剣道部に誘った事になる。

 今から二ヶ月前になるが、瑞穂が他校の生徒に絡まれた事があった。その際、真人はあっさりと撃墜したのだが、次の日に他校の生徒は十人以上を引き連れてきた。

 良雄は、たまたまその場を通り掛かったのだが、その時に目を疑うものを見た。真人は顔色一つ変えずに、落ちていた木の枝で十数人の相手をしていたのだ。

 剣道を始めて10年になる良雄は、真人の動きに一瞬で心を奪われた。一つ一つの動きが洗練されていて、レベルが違う。その動きは剣道ではなく、剣術の様だったが、一ヶ月も剣道をやれば全国制覇も可能だと思った。そして、良雄の行動力が発揮される。次の日から真人に勧誘ラッシュを始めたのだ。

 だが、当然ながら真人は、良雄を相手にしなかった。

 理由は面倒くさいからと云った。

 良雄はその気持ちを理解する事が出来たが、自分が求めている才能を持つ者が、その道にまったく入ってこないのは許せなかった。

 だから意固地になったのだろう。良雄はあらゆる手段を以て、勧誘を続ける。その中に瑞穂を通して、勧誘すると云う方法があった。


 ここからが二つ目の理由だ。

 彼女と云われている瑞穂の頼みであれば、真人も断らないと踏んだ良雄は、必用に瑞穂を追い掛けた。それは、端から見れば単なるナンパだった。良雄にしてみれば、話しを聞いてほしいだけの行動だったのだが、瑞穂にしてみればたまったものではない。だから、条件を出した『真人に勝ったら、話を聞く』と。そして、その条件は少し時間が経つと『真人に勝ったら、瑞穂と付き合える』に変わっていた。と、同時に真人に勝負を挑む男子が増えた。条件に何で勝ったらと云うものがなかったので、挑まれる勝負は様々だったのだが、真人は兎に角強かった。少しでもかじった事があるものなら、その場で勝負して勝ち。まるで知らない事なら、一日勝負を先伸ばしし、その一日で覚えて勝ってしまう。

 噂が広がってから、二週間で真人に勝負を挑む者は、ほぼ居なくなっていた。


「本気だよ。お前に勝てば瑞穂ちゃんに話を聞いて貰える。そうすれば、お前の考えも変わるだろ」

「い、いや、部活はもういいんじゃないのか? 」

「ん、ああ、そう云ったな…… んっ、あれ? あれれ 」


 この時、真人は良雄の本質に気付いた。


(コイツは悪いヤツじゃない、一寸頭が弱いだけだ)


 本気で悩み始めた良雄をその場に残し、真人と瑞穂は学校に入っていった。




「ははは、腹痛え。災難だな真人」


 昼休みの屋上で、〈川上裕司(かわかみゆうじ)〉の笑い声が響く。


「笑い事じゃないんだが…… 」

「にゃはは、でも猿渡だろ。アイツ馬鹿だが、面白いヤツだぞ」

「そう云えば裕司君、同じクラスだよね。あの人どんな感じなの? 」


 紙パックジュースを啜りながら、瑞穂が云う。


「どんなって云われてもな、馬鹿だけど良いヤツで、おもろいかな」

「ベタ慕めね」

「否定要素が少ないだけだよ。もっと詳しい話が聞きたいなら、秀明に聞けばいいよ」


 裕司はまだこの場に来ていない、もう一人の友人の名前を出した。それに反応したのは真人だった。


「秀明と良雄って仲良いのか? 」

「意外ね。対極な二人って感じなのに」

「対極だから、気が合うんじゃねーの。俺と真人だって似たようなもんだしな」


 真人と裕司は、中学からの親友だった。優等生の真人と劣等生の裕司。確かに対極にいる二人だが、出会った時から、言い合いなど一度もした事がない。喧嘩する程仲が良いと云うが、喧嘩しなくても仲が良いケースもある見本だった。


「で、秀明は? お前ら同じクラスだろ」

「本を返しに行くってさ。もうすぐ来るだろ」

「ふ~ん、そっか…… 」


 裕司は自分から、振った話にも関わらず興味なさげにしている。しかし、真人にはその姿が少しだけ不自然に見えた。


「裕司? 」

「いや~、参ったわ。購買行ったら、あんパンしか残ってねぇ。何か食うもんある? 」


 その時丁度、〈伊佐美秀明(いさみひであき)〉が屋上にやってきた。それで真人は言葉を呑み込んだ。気にはなっていただが、些細な事なのだから、追究するまでもない。そう考えての判断だった。


「サンドイッチならあるわよ。食べる? 」

「さんきゅ、助かるよ」


 そう云って、秀明は真人の横に座ると、瑞穂のサンドイッチをパクついている


「随分、遅かったな。何かあったのか? 」


 裕司が秀明に聞く。


「んにゃ、図書室へ本返しに行って、購買行っただけだ」

「そっか。ところで何の本を借りてたんだ? 」

「ん、下らない本さ。タイトルが『異世界後記』だぞ。内容も、見知らぬ森で美少女に出逢うようなありがちの話なんだが、パラパラ見てたらつい借りちまった。結局読まずに返す羽目になったから、無駄骨だったよ」


 真人は「えっ」と声をあげた。


「ん、どうしたんだ神城? 」

「い、いや、一寸な…… 」


 珍しく口籠(くちごも)る真人に、秀明は興味を覚える。


「何だ、話ちまえよ神城」


 ここから、秀明の追究が始まる。


「別に深い意味はないんだかな」

「だったら、いいじゃねぇか」


 秀明は普段、あまり人の事には興味をもたない。他人がどうではなく、自分が何をするのかを中心に据えて生活をしているような男だと、真人は思っていた。

 だからこそ付き合い易く、出逢ってから二ヶ月で毎日、昼を共にとるようになったのだが―― 何が秀明の興味をひいたのか、今日は様子が違っていた。


「な、別にいいだろ」


 折れる様子のない秀明に、真人は諦めて渋々ながら頷いた。


「ま、その何だ。たまたま今日みた夢が、その小説に似てたんでな。一寸(ちょっと)驚いただけだよ」

「なんだそりゃ」


 話を聞いていた裕司が、呆れ顔で口を挟む。真人にしてみれば、その反応が当たり前だったので、特にどうとも思わなかったが、違う反応が二つあった。


「そう云えばお兄ちゃん、今日は珍しく寝坊してたけど、その夢が理由な訳? 」

「そうなるかな…… 」


 真人は少し云い澱む。あれは間違いなく夢だったと理解しているものの、頬を撫でる風の感触が夢だと断言させるのを躊躇わせていたのだった。


「ふぅん、少し面白いな。その夢の内容をもうちょい詳しく教えてくれないか? 」

「はぁ? 何でそんな事を聞くんだ」


 秀明の反応は、更に真人の予想を上回っていた。まさか、こんな事に興味を持つとは思わなかった。


「いいか、夢って云うのは、自分の願望のケースがほとんどだ。この学校で有数の優等生が、そんなファンタジックな夢を見たなんて、面白いじゃないか」

「学校で有数ね…… 学校一の優等生が云うと、嫌味この上ないな」


 秀明はふざけている奴に見えるが、素行は良好、成績は学年トップだった。


「ま、それはたまたま俺の方が点数が取れただけだろ。んなもん、何の自慢にもならないよ」


 秀明としては本気でそう思っているようだが、それを聞いた瑞穂と裕司は苦い顔をしている。


「…… 優等生の自慢合戦を聞いてるほど、アホらしい事はないな。俺は先に失礼するわ」


 屋上を後にする裕司の背中を見ながら、真人は「俺は何も云ってない」と反論したかったのだが、今更感があり黙っていた。


「まあ、裕司君の気持ち分かるなぁ…… お兄ちゃん達の会話、単なる自慢話にしか聞こえないもん」

「そっかなぁ、そんなつもりはないんだが…… な、神城」

「知るか」


 もはやどうでも良くなった真人は、裕司に次いで屋上を去ろうと立ち上がるが、秀明はそれを許さなかった。


「おいおい、中途半端で何処行こうって云うんだ。せめて、どんな夢だったかぐらい話していけよ」

「そうね、私も気になるかな」


 あっさりと秀明側に着く瑞穂。


「ったく、しょうがないな…… 」


 構図が二対一になった時点で、真人は諦める事を受け入れるのだった。



「―― へぇ~、知らない場所で、お母さんそっくりな若い女性と逢う夢ねぇ…… 」


 不機嫌極まりない顔で瑞穂は呟く。


「ククッ、そっか、神城の願望はそんなトコにあったか…… 」

「やかましい。云っとくが、こんな夢見たのは初めてだからな」

「それって、今まで抑えていた欲望が爆発したって事でしょ。信じらんない」


 願望が欲望に変わっていたのだが、そこにツッコむと墓穴を掘ると分かっていた為、真人は口を噤んでいた。


「まあまあ、それより話を聞く限り、俺が見た本の冒頭と酷似してるな。神城はその本は見た事ないんだよな? 」

「…… うーん、記憶にはないな。けど、ありふれた内容なんだろ。だったら、似たような何かを見たのかもしれないな」

「さて、それはどうだろうな。実は、俺があんな本を借りたのは、大した表現もないのに情景が詳しく見えたような気がしたからなんだよ。これを偶然で片付けるべきか…… こりゃ、もう一回借りてみっかな」


 秀明の興味は返した本に移っていた。ただそれ以上に、その本に興味が湧いていたのが真人だった。

 秀明が感じた情景が、真人の見た夢と合致している。飽くまでも秀明の中の情景なのだが、どんな一致を見せているのか、確認したいという欲求が生まれたのだ。


「なあ、先にその本、俺が借りてもいいか? 」

「ん、何だ、興味湧いたのか? 」

「そうだな、どんなもんか見てみたいと思う程度に」


 真人の答えに、秀明は暫し考えた後「ま、いいだろ」と云う。そして、その本があった場所を教えてくれた。


「けど、今さっき返却したばっかだからな。せめて、放課後までは待った方がいいと思うぞ」

「だな。棚に戻っていれば、態々聞く必要もないし、他の奴に借りられていたとしても、別にどうって事もない」

「ま、貸し出しシートに明記はほとんどなかったから、誰かに借りられる心配はないと思うがな。それより、借りた後の報告を頼むぞ」

「ああ」


 そこまで話すと、時刻は13時5分前になっていた。


「そろそろ、戻らないといけないね」

「あ、瑞穂ちゃん」


 弁当を片付けようとしていた瑞穂を、制して秀明は残ったサンドイッチに手を伸ばした。


「残したら勿体無いからね」


 最後の一切れを口にして「うまっ! 」とご満悦な表情をする。

 秀明の口の中からパンが無くなるを待って、真人達は屋上を後にしたのだった。



 ◆



 6限目の授業が終わり、帰宅部の生徒の大半が帰宅した後、屋上に二つの人影があった。


「―― 食い付いたな」

「まだ足りなくないか? 」


 その二人の男の会話は、険悪ではなかったものの、意見の相違が見られた。


「足りない分は、補ってやればいい」

「だが―― 」

「まさか、この上まだ待とうと云う気か? 」


 その言葉に、もう一人は奥歯を噛み締めた。


「いや…… そうだな。待つだけでは何も始まらない」

「ああ、既に始まっていると云う事を認識してもらう。これを味あえば少しは刺激になるだろう」


 男の言葉には、確かな悪意が存在していた。そして、これと称したものは掌の上に黒い塊として存在している。


「…… 認識する前に耐えられないかもしれないぞ」

「その時はその時さ。だが、その心配はないな。あれは見た目よりタフだ」


 確固たる確信を持って男は云う。


 もはや、どうしょうもないな……


 自分達にとって時が満ちた事を知る。相手がまだ遥か後方に居ても、それは男達にとって関係のない事なのだ。


 こんなところで潰れてくれるなよ―― 真人。


「では、俺は行く。お前も来いとは云わないが、邪魔だけはするなよ」

「ああ、分かってるさ。兄さん…… 」


 そうして、二つの影は屋上から気配を消した。その場に残されたものは、校庭から流れてくる、部活に勤しむ生徒達の声だけだった。


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