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「真人、私に聞きたい事はある? 」
少しの間、口を結んでいた舞が大きく息を吐いた後、そう切り出した。
「── そりゃあ、あるさ。けど…… 」
聞いてよい事なのかどうか、真人には判断が出来ない。
「私がここに居る理由、かな? 」
「── ! 」
「図星か。まあ、そうよね。死んだはずの人間が存在し、こうして話してるんだから」
「それは…… 」
気にならないはずがない。だが、真人の心配は少し違う所にある。
「大丈夫よ」
「何がだよ」
「私は充分満足したから」
「ふざけるなよっ! 俺はまだ── 」
舞の言葉は、真人の心配が杞憂でない事を指している。
── 俺はここに居るべきではない。
「ダメよ。残滓はいつまでも留まる事は出来ないの── 」
「そんな風に自分を卑下するなよ。母さんはまだやる事があるんだろ。それなら残りカスなはずないじゃないか」
「ありがとね。でも、全ての物事には終わりがあるの。だから一度終わりを迎えた私は、やっぱり残りカスなのよ。
その私からやるべき事を取ったら存在する意味がない。分かるでしょ? 」
「……… 」
分からないはずがない。分かっていたからこそ、真人はここに来るべきではなかった、と後悔しているのだ。
原理や理由など真人には分からない。しかし、この村に居る人間が信司とリズを除き、全てが死んだ人間であると確信していた。
魂が流れる無限回廊。そこから外れた存在が集まる村。それがこの異世界村なのだ。
「その役目を果たしたら、母さんは…… 」
「まだ果たしてないから分からないわね。でも── やっぱりそうなるのかな」
「それでいいのかよ。過程がどうであっても、母さんはここにいて、こうして意思を通わせる事が出来る。
── だったら、このままでいればいいじゃないか」
未練や怨みを残した霊魂が、満足・納得したら成仏する。それと同じだ。役目を持っているから残っているのなら、役目を果たしたら消えるしかない。だが、逆を云えば役目を果たさなければ消える事はないという事になる。
「それを選んで、もし私が消えたら、それは折角貰った好機を棄てる行為よね。貴方はそんな愚かな母親を誇れるのかな? 」
「誇れなくたっていいよ。俺はもっと母さんと話したい。こんなに成長したって見て欲しい」
「─── ったく、美沙ちゃんたら、一つだけ育て方間違えたな。こんなに甘えん坊に育てるなんてね。
── リズ」
「何じゃ? 」
舞は自分の膝に顔を埋めるリズに向かって、
「ちょっとだけ、その場所を返してあげてくれないかな」
「う~ん、分かったのじゃ。じゃが、ちょっとだけじゃぞ。
そこは、舞が消えるまで妾のものじゃ」
「─── えっ! 」
舞の膝元を簡単に譲った事は勿論だが、それ以上にリズが舞の消失を受け入れている事に真人は驚いた。
リズの精神年齢は十歳前後だと云う。真人が舞を失ったのはもっと前になるが、受け入れられたのは冷たく動かなくなった舞に触れたからだ。その感触が無ければ、例え何歳になろうとも真人が舞の死を受け入れる事は出来なかっただろう。
勿論、リズが死の概念を理解していないという可能性はあった。しかし、精神年齢を置いておいても、聡いリズが理解していないと考えるのは無理がある。
「真人、おいで」
舞が微笑みながら、自分の膝元をポンっと叩く。リズが見てる前でと、考えなかった訳ではないが、真人の体は何かに操られるかのように、舞の元へ引き寄せられた。
「これじゃ、甘えん坊扱いされても何も云えないじゃないか…… 」
舞の匂いが、感触が、真人を捉えて離さない。そこに恥ずかしさが入り込む余地などなかった。
美沙と瑞穂は、家族として真人の欠けた部分を補ってくれた。しかし、体感を伴う安らぎは美沙では真人に与える事が出来なかった。そして、真人が最も求めていたのは、この温もりだったのだ。
瑞穂が美沙にじゃれつく様を見て、羨ましさを覚えた事は一度や二度ではない。その中で諦めていた温もりに再度巡り逢えた事は、これ以上ない僥倖だった。
「いいじゃない。所詮、男なんて皆マザコンなんだから。どんなに澄ましてクールを気取っても、家に帰れば乳が恋しくなるものよ」
「── か、母さん」
「んっ? どうしたの」
「い、いや…… あれ? 」
およそ、舞の言葉とは思えないのだが、何故か真人の中にあるイメージと重なる。
「これが私よ。だから真人、本当の私を忘れないで…… 」
「忘れるはずない── だろ」
一頻り舞の膝を堪能し、真人はその身を離した。後ろ髪が引かれないと云えば嘘になる。だが、縋り続けていれば、二度と離したくなくなるような気がした。
「もういいの? 」
「ああ、リズの視線が痛いからね。男の子は我慢の子だよ」
真人の言葉にキョトンとしているリズ。
そんな二人の子供を見て、舞は愛おしさに溢れていた。
── リズが受け入れているのに、俺が立ち止まっているのは格好つかないよな。
「親父、そこにいるんだろ。そろそろ本題にはいろうや」
「…… もういいのか」
信司は舞と同じ事を聞いた。しかし、その言葉には「満足したか」と「これが最後だぞ」という意味があった。それを理解した上で真人の返事は変わらない。
「ああ、本当ならもう無かった感触を味あわせて貰えたんだ。充分過ぎるよ」
「そうか。舞ももう…… 」
「ええ、充分です」
満足など得られるはずがなく、信司がそれを見抜けぬはずもない。それでも「分かった」と云い、真人と共に席に着く。
「あ、あの── 私達も宜しいでしょうか? 」
そう云い申し訳なさそうにしているレイサッシュ。その後ろにはスティルが控えていた。
「勿論ですよ。待たせてしまいましたね。
ちゃんと信司さんに云いたい事は伝えられましたか? 」
「えっ! あっ、はい…… 」
お見通しよ── と、云わんばかりの舞に、レイサッシュはやや面食らったように答えると、その後にスティルの顔を確認する。
よく考えれば、既に信司に伝えている事なのだから、話してはいけない事はないのだが、よく考えて答えてはいない為、不安に思ったのだ。
「ありがとうございます。それじゃレイ」
スティルは当たり前のように、澄ました顔でレイサッシュを呼び真人の後ろに立つ。そして、
「ライズ、充分に甘えられたのかね」
「やかましい」
しっかりとチャチャを入れ忘れずにお決まりのやり取りをする。
「二人は仲が良いのね」
「こんなんでも、一応師匠ですから」
「まあ、それは…… 」
深々と頭を下げる舞に、流石のスティルも慌てて頭を下げ返す。そして、頭を上げた時、舞の笑顔を見て「やりにくいな」と呟いた。
「舞~、もう良いのか? 」
「あらあら、ゴメンね」
リズのなつき方や、自分への対応を見て分かるように、舞はスティルから見ても好感が持てる人間だ。それこそ目的を忘れ、舞との友好を深めたいと思ってしまう。
── こんなんじゃダメだ。
自分の目的を強く見つめ直して、スティルは正面を見据えた。
「舞の置かれた状況については、今更説明不要だな」
それぞれがそれぞれのいるべき場所に収まったところで、会話を切り出したのは信司だった。
「ああ」
その返事として言葉を返したのは真人だけであり、スティルとレイサッシュは頷く。
「ならば、舞が何の為にここに居るのかから話そう。
今はもう美沙にその役目を渡しているが、舞は俺達の世界の門番だ。役目を譲ったとは云え、その素質は持ち続けている。そして、この世界には門番がいなかった。── と、なれば舞の役目は分かるだろう」
「こちらの世界でも門番を押し付けられた。と、云う事だろ」
「肯定だ。だからこそ、俺達がセルディアと元の世界を行き来する事が出来る」
「へぇ、そいつは興味深い情報だな」
信司が真実を云っているとすれば、舞が来るまでは真人達の世界からセルディアの道は一方通行であったという事だ。そして、もし舞が消えた場合、帰り道が無くなるという事を指している。つまり、誰かが門番を引き継がなければならない。
「── 俺が引き継ぐしかないって事か」
「そうよ。信司さんは門番の資格がないからね。
門番に必要な資格は、三つ── セルディアに深く関わりを持つ魂を持つ者、青き魔女の血脈…… そして、セルディアで生を受けていない者。
このどれが欠けても門番にはなれない」
── 青き魔女、シリア・L・ブラウニーか、全ての始まりの女がやっとこさ出てきたな。
夢の中で真人を誘い、無限回廊で、裕司が美沙に向かって呼んだ名前だった。そして、舞がその血脈と云う事は、シリアは真人の祖先になると云う事になる。
「しかし、あのシリアが婆さんになるとはな」
夢の中のシリアは、若く美しかっただけに今一実感が湧かない。
「シリアって、あのシリア・L・ブラウニーの事? だったら、マサトの祖先ではないわよ。だって未婚だもの」
「はぁ? 」
レイサッシュの根幹を壊す発言に、真人の頭は軽いパニックを起こしていた。
「青き魔女、シリア・L・ブラウニー。歴史に名を残す大魔導師にして、ライズ・クラインの右腕。この二人が結ばれなかったのは、子供をでも知ってる昔話だし、ほぼ同時にこの世を去ってるから隠し子がいたなんてないはずよ」
「それマジか? 」
したり顔で説明していた舞を見る。自信満々に話した事を当たり前のように否定されると、その恥ずかしさは半端ない。今が正にその状況だ。
真人の思考は門番云々から、どう舞をフォローするかにシフトチェンジしていた。しかし、
「舞の息子、汝は青き魔女の称号をシリアだけのものじゃと思ってるじゃろ。愚か者め」
リズが舞の膝の上から、真人の無知に対してフォローを入れる事になった。
「そんなん云われてもしらんよ」
ついぞ一ヶ月前まで、セルディアの存在も知らなかったのだから、愚か者と罵られる謂れはないのだが、強く云い返せない真人。
「ライズ、青き魔女の称号は魔石『碧眼』を持つ者が与えられるのさ。だから正確には青き魔導師となるのよ」
「なるほど、そう云う事か」
何人居るか分からないが、シリアと別の血脈に舞は当たるらしい事は、スティルの補足により理解出来た。だが、今は話の本筋から外れている。
「じゃあ、俺に門番としての役目を引き継がせる事が母さんのするべき事になるって訳だ」
「いいえ、確かにそれはしなくちゃいけない事だけど、私が確実にしなくてはいけない事じゃないわ」
「んっ? 」
話を本筋に戻すべく、当然の予測を真人は云ったのだが、舞はそれを否定した。
「分からないかな。もう、私の役目は終わってるのよ。
私の役目は貴方を生み、このセルディアに導く事。貴方との時間は御褒美みたいなものなのかな」
「えっ? それってつまり…… 」
この状況を受け入れなくても舞は消えてしまう。しかも、それほど遠くない未来に── 受け入れて決めたはずの覚悟がグラリと揺れた。
「舞に残された時間がどれくらいあるのかは分からない。だから、俺は見届けた後は元の世界に帰ろうと思う」
「なっ! そんな── 」
舞と信司の覚悟に自らを律していた真人に、スティルの驚愕の呻きが聞こえた。
「そういう訳だ。すまんな、スティル殿」
「シンジ、どうして? 」
スティルの狙いは、舞に早くセルディアから消えてもらう事。その為にはどんな協力でも惜しむつもりはなかった。しかし、舞の話を聞いて既にやれる事がなく、果報を待つだけだと「ほっ」としていた。だが、信司の言葉はスティルの完全に望みを断つものである。しかも、スティルはセルディアへの拒絶が含まれている事に気付いた。だから、思わず口にした「どうして? 」には、「何故、帰るのか」と云う意味と「何故、セルディアを嫌うのか」と云う二つの意味があった。
「舞に役割があったように、俺にも役割がある。
俺の役割は、真人を生む舞を護る事だ。それが済んだのなら、もう二度とセルディアとライズ・クラインに関わりを持つつもりはない── 」
「信司君…… 」
その信司の口調にようやく真人は、信司が持つ暗闇に気付く事が出来た。
「それでも、貴方は消えない── なら、役割は一つではないとは考えないのですか? 」
「俺の役割に騎士になる事がある、と。── ふっ、笑わせないでほしいな。
そもそも俺には、この国を救わなければならない義理はないだろ」
信司は本気で辛辣な言葉をスティルに投げ付ける。
信司とスティルの間にいる真人には、それがよく分かるのだ。しかし、
「── らしくねぇな親父。何ムキになってんだよ」
「らしくない…… だと。お前は俺の何を知ってるつもりになってんだ」
「はぁ? 何も知らねぇよ。知れるほど思春期に一緒に居なかったのは親父だろうが── だから、俺は俺の記憶に残ってるアンタを引き合いに出してるだけだ。
けどな── そう思わせたんなら、最後までそう思わせろやっ! 情けねぇ態度で幻滅させんな」
スティルが信司に何を頼んだのかなんて、真人には関係なかった。また、それを受諾しようがしまいがそんな事もどうでもいい。
真人が許せないのは、余裕なく断る理由に「義理はない」などと使う事だった。
「お前な…… 」
「大体、アンタは義理があっても嫌なら動かねぇような奴だ。
だったら、下らねぇ言葉で濁すより、バッサリと何が嫌なのかはっきり云って、切り捨てちまえよ」
よほどその方が信司らしい。だが、信司はその真人の願いを聞き入れる事はなかった。
「理由なんてないな。ただ俺はこのセルディアとライズ・クラインが嫌いなだけだ。
嫌いなものの為に動く気はない。それだけはお前の云う通りだな」
「ま、好き嫌いは物事の基本だから、何の云っても仕方がないか」
「そういう事だ」
「個人的にはあんまり面白くない答えだよ」
あまりと云う補助が見合わぬほど真人の表情は優れない。信司はその事が分かりつつも、真人から視線を逸らし以後口を閉ざした。
―― 逃げやがって。
毒づきたい気持ちを抑えて席を立った。
「真人…… 」
「ゴメン、母さん。時間ないの分かってるけど、少し頭を冷やしてくる」
そう言い残し、真人は周りに目を向ける事なく、そのまま外へ出て行った。
「マサト…… 」
「レイ、行ってきなさい」
「でも、姉様」
「あの馬鹿は、頭を冷やしてくるって云っただけよ。
独りにしろとは云ってないでしょ。時には強引に攻めるのも悪くはないわ」
強引なのはスティルの言い分なのだが、レイサッシュはその言葉に押されて真人の後を追う。
「あらら、もしかして―― 」
「ったく、あんなの何処がいいんだか」
本音とはとても思えない信司の言葉に、舞は苦笑を浮かべ、
「人の気持ちを汲めるイイ男になったわね。あの子」
「俺とお前の子供だからな」
「信司君―― 私は、もっと見てたかった。もっと話したかった。もっと一緒にいたかった。あの子を人に任せるなんてしたくなかった…… 」
「―― 分かってる」
気持ちを吐露する事で、舞は顔を上げていられなくなる。
そして、信司は舞に寄り添いその肩を抱いた。
「スティルよぉ、汝はこれを見ても信司をこのセルディアに留めようとするのか? 」
「リズ様…… 」
舞の膝元から顔を離さずにリズは問い掛ける。だが、スティルはそれに答える事は出来なかった。
「舞が命を落とした原因は、この国が英雄と称えるライズの力が大き過ぎたからじゃ。
そして、最愛の者を死して尚、縛りつける世界を好きになれる者などおらんじゃろ」
「…… 」
「それに息子だって、その原因に気づいておる。だから、信司を必要以上に責める事は出来なかった。
もう人を愛する事が出来ない汝に対して酷い事を云っているかもしれんが、そこは理解してやってはくれんか? 」
「気づいていらっしゃったんですね」
「汝からは、舞と同じ匂いがしている。この匂いは幻想の匂いじゃからな。
全てが帰った時、妾もラフィオンに帰化する。じゃから―― 」
リズに最後まで言わさずに、スティルは「御心のままに」と膝を折ったのだった。