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門を抜けた先は、数日前に見た光景と変わりなく、上下を除き木々で埋め尽くされいる。
上にある紺碧のキャンバスには雲一つなく、何処までも広がっているようで限界を感じさせない。
下は都会では殆ど感じられない大地の柔らかさが、足から脳へ感触をしっかり伝えている。
そして、回りを囲む木々の匂いは清々しく一時の安らぎを与えてくれる。
「こんな景色は嫌いじゃない── んだがな。せめて、道の整備ぐらい出来ないのかよっ! 」
木々が与えてくれる清涼感も、木々を掻き分けて道なき道を進んでいれば、本気で睡魔に襲われている時のコーヒー程に役立たずになる。
「道を作ったらその先に何かありますって、云ってるようなものじゃない。
門の位置はなるべく知られないに越した事はない。これ常識ね」
「ぬっ! 」
先頭を進む真人の直後を歩くレイサッシュが、完全に仕返しとばかり「常識」に力を込めて云う。だが、真人には云い返す事が出来ない。
確かに門の位置が知れたところで、未登録の者は起動出来ない。それでも興味をもって調べたり、破壊されたりしない可能性がない訳ではない。その可能性を少しでも減らすには、場所の特定が出来る要素は減らすに限るのだ。
「一寸、早く進んでくれない。行動制限があるこんな場所で襲われたら面倒臭いわよ」
「── おまっ! 」
進んで襲撃フラグを立てるスティルに対して、焦りを見せる真人。
「何さ? 」
「こういうシチュエーションで、それを云うか…… だから嫌なんだよ。フラグ概念の無い連中は」
「フラグ? 」
聞き慣れない言葉にレイサッシュは首を捻る。
「そういやノースにもそんな事云ってたさね。それって何なの? 」
「簡単に云うと、お約束ってヤツだな」
「「お約束? 」」
「ある言葉にシチュエーションが加わるとあっさりとその通りになる。
ノースの奴は格下と認めていながら、勝ち誇った言葉を云った。そう云うのを負けフラグが立つって俺達は云うんだ。んで、結果は見ての通りだ」
真人の言葉に二人は「ふ~ん」と云った後、動きを止めた。
「あちゃー、するとさっきの一言は余計だったかな」
「遊びみたいなものだが、これが案外馬鹿に出来ないからな。急ぐに越した事はない」
冗談抜きにこの場所は真人達にとってプラスになる事がない。
真人の風は回りの木々に遮られ、機動力の殆どを削られる。
スティルの炎は回りの木々に引火する怖れがある以上、やはりこの密集地帯では使えない。
そして、一番影響がなさそうなレイサッシュにしても同じ事が云える。本来、防御力を高めると云う事は、機動力を削いでいるのと同義だ。なら既に機動力が削がれている場所で使用したらどうなるか── 答えは簡単『一切の動きが封じられる』になる。つまり、真人達の勝利条件が『相手が諦める』の一択になる。確かに籠城は立派な策の一つではあるが、それは追い詰められた者が選ぶ苦肉の策である。まして、増援が望めない籠城は策にもなり得ないのだ。
「ここで襲われたら笑え── 」
「はい、ストップだ。スティルに次いでお前まで余計な事は云わないようにな。複数のフラグ立てなんて洒落にならんぞ。
このケースじゃ黙って迅速に、それがベストチョイスだよ」
真人の選択が合っていたのか、それともフラグが成立していなかったのか、それは定かではない。しかし、五分ほど無言で歩き続けた真人達の視界を遮る物がなくなると、そこは数日前にデュランダルが命を落とした場所に出た。
「ねぇ、マサト。これってツイてるのかな? 」
「うん? 何云ってんだか── なあ、スティル」
「バカツキさね。今日カジノへ行ってたら一財産稼げてたんじゃない」
各々が視線を向けた方向に複数の殺気がある。その数およそ三十程度。
「これ前にも感じた事があるな」
「そうさね。ただ数はあの時の六倍── 一人で殺ってみるライズ? 」
「うわっ、キタねぇな。その『どれ位強くなったか見てあげるわ』発言。その実、面倒臭ぇ感がたんまり出てる」
「まあ、姉様だからね。こうなると動かないわよ。諦めて頑張って頂戴」
レイサッシュも動く気はないらしく、真人に丸投げの様相を呈している。
「この似た者姉妹め── しかし、まあ、リベンジにはもってこいの状況だわな」
約一ヶ月前、真人はたった五匹の魔犬に手も足も出なかった。あれからの成長を見ると云う意味でも、今囲んでいるのがあの時と同じ魔犬であったのはツイている。そして、何より地を駆ける魔犬であるからこそ、あの森の中心で襲ってこなかった。それだけでも、真人達に運が向いている証明だった。
「そんな事云ってあっさり返り討ちにあったら、カッコ悪いわよ。マサト」
「無問題だよ。それよか、俺に向かってこなかった連中までは面倒見切れないからな。その程度は働けよ」
「まあ、その程度なら面倒見てやるさ」
ホレ早く行けとばかりに、真人を前に追いやるスティル。だが、その体には闘気を纏いおいそれと近付けない態勢を作り上げていた。
「── ったく、戦う気ゼロじゃないか」
魔犬とはいえ獣である以上、実力上者には手を出さないのが基本だ。それでも今回襲ってきたのは、圧倒的な数と何かしら追い込まれている事情があるのだろう。その事情を垣間見れば、誰に襲い掛かってもおかしくはないが、組み易い者が居れば当然、その者に狙いを付ける。
真人も同等の闘気を纏えば、魔犬達にも迷いが生じるだろうが、一手に引き受けると明言しているのだがら、その手は禁じ手になる。
「ま、スティルがその気なら俺もやり易いか。
── じゃ、来いよ犬コロ共」
前に歩みながら真人が云う。魔犬がその言葉の意味を知る事はないが、強い闘気を纏った者の傍から離れた弱い者がいる。それだけで魔犬が動く契機となった。
真人に襲い掛かる魔犬の数はおよそ十匹。前回とは群れの規模が違うが、何段かに分ける戦術は同じだった。
「芸がねぇな── 風障壁っ! 」
右手を一回扇ぎ、その身を風にて護る。インティライミの剣撃を防いだ風の壁は、魔犬の牙と爪を全て弾き返した。
魔犬の個々の能力は、騎士団長よりも低い。それが十匹単位で掛かってきても、騎士団長七人を物の数としなかった真人の敵ではない。
その事実は真人本人だけでなく、スティルもレイサッシュも分かっていた事だ。だが、魔犬達にはそんな事は知りもしない。強い闘気を持つ者から離れた鴨が自分達にとって脅威になるとは思いもしなかった。
「再登場キャラは雑魚。これもお約束だよな」
ニヤリと笑い真人が地を蹴る。そして次の瞬間、真人の剣が閃き三匹の魔犬が吹き飛び視界から消えた。
「どんなにやっても、所詮お前らは負け犬なんだよ。言葉は通じなくても分かるだろ」
三匹を飛ばすと同時に真人は、スティルと同等の闘気を纏った。こうなれば、如何に獣とはいえ勝ち目がない事を本能で悟る。
真人が一睨みを効かせるだけで、二十匹以上の魔犬が蜘蛛の子を散らすように離脱した。
「物分かりが良くて結構」
去るものは追わずと、逃げ去る魔犬に目を向ける真人。自分に対する油断はなかったが、その外にまで回す注意力は欠如していた。
「── なっ! 」
ある方向に逃げた三匹の魔犬の前に人影が生まれる。真人に脅えた魔犬も、新たに現れた餌に好機とばかりに逃げる事を止め、攻撃へ転じたのだった。
「アンタら逃げろっ! 」
真人が叫ぶ。
攻撃する気を完全に片付けていた自分では、最早魔犬を止める事は出来ない。また、始めから防御に徹していたスティルとレイサッシュにも同じ事が云える。
魔犬の兇手から、あの人達が逃れる為には自分達で何とかして貰う他手がない。だが、普通の人間なら魔犬のスピードに対応するのは不可能だ。しかし、
「── 逃げろ、だぁ。このクソガキ、誰に向かって云ってんだ」
「おまっ! 」
魔犬と影が交錯する刹那、影から光が一閃放たれる。そして、魔犬三匹は一瞬にして頭と胴が永遠に離れる事になった。
「よぉ、久しぶりだな愚息」
あっという間に魔犬を討ち、余裕の表情で真人を見据える男。神城信司は抜き放った刀を鞘に収める事なく、その肩に乗せて真人の目の前まで歩いてきたのだが──
「久しぶり── じゃねーだろっ! 一人息子ほったらかしで何やってんだテメーはっ! 」
自分の甘さで魔犬を見逃し、挙げ句人死を出すという最悪のシナリオを回避した安堵と父親との再会で、真人は純粋な十八歳の息子に戻っていた。
「馬鹿か、目に入れても痛くない可愛い娘ならまだしも、何かにつけて文句を云うクソガキをほっとくのは、親の義務だっ! 」
「知ってっか、そーゆーの育児放棄って云うんだよ」
「知るかっ! 俺の舞ちゃんの愛情を半分も掻っ攫っていくような奴は我が子であっても許さんっ!── ああ、許さんぞっ! 」
「アンタの── と云うのは認められないわね。だって舞タンは私の嫁」
信司から遅れてやってきた女性がやたら胸を張って、聞き捨てならない事を云う。
「「リズ様っ!」」
そして、その女性を見てスティルとレイサッシュは同じ名を呼んだ。
── い、いや、分かってたさ。ここに来る前から母さんと親父がここにいて、その傍にリズ様がいるという事は…… だが、
「このボケ親父っ! 異国の皇女様に何を教えてやがるっ! 世界の恥部かテメーは! 恥を知りやがれ」
ストレート一閃、真人の拳が信司の鼻面を捉えた。
「ふごっ! 」
そのまま後ろへ倒れ、後頭部を地面に打ち付ける。
「ぬ、のぉぉぉ~…… 」
「少しは反省したか」
「こ、こ、このクソガキっ! 何しやがるっ! 」
後頭部を両手で抑えて、その目に大粒の涙を溜めている。そして、その姿を見下ろしたまま真人は額に血管を浮かばせている。
「ほぉ、まだまだ喰らい足りないようだな」
「─── ! 待て待て待て…… このお姫様に嫁ネタを教えたのは俺じゃない」
指をポキポキ鳴らしながら、目に異常な光を走らせている真人に、信司は後退りしながら静止を懇願してみた。
「── んな、下らない事テメー以外の誰が教えるって云う気だ? 」
「いや、だからな。姫さんが余りにも舞ちゃんになつくもんだから『舞ちゃんは俺の嫁だ』と云ってやった訳だ。
そうしたら思いの外、姫さんが気に入っちまってな。事ある事に使うんだわ」
「うむっ! 『嫁』ありふれた言葉なのに一言でその親愛の全てを著すニュアンスが素晴らしい」
── コイツに参謀をさせて、この国は大丈夫なのか…… って、いうか。
ドゲシっと前蹴りを顔面に入れ、唸る信司の首根っこを掴む。
「やっぱ、犯人はお前じゃねぇか」
「実父をもっと敬えよぉ~。それに俺だって、ネタで嫁発言をした訳じゃねえ。舞ちゃんが俺の嫁なのは純然たる事実だ」
「ま、一理あるな。だが、敬うのは却下だ。テメーは美沙さんに全てを丸投げして俺を放棄した。
怨み言を云うつもりはねえが、敬う対象にはならねぇよ」
違う── 真人は心の中でそう呟く。
確かに信司は美沙に任せて、真人と過ごす時間を棄てた。だが、それは真人を放棄したのではない。放棄しなくて済むギリギリのラインを選択しただけなのだ。
本気で全てを投げ棄てる気ならば、真人に何も与えずに姿を消せばいい。しかし、信司は美沙と瑞穂を真人に与えた。これは真人の勘でしかないが、おそらくあの時点で互いに必要としていたのは、美沙と瑞穂と真人だけで信司は必要なかったのだろう。そして、信司を必要としていたのは舞だったというだけの話だ。
だから、真人は数年ぶりに会った父親と、遠慮なく気兼ねなく接する事が出来る。
神城真人は神城信司を、信用し、尊敬し、敬愛している。ただそれを言葉にする事はない。互いに理解し合っていれば良いのだから──
「美沙か、ありゃあイイ女だろ」
「当たり前だろ」
「瑞穂ちゃんも可愛いな」
「よく無茶するけどな」
言葉を交わしながら、真人は手を延ばす。そして、差し出された手を信司はがっちり掴むと、
「俺がそこにいても楽しくやれたか? 」
「そんなん知るか。実際にアンタは居なかった、事実はそれだけだろう。けど── 美沙さんも瑞穂も、別に親父を嫌ってないからな。楽しくやれたんじゃないか」
「── も、か。そうだな」
握る手に力を込めて、グイと真人を自分の懐に引き込んだ。
「デカくなったな、真人」
「成長期に四年も会ってなかったんだ。デカくなって当然だ」
「四年── もうそんな経つのか。そうかそうか」
一人で頷き、真人の頭を手荒く撫でる。
「ちょ、痛てぇって…… おいっ! 」
無骨な信司の手がやたらに現実感を帯びていて、痛みよりも気恥ずかしさが立った。故に真人は後ろへ一歩下がり、信司との距離を取る。
「真人、母さんに会って行け。舞は十年以上待ってたんだ。
ラフィオンの神官よ。目的は違えどその位の時間は貰えるのだろう? 」
少し離れた場所から、遠慮がちにこちらを見ていたスティルとレイサッシュに信司が問う。
「まあ、私達の目的はリズ様の捕獲ですから、その目的が果たされるまではご自由に」
「何と捕獲と申すかっ! スティル、汝も云うようになったものじゃな。じゃが今は不問に付すのじゃ」
一方、リズは真人の真横で興味津々とガン見していた。
「あ、あのリズ様? 」
「何じゃ、舞の息子」
「この距離の直視は恥ずかしいんですけど…… 」
「照れる事はあるまい。我は汝に興味が有る。我が人に興味を持つなど滅多にないのだからな」
─── おいおい、この人、言葉を理解しているのに通じないタイプの人かよ。
このタイプは真人が最も苦手とするタイプだった。
言葉が通じないのであれば、身振り手振りを踏まえて何とか意思疏通を計る努力も出来るが、この手のタイプは何を云っても、何をしても、己の方向性と一致しなければ意思疏通は不可能なのだ。
なまじ権力を持つ人間がこのタイプであると、もう手が付けられない。
「す、スティル…… 」
堪らず助けを求める真人。しかし、スティルは神妙な面持ちのまま、黙って首を横に振る。
「れ、レイサッシュさん…… 」
「え、えっと── 無理かな」
てへっ── と、笑いレイサッシュは視線を反らす。
これで護る壁がなくなった。と、真人は思ったのだが、それが間違いだった事を視線を反らした後のレイサッシュの顔で知った。
可愛く笑って顔を背けた直後、レイサッシュの瞳にはラッキーと云う光が一瞬だが確かに瞬いていた。つまり、元々真人を助けるつもりなどなく、厄介だと考えていたリズの興味が真人に向かった事を喜んでいるという事だ。そして、それはスティルにも同じ事云える。
この流れは、スティルとレイサッシュが二人共望んでいた流れなのだから、壁などになりはしない。真人はリズという神に差し出された生け贄だったのだ。
── クソっ、売られたな。
始めから存在しなかった壁に期待した自分を呪いながら、真人は諦めの境地を切り開いた。
「しかしな、舞の息子よ。主は変わった魔力を持っておるの。才能有る魔術士を見てきたが主のような魔力は初めてじゃな」
「は? どう云う事ですか? 」
「やはり気付いておらんかったか。
主の中に残る魔力残滓は普通の人間のものではない。それでいて普通の魔力もある。── これ如何にといったものじゃ、うーむ…… 」
それだけ云ってリズは考え込み出した。
「何なんだ、一体…… 」
他人の事はお構い無しに、自分の世界に入り込むリズを見ながら、所在無さげに真人は呟いたのだった。




