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勝負に勝つのと、試合に勝つのではその意味合いは大きく違う。
真人が今回しなければならない事は、試合に勝つだけでなく、勝負に勝たなければならない。
そこで出てくるのが今回の選択だ。つまり、切り札を切って無傷で勝つか、多少の傷を負ってでも切り札を隠して勝つかになる。
普通の状況であれば、切り札は簡単には切ってはならない。切り札は勝負を決めるその瞬間まで取っておくから切り札になる。だが、今回はここが勝負所であると真人の勘がそう云っていた。否、勘だけではなく客観的に見ても明らかだ。
真人が無傷でここを切り抜ければ、向こうの駒はインティライミのみとなる。そうなれば負けるとは思えない。
事実上一択しかない答え、それが逆に真人の選択を迷わせていた。だからこその出たとこ勝負。
真人は賭け事をする時、運任せの50/50で勝負をするようなタイプではないとこれまでは自称していた。故に勝負をするなら80%以上の勝率がなければ受けない。そうやって負けない自分を作り上げてきた。謂わば勝つ為に必要な事は全てやり、充分な勝率が得られない時は勝負を避ける事が出来る堅実型だ。
このタイプは負ける事が少ない分、賭け事の楽しさを知らない。だから、賭け事には嵌まらない。それがこれまでの真人だった。
── こんな高揚感は味わった事がないな。
勝率だけを考えては決して得られない楽しさがあった。案外、スリルを楽しむ激情型のギャンブラー資質が真人にはあるのかもしれない。
だが、負けると分かっているのに勝負を挑む破滅型ではない。やるからには、勝つ為に最善を尽くすのみだ。
「始めっ! 」
本日、三度目となるウォッカの声が響き渡る。
真人はいつもしている正眼の構えを捨て、スティルの構えを取る。
スティルの構えは、オーソドックスな片手剣の構えであり、左に楯を携える事が出来る攻防一体の構えである。今、楯を持っていない真人がこの構えを取るのは不適切のようであるが、考えなしに行っている訳ではない。
「ラグナ、サイレンスっ! ライズの左右に回れっ!
正面は私が引き受ける」
ノースの声掛けに応じ、直ぐ様ラグナとサイレンスはそれぞれ左右に跳ぶ。指揮系統がしっかりしているだけで、個々の能力を充分に活かす事が出来る良い証明だった。
「── 行くぞ」
宣誓をして真人に斬りかかるノース。
その剣はスティルには及ばないまでも、隙はなく鋭い。
── 避けても追撃がある。
無駄な力が入っていない剣撃は、避けられた後、連撃を可能とする。ノースの剣は真人に連撃をイメージさせるほど、素晴らしいものだった。
避けるか、受け止めるか、瞬時の判断が求められる。
── ここは受け止めるっ!
ノースの剣は袈裟斬りに似て、右斜め上から振り降ろされるものだ。片手では受け止めきれない。
「風楯」
左手に風を纏わせ、その風でノースの剣を止める。その瞬間にラグナとサイレンスが真人に斬りかかる。
タイミングとしては申し分ない。だが、ノースの一撃に比べると、無駄な力が入り鋭さもない。
真人は、サイレンスの剣をその剣で受け止めながら、ラグナの剣を半身捻り交わす。そして、その際にあるであろうノースの攻撃に備える。だが、
「氷の矢」
真人の予想を超えた、ノースの魔法がその体を射抜いた。
「── は? 何だこれ…… 」
左肩と右足に刺さる氷の矢。その冷たい矢が刺さった患部が熱を生み出していた。
「── ライズっ! 」
観客席からスティルの叫びが聞こえる。その声からスティルにも予想していなかった事態になっている事は明白だった。
「騎士が魔法を使ってはいけませんか? 」
呆然とする真人に、冷たく云い放つノース。そして、
「やれっ! 」
立ち直る隙を与えずに、ラグナとサイレンスに追撃命令を出したのだった。
─── あ、これヤバいわ。
迫るラグナとサイレンスに初めて驚異を覚える。何もなければ簡単に捌ける攻撃だが、右足と左腕を奪われては避ける事もままならない。
「終わりだ英雄っ! 」
サイレンスが吼え、ラグナとの剣閃が重なり真人に迫る。右腕一本で受け止める事は今の真人には出来ず、サイレンスの言葉通り留めの一撃足りうる。
「チッ、舐めんなっ! 」
焦りは正常な判断を狂わせるが、この時の判断に間違いはなかった。── ただ、ギリギリのラインで真人は切り札を切ってしまった。
真人の切り札は云うまでもなく魔導術である。右腕に魔力を集めその力を増幅させると、サイレンスとラグナの剣を弾き飛ばした。そして、返す刀でサイレンスの両足を切り裂き、ラグナの右肩に剣を突き刺す。
一歩間違えれば、その命を奪う一撃を真人は格下相手に放ったのだ。その攻撃に余裕など微塵もない。
「はあ、はあ、はあ…… 」
乱れる呼吸を正せず、ラグナに剣を刺したまま顔を下に向ける。ここでノースの追撃があればそれで勝負は決っすると思われた。しかし、
「その程度か? 」
余裕の無い真人に、余裕を見せつけるノース。二人の立場は完全に入れ替わっていた。
「ざけんな── 何故追撃してこねぇ」
「近付くの危険かと思ってな。今のお前なら、中距離での魔法で充分倒せる」
もし、ノースが調子に乗って真人に近付けば、真人は残った左足に魔力を注ぎ、充分な瞬発力を以てノースを切り裂いた。だが、切り札を先に見せた事により、ノースは真人の力を正確に把握し正しい戦術を組み立てた。
── やっぱ切り札は先に切るもんじゃねぇな。
傷から発生する痛みで遠退きそうになる意識を何とか繋ぎ止める。
「俺に勝てる? そんな消極的な戦術でか」
「氷の槍」
真人の挑発にも乗らず、ノースは自分の考えを込めた魔法を放つ。
自由が効かない真人には、先程使った広範囲に攻撃出来る氷の矢の方が効果的だ。しかし、ノースは氷の槍を使った。それは「こんな攻撃でも避けるのがやっとだろ」という意味が込められている。
そして、その通りなのだ。屈辱以外の何ものでもないが、ノースの氷の槍を何とか交わすと、額から冷たい汗が流れ落ちる。
「一対一での決闘なら、君が勝ってたよ」
「何の慰めにもならん一言だな。けど、その一言は取り消した方がいいぜ。
俺の地元じゃ、負けフラグって言葉があるんだが、見事に抵触してるからな」
── 尤も、こんな負け犬発言も負けフラグじゃなかったか?
苦笑しながらも、勝つ為にノースからは視線を外さない。
もう勝てる方法は数少ない。その機会を逃す訳にはいかないのだ。
「まだ諦めてない。そんな目をしてるな」
「当たり前だ。俺は負けるのが嫌いみたいだからな」
「だったら、どんな手を使うのか見せてもらおうか」
ノースが魔法を使う為、印を結び呪を唱える。それを見た瞬間に真人が動く。常識では有り得ない真上に飛んだのだ。
「空中浮遊」
無限回廊で裕司が使っていた精霊術。
── ここでアイツは空中を蹴った。
残された左足で空中を蹴り、重力の力を借りる。その力は地面を蹴るので得られないスピードと距離を真人に与えた。
「愚かな、空中じゃ自由が効かないだろう」
云いながら氷の矢を放つノース。
「だな。── けど、今の俺は点だぜ。態々交わさなくても、そんな魔法は防ぐのは簡単だ」
空中で剣を一閃、それだけで真人を襲う氷の矢は霧散した。
「しまっ! 」
真人が簡単に氷の矢を退けると、ノースの顔に焦りの色が生まれる。
元々、氷の矢は攻撃力は低い、その分、数で広範囲を攻めるからこそ驚異がある。しかし今回、真人は空中でその体を斜めにしている。つまり、ノースの視点からは点としか捉えられない。こうなれば、真人に当りうる氷の矢は一本、ないし二本になる。そんなものは、真人の剣の一振りでどうとでもなる。
「俺の勝ちだ」
氷の矢を霧散させた剣を持ち変えて、そのままノースに体当たりをする。そして、体がぶつかる瞬間に剣の柄がノースの眉間を撃ち抜く。
「── ったく、格好つかねぇな」
剣を支えに大地に立つ真人。一方、ノースは白目を剥いて大の字になって倒れていた。
「ライズっ! 」
真人とノースの決着が付くと同時に、スティルが呼ぶ。
「何だよ、やかましいな」
フラりとよろけながら、真人は顔を上げる。
「─── !」
真人の顔は血の気がなく、限界はすでに超えている事をスティルは悟る。そして、真人がここまで追い詰められると予測していなかった自分を恥じた。
真人の才能に過剰な評価を与えて、騎士を甘く見ていた。
「ライズ、こっちに来れるか? 」
ルールで戦わない者は舞台に入る事は出来ない。だが、戦闘の合間の僅な時間であれば、戦う者なら観客席に来る事は出来るのだ。
「何だよ、無駄な体力使わせるなよ」
「いいから、すぐ来いっ! 」
憎まれ口を叩く真人に、スティルは怒りの表情で呼びつける。
「ったく── 何なんだ」
何とか受け答えしているものの、真人には既に余裕などない。出来ればギリギリまで動きたくはなかったのだが……
それでも、真剣な顔をして自分を呼ぶ、スティルを無碍に扱う訳にもいかずフラフラと宙を翔んで要求に応える。
「── その傷見せなさい」
「は? 見せたところでどうにもならんだろ」
スティルは火の神官だ。回復の為の精霊術などなく、また魔法にしてもその攻撃色の強さから回復魔法など持っていない。
その事は初めてぶっ飛ばされた時に、充分理解している。
「そのままなら、一切の回復もないでしょ。── だから焼くわ。
痛いから覚悟なさいっ! 」
そう云って、真人の肩と足に刺さった氷の矢を一気に抜き取る。
「がっ! ── 痛ぇ、何しやがる」
真人が矢を抜かなかったのは、傷口から血が噴き出すのを抑えていたからだ。確かに傷は治らないが、そもそもこの短期間では魔力強化で回復を促しても治りきらないのが分かっていたからだった。それならば出血をなるべくしない方が理に叶っている。
「我慢しなっ! このままだと冷気と出血で、より体力が奪われるわよ」
「って、── ちょっ…… 」
そこで、スティルが云った不吉なワードが思い出された。
「おまっ── 焼くってまさか…… 」
「そうよ」
矢を抜いた事により、空いた穴に指を入れその傷をなぞる。もっと艶っぽいシチュエーションなら良かったのかもしれないが、スティルの行動は猟奇的なシーンを演出したのだった。
「うがぁぁぁーっ! いてぇっ! 」
「黙って、舌かむわよっ! 」
真人の傷は既に凍傷も引き起こしている。寒から熱への変化は傷口に塩を塗り込むより、キツいのではないかと真人に思わせる。それでも、じっと我慢してスティルの荒治療が終わるを待った。
「はい、これで終わりよ」
「いてぇ…… マジで痛ぇ」
治療前より痛みが増している。スティルを信じて任せたが失敗したかもと後悔が生まれた。だが、
「いい、魔力操作でその傷口の部分の守備力を高めてみなさい。二箇所同時になるけど、アンタなら出来るはずよ」
「は? 」
尋常でない痛みから救われたい一心で、スティルに云われるがまま行動をする。すると、今まであった耐え難い痛みが嘘のように引いていった。
「これ── は…… 」
「その場しのぎの苦肉の策よ。少なくても、さっきの状態よりは動けるはず。けど── 」
「けど?」
「魔力操作は使えない。この意味分かるわよね? 」
それは真人の戦闘力が半分以下になるという事だった。そして、デュランダルの懐刀の実力は想定以上だった。真人が剣技と精霊術で戦うのは無理がある。
「けど、やらなきゃな。ここまでは俺の仕事だ」
「済まない」
「互いに利用し合ってるんだ。謝る必要はねぇよ。
── それより、デュランダルは本当に動くのか? 既に動くタイミングを逸しているぜ」
デュランダルの駒で残っているのは、インティライミのみ。ここで真人が負ければ、動く可能性はあるがインティライミまで戦えなくなった場合、一人でスティル以下全て倒す事は出来ないはずだ。
「保証はないけどね。確信に近い予感はあるわ」
「そっか── なら、そこからはアンタの仕事だ。
案外すぐに始まるかもしれねぇぜ」
意味あり気な一言を真人は漏らすと、デュランダルに目を向ける。すると、デュランダルはこちらをじっと見返していた。
「もう準備はいいかい?」そうデュランダルの目が云っている。その一方でインティライミは壁に背中を付けたまま腰を降ろして寝ている。
「余裕だな── 」
送られた塩は苦味を伴って、真人の口の中に不快さを残した。
「スティル、あの時の言葉実行するからな」
ふわりと真人の体が宙を翔び、闘技場に舞い戻る。
「── 楽しい時間の始まりだな」
真人が近付く気配を感じ、インティライミは瞳を閉じたまま呟く。
「楽しめる時間はないと思うぜ」
「いいや、楽しい時間は長さじゃない。内容の密度だろ英雄さん。
── じゃ、殺り合おうか」
インティライミの瞳が開かれる。その瞳に深い闇を携えて──
「名は体を表すって嘘だな」
「は? 」
真人の記憶が確かなら、インティライミはケチュア語で「太陽の祭り」の意味がある。だが、この人間には光輝くものを見つけられない。生き死にでしか生を実感する事が出来ないそういうタイプの人間だ。
「否── そんな事より、宣言してやるよ。
やっぱりお前は楽しめない。今回もこれからもな」
「へぇ」
立ち上がり、会場前と同じように真人に顔を近付けるインティライミ。そして、二本の短剣を抜き放つと、真人の心臓にその刃の先端を当てる。
「今度はこの刃を突き刺してやるよ」
「そんな刃、届かねぇよ」
睨み合いながら、そのまま中央に移動する二人。後は、四度目にして最後となるウォッカの声が掛かるのを待つばかりになった。そして、
「始めっ!」
開始の合図と共に、二本の短剣を携えてインティライミが跳ぶ。
「はっはは~、刻んでやるよ」
インティライミの動きは人を殺める為だけに特化しているようだった。そのスピードだけでいえばスティルを超えている。しかし、
「風障壁」
ノースに使った風楯の強化版である風障壁を発動させる。
風楯よりも防御力が低い術ではあるが、その分、真人の体全体を風が護る。
力ある強い一撃であれば、気休め程度の防御力でしかないが、
「お前じゃ、この壁は破れない。云っただろ、そんな刃は届かないってな」
その言葉通り、インティライミの刃は真人の眼前にて全て弾かれる。
「チッ! 」
このままでは埒が開かないと判断するや否や、インティライミはバックステップを踏み距離を取る。そして、
「くだらん小細工を── 」
インティライミはたたらを踏むような仕種を見せるが、すぐに思考を切り換えたように呪を口ずさむ。
「やはり、魔術士か」
ノースと同じように、インティライミもまた魔法を使う。只、生粋の魔術士のように強力な魔法が使える訳でなく、あくまでも剣技を活かす為のサポートとして使えるといった感じだった。
しかし、それでも充分驚異になる。
「焔付与」
インティライミの持つ、二本の短剣が燃えている。
魔法剣、それがインティライミの切り札だった。
「これなら届く」
ニヤリと笑みを浮かべ、インティライミは剣を構え直す。
「そうだな、風障壁があれば切り裂けるだろうな」
インティライミが切り札を切ったところで、真人は風障壁を解いていた。そして、
「お前に付き合うのはこれまでだ。
テメー以上に痛ぇ思いをしてやるんだから、安心して寝ろやっ! 」
傷を保護していた魔力を足に回して大地を蹴る。当然、激痛が真人を襲うがそんな事で怯む訳にはいかない。
そして、一瞬にしてインティライミとの距離を詰めると、打ち下ろしの一撃を放った。
「そんな攻撃が通るかっ!」
真人の剣閃に合わせて短剣を重ねる。だが、受け止めきれると確信を持っていたインティライミの短剣を真人の一撃は二本共、弾き飛ばしたのだった。
「ば、ばかなっ! 」
「スティルだったら、今の一撃は流していたよ。残念だったな、非力君」
そのまま、無防備となったインティライミの右足に剣を突き刺す。
「あ、がぁぁー」
受けたダメージと反比例し、あっさりとインティライミの戦闘力を奪い勝利する。
「ホラな、殺り合うなんて事にはならなかっただろ。── お前の負けだ」
その言葉にインティライミは、体を支える事が出来なくなり大地に倒れた。
「クソが、いつかお前を殺ってやる」
その瞳に屈辱の色を宿し、呪詛を込めインティライミは云う。
本当ならば「殺せ」と云いたいところだった。だが、云っても無駄な事だと分かっているだけにより屈辱感が増していた。
「何度やっても、叩き伏せてやるさ」
その一言で真人は自分のやるべき事を終えたのだった。